2. 自由貿易体制の強化
貿易において全ての国に対する無差別な取扱いを確保し,また,関税及び非関税の障壁を削減・撤廃することにより,開放された多角的な貿易関係の確立をめざした戦後の世界の自由貿易体制は,これまで過去に例を見ない貿易の拡大と世界経済の発展をもたらした。しかし近年に至り,米国の経済力の相対的低下とその巨額の貿易赤字,我が国の貿易収支の大幅な出超,欧州における産業構造調整の遅れや高失業率等を背景に,米,EC,日本といった世界の主要貿易国間での貿易摩擦は一段と厳しさを増し,我が国も昨年来,ハイテク分野・農業・公共事業といった幅広い分野の個別案件において困難な対応を余儀なくされた。また,このような貿易摩擦は,ガットを中心とした戦後の多角的貿易体制の有用性についての疑問を生み,米国の包括貿易法案をめぐる動きにみられるような保護主義的圧力を高めた。
このような状況の下で,米加自由貿易協定の署名や1992年のECの域内市場統合に向けての進展といった地域的な経済統合の動きも強まりを見せている。このように現在,ガットを中心とする多角的貿易体制は,一つの大きな試練に直面している。
自由貿易体制にその繁栄を依拠し,地域的な経済関係に依存することなく多角的な貿易関係を諸外国との間で構築することをめざしてきた我が国としては,多角的開放貿易体制の強化を図ることが,将来にわたり貿易の拡大と世界経済の発展を実現する上で不可欠であると考えている。
このような認識の下に,現在行われているウルグァイ・ラウンド(多角的貿易交渉)に積極的に取り組む必要がある。また,ガット紛争処理案件についても,速やかに解決を図っていくことが,ガットを中心とする自由貿易体制の有効性と信頼性を高める上で重要である。また,米加自由貿易協定やEC域内市場統合といった地域的経済統合の動きについては,これらが域内の経済を活性化し,ひいては世界経済の拡大に貢献することが期待される一方で,その取り進め方如何によっては,これらの地域的経済統合の動きが域外の第三国との貿易等に好ましくない影響を与え,さらには世界経済のブロック化につながる倶れも排除し得ないので,今後とも十分な注意を払って行く必要がある。
(1) ウルグァイ・ラウンドの現状
86年9月のプンタ・デル・エステ閣僚会議で開始が宣言されたウルグァイ・ラウンドは,87年1年間,「物」に関する14の交渉グループ及び「サービス」に関する交渉グループにおいて,各交渉分野における問題点の把握と各国の提案の提出を中心とする第1段階の作業が活発に行われた(別表参照)。
今次ラウンド交渉は,その参加国(103か国)においても,交渉分野(サービス貿易,知的所有権,投資の新しい分野も対象)においても,過去に例を見ない規模を有しており,これまでのところ順調に進展していると評価される。88年は,分野によっては本格的な交渉の段階に入っており,特に12月にカナダのモントリオールにおいて交渉の中間レヴューを行う閣僚レベルの貿易交渉委員会(TNC)の開催が予定されていることから,この会議に向けて可能な分野でのいわゆる「早期成果」(交渉の早期妥結,早期実施)を達成すべく,交渉のペースはさらに早まるものと予想される。また,中間レヴューにおいては,全ての交渉分しんちょく野において交渉の進捗状況を確認するとともに,89年以降の交渉への有益な指針が示されることが期待されている。
我が国は,87年以来,広範な交渉分野において,今次ラウンド交渉で具体的に何を交渉の対象とし,どのように交渉を進めていくか等についての提案を行い,特に年末には農業貿易についても新しいルール作りについての提案を提出した。88年は各国より提出された提案も踏まえ,「早期成果」を含む中間レヴューの落ち着き先を見越した具体的対応が求められている。現在,中間レヴューの際にどのような形での「早期成果」を達成するかにつき,調整が進められている。現在のところ,「早期成果」の対象としては,プンタ・デル・エステ閣僚会議でも交渉のタイミング及び結果の実施について特別の配慮を受けるとされている熱帯産品が,各国の貿易政策監視制度の新たな導入を中心とするガット機能強化,紛争処理手続の迅速化と効率化を図らんとする紛争処理,及び途上国配慮の観点から有力視されている。
(2) 主要交渉グループの交渉の現状
(イ) 農業
87年末,我が国は,農業貿易の一層の自由化を達成するとの農業交渉の目的に沿いつつも,農業の特殊性,食糧自給率の低い国における「基礎的食糧」の国内生産安定化の必要性等にも配慮した新たなルール作りについて提案を行った。しかし,補助金,市場アクセス両面での急進的な自由化を求める米国,ケアンズ・グループ(豪州,ニュージーランドを中心とする農産物輸出国グループ)の提案との開きは大きく,今後の交渉には,なお大きな困難が予想される。他方,EC及び北欧諸国等は,急進的な自由化には我が国同様慎重な態度をとっている。
(ロ) セーフガード
セーフガードとは,輸入の予期せざる急増によって生ずる国内産業への重大な損害を回避するためにとられる緊急輸入制限措置のことで,ガット第19条にその規定がある。東京ラウンド以来,セーフガード措置の選択適用(特定の国からの輸入のみ制限の対象とすること)を認めるかどうか,及び第19条の規定に則らない輸出自主規制等のいわゆる「灰色措置」がまん延している事態にどう対処するかが大きな問題となっているが,各国の意見の隔りは依然大きく,議論は収斂をみていない。
(ハ) 熱帯産品
熱帯産品は開発途上国の貿易において重要な位置を占めており,プンタ・デル・エステ宣言に従い,交渉のタイミングと結果の実施について特別の配慮が求められている。現在までのところ,交渉の方法(リクエストの出された個々の品目ごとに交渉するのか,一定の方式に従い関税の引下げ・撤廃等を行うのか等)について合意が得られていないが,各国からの具体的な要望事項の提出等を通じ,交渉が実質的な進展をみることが期待されている。
(ニ) 知的所有権
特許や著作権といった知的所有権の保護の在り方は国により異なるため,これまで種々の貿易上の問題を生じさせる原因となってきたので,今次ラウンドでは,知的所有権についての新たなルール作りが取り組まれている。しかし,現在までのところ,各知的所有権ごとの保護規範の確立を求める米国,我が国等と,これをガットあるいはウルグァイ・ラウンドの場で取り扱うことに消極的な国(特に途上国)との対立がある。
(ホ) 貿易関連投資措置
ローカルコンテント規制,輸出義務等の投資措置が,いかなる貿易制限的または歪曲的な効果を有しており,また,どこまでを交渉対象とするかについて未だに合意が得られておらず,合意へ向けての各国からの提案が期待されている。
(ヘ) ガット機能強化
監視機能,意思決定機能,IMFや世銀等との協力の3点についてガットの機能を強化することを目指し,交渉が進められている。その中で,貿易政策監視制度は,各国の貿易政策が多角的貿易体制の機能に与える影響について,ガットの場で定期的に監視しようというもので,その内容はかなり煮詰まってきており,「早期成果」の有力候補となっている。他方,残りの2点(閣僚の関与の在り方を中心とする意思決定機能の強化,及び,IMF,世銀等との関係強化)については,種々の意見の相違がある。
(ト) サービス
ガットは,基本的に「物の貿易」についてのルールを定めたものであるが,サービス貿易についても,今次ラウンドでは多角的なルールの枠組作りを行おうとしている。交渉を通じサービス貿易そのものの自由化を進めようとする先進国(特に米国)と,交渉の目的はあくまでサービス貿易の拡大であり,多角的枠組も途上国の発展を促進する手段とするべしとする途上国(印,伯等)との間で意見の対立がある。また,多角的枠組の全体像や,そこに盛り込まれるべき原則についても未だ合意はなく,交渉の前途にはかなりの困難が予想される。
(3) 我が国の関係するガット紛争処理案件
86年から88年にかけて,ガットにおいては,米国,EC等が我が国の貿易上の措置等をガット上問題であるとして,パネル(紛争処理小委員会)の設置を求めるケースが相次いでいる。我が国の措置に対しこれまでパネルが設置され問題の解決が図られたのは,皮革の輸入割当制度に対し米国が問題提起した例(83年)が1件あるのみであった。しかし,86年になると,7月に米国が日米間の懸案であった農産物12品目問題に関しパネル設置を要求,10月の理事会においてパネル設置が決定されたのに続き,ECが我が国の酒税制度及びラベリングの慣行がガットに違反しているとしてパネル設置を要求,87年2月のガット理事会においてその設置が決定された。さらに,ECは,日米半導体取極に基づき第三国市場への半導体輸出を監視するため我が国が行っている措置はガット上問題ありとしてパネル設置を要求,4月のガット理事会においてその設置が決定された。
このうち,酒税問題に関しては,パネル報告に基づき,ラベリングの慣行についてはガット上問題ないが,酒税制度についてはガット第3条の内国民待遇違反であるとする報告が10月のガット理事会において採択された。12品目問題については,パネルは12品日中2品目(落花生,雑豆)を除く10品目をガット第11条の数量制限廃止の義務違反とする報告をまとめた。我が国は,パネル報告の内容の一部に異議を有していたこと,及び一部品目の自由化には困難な国内事情があったことから,12月のガット総会においてはパネル報告の部分採択を求めたが,他の国の受け入れるところとはならず,採択は延期された。その後,88年2月のガット理事会において,我が国は,パネル報告のガット解釈の中で,我が国として異議がある部分については将来における我が国の立場を留保すると共に,乳製品及びでんぷんの自由化は困難なことを述べた上で,パネル報告全体の採択に応じた。
さらに88年,カナダが,我が国の松,モミ,トウヒ類(いわゆるSPF(注))の木材の関税が自国に対し差別的であるとしてパネルの設置を要求し,3月の理事会においてその設置が決定されている。
我が国を対象とするパネル案件の急増は,長年の懸案が2国間でうまく解決し得なかったため,ガットの場に持ち込まれたものであるが,他方,巨額の貿易黒字を維持している我が国に対し各国が厳しい目を向けていることの表れでもあり,我が国として適切な対応が求められていると言えよう。