(5) 中東和平問題

(イ) 概観

長らく目立った動きが見られなかった中東和平問題については,87年12月にイスラエル占領下の西岸・ガザ地区で発生した騒擾を契機として,中東和平プロセスの活性化を目指した外交活動が活発化した。とりわけ米国は,シュルツ国務長官が88年2月より,和平案を携え,精力的に外交を展開したが,米国の和平努力成功の見通しはいまだ立っていない。

(ロ) 情勢の推移

(i)  中東和平問題については,近年国際会議の開催により和平を実現しようとの動きが見られるが,87年末に至るまでは,和平プロセスには目立った進展は見られなかった。

 

すなわち,パレスチナ側では,4月にアルジェで開催された第18回パレスチナ国民評議会(PNC。PLOの国会に相当する機関)においては,国際会議にPLOが他の参加国と対等かつ独立した資格による参加を求めるべしとの強硬路線が採択され,アラブ陣営内の穏健派であるジョルダンとの合同代表団の枠内で参加するとのオプションは採用されなかった。

 

また,もう一方の当事者であるイスラエル側においては,連立内閣を構成している労働党(党首ペレス外相)とリクード(党首シャミール首相)の間で意見が対立しており,労働党が二国間の直接交渉につながる国際会議を支持しているのに対し,リクードは,国際会議はイスラエルの領土的妥協を強いるものとなるとしてその開催そのものに反対,政府としての統一的立場を打ち出せなかった。

(ii)  このような状況下・87年12月8日,ガザにおいて発生した事件(イスラエル軍トラックがパレスチナ人4人を死亡させた交通事故)以来・西岸・ガザにおいて1967年のイスラエルの占領開始以来最大規模の騒擾が発生し,占領地情勢の早期収拾の見通しは立っていない。

(iii)  西岸・ガザ情勢の急変を契機に,中東和平問題解決の重要性,緊急性が注目され・88年に入り米国等関係国による和平努力が活発化した。1月にはシェヴァルナッゼ・ソ連外相がデ・クェヤル国連事務総長にあてた書簡の中で,外相レベルによる安保理事会の開催を提案した。また,同月ムバラク・エジプト大統領がイスラエルによる入植活動の停止,パレスチナ人の安全及び諸権利の確保等を条件に西岸・ガザにおける暴力行為を停止することを骨子とする和平イニシアティヴを発表した。

(iv)  関係国のこのような動きが見られる中で,米国は,シュルツ国務長官自らが和平イニシアティヴを推進すべく精力的外交を展開している。即ち,2月25日から3月4日までイスラエル,ジョルダン,シリア及びエジプトの間でシャトル外交を行い,各国に対し和平案を提示した。その骨子は,まず紛争当事者及び安保理5常任理事国が参加する国際会議を開催し,その後イスラエルと近隣諸国の間で二国間交渉を開始,特に,イスラエルとジョルダン・パレスチナ合同代表団の間では,過渡期間における西岸・ガザに関する措置について6か月以内に妥結することを目標として交渉を行う,そして,右交渉開始より7か月後,西岸・ガザの最終的地位に関する交渉を開始する,というものである。

(v)  このような米国の動きに対する関係国の対応ぶりは,米国が和平プロセスに積極的に関与したことをおおむね歓迎しつつも,各国の立場からいろいろ注文をつけており,7月末現在,エジプトが米提案を支持した他は,未だ同提案に対し最終的回答を与えていない。

イスラエルは,上記(i)の政府内の分裂が解消されておらず,米提案を受け入れるべしとするペレス外相と受け入れられないとするシャミール首相の間で意見が分かれたままであり,3月中旬にシャミール首相が訪米した際にも,同提案に対するイスラエル政府の統一的立場を示すことはできなかった。他方,アラブ側は,まずイスラエル側の反応を見極めたいとの構えである。エジプトは,米提案は前向きなものであると評価しているが,強硬派であるシリア及びPLOは消極的な見解を示している。

(iv)  上述の通り,シュルツ長官の和平努力の成功の見通しは未だ立っていないが,米国は,今後も和平努力を継続するとしている。88年秋には,米国大統領選挙及びイスラエルの総選挙が予定されており,これが和平プロセスに及ぼす影響が注目される。

(ハ) 我が国の役割

我が国は,従来より,中東和平は公正,永続的かつ包括的なものであることが不可欠であり,かかる和平は,(i)イスラエルが67年戦争当時占領したすべてのアラブ占領地から撤退し,(ii)独立国家樹立権を含むパレスチナ人の民族自決権が承認され,(iii)イスラエルの生存権が承認されることにより,達成されなければならないとの立場をとってきた。

我が国としては,このような立場に立って関係当事者との対話を行う等,平和的解決のためできる限りの側面的協力を行っており,87年においても9月の倉成外務大臣のジョルダン訪問,12月のマスリ・ジョルダン外相の訪日等の機会を通じ,和平の進展へ向けて意見交換を行ってきた。さらに,88年6月には「国際協力構想」の中の「平和のための協力」の一環として,中東和平問題において我が国の果たし得る役割を探求するため,宇野外務大臣が,紛争の直接当事国たるシリア,ジョルダン,エジプト,イスラエルを訪問した。

このような外交努力に加え,中東和平の核心たるパレスチナ問題との関連から,パレスチナ人住民の生活安定を図るべく,我が国はこれまで国連パレスチナ難民救済事業機関を通じ,米国に次ぐ実績の資金協力及び食糧援助を実施してきた。また,88年度には,初めて,エジプト・イスラエル間の和平条約に基づき,平和維持活動を行っているシナイ半島駐留多国籍軍・監視団へも100万ドルの拠出を決定し,また,国連開発計画に日本・パレスチナ開発基金を設立し,西岸・ガザ地域の経済社会開発に対し100万ドルの援助を決定した。

 

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