(4) イラン・イラク紛争

(イ) 概観

イラン・イラク紛争は,80年9月に戦闘が開始されて以来88年に至るまで,約8年間にわたる紛争となっている。両国の紛争の発端となった点は,直接には領土問題,内政干渉,イスラム革命の輸出等の問題であるが,根底にはアラブ・ペルシャの対立,宗教上の問題等の争点も存在し,両国の対立は根深いものがある。

近年の戦闘状況は,相互のタンカー攻撃,化学兵器の使用,相互都市攻撃が行われるなど,戦闘手段が複雑化し,87年よりはイランと米国との間で軍事衝突が発生するなど,複雑な様相を呈してきていた。

87年7月,国連安全保障理事会においてイラン・イラク紛争の即時停戦等を求める決議598号が採択され,国連事務総長を中心とした和平努力が続けられ,イランが88年7月18日に同決議を受諾した結果(イラクは決議採択後即座に受諾),8月20日に停戦が行われ,25日より両国間で国連事務総長主催の下での直接交渉が行われることとなり,和平に向けて大きく進展することとなった。

(ロ) 情勢の推移

(i)  陸上戦闘

87年1月,イランはイラク南部でカルバラ第5作戦を行い,イラク領内にその地歩を確保した。その後87年中は北部山岳地帯を中心に戦闘が継続したが,戦況に大きな変化はみられなかった。

88年2月末以降,両国間でミサイルによる相互都市攻撃が続いたが,4月に入り,イラクは86年来イランが占領していたファオの奪回に成功するなど,7月までにイランに占領されていたイラク領をほぼ奪回し,軍事的に優位に立った。

(ii)  湾岸情勢

86年に引き続き,船舶に対する攻撃が頻発したが,87年5月,米国軍艦スターク号がイラク機に誤爆されるという事件が発生した。

86年10月以降,クウェイトへ往来する船舶が被弾する事件が相次ぎ,クウェイトは,自国のタンカーを米国籍に便宜置籍することを要請し,米国は右要請を受け入れるとともに米中東艦隊を増強した。イランは,米国の海軍力増強に対して,地域情勢に対する超大国の介入であるとして強い反発を示した。

7月,米海軍の護衛作戦中にタンカーが触雷する事件が発生したが,この新たな脅威に対し米,英,仏,イタリア,オランダ,ベルギーは掃海艇を派遣した。9月には,イラン船が機雷を敷設しようとした(イラン側は否定)として,米国が同船を拿捕する事件が発生,さらに10月には,クウェイトに対しミサイル攻撃が行われ,米国籍に移籍されたタンカーに被害が発生し,その後,イランの海上油田施設が米軍艦により攻撃される事件が発生した。

88年4月,米国は,イランが新たに機雷を敷設したとして,87年10月とは別の海上油田施設を攻撃した。これに対して,イランはアラブ首長国連邦の海上油田施設攻撃を行った。

さらに88年7月,ホルムズ海峡においてイランと交戦中であった米軍艦がイラン航空機を戦闘機と誤認し,ミサイルで撃墜した。

本事件による緊張の拡大が懸念されたが,専ら国連安保理,ICAOに付託され,安保理においては,遺憾の意を表明する決議616が採択された。

また,安保理決議598受諾を拒否していることなどを理由に,87年10月より米国は,イランからの輸入の全面禁止,軍事転用可能性のある14品目の輸出を禁止する対イラン経済措置を独自に実施している。

(iii)  イラン・アラブ関係

アラブ諸国は,これまでも同じアラブの国であるイラク寄りの立場であったが,イラン・イラク間の戦闘の激化,87年7月に発生したメッカ事件(イラン人巡礼とサウディ官憲が衝突した事件)等から,11月に開催された臨時アラブ連盟首脳会議では,イラク支持を明確にし,イランと対決姿勢を強め,サウデイは88年4月に対イラン断交を行った。

 

(ハ) 我が国の役割

(i)  87年初めのイランの南部陸上攻撃を契機に,イラン・イラク紛争が一刻も早く平和的に解決されるべきとの声が国際社会で一層強まり,7月,国連安全保障理事会において即時停戦,撤退,紛争責任調査のための中立的委員会の設置等を求める安保理決議598が採択された。

(ii)  安保理決議598に対して,イラクは即時に受諾を声明したが,イランは明確な受諾の表明を行わず,87年9月より,同決議の実施を図るため,国連事務総長の調停努力がなされ,88年7月に,イランは決議598の正式受諾を表明した。これにより8月20日に停戦が行われ,8月25日より国連事務総長主催下の両国間の直接交渉が行われることとなった。このように,イラン・イラク紛争は和平に向けて大きな進展をみせることになったが,依然解決されるべき問題があり,今後の和平交渉の成り行きが注目される。

(iii)  我が国は,これまでも本紛争解決のための環境造りに努力し,安保理決議598採択に際しても,安全保障理事会の非常任理事国として協議に積極的に参加し,同決議の内容がイラン,イラク両国にとりより受入れ易いものとなるよう努力しており,また,国連特別拠出金2,000万ドル中の1,000万ドルを国連事務総長の調停努力用に割り当てる等,事務総長の調停努力を積極的に支援してきている。

(iv)  我が国は,イラン,イラク両国に対し,機会あるごとに紛争の早期平和的解決とそのために国連による調停努力に積極的に対応するよう直接要請してきており,倉成外務大臣は87年6月にイランを,9月にはイラクを訪問して両国に早期和平の必要性を訴えた。また,11月にはヴェラヤテイ・イラン外相が訪日し,宇野外務大臣より同外相に対し直接,安保理決議598の受諾を強く要請した。88年2月のイラクのザハウィ外務次官の訪日に際しても,和平についての対話を行っている。

(ニ) 湾内の安全航行と我が国の貢献

(i)  87年に入り,船舶の安全航行確保に対する内外の関心はこれまで以上に高まり,また,1月には日本籍船が初めて被弾する事件が発生し,その後88年7月までに合計10隻の日本関係船舶(うち,日本籍船は4隻)が被弾している。

(ii)  我が国は,湾岸地域からホルムズ海峡を経由して輸入される原油に総輸入量の約55%を依存しており,同地域を航行する船舶の安全確保の最大の受益国の一つである。このような状況の下,我が国は,国際社会の責任ある一員として,安全航行確保のために非軍事的手段による応分の貢献を行うべきとの考えに立ち,87年10月,湾岸地域への電波航行援助施設の設置等の一連の貢献策を決定し,その実現に努力している。

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