2我が国とソ連・東欧諸国との関係
(1)ソ連
(イ)北方領土問題
(a)86年1月15日から19日まで訪日したシェヴァルナッゼ外相との間で,安倍外務大臣は,実に約3時間にわたり,領土問題を対象とした平和条約交渉を行った。
安倍外務大臣は,二国間問題に関する討議の第一番目に提起したい問題として領土問題を取り上げ,30年前の1956年に日ソ国交回復を行った際,領土問題が未解決にとどまったが故に平和条約ではなく共同宣言により国交を回復せざるを得なかったこと,領土問題は国家にとって基本問題であること,平和条約が結ばれていないことは正常な国家関係とは言い難いことなどを述べ,1855年の日露通好条約,1875年の千島・樺太交換条約にまでさかのぼって日露国交樹立の時から,北方四島は我が国の領土であることなど北方四島に係る歴史的・法的な背景について詳細に説明し,北方四島に対する我が国の領有権の正当性を主張した。また,1956年の日ソ国交回復交渉時の日ソ間のやりとりを説明し,日ソ共同宣言及び松本・グロムイコ書簡を引用し,日ソ両国は,北方四島を巡る領土問題は国交回復後引き続き交渉することに合意した上で,四島のうち,既にソ連側も返還に合意している歯舞・色丹両島は,共同宣言において平和条約締結後日本への引渡しが合意され,残りの二島について平和条約交渉において話し合われることになったことを始め,国交回復後今日に至るまでの日ソ間の交渉経過についても縷々詳細な説明を行った。
さらに,日本国民は,日ソ関係が真に改善に向かうことを強く希望し期待していること,政府・与野党を問わずすべての政党,労働組合等すべての諸団体が,日ソ間には領土問題が存在しており日ソ関係を実質的に改善するためには決して避けて通ることはできないと考えていることを指摘した。そして,ソ連側にはソ連側の考えがあることは承知しているが,だからこそ,この問題を含め広範な問題につき交渉の席に着いて話し合う必要があることを繰り返し強調した。
シェヴァルナッゼ外相は,両国関係を安定したものにするために条約的基礎を作ることは一番重要な問題であるとの考えには同感であるとしつつも,ソ連は平和条約交渉を行う用意があるが,条約の内容は双方が受諾可能なものでなければならないこと,ソ連は以前から「善隣協力条約」を提案してきており,現在もその提案は有効であること,平和条約について両国間の話合いを続ける必要があるが,交渉のために前提条件をつけてはならないことなどを述べ,領土を変更する必要はないとソ連側は考えていると結論づけたが,ソ連側の領有権を根拠づける具体的な条約等文書の名前は一切出なかった。
他方,シェヴァルナッゼ外相は,この問題について日ソ両国の見解は異なっているが,日本側がこの問題を提起することを禁止する権利はソ連側にはない旨述べた。
こうして,ソ連側の立場は従来の立場の域を出るものではなかったが,領土問題を含む平和条約交渉が再開され,次回モスクワで行われる日ソ外相間定期協議の際にこれを継続することで合意を見た。
(b)なお,政府としては,日ソ事務レベル協議(9月5日,6日,東京),国連における日ソ外相会談(9月24日,ニューヨーク)等このほかにも機会あるごとに北方領土問題を解決して平和条約を締結することが日ソ関係の発展にとって不可欠である旨強調してきている。
(ロ)日ソ経済関係
(a)日ソ貿易
82年まで増加を続けた後,83年,84年と2年続けて減少を記録した日ソ貿易は,85年に取引量が回復し,輸出が27億5,000万ドル(対前年比9.2%増),輸入が14億3,000万ドル(対前年比2.5%増)となり,往復で41億7,000万ドル(対前年比7%増)となった。
輸出の増加は主として機械機器類の増加によるもので,金属加工用機械,荷役用機械,建設鉱山用機械等が大幅に増加している。他方,鉄鋼は不振を続けており,減少を記録している。輸入では,綿花,石油製品,非鉄金属,機械機器等が落ち込んでいるが,石炭,化学品,金が大幅に伸びており,輸入総額全体として増加を示している。
(b)日ソ貿易支払協定の締結,日ソ政府間貿易経済協議
(i) 85年7月23日,24日の両日,同年末で有効期間の切れる協定に代わる86年から90年までの期間を対象とした貿易支払協定締結のための交渉がモスクワで行われ実質合意を見た。同協定は,基本的には従来の協定の内容を踏襲したものであるが,協定に基づいて行われてきた日ソ貿易年次協議の討議対象を日ソ貿易のみならず,日ソ貿易経済関係全体についても行うこととし,また,協議のレベルも従来の局長級から次官級にレベル・アップすることとなった。
同協定は,1月18日,安倍外務大臣とシェヴァルナッゼ外相との間で署名され,発効した。
(ii) 同協定に基づき,3月11日,12日の両日モスクワで第1回日ソ政府間貿易経済協議が開かれ,手島外務審議官とマンジューロ外国貿易省次官との間で過去5年間の日ソ貿易のレビューとともに,現在及び将来に向けた日ソ貿易経済関係につき率直な意見交換が行われた。
(c)第10回日ソ・ソ日経済委員会合同会議
86年4月15日から17日までモスクワで第10回日ソ・ソ日経済委員会合同会議が開催された。日本側からは,小松日ソ経済委員会副会長を団長とする200余名の代表団が訪ソし,マルケビッチ外国貿易省次官を団長とするソ連側代表団と率直な意見交換を行った。
小松団長ほかは,訪ソ中,ルイシコフ首相,アリストフ外国貿易相等とも会談を行った。
(ハ)日ソ漁業関係
(a)カーメンツェフ漁業相の来日
85年11月13日から19日まで,カーメンツェフ漁業相が外務省賓客として来日し,佐藤農林水産大臣との間で日ソ漁業関係の諸問題に関し意見交換が行われた。滞日中カーメンツェフ漁業相は,安倍外務大臣を表敬訪問した。
(b)日ソ漁業協力協定交渉,第1回日ソ漁業合同委員会
(i) 84年5月以降,日ソ間で交渉が行われた新しい日ソ漁業協力協定締結交渉は,1年近く難航した末,85年5月12日に署名され,13日発効した。
(ii) 同協定に基づき,85年の日本によるさけ・ます操業の条件等を決める第1回日ソ漁業合同委員会が5月13日から6月4日までモスクワで行われた。この結果,日本のさけ・ます漁獲割当量は3万7,600トン,日本がソ連に支払う漁業協力費は42億5,000万円となった。
(ニ)国会議員団の訪ソ
坂田衆議院議長を団長とする国会議員団が,85年9月23日から27日まで,ソ連最高会議の招待によりソ連を訪問し,ソ連滞在中,グロムイコ最高会議幹部会議長,連邦会議議長,民族会議議長と会談した。今回の日本の国会議員団の訪ソは,78年9月以来7年振りであり,衆議院議長の訪ソとしては20年振りのものである。
(ホ)デミチェフ文化相の訪日,日ソ映画祭
(i) デミチェフ文化相は,85年9月12日から19日まで外務省賓客として訪日し,中曽根内閣総理大臣,安倍外務大臣等と会談したほか,筑波科学万博,関西方面を視察した。
(ii) 84年9月,5年振りに再開されたソ連における日本映画祭を受け,85年4月,ソ連映画祭が,東京,大阪,札幌の各地で開催された。また,同年10月には日本映画祭がモスクワ,レニングラード,ナホトカの各地で開催された。
(2)東欧諸国
(イ)ワルシャワ条約(WP)諸国との関係
(a)85年には,我が国からは6月に安倍外務大臣がポーランド及び東独を訪問し,東欧側からはオブジナ=チェッコスロヴァキア副首相(5月),ジフコフニブルガリア国家評議会議長(5月),ラーザール=ハンガリー首相(9月)が訪日した。
(b)経済面では,85年の我が国の対WP東欧諸国貿易総額は,前年比4%減の8億6,750万ドルとなった。ポーランド,チェッコスロヴァキア及びハンガリーとの間で各々政府間の経済混合委員会を行ったほか,ポーランドに対しては,同国よりの要請に応じて,82年から84年までの期間に支払い期限の到来する公的債務の繰延べにつき二国間合意を締結した。
(ロ)ユーゴースラヴィアとの関係
85年には5月に筑波科学万博賓客としてシューコヴィッチ副首相が訪日し,10月には国連において中曽根内閣総理大臣とヴライコヴィッチ連邦幹部会議長との会談が行われた。また,同国よりの要請に応じて,85年1月から86年5月までの期間に支払い期限の到来する公的債務の繰延べにつき二国間合意を締結した。
<要人往来>
<貿易関係>
<民間投資>
<経済協力(政府開発援助)>