第4節 中南米地域
1.中南米地域の内外情勢
(1)全般
中南米地域においては,85年及び86年初頭にかけて,中米問題,累積債務問題という国際政治経済上の問題が引き続き存在するとともに,その一方では中長期的趨勢として民主化の進展が見られ,85年3月にウルグァイ及びブラジル,86年1月にグァテマラでそれぞれ民主政権が誕生した。
(2)中米情勢
(イ)中米情勢は85年を通じますます混迷の度を深めている。83年1月以来,中米問題の平和的解決を目指しているコンタドーラ・グループ(メキシコ,パナマ,コロンビア,ヴェネズエラ)の和平努力にもかかわらず,中米和平協力協定の締結実現には至っていない。
(ロ)米・ニカラグァ関係については,84年6月から両国間で継続されていた直接交渉が85年1月に中断され,5月には米国はニカラグァで依然民主化の動きが見られないとして対ニカラグァ経済制裁措置を発表した。さらに4月末のオルテガ=ニカラグァ大統領のソ連・東欧訪問を契機に,米議会で審議されていたニカラグァ反政府勢力に対する軍事援助(2,700万ドル)の実施が承認され,86年に入ってからも,レーガン米大統領はニカラグァを和平交渉のテーブルにつけ,同国の民主化を促進するとの立場から反政府勢力に対する新たな援助の実施を議会に求めている。
(ハ)コンタドーラ・グループは,前年に引き続き中米和平協力協定案の調整に努力し,10月に開催されたコンタドーラ・グループ・中米9か国外相会議において中米5か国に対し最終協定案を提示した。
しかし,ニカラグァは国際軍事演習の完全禁止を求め,軍備の削減には米・ニカラグァ関係の正常化が前提であるとして最終案への署名に反対している。
86年に入り,85年7月に結成されたコンタドーラ支援グループ(アルゼンティン,ブラジル,ペルー,ウルグァイ)をも交え,和平活動は継続されている。
(3)経済情勢(任務問題を含む)
(イ)85年の中南米諸国の経済は,一次産品価格の低迷,世界景気の停滞等の要因により,同地域全体の国民総生産の伸びが2.8%と84年の3.2%を下回った(国連ラ米経済委員会資料)。特に3%を超える経済成長を達成した国は,ブラジル,メキシコ等一部の国に限られ,大半の中小国では経済の回復は緩慢であった。
(ロ)中南米地域のインフレ率は引き続き高水準にあり,85年は前年の185%から328%に大幅に上昇して,史上最高を記録した。これは1万%以上というボリヴィアの超インフレの影響が大きいが,アルゼンティン,ボリヴィア,ペルー等の高インフレ国については,新経済政策の採用等の要因により,85年後半にかけてはインフレが沈静化した。
(ハ)世界貿易の伸びの鈍化と一次産品価格の低迷が85年の中南米地域の対外収支の悪化をもたらした。特に輸出額は前年比6%減少し,貿易収支の黒字額は,84年の388億ドルから85年の343億ドルヘと11.6%の減少となった。
(ニ)中南米諸国の累積債務は85年末で3,680億ドルに上り(国連ラ米経済委員会資料),一時国際金融体制に与える影響が懸念されたが,幸いこれまでのところ,IMFを中心とする国際機関,債権国政府,民間銀行等による債務返済の繰延べ措置,追加融資等の適切な対応及び債務国自身の経済調整努力により,当面の最悪の局面は乗り切ってきた。
しかしながら,中南米諸国経済の低迷,経済調整政策推進に伴う失業や実質賃金低下等の問題の発生等政治的・社会的困難も増大しており,累積債務問題は深刻化するおそれがある。中南米の主要債務国(カルタヘナ・グループ,11か国で構成)は,84年6月以来4回にわたるラ米債務国会議を開催し,債務問題に関して債権国と債務国の共同責任を主張して政治対話を求めているほか,金利の引下げ,融資額の拡大等を要求している。
(4)主要国の動向
(イ)メキシコ
(a)85年は経済諸問題の表面化,大地震の発生があったが,大きな政治的,社会的不安もなく内政は平穏に推移した。デラマドリ政権は経済再建と道義刷新を柱とした政策を堅持したが,経済諸政策の難航は企業家層の不満を招くとともに与党(立憲革命党)の一党支配体制に対する国民の批判を強めた。
(b)外交面では,デラマドリ大統領はユーゴースラヴィア,インド,さらに主要西欧諸国を訪問するなど首脳外交を行った。しかし,85年10月に予定されていた同大統領の訪日は,9月のメキシコ地震により延期された。
米国との関係は,麻薬問題が両国の外交問題に発展し,国境封鎖など一時的ながら緊張が見られた。中米問題についてはコンタドーラ・グループの一員としてニカラグァ・コスタ・リカ間紛争の調停等に積極的に活動した。
(c)85年のメキシコ経済は,緊縮政策が一部緩和されたことなどにより経済成長は84年を上回る成長を達した。しかし,財政赤字の大幅増加,84年を上回る物価上昇,さらに石油価格の下落を主因とする貿易黒字の大幅縮小等があり,これまでの順調な経済回復は悪化に転じた。
対外債務は,対民間銀行向けの公的対外債務(487億ドル)について多年度一括リスケの調印が行われた。石油は,生産,輸出ともに目標を若干下回った。
(ロ)パナマ
(a)85年は16年振りの国民直接選挙により発足したバルレタ政権の実質的な施政1年目に当たり,パナマの民主化にとり重要な年であった。しかしながら,バルレタ大統領は,経済危機打開のための政策を巡り,与党,軍,国内各層の支持を得られず,さらに9月に発生した「エスパダフォーラ惨殺事件」を機に軍と対立し,同月辞任した。後任にはデルパイエ第1副大統領が昇格,就任した。
(b)外交面では9月のバルレタ大統領辞任を巡り,パナマの民主化を期待する米国との関係が悪化した。
(c)経済面では,バルレタ政権の諸政策に対する国内の不支持,政治的・社会的混乱(大統領交替,デモ,ストの頻発等)などによりマイナス成長となった模様であり,財政赤字,対外債務等の問題も悪化した。
(ハ)コロンビア
(a)85年は,86年8月に任期満了を迎えるベタンクール政権にとり,実質的総仕上げのための年であった。しかし,同政権の国内政策の柱であったテロ対策に関して,極左グループのM-19が政府との停戦協定を破棄し軍との大規模な衝突が頻発,11月には最高裁判所占拠事件を引き起こした。さらに同11月に大規模な火山噴火災害に見舞われるなど多難な年となった。
(b)外交面では,コンタドーラ・グループの一員として中米問題解決のために積極的な外交を展開し,また,カルタヘナ・グループを通ずる債務問題の解決に努力した。
(c)経済面では,政府が新規融資獲得のための経済調整策を強化したこともあり1.8%程度の成長にとどまった模様で,同調整策の成果として,インフレ抑制,財政赤字改善等が実現された。
(ニ)ヴェネズエラ
(a)ルシンチ政権は,(i)与党民主行動党が議会で安定多数を占めていること,(ii)党内の支持も基本的に堅固であること,(iii)野党第一党のキリスト教社会党の内部抗争が続いたことなどにより無難に政局を運営した。
(b)外交面では前年に引き続き累積債務問題の処理に重点が置かれたほか,「ラ米諸国との対話の充実」が重視され,コンタドーラ・グループ,アンデス統合グループ等の中で地道な努力が払われた。また,法王を始め諸外国の元首,閣僚クラスが多く来訪した。
(c)経済面では,3度にわたる金利引下げ,外資法の改正,追加投資等を実施したが,実質GDP成長率はマイナス0.4%,失業率は13.3%と所期の経済回復目標は未達成に終った。
(ホ)キューバ
(a)86年2月開催された第3回共産党大会において,能力主義人事を断行し,カストロ首相を頂点とする集団指導体制を強化した。
経済面では,旱ばつによる農業生産不振,ハリケーンによる被害,砂糖国際価格の低落,石油価格の下落(石油の再輸出による収入は同国の外貨源の1つ)等により情勢は悪化し,85年7月,カストロ首相は,債務キャンセル論を提唱した。
(b)対米関係においては,米国の中米政策を強く非難しているが,ニカラグァに対する米国の直接の軍事介入を避けるため慎重を期している。84年12月米国との間に出入国正常化に関する合意がなされたが,85年5月米国が対キューバ宣伝放送を開始したことにより,キューバは合意の停止を発表,両国の関係は冷えきっている。
86年3月カストロ首相は北朝鮮を訪問し,二国間親善協力条約を締結した。
ソ連との関係では,カストロ首相が86年3月第27回ソ連共産党大会に出席し,ソ連との不断の連帯が確認された。
(ヘ)カリブ諸国
ドミニカ共和国では,86年5月の大統領選挙に向け与野党の選挙戦が激化したが,全般的には平穏に推移し,経済面でも年来の経済調整策は成果を挙げた。ハイティでは11月反政府デモが全国主要都市に発生,86年2月デュバリエ大統領は国外に亡命し,国家評議会が結成された。グレナダでは順調に民主化が進み,9月駐留米軍が撤退した。その他のカリブ諸国の政情は,厳しい経済状況は続いたものの,一般的に安定的に推移した。
(ト)ブラジル
(a)85年3月,21年振りに文民政権が発足した。4月病死したネーヴェス次期大統領に代わり昇格したサルネイ大統領は,ネーヴェス路線を踏襲しつつ大統領直接選挙,州都市長選挙等民主化のための憲法改正,さらに経済成長の回復,農地改革,貧困福祉対策の拡充等の施策を行い,順調なスタートを切った。
11月に行われた州都市長選挙では与党のブラジル民主運動党(PMDB)が25都市中17都市で勝利を得たが,サンパウロほか主要都市では野党が勝利し,また,軍政時代の与党民社党(PDS)は1市で勝ったのみで大幅に後退した。
86年2月,来る11月の総選挙に立候補する閣僚の辞任を機に,サルネイ大統領は大幅な内閣改造を行いサルネイ色の強化を図る一方,2月末にはインフレ抑制のための経済安定計画を発表し,国民の強い支持を得たことにより,同政権に対する評価は急速に高まった。
(b)外交面では,西側諸国との友好協力関係の維持を中心とする伝統的外交政策を維持しつつ,経済通商関係の拡大を目指してアジア,中近東,東欧諸国との関係強化を図っている。
(c)85年の経済は,内需拡大により,約8%の高成長を記録した。対外部門も好調で,貿易収支の黒字額は124億5,000万ドルを達成した。しかし,インフレは史上最高の233.65%を記録した。86年3月,物価凍結,インデクセーションの廃止,デノミ等を内容とする経済安定計画を実施した。
対外債務問題(85年末累積額1,073億ドル)については,ブラジル政府と国際民間銀行団との間で,85年期限到来債務の繰延べ,86年分のブラジル中央銀行への預託等の債務救済につき合意したが,IMFとの間には合意が成立せず,債権国政府との85年以降分の債務繰延べ交渉は,86年に持ち越されることになった。
(チ)ペルー
(a)ベラウンデ政権下のペルコビッチ内閣は,経済の活性化及びインフレ抑制に失敗し,また,共産ゲリラ「センデロ・ルミノソ」等の活動による治安の悪化により,国民の支持を失った。その結果,85年4月大統領選挙及び総選挙では,野党のアプラ党(中道左翼)が勝利し,7月ガルシア大統領が就任し,アルバ・カストロ首相を首班とする内閣が誕生した。同政権は経済の活性化とインフレ抑制のため物価凍結等を内容とする緊急経済政策を採用するとともに,対外債務問題についても独自の政策を打ち出している。
(b)外交面では,ベラウンデ政権の親欧米外交路線を修正し,非同盟,第三世界重視の外交を進めており,特に米国とは一定の距離を置く外交路線をとっている。
(c)経済面では,ガルシア政権に移って緊急経済政策の採用等によりインフレは沈静化の傾向にあるが,経済活性化,財政赤字に累積債務(85年末で約140億ドル)等今後解決すべき多くの問題を抱えている。また,新政権は債務繰延べ交渉をIMFを通さず債権者との直接交渉によることを主張し,85年7月以降1年間債務支払い額を輸出総額の10%以下とする政策を採用した。
(リ)アルゼンティン
(a)アルフォンシン政権は,85年も引き続き民主政権の基盤強化と国際信用の回復に努めた。政情は比較的安定していたが,9月下旬より爆弾テロ事件が頻発し始めたため,10月25日より12月9日まで戒厳令が布告された。しかし,11月3日の下院半数改選選挙は平穏裡に行われ,与党急進党が勝利を収めた。また,旧軍事評議会メンバーに対する人権侵害裁判の判決が12月に下り,ビデラ元大統領を含む5名が有罪となった。
(b)外交面では,チリとの間のビーグル海峡問題が解決し,5月平和友好条約の批准書の交換が行われた。フォークランド(マルビーナス)諸島の領有権問題については,何ら進展が見られなかった。
(c)経済面では,6月の新経済政策(物価,公共料金,賃金凍結,ペソ貨廃止・アウストラル貨新設等)発表後,インフレ率は大幅に低下した。
他方,景気は後退し,85年のGDPは上半期のマイナス2.5%を更に下回った。対外債務問題については,1月パリ・クラブにおいて公的債務約22億ドルのリスケが合意されたほか,6月経済調整計画につきIMFと再合意が成立し,8月以降スタンド・バイ・クレジットの支払いが再開された。また,国際民間銀行団も9月新規融資22億ドルのディスバースを実施した。
(ヌ)チリ
(a)84年11月に布告された戒厳令は,テロ活動の減少を理由に85年6月解除された。8月,反政府勢力11団体が民主政府移行のための国民協定を締結し,民主化と人権尊重を要求する共同声明を発表したが,国内的に大きな影響力はなく,ピノチェット政権は依然として国内をほぼ完全に掌握している。
(b)外交面では,特に人権問題について,国連人権委員会特別報告者の入国を認める一方,帰国禁止者の数を半分近くに減らすなど,国際的イメージの回復に努めた。
(c)経済面では,銅,木材等の主要な輸出産品価格の低迷,対外債務支払いの増大等のため,経済の回復テンポが鈍化し,2%弱の成長にとどまった。かかる状況を反映して,雇用状況には大きな改善は見られなかったほか,インフレ率は年間30.7%と高いものとなった。
(ル)ボリヴィア
(a)85年8月,1年繰り上げて実施された総選挙において民族革命運動党主流派(MNR-H)のパス・エステンソロ候補が大統領に当選した。
パス新政権は新経済政策を巡る労組のゼネストに対し,戒厳令発布等の強行策で対処し,事態の収拾に成功した。また,9月には,与党MNR-Hと最大野党の民族民主行動党(ADN)との連携協定が成立した。
(b)外交面では85年7月,中国と国交を樹立した。
(c)経済面では,パス政権は8月末,自由開放主義的な新経済政策を発表し,インフレの沈静化等経済の回復傾向が見られたが,錫価格の暴落等新たな問題も発生し,依然として同国経済は困難な状況に直面している。