5.西欧地域
(1)我が国と西欧諸国は,米国を始めとするほかの先進民主主義諸国とともに自由と民主主義,市場経済といった基本的価値観・制度を共有しており,現下の厳しい国際情勢の下で,世界の平和と繁栄の維持・発展に多大の責任を有している。
欧州共同体(EC)は,86年1月より,スペイン,ポルトガルの加盟により12か国に拡大するとともに,ECの機構改革,その一環としての欧州政治協力の強化等欧州統合に向けての第一歩をしるした。我が国としては,統合された強いヨーロッパの存在は,我が国を含む自由主義諸国全体の安定と発展にとって重要であるとの基本的認識の下,日欧協力関係の一層の強化に努めているが,西欧諸国の側においても,我が国の世界経済,さらには世界政治に占める地位が向上してきたことにより,近年,我が国に対する関心及び我が国との協力に対する期待は急速に増大している。
特に,近年SS-20配備問題に見られるように束西関係,安全保障問題で日欧が共通の利害を持ち,緊密な協議を行う必要性が増大していること,さらには,サミット参加国の安全が不可分であることを確認した83年のウィリアムズバーグ・サミットに引き続き,84年のロンドン・サミット及び85年のボン・サミットの政治宣言において民主主義という共通の価値による日米欧の連帯への姿勢が示されたことにより,日欧双方において政治協力を強化しようとの機運が高まっている。
(2)日欧間には大幅な貿易不均衡が依然として存在し,また,欧州諸国は緩やかな景気回復を示しているとはいえ,高失業率や構造調整の遅れなどの問題を抱えていることもあり,85年の日欧経済関係は緊張をはらみつつ推移した。
特に,ECは,「日本が世界経済の中で,その地位にふさわしい責任を果たしていない」とか,「日本の巨額の貿易黒字は自由貿易体制を危うくしている」など厳しい対日姿勢を示し,84年に「対話と協力」路線を確認し合い,改善の兆しが見られた日・EC経済関係を巡る雰囲気は再び厳しいものとなった。
このような状況の中で,中曽根内閣総理大臣は7月に欧州諸国を歴訪し,我が国の市場開放努力につき説明するとともに,日欧関係の強化に努めた。
また,我が国は,7月末に,市場アクセス改善のための3年間にわたるアクション・プログラムを策定し発表した。同プログラムは,欧州諸国の要求にも十分配慮した内容であったが,EC委員会は,10月に対日関係報告書を発表し,同プログラムの効果は不十分であると批判するとともに,日本が輸入数量目標を設定して,製品や農産加工品の輸入増加を図るよう要求した。
かかるEC委員会の対日要求は,10月のEC外相理事会でも支持を得,11月に東京で行われた第2回日・EC委閣僚会議でも,EC側要求の主眼点となった。これに対して,日本側は,市場経済体制をとっている以上,かかる要求には応じられないとして拒否し,議論は平行線をたどった。
86年1月に,ドロールEC委員長が公賓として来日した。同委員長は,日・欧・米三極の協力強化が重要であるとの大局的観点にたちつつ,日本の国際化の一層の進展を期待する一方で,EC諸国の対日進出努力も重要であるとの考えを示した。
3月に行われたEC外相理事会は,ドロール訪日を踏まえ,対日関係について,従来より多少バランスのとれた内容の結論文書を採択したものの,基本的には,依然として厳しい対日姿勢が示されており,今後の日・EC関係の動向は予断を許さないものがある。