2.主要国相互関係
(1)米ソ関係
米ソ両国は,85年1月の米ソ外相共同声明に基づき,3月12日,ジュネーヴで新しい軍備管理・軍縮交渉を開始した。同交渉は,宇宙兵器及び核兵器(戦略及び中距離核)に関する問題の総体を交渉の対象とし,これら相互の関連の中で考慮し,解決せんとするものとされた。同交渉の三つの柱は,(イ)戦略核の削減,(ロ)中距離核の削減,(ハ)防御・宇宙兵器の取り扱いである。
ソ連が米国の呼びかけに応えて軍備管理・軍縮交渉の場に戻った要因の一つに,SDIがあるとされている。ソ連は交渉を通じて,米国のSDI構想に歯止めをかけることも目的としていると見られる。他方,米国は,SDI研究はABM制限条約に違反せず,同研究を推進するとの立場を堅持している。
3月のチェルネンコ書記長の葬儀に参列したブッシュ副大統領は,ゴルバチョフ新書記長に対し,米ソ首脳会談を呼びかけるレーガン大統領の親書を手交した。ゴルバチョフ書記長は,プラウダ紙への回答(4月)の中で,米ソ双方が首脳会談に肯定的である旨明らかにし,7月,米ソ両国は,11月に首脳会談を開催する旨発表した。その後,同会談に向けて,米ソ両国の動きも活発化し,7月末に,ソ連は8月6日より年末までの核実験の一方的停止を発表,一方,核実験禁止問題における検証問題を重視する米国はネヴァダ州核実験場へのソ連監視員受入れを改めて提案した。9月末にシェヴァルナッゼ外相は,レーガン大統領に対しゴルバチョフ書記長の親書を手交し,その中で軍備管理に関する米国案に対するソ連の具体的対案を初めて提示,10月訪仏したゴルバチョフ書記長は,相手国の領土に届く核兵器の50%削減等,右ソ連対案の概略を公表したほか,英仏に対し欧州中距離核ミサイルに関する直接交渉を提案するなど西側世論を念頭に置いたと見られる外交攻勢を展開した。また,同書記長は,10月にワルシャワ条約加盟国首脳と米ソ首脳会談に向けて協議を行った。他方,米国側では,10月下旬,レーガン大統領が,国連総会で地域紛争解決に関する提案を行うとともに,我が国を含む西側主要国と米ソ首脳会談への取り組みについて協議を行った。また,11月にはジュネーヴ交渉の場で,軍備管理・軍縮問題に関して,ソ連提案をも踏まえた新提案を行った。
米ソ首脳会談(11月19~21日)では,両首脳が長時間にわたり首脳のみの会談を行ったことが注目された。共同発表文では,米ソ首脳の相互訪問・外相会談を始めとする各種対話の強化が合意され,また,軍備管理・軍縮問題では,「適切に適用された」米ソの核兵器の50%削減の原則,暫定的なINF合意の構想を含む共通の基盤のある分野での交渉の早期進展が合意された。しかし,SDI,戦略核の定義,中距離核削減の対象地域等に関し,な開始した一方的核実験停止を1月及び5月の2度にわたり延長することを発表した。
他方,米国は我が国を含む友好国・同盟国と協議の後,86年2月に89年までに欧州及びアジアでSS-20等のINFミサイルを全廃することを主旨とする提案を行った。また米国は,3月に核実験禁止問題に関し,検証問題に関する米ソ両国の専門家会合,及び,新たな検証手段等に関する提案を行った。
(2)米中関係
李先念国家主席の訪米(7月),ブッシュ副大統領の訪中(10月)等,要人の往来が行われ,貿易額も増大する(85年,70億ドル余)など,米中関係は引き続きおおむね順調に推移した。
李主席訪米時には原子力平和利用協力協定が調印され,米国議会での繊維輸入規制を目的とした法案については,年末のレーガン大統領の拒否権により廃案となった。軍事関係では,春に予定されていた米艦船の中国寄港は見送られたものの,ガブリエル空軍参謀総長の訪中(10月),徐信副総参謀長の訪米(11月)等の交流が行われた。
(3)中ソ関係
85年の中ソ関係は,貿易(約20億ドル)・経済,人的・文化交流等の分野における関係拡大の傾向が引き続き看取されたが,中国側が関係正常化に当たって提示している「三つの障害」の問題((あ)ヴィエトナムのカンボディア侵略に対するソ連の支援停止,(い)アフガニスタンからのソ連軍の撤退,(う)中ソ国境ソ連軍の削減及びモンゴル駐留ソ連軍の撤退)については,第6回(4月),第7回(10月),第8回(86年4月)の外務次官級会談でも,特段の進展は見られなかったとされている。
3月のゴルバチョフ新政権成立後,7月には姚依林副総理が訪ソ(中国の閣僚級要人の訪ソは,ソ連書記長の葬儀への参列を除けば約21年振り)し,長期貿易支払協定と経済技術協力協定が調印された。9月には国連において中ソ外相会談が行われ,相手国訪問を相互に招請し,10月にはソ連の最高会議代表団が訪中した。12月にはカーピッツァ次官が訪中した後,月末に李鵬副総理が訪欧の帰途,モスクワに立ち寄り,ゴルバチョフ書記長と会見した。
また,86年3月,アルヒーポフ第1副首相が訪中し,李鵬副総理との間で経済貿易・科学技術協力委員会の第1回会議が開催された。