第2章 1985年の世界の主要な動き
1.全般的特徴
85年は,各地域情勢に変化が少なかった中で,ソ連にゴルバチョフ新政権が登場したこと,及び,米ソ軍備管理・軍縮交渉の再開,米ソ首脳会談の実現等,米ソ関係において比較的大きな動きが見られたこととが特徴的であった。
(1)85年1月の米ソ外相会談において,新たな米ソ軍備管理・軍縮交渉の枠組み作りが行われ,3月よりジュネーヴで交渉が開始された。この間,ソ連では3月,チェルネンコ書記長が死去し,政治局最年少のゴルバチョフ政治局員が新書記長に就任した。ゴルバチョフ書記長は,短期間のうちに党・政府幹部人事の大幅刷新と若返りを進めた。特に7月には,28年にわたり外交の責任者であったグロムイコ外相に代わり,シニヴァルナッゼ政治局員が新外相に就任した。また,ゴルバチョフ書記長は,4月中央委員会総会で,「社会・経済発展の促進」がソ連の主要な課題であるとしたが,かかる政策姿勢が外交面にいかなる影響を及ぼすかも注目された。
かかる背景の下,ソ連はより積極的な外交姿勢をとり始め,米国の呼びかけに応じて,米ソ首脳会談が,11月19日から21日にかけて開催された。同首脳会談は,6年半振り,また,ソ連のアフガニスタン軍事介入後初めてのものである。特に同会談では,両首脳のみの会談が5時間余にわたって行われ,極めて異例なこととして注目された。同会談後の共同発表文は,「適切に適用された」米ソの核兵器の50%削減の原則及び暫定的なINF合意の考え方等,これまでの米ソ両案の共通点を確認したほか,両国間対話の強化をうたっている。また86年にゴルバチョフ書記長訪米,87年にレーガン大統領訪ソが行われることとされた。
しかし,軍備管理・軍縮交渉においては,依然両国の基本的立場の相違は大きいと見られている。米ソ関係の今後については,米国で行われるとされている第2回首脳会談の帰趨を見守る必要があろう。
(2)主要国のその他の動きとしては,ソ連が,我が国,西欧各国との外交に積極姿勢を示し,また北朝鮮との関係緊密化を図り,さらにオマーン,アラブ首長国連邦との外交関係を樹立するなど,外交の幅の拡大を図る動きを見せたことが注目された。また,中ソ関係では,副首相レベルの相互訪問等,経済・貿易及び人的交流の分野を中心として関係拡大の傾向が見られたが,政治的分野では,いわゆる「三つの障害」の問題を巡り,依然として両国間の基本的立場に相違が存在している。中国は,国内的には近代化路線を堅持しつつ,対外的にはいかなる大国とも同盟関係は結ばないとの「独立自主」の立場を維持している。また,米中関係は,引き続きおおむね順調に推移した。
(3)各地域情勢を見ると,まずアジアでは,朝鮮半島での南北対話の動向,さらに,ソウルで開催が予定される86年のアジア競技大会,88年のオリンピックに向けての同半島の情勢が注目された。フィリピンにおいては,86年2月,大統領選挙後の混乱の中で,マルコス政権が崩壊,アキノ政権が誕生するという展開が見られた。経済再建,共産主義勢力への対処等,アキノ新政権の抱える課題は大きい。カンボディア問題については,民主カンボディア連合政府を構成する抗越三派勢力は,84年11月から85年3月にかけてのヴィエトナム軍の乾期攻勢により,タイ・カンボディア国境付近の主要拠点を失ったが,その後はむしろカンボディア国内で抵抗活動を活発化させている。なお,民主カンボディア連合政府は,86年3月,同政府として初めてカンボディア問題の「包括的政治解決」を目指した8項目の提案を行った。
大洋州では,85年2月,ニュー・ジーランドが米艦船の入港を拒否し,米国との関係後退を招いた。8月,南太平洋非核地帯条約が採択された。
中近東の情勢は総じて膠着状態にある。中東和平については,いわゆる「フセイン・アラファト合意」(2月)を始めとし,85年を通じ種々の動きが見られたが,具体的成果には結びついていない。また一連のテロ事件を契機に米・リビア関係が緊張した。特に86年4月には,西ベルリン・ディスコ爆破事件等にリビア関与の明白な証拠があるとする米国は,自衛権の行使として,トリポリ及びベンガジを爆撃した。イラン・イラク紛争については,イラクのカーグ島攻撃(85年後半)等の動きがあったが,基本的には依然膠着状態にある。
アフリカでは,南ア国内において黒人暴動と政府による弾圧が繰り返されたため,アパルトヘイト政策に対する国際的非難を集めた。
西欧の情勢はおおむね安定的に推移したが,フランスでは,86年3月の総選挙により,保革共存体制(いわゆるコアビタシオン)が生まれた。また,欧州統合に向けては,ECの機構改革,欧州政治協力に関して前進が見られ,86年1月には,スペイン,ポルトガルがECに正式加盟した。
東欧では,ソ連新政権誕生後,ワルシャワ条約延長の際を始め,ソ連・東欧諸国の首脳会議が度々開かれるなど圏内の結束が図られたが,各国とも経済困難打開の方途を模索している状況にある。
中南米では,中米問題を巡り域内和平努力が進行している一方,焦点であるニカラグァでは依然内戦が続いている。また,累積債務問題の深刻化が再び懸念されている。
(4)国際経済を見ると,85年は,先進諸国が政策協調を求められた年と位置づけられよう。経済成長の鈍化と財政・貿易両面での不均衡拡大を踏まえ,先進諸国は,インフレなき成長を維持すべく,マクロ面での政策協調の姿勢を強めた。特に,5か国蔵相会議(85年9月)ではドル高是正に向けて緊密に協調していくことが合意され,86年春には各国協調の下,金利引き下げが図られた。東京サミット(86年5月)では先進諸国間の政策協調を更に強化すべく,各国のマクロ経済政策の多角的監視を実施してゆくことに合意をみた。また,依然として種々の困難な問題を抱える途上国に対して,これらの国々が世界経済の中でより充実した役割を果たし得るよう,協力を強化していくことに認識の一致が見られた。
インフレの沈静化,金利の低下,為替レートの調整等の進展は,86年に入っての石油価格の大幅低下とあいまって,世界経済の将来に対して明るい展望を与えている。かかる新しい経済局面の下で,インフレなき成長をいかに維持し,確固たるものとしていくか,今後の各国の努力が期待されている。