第3節 経済問題

1.第39回国連総会

今次総会経済問題討議の焦点は,国際世論の盛り上りを背景として,「アフリカの危機的経済情勢」に絞られた。その結果,取りまとめ役に選出された我が国の尽力等にもより,「アフリカの危機的経済情勢に関する宣言」が全会一致で採択された。国連包括交渉(GN)や,国際開発戦略(IDS)といった従来よりの継続案件には大きな進展が見られず,他方,有害製品,消費者保護等につき地道な審議が続けられた。

なお,上記の「宣言」に関する取りまとめ役への選出,経済社会理事会メンバー選挙におけるアジアグループでの1位当選,85年経社理議長への我が国小林大使の就任(85年2月経社理組織会期で選出)等,国連経済分野活動における我が国への評価と期待の高まりが注目される。

(1)国連包括交渉(GN:Global NegociatiOns)

一次産品・エネルギー・貿易・開発・通貨・金融を対象とするGNの発足は,第34回総会以来の大きな課題であったが,第38回総会再開会期,第39回総会においては実質的討議に至らず,第40回総会でも継続審議されることが了解されたにとどまった。

(2)第3次国連開発戦略(IDS)

IDS中間レビュー作業に向けて総会前より政府間会合・非公式討議が続けられたが,手続事項等で合意が得られず,特に実質的成果を見ないまま結局,85年2月の経社理組織会期において,IDSレビュー委の審議を継続することとなった。

(3)後発開発途上国のための80年代新実質行動計画(S:NPA)

12月17日,SNPAの中間グローバル・レビューを実施するための政府間ハイレベル会合を85年9月30日から10月11日に開催する旨の決議を無投票で採択した。

2.経済社会理事会

84年7月の第2通常会期では,「アフリカの危機的経済情勢」が最優先議題とされ,積極的な討議が行われたが,「宣言文」の採択までには至らなかった。

通常の議題については,一部政治色の強い問題を除き,比較的平穏な議論に終始した。

他方,経社理活性化,国連システム内調整問題は,国連傘下の広汎多岐にわたる機関・組織の活動をいかに有効に調整し効率的に機能させるかという

点から,従来にも増して関心をもって議論された。

3.国連におけるアフリカ支援

83年12月,84年2月の2度にわたり,デクエヤル国連事務総長は,「緊急アピール」を行い,飢餓と深刻な食糧不足に直面するアフリカヘの国際社会の支援を訴えた。

これに応え,国連本部・各専門機関等がアフリカ支援を強化するとともに,第39回国連総会は,アフリカ支援に向けての国際世論の高まりを受けて,アフリカ支援問題を最重要議題として討議を行った。

アフリカ支援の緊急性と重大性を深く認識した我が国は,同9月26日,安倍外務大臣が総会一般演説において,「アフリカの危機克服のため,国連の全機構を総動員して行動計画を立案すること」を提唱し,これを受けて,11月2日黒田大使は,この行動計画を立案し,また国連のアフリカ支援活動を調整するためのタスク・フォース設立を提唱し,こうして我が国は,対アフリカ支援の積極的姿勢を打ち出した。

この我が国の立場は高く評価され,特に,アフリカ・グループからは多大の期待をもって,第39回総会の焦点ともなった「アフリカの危機的経済情勢に関する宣言」の取りまとめ役に推され,各国の意見調整を行った。

84年12月3日,同宣言は,全会一致で採択されたが,ルサカ総会議長は,我が国に対する謝辞の中で,同宣言を「歴史的」と評した。

同宣言を受けて,国連は,84年12月17日,アフリカ支援特別会合,同18日,エティオピア援助関係会合を開催し,被援助国の現状及び各国援助状況につき協議を行った。

17日の会合において,デクエヤル国連事務総長は,自らが監督し,モースUNDP事務局長を長とする「アフリカ緊急活動本部(OEOA)」の85年1月1日発足を発表した。

同本部は,アフリカ支援活動の調整と資金動員の促進を目的としており,我が国が主張してきていた前述の「タスク・フォース」の具体化と見ることができる。

85年3月11,12日,デクエヤル国連事務総長は,OEOA提出の報告を基礎に,「アフリカの緊急情勢に関する会議」を,ジュネーヴ国連欧州本部で開催した。

同会議では,OEOA報告にある緊急に援助を必要とするアフリカ20か国に関し,討議が行われ,我が国よりは,北川石松衆議院議員(前外務政務次官)が政府代表として出席した。

4.国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP:United Nations Economic and Social Commission for Asiaand the Pacific)

(1)我が国はESCAP(旧称:ECAFE)を,国連外交とアジア太平洋外交の接点として捉え重視しており,総会を5回東京に誘致したほか,資金,人的協力を積極的に行ってきている。

(2)84年4月17日から27日まで第40回ESCAP総会が,11年振りに東京で開催された。同総会の主要議題であった「開発のための技術」に関し,東京プログラム決議・行動計画が採択されるとともに,我が国から「太陽光発電研究開発実証」プロジェクト,「テクノロジー・アトラス」プロジェクトに対し,資金協力の意図が表明された。そのほか,「アジア太平洋運輸通信の10年1985―1994」宣言決議が採択され,ESCAP太平洋運営事務所(EPOC)設立が決定された。

(3)そのほか84年度中に開催されたESCAPの主要な会議としては,第8回産業・技術・人間居住・環境委員会,第11回天然資源委員会,第25回貿易委員会,第5回開発計画委員会,第8回海運・運輸・通信委員会,運輸通信大臣会合,アジア環境大臣会合があり・運輸通信大臣会合では「アジア太平洋運輸通信の10年」の開始が宣言され,環境大臣会合ではこの地域初の「アジア太平洋環境白書」が提出され,また「アジア環境管理宣言・行動計画」が採択された。

5.国連貿易開発会議(UNCTAD:United NationsConference on Trade and Development)

(1)84年,UNCTADは創設20周年を迎え,第6回UNCTAD総会以後低迷していたUNCTAD活動の再活性化の方途が模索され,この動きの中で途上国から閣僚レベルTDB(貿易開発理事会)の開催が提案され,85年秋の開催を巡り検討されている。

(2)84年3月のTDB春会期においては,懸案の保護主義・構造調整の作業計画が含意され,本分野における進展が期待されている。また,9月のTDB秋会期においては,サービス問題がとり上げられたが,具体的進展にはつながらなかった。

(3)債務問題については,春及び秋のTDB,さらに85年2月の貿易外融資委員会において議論されたが,特に後者においては,途上国側は85年3月のTDB,4月の世銀,IMFの会合に向けて何らかの成果に結びつけていこうとの動きが見られ,今後の動向が注目される。

6.国連工業開発機関(UNIDO:United Nations IndustrialDevelopment Organization)

(1)84年8月,UNIDO第4回総会が第3回ニューデリー総会以来4年振りに,ウィーンにおいて開催された(参加国139,オブザーバー32)。同総会では人的資源の開発,科学技術等に関する,今後の開発途上国の工業化にあたり指針となる諸決議がコンセンサス採択された。

(2)84年にはこのほか,第18回工業開発理事会及び第21回常設委員会が開催され,86-87年事業計画案等について審議された。また協議システム会合が肥料,皮革,植物油,油脂の分野で開催された。

(3)UNIDOの専門機関への移行については,84年中はソ連等東欧諸国のUNIDO憲章批准が得られず,専門機関移行への前提たる十分な財政基盤確保の見通しが立たなかった。

7.国連開発計画(UNDP:United Nations Development Programme)

(1)84年6月,ジュネーヴにおいて第31回管理理事会が開催された。同会合には安倍外務大臣が我が国の外務大臣として初めて出席し,我が国の途上国開発支援の重視及び人造りの重要性等を訴える演説を行った。

(2)第31回管理理事会においては,第4次サイクル(87-91年)の準備につき審議が開始された。また,プログラム審査のための全体委員会がスタートし,シンガポール,レバノン等8か国の国別計画が承認された。

8.世界食糧理事会(WFC:United Nations World Food Council)

6月にアディス・アベバにおいて第10回世界食糧理事会が開催され,総合的国家食糧戦略,食糧援助調整等に関し討議がなされ,最終文書として「結論と勧告」が採択された。この中で,アフリカの食糧事情の悪化との関連で,これら諸国の自助努力の不可欠性が指摘されている。

 目次へ