第1節 政治問題
1.第39回国連総会
84年9月18日,第39回国連総会はルサカ=ザンビア常駐代表を総会議長として開催された。9月24日から10月11日までは各国首脳等による一般討論演説が行われ,9月26日には安倍外務大臣が我が国を代表して一般討論演説を行い,平和のための環境づくり,長期的かつ構造的な平和を求める努力及び人類の生存と繁栄のための行動を3本柱とする我が国の「創造的外交」を世界に訴えた(資料編参照)。
第39回総会は,国際関係で突発事件が頻発するなかで開催された前年の第38回総会と比較すれば・全体として地味な総会であったと言えようが,イラン・イラク紛争解決の雰囲気造りに向けて国連総会を舞台に安倍外務大臣自ら活発に動き関係各国の期待を集めたこと,ICJ選挙に当選を果たしたこと等からも,我が国にとっては実りの多い総会であった。
2.国連における主要政治問題
(1)中東情勢
84年5月にはレバノン内のエイン・ヒルベ・パレスチナ難民キャンプ事件(イスラエル官憲による強制捜索)について,また9月にはレバノン南部の情勢(イスラエル占領当局による道路の閉鎖,拘留等の諸措置)について,それぞれ安保理審議が行われた。前者については決議案の提出に至らず,また後者については,諸規制の解除とジュネーヴ第4条約の遵守等を求める決議案が提出されたものの米国の拒否権により否決された。また総会は,中東情勢一般,パレスチナ問題を審議し,前年同様イスラエルを非難する諸決議を採択した。
85年3月再度イスラエル軍の撤退開始前後より悪化したレバノン南部の情勢について安保理審議が行われ,イスラエル非難決議案が提出されたが,米国の拒否権により否決された。
(2)イラン・イラク紛争
84年5月クウェイト及びサウディ・アラビア向け商業船舶攻撃事件について安保理審議が行われ,かかる攻撃の即時停止と自由航行の権利の尊重を要請する決議が採択された。また6月事務総長より,文民地域相互不攻撃提案が行われ,不攻撃合意違反を監視する検証チームが両国に派遣された。我が国は要請に応じ,国連検証チームの携行する通信機材購入経費を供与した。さらに10月捕虜問題が起こり,事務総長の仲介により,紆余曲折の後,85年1月国連調査団が両国に派遣された。しかしながら,85年3月安保理にて同調査団の報告書につき審議中にイラン,イラク両国間に都市攻撃が拡大し,地上戦へと紛争が激化したため,捕虜問題は一時棚上げされた。
なお,総会におけるイ・イ紛争の審議は延期された。
(3)アフガニスタン問題
8月ジュネーヴにおいてコルドベス国連事務総長個人代表の仲介により,パキスタン外相とアフガニスタン外相の間で第4回間接会合が行われたが,依然具体的成果は得られなかった。
また総会においても本問題は審議され,83年同様外国軍隊の即時撤退等を要求する決議が圧倒的多数で採択された。
(4)南部アフリカ問題
南アフリカでは,8月,カラード及びインド人の両議院の議員選挙が実施され,9月3日には新憲法が施行された。これに対しアフリカグループの要請を受けて開催された安保理事会は,南アの憲法改正を拒否すること上記選挙結果を認めないこと等を骨子とした決議を採択した。
また,安保理事会は10月には南ア新憲法導入後の情勢に関し,審議を行い,南アの被抑圧民族の闘争に支援を与えること等を要請する決議を採択したほか,12月には,対南ア武器禁輸決議の補強等のための審議を行い,安保理決議418を再確認するとともに南アで製造される武器,弾薬,軍用車両の輸入を差し控える旨要請する決議を採択した。
南アのアパルトヘイト政策については総会においても審議が行われ,8本の決議が採択された。
他方,ナミビア問題については,決議435によるナミビア独立問題解決が行き詰まっている中で,南アのボータ外相の全当事者会議提唱に基づき5月ルサカにおいてカウンダ大統領主宰のもとSWAPO,MPC(ナミビア域内の親南アの6つの政党からなる多党会議),南ア代表が会談を行ったほか,7月にカーボ・ヴェルデにおいて南アとSWAPO代表が,ナミビア域内諸政党の独立後の政権樹立についての合意取付けのための会談を行ったが,いずれも物別れに終わった。
第39回総会では,ナミビア問題に関し,ナミビア独立を求めた安保理決議435の履行促進要請決議を含む5本の決議が採択された。
(5)中米
ニカラグァは,3月下旬,ニカラグァに対する侵略行為の激化についての情勢審議,及び今後とり得べき措置の検討のため緊急安保理の開催を要請した。同安保理においては,4月初めニカラグァの主要港湾への機雷敷設を非難し,その即時停止を求める決議案が米国の拒否権行使により否決された。なお,安保理は,2月,9月及び11月にもニカラグァの情勢を審議したが,関係国が発言したのみで終了した。
また第39回総会では,コンタドーラ・グループ4か国が提出した決議案(中米5か国に対し中米和平協力協定の早期署名を要請)が,10月26日コンセンサスで採択された。
(6)フォークランド諸島問題
第39回総会では,英国・アルゼンティン両国政府に対し,フォークランド諸島の主権に関する紛争及びこれまで解決されなかった意見の相違点の平和的解決を速やかに見いだすための交渉の再開を要請したラ米20か国共同提案の決議案が賛成89,反対9,棄権54で採択された。我が国は,本決議案が,すべての国際紛争は平和的手段により解決されるべきであるとの我が国の基本方針に沿ったものであったので賛成した。
(7)カンボディア問題
カンボディア代表権問題については,10月17日本会議において民主カンボディアを含む各国代表の委任状を受諾するとの委任状委員会報告が承認されたことにより,第39回国連総会における民主カンボディアの代表権は前年同様無投票で維持された。
他方,カンボディア情勢に関しては,10月30日の本会議において,外国軍隊のカンボディアからの撤退,カンボディア人の自決権行使,事務総長の仲介努力継続等の要請を盛り込んだASEAN,日本等54か国共同提案の決議案(前年決議と同趣旨)が賛成110,反対22,棄権18で採択された。
(8)非植民地化問題
第39回国連総会では,ソ連圏諸国がこぞって信託統治問題を取り上げるとともに非自治地域における米・英の軍事活動を非難した。これに対し米,英が答弁権を行使し反論する等,従来の討議に比し東西対立の様相が鮮明となった。従来多くの国が言及する西サハラ問題についてはOAU元首会議の結果を待って検討することになったことから言及した国は少なかった。
(9)国家テロ政策の禁止
本件はグロムイコ=ソ連外相が第39回総会で提案した2つの新議題の1つとして第1委員会において審議された。
ソ連原案は,国家の他国及び他国民に対するテロ行為の非難を骨子とするものであったが,特定国の政策非難を念頭に置くものであることが明らかであったこと及び,そもそも「国家テロ」の定義が存在しないこともあり西側諸国のみならず,非同盟諸国にも問題視する向きが多く,穏健派非同盟諸国が修正案を提出したほか,西側諸国も決議案が特定国の行動だけでなく普遍的に適用しうるよう,また,同時に多くの非同盟諸国の反発をかうことのないよう既存の国連用語を使用する修正案を提出した。
ソ連は本件決議案を採択に持ち込むため,これら特に非同盟諸国の動き及び米ソ対話再開の見通し等を背景として,非同盟修正案のすべて及び西側修正案の大部分をも取り入れた修正案を作成し,同修正案は本会議で賛成117,反対0,棄権30(我が国を含む西側諸国は修正不十分として棄権)で採択される結果となった。
(10)サイプラス問題
84年9月から12月にかけて,ニューヨークにおいて国連事務総長の仲介の下に,ギリシャ,トルコ両系住民代表間の間接対話が行われ,この結果,85年1月17日から20日までニューヨークにおいて5年8か月ぶりに,国連事務総長主催の下に合同ハイレベル会談が行われたが,サイプラス問題の包括的解決のための枠組について合意することなく終った。なお,国連事務総長は同20日「双方の対立の溝はかつてなかった程狭まっており,引き続き仲介を継続する用意がある」旨,発表した。
(11)国連憲章再検討問題
本件特別委は(イ)国際の平和と安全の維持,(ロ)紛争の平和的解決,(ハ)国連の現行手続の合理化の3議題につき検討を行っているところ,第39回総会では4月にニューヨークにおいて開催された第9会期の同特別委のマンデートを更新する決議がコンセンサスで採択された。
3.国際司法裁判所(ICJ:International Court of Justice)裁判官選挙84年は,3年毎のICJ裁判官選挙が行われる年に当たり,同年11月7日に国連総会及び安全保障理事会にて行われた選挙の結果,我が国の小田滋現職1CJ裁判官を含む5名の判事が選出された(任期9年)。
今次選挙は,我が国小田裁判官を含む5名の裁判官の任期満了に伴うものであり,特にアジアについては有力な候補が名乗りをあげ,激戦が予想されたため,我が国としては,これに対応して早い段階から組織的な選挙対策に乗り出した。具体的には,83年8月に安倍外務大臣の指示に基づきこの種のものとして史上初めて外務省内に設置された事務次官を長とする選挙対策本部を中心に,内閣総理大臣はじめ高い政治レベルの支援を得つつ,外務省として大臣以下一丸となって強力な選挙運動を展開した。各国への支持要請としては,在外公館を通ずるもののみならず,我が国政府要人が諸外国を訪問した際,あるいは諸外国から要人が訪日した際にも種々の働きかけを行った。
11月7日に行われた選挙において当選を果たすためには,国連総会と安全保障理事会の双方で出席した選挙人(加盟国)の過半数の票を獲得する必要があった(従って総会での必要票数は80票,安全保障理事会でのそれは8票であった)ところ,主要候補者の得票数は次のとおりである(安全保障理事会総会の順)。小田(日本)12―114,倪(中国)14―107,エライアス(ナイジェリア)12―118,ラックス(ポーランド)13―99,エヴェンセン(ノールウェー)14―133(以上当選),エル・ハーニ(シリア,現職裁判官)7―55,スチャリトクル(タイ)0―36。
今次選挙においては,我が国の小田候補は,アジア,中南米及びアフリカの大多数の国々からの大きな支持を得ることができた。これは第1に,小田候補の評価,知名度が国際的に確立していたこと,第2に,前述のごとく組織的かつ強力な選挙運動を早い段階から推進し得たことを指摘し得るが,あくまでも最大の要因は,我が国の日頃の外交努力が着実に成果を挙げた結果として諸外国との間に実りのある友好関係が構築され,我が国の国際的地位の向上に対する認識が定着していたことに求められるのではないかと思われる。