2.我が国とソ連・東欧諸国との関係
(1)ソ連
(イ)北方領土問題
(a)2月15日,アンドロポフ元書記長の葬儀に出席した安倍外務大臣はグロムイコ外務大臣と会談,領土問題について日本側の基本的立場を述べたが,グロムイコ外相は領土問題に対するソ連側の立場は日本側承知のとおりであり,その立場を繰り返さない旨述べるにとどまった。
(b)3月12,13の両日,モスクワで第4回日ソ事務レベル協議が行われた。ここでも日本側は,日ソ関係が厳しい状況にある最大の原因は日ソ間に未解決の領土問題が存在し,そのため平和条約が未締結であることであるとして本問題の早期解決を訴えたが,ソ連側は,北方領土はソ連領であるとの従来の立場を繰り返すにとどまった。
(c)9月25日,第39回国連総会に際し,ニューヨークで日ソ外相会談が行われ,安倍外務大臣は,日ソ間の基本問題である北方領土問題についての解決のため話合いを進めることを強調した。
さらに,安倍外務大臣は,同国連総会一般討論演説において,北方領土問題に対する我が国の基本的立場を国際世論に訴えた。
(d)10月26日,日ソ議員交流の一環として来日したソ連最高会議代表団の団長であるクナーエフ政治局員は,安倍外務大臣,引き続いて中曽根総理大臣を表敬訪問した。
中曽根総理大臣及び安倍外務大臣は,日ソ間に真の友好関係を確立させるためには,北方領土問題の解決は避けて通ることができない旨強調したが,クナーエフ政治局員は,安倍外務大臣に対しては,かかる問題は存在しないとの従来のソ連側の立場を繰り返し,さらに,中曽根総理大臣に対しては,ソ連に余った領土はなく,ソ連の考えは変わらない旨述べた。
(e)11月4日,ガンジー前インド首相葬儀の際,ニューデリーにて中曽根・チーホノフ会談が行われた。我が方より,領土問題を解決して平和条約を締結することが日ソ間の本当の解決になるので,そのためにも,種々の対話・交流を進めるべきである旨述べたのに対し,チーホノフ首相は,いわゆる未解決の問題を話そうというのであれば,テーブルについて話合いをやっても悪循環に陥るだけである旨述べた。
(f)85年3月14日,チェルネンコ前書記長葬儀の際に,中曽根・ゴルバチョフ会談が行われた。中曽根総理大臣は,領土問題を解決し,平和条約を締結して長期的に安定した日ソ関係を築きたい旨の我が国の基本的立場を述べたが,同書記長は,領土問題に関するソ連側の態度は従来から述べているとおりであり一貫している旨述べるにとどまった。
(ロ)日ソ経済関係
(a)日ソ貿易
日ソ貿易は,82年まで増加を続けてきたが,83年に減少に転じ,84年においても対ソ輸出は25億1,831万ドルで対前年比10.7%減,対ソ輸入も13億9,398万ドルで対前年比4.3%減と共に減少した。
この結果,貿易総額で見ると39億1,229万ドルで対前年比8.5%減と2年連続して減少を記録することとなった。
対ソ輸出の大幅な減少は,主として鉄鋼製品,機械機器が83年に引き続き不振であるためで,とくにパイプライン用の鋼管,金属加工用機械,荷役用機械,輸送機械などの不振が目立っている。
他方,対ソ輸入では木材の不振が目立っているほか,化学品,石油製品,綿花などが落ち込みを示している。さらに金の対ソ輸入の減少傾向が続いており,全体としての対ソ輸入総額の減少に影響を与えている。
(b)第9同日ソ・ソ日経済委員会合同会議,第25回目ソ貿易年次協議の開催
(ii) 第9回日ソ・ソ日経済委員会合同会議
84年12月三2日から14日まで東京において,日本側安西日ソ経済委員会委員長,ソ連側スシコフ外国貿易省次官を団長として,第9回目ソ・ソ日経済委員会合同会議が開催され,日ソ両国の経済発展及び日ソ貿易経済関係の現状と見通しについて広汎な意見交換が行われた。また,スシコフ次官は,訪日中,中曽根総理大臣,安倍外務大臣,村田通商産業大臣,竹下大蔵大臣を表敬した。
(ii) 第25回目ソ貿易年次協議
85年1月22日から24日まで東京において日ソ両国政府間の第25回貿易年次協議が開催された。今回の協議には,日本側から外務,通産,大蔵,農水の各省関係者が,またソ連側からは,外務省,外国貿易省,在日通商代表部などの関係者が参加した。今回の協議では,最近の日ソ貿易実績のレビュー,日ソ貿易関係にかかわるその他の諸問題を議題として活発な意見交換が行われた。
(ハ)日ソ漁業関係
(a)山村農林水産大臣の訪ソ
84年9月16日から23日まで,山村農林水産大臣が訪ソし,カーメンツェフ=ソ連漁業大臣との間で日ソ漁業関係の諸問題に関し意見交換が行われた。
(b)日ソさけ・ます交渉
日ソ漁業協力協定に基づき84年の日本によるさけ・ます操業に関する日ソ政府交渉が,4月20日から5月5日までモスクワで行われた。この結果,ソ連200海里外の北西太平洋における日本のさけ・ます漁獲割当量を42,500トンとするなどの内容の議定書が締結され,また,日本側がソ連に対する漁業協力費42億5,000万円を負担することとなった。
(c)日ソ漁業協力協定締結交渉
国連海洋法条約の採択,ソ連邦の経済水域に関する幹部会令の発布を理由として,ソ連側より日ソ漁業協力協定の見直しのための協議の提案があり,5月28日から6月1日まで第1回協議がモスクワで開かれた。
さらにソ連側は6月26日同協定の終了通告を行い,同協定は84年12月31日を以って終了することとなった。このため,7月16日から20日まで東京で,8月20日から9月1日まで,及び10月1日から13日までモスクワで,また85年2月8日から13日まで東京でそれぞれ協議を継続したが,湖河性魚種の取扱いを中心に日ソ間の主張には隔りが大きく,妥結を見るに至らず,3月21日より第6回協議がモスクワで開かれている。
(d)日ソ地先沖合漁業協定
従来の「日ソ」「ソ日」漁業暫定協定に代わり,これを一本化,かつ,長期化した「日ソ地先沖合漁業協定」(日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の両国の地先沖合における漁業の分野の相互の関係に関する協定)が84年12月7日に東京で署名され,14日発効した。
(e)日ソ漁業委員会
日ソ地先沖合漁業協定に基づき,日ソそれぞれの二百海里水域における相手国の漁船に対する漁獲割当量,操業条件等につき協議することを主たる目的とする日ソ漁業委員会の第1回会議が東京で開かれたが,85年の漁獲割当量,操業条件等につき調整がつかず,85年1月は日ソ双方が前年と同じ条件で暫定操業を認め合うことを了解するにとどまった。
85年1月14日より85年全体の漁獲割当量等を協議するための日ソ漁業委員会臨時会議がモスクワにおいて1月31日まで開かれた。協議は難航し,30日には佐藤農林水産大臣が訪ソして事態の打開に努めた結果31日,漁獲量は日ソそれぞれ60万トンとすることなどが定められた。
(ニ)議員団の往来
(a)桜内日ソ友好議員連盟会長の訪ソ
84年8月28日から9月1日まで,桜内義雄日ソ友好議員連盟(日ソ議連)会長(元外相)は,ソ連最高会議議員グループの招きにより,日ソ議連の3名の議員とともに訪ソし,モスクワ滞在中,グロムイコ外相,ヤナーエフ対文連副議長,グジェンコ海運大臣兼ソ日協会会長,ソ連最高会議議員グループ等と会談し,日ソ関係の諸問題について意見交換した。
(b)ソ連最高会議代表団の訪日
84年10月25日から11月1日まで,クナーエフ政治局員を団長とするソ連最高会議代表団は,国会の招きにより訪日し,日本滞在中,福永・木村衆参両院議長,中曽根総理大臣,安倍外務大臣と会談した。
日ソ間の議員交流は,64年5月のミコヤン第一副首相を団長とするソ連側代表団の訪日により開始され,78年9月の日本側議員団の訪ソまで,日本側から6回,ソ連側から5回の訪問が行われたが,それ以来中断した状態となっていた。今回のソ連側からの議員団の来日は,75年11月以来9年振りである。
(ホ)日ソ映画祭
日ソ映画祭(ソ連における日本映画祭及び日本におけるソ連映画祭)は,63年以来毎年相互に開催されていたが,79年以降は中断していた。しかし,84年3月の日ソ事務レベル協議において,これを再開することが日ソ間で合意され,その結果,84年日本映画祭がモスクワ(9月24~25日),レニングラード(9月26~27日)及びナホトカ(10月5~6日)において開催された。なお,ソ連映画祭は85年4月に開催されることとなった。
(ヘ)日ソ首相・日ソ首脳会談の開催
11月4日,インドのガンジー首相の葬儀参列のため訪印した中曽根総理大臣は,同じくニューデリー滞在中のチーホノフ首相と会談した。会談では,二国間問題が中心に話合われ,我が方より,日ソ間の対話・交流を拡大することにより,領土問題を含む二国間の懸案を解決していきたい旨の我が国の立場を述べ,先方も日ソ関係を推進・発展させることについては基本的に同意したものの,領土問題については,話合っても悪循環に陥るだけだとして,他の分野,特に経済交流進展の必要性を強調した。
ソ連のチェルネンコ書記長の葬儀に出席した中曽根総理大臣と安倍外務大臣は,3月14日,クレムリンにおいて,ゴルバチョフ書記長・グロムイコ外相と会談した。この会談では,平和と軍縮の問題について話合うとともに,総理より,対話の強化・拡大を通じて日ソ間の相互理解を増進し,領土問題を解決して平和条約を締結することにより,長期的に安定した日ソ関係を確立するとの我が国の基本方針を述べたのに対し,ゴルバチョフ書記長は,「安定的な関係に日ソ関係を発展させる用意がある」旨述べ積極的な意向を示したが,他方,我が国が最も重視している領土問題については「ソ連側の態度は,従来から述べているとおりであり,一貫している」旨述べ,依然かたくなな姿勢を堅持している等,会談におけるソ連側の態度には,従来と比べて特に大きな変化はなかった。