第4節 中南米地域

1.中南米地域の内外情勢

(1)全般

(イ)84年及び85年初頭の中南米情勢の特徴は,中米問題,累積債務問題という国際政治経済上の大きな問題の存在と,その一方で中長期的趨勢として民主化の進展が見られたことであった。

(ロ)中米情勢は84年に入りますます混迷の度を深めている。中米問題の話合いによる解決を目指すコンタドーラ・グループ(メキシコ,パナマ,コロンビア,ヴェネズエラ)の和平努力にもかかわらず,和平に向けての協定の締結を見るには至っておらず,また,問題の実質的当事者である米国・ニカラグァ間の直接の話合いも9度の会合の後,85年に入り中断された。

(a)エル・サルヴァドルでは84年3月に大統領選挙が実施され,6月には決選投票の末,勝利を収めたキリスト教民主党(中道左派)のドゥアルテ候補が大統領に就任した。

新大統領は右翼暗殺団の追放等人権面における改善にかなりの成果を収めたほか,10月及び11月に左翼ゲリラ代表との直接対話を実現させたが,両者の主張は対立している。

軍事情勢はゲリラ側の硬軟両様の対応もあり,基本的には依然として膠着状態にある。

(b)ニカラグァでは,84年11月に大統領選挙を実施し,サンディニスタ国民解放戦線のダニエル・オルテガ候補が勝ち,85年1月大統領に就任したが,主要野党グループは真に自由かつ民主的な選挙が保証されていないとして参加しなかった。

ニカラグァの北部及び南部に拠点を置く反政府勢力の攻撃は徐々に激しさを加え,3月にはニカラグァの諸港湾に機雷が敷設される事件が発生し,ニカラグァ政府は右敷設が米国によるものであるとの立場から米国を相手国として国際司法裁判所(ICJ)に提訴した。

他方,6月のシュルツ米国務長官のニカラグァ訪問を契機に,米・ニカラグァの直接交渉が開始されることとなった(85年1月に中断されるまでに9回開催)。

(c)コンタドーラ・グループは9月「中米和平協力協定案(改訂版)」を中米5か国に提示するまでにこぎつけたが,ニカラグァが無修正即時受入れを表明したのに対し,中米4か国は改正すべき箇所があるとして,10月「見解文書」を作成の上コンタドーラ・グループに提示した。

コンタドーラ・グループは右を調整の上,9か国による全権代表会議の開催を呼びかけつつ問題箇所につき交渉を行いたいとして,中米各国との話合いを続けている。

(2)経済情勢

(イ)84年は,先進国経済の回復に伴い,中南米諸国の経済も回復基調を見せ始めたが,特に中南米の多くの国が,引き続き,IMFの求める厳しい経済調整政策を推進した結果,貿易収支,経常収支等国際収支面をはじめとする対外部門については大幅な改善が見られた。しかし,こうした政策は,国民に耐乏生活を強いることになり,4年連続のインフレの高進,失業問題等とあいまって,一部の国ではストや暴動が発生するに至っている。累積債務問題に代表されるこれらの経済諸困難は,中小債務国等のいくつかの国では,政治的・社会的困難を増大させる原因にもなっている。

(ロ)債務救済措置については,従来のIMFの指導的役割による債権国政府,民間銀行の協調体制がさらに確立され,中でも9月の民間銀行団によるメキシコ及びヴェネズエラとの多年度一括繰り延べ基本合意は大きな注目を集めた。他方,中南米諸国も3回にわたるラ米債務国会議を開催し,債務問題が単なる国際金融問題ではなく政治問題化しているとの考え方から,これら諸国の共通の政治・経済情勢の窮状について主要先進国の一層の理解と認識を求めるとともに,債務国と債権国との共同責任論を基礎に,債権国政府に対して「債務国と債権国との政治的対話」を積極的に呼び掛けている。

(ハ)債務問題を含む経済情勢は,債務国の自助努力をはじめ,債権国,国際機関,民間銀行等の協力により回復軌道にのりつつある。ブラジル,メキシコ,アルゼンティン,ヴェネズエラ等の主要債務国についてみると,債務問題は,一応危機的状況を回避したと言える。特に,84年後半には,メキシコ・ヴェネズエラが相次いで民間銀行団との間で多年度一括債務繰延べを基本合意したことは,注目される。しかし,基本的には,問題解決を先送りしたに過ぎず,今後,各国のインフレ・財政赤字対策をはじめ,中長期的な産業構造調整の推進等の経済再建政策が注目される。

(ニ)経済成長について見ると,84年は79年以来続いてきた中南米の経済成長の低下傾向に歯止めが掛かった年である。国連ラテン・アメリカ経済委員会(ECLAC)の資料よると,中南米地域全体のGDP成長率は,82年が一1%,83年が一3.1%であったが,84年は+2.6%と再び上昇した。

(ホ)インフレは,年々高進してきており,83年の中南米地域全体の平均物価上昇率が130%と高かったにもかかわらず,84年には165%と更に上昇し,史上最高値を更新した(ECLAC資料)。インフレが特に加速された国は,ボリヴィア(約3,000%以上),アルゼンティン(700%以上)であり,そのほかブラジル,ペルーも引き続き高いインフレに悩まされている。

(ヘ)貿易収支をはじめとする84年の対外部門の状況は著しく改善された。特に,中南米地域全体の貿易収支黒字額は,376億ドルと先例を見ないほど多額であった(ECLAC資料)。これは,中南米全体の輸出額が10%も増加したためであり,これにはブラジルの驚異的な増加(23%増)によるところが大きいが,ドミニカ(共),コスタ・リカ,アルゼンティン,ハイティ,ヴェネズエラ等多くの国でも増加した。輸入については,中南米全体で4%と対前年比若干の増加にとどまった。

経常収支は,利払いが前年比8.3%とやや増加したものの,貿易収支の大幅黒字の影響で約31億ドルの赤字に収まり,前年の約90億ドルの赤字に比べてかなりの改善を見た。

資本収支は,支払期限到来債務の一連の繰り延べ措置の結果資本流出に歯止めがかかった等により,83年の44億ドルの黒字から84年は106億ドルの黒字へと改善を示した。その結果,総合収支は約75億ドルの黒字になった(ECLAC資料)。

(3)主要国の動向

(イ)メキシコ

(a)政権2年目のデラマドリ政権は,引き続き厳しい緊縮政策を鋭意進めたが,経済回復の兆し,現実的な諸政策の浸透により労働組合のスト,デモは減少し,一般犯罪も増加傾向は続いたものの大きな事件はなかった。デラマドリ政権は道義刷新,行政機構簡素化,地方分権化等のため種々の政策を実施した。

(b)外交面では,中南米諸国との連帯,中米和平の探求,中南米の経済困難克服,世界平和の擁護等が目標として掲げられ,デラマドリ大統領は南米5か国,カナダ,米国を訪問したほか,核軍縮,中南米の対外債務問題等で首脳外交を行った。

(c)経済面では,経済は上向きに転じ,国内総生産に対する財政赤字は7%(83年は8.4%),貿易黒字123億ドル,経常収支40億ドル,インフレ率59.2%を達成した。対外債務は85年以降支払期限の到来する債務の繰延べにつき国際金融団と多年度一括繰延べの基本合意に達した。石油は年間生産上限275万B/D,輸出上限150万B/Dの目標を達成した。

(ロ)パナマ

内政面では,84年5月,16年振りの国民直接選挙による大統領選挙が行われ,与党民主革命党ほか5政党が擁立するニコラス・アルディト・バルレタ候補が僅少差で,対抗馬アリアス候補を破り当選し,10月正式に大統領に就任した。新政権は,民主主義体制の確立,経済危機からの脱却,行政改革等を施政方針としてスタートしたが,ほどなくして,支出の削減及び増税をパッケージとする諸政策を巡り,国民各層の猛烈な反対にあい,これらの撤回を余儀なくされる等前途多難なスタートを切った。

外交面では,対米関係を基軸としつつも,特に,隣接している中米地域の和平問題について,コンタドーラ・グループの一員として中米和平のために努力を続けている。

経済面では,コロン・フリーゾーン,パナマ運河,国際金融センターの活動は引き続き低滞し,実質経済成長率は0%と低調であった。特に,対外公的債務は,GDPの80%以上を占めるに至っており,新政権にとり,本問題への対処が最優先課題の一つとなっている。

(ハ)コロンビア

(a)施政後半に入ったベタンクール政権は,極左グループ問題,麻薬問題への対処に積極的に取組み,84年前半までにFARC,M-19等の主要極左グループとの間に「停戦協定」を結ぶに至り,現政権の掲げる和平路線の前進を見ている。

(b)外交面では,自主外交路線を志向する一方,中米和平問題についても,コンタドーラ・グループの一員として積極的な外交を展開し,また,中南米諸国の債務問題についても,穏健路線をとり,調整役としての役割りを果たしている。

(c)経済面においては,コーヒー市況の堅調もあり,経済成長率は,3%とやや回復の兆しを見せているも,外貨事情はやや悪化し,85年,86年にかけての経済運営のための新規ローンの取入れが課題となった。

(ニ)ヴェネズェラ

(a)84年2月政権を引継いだルシンチ政権は,施策の最重点を国内経済の再建に置き各種の緊縮政策を実施した。右政策は国際収支,インフレ抑制面では大きな成果を挙げたが,デフレ効果も大きく,不況や失業問題を深刻化させ,一般犯罪の増加,物価上昇反対デモ,郵便公社のスト等が見られた。

(b)外交面では,対外債務問題の処理に最重点が置かれ,その他の面ではコンタドーラ・グループの一員として中米問題の解決に努力したこと,大統領の訪米が行われた程度であった。

(c)経済面では,ルシンチ政権は,為替相場の実質切下げ,石油製品国内価格の引上げ,公共部門経常歳出の10%削減等を骨子とする経済再建策を実施,貿易収支84億ドル,経常収支44億ドルの黒字を達成した。対外債務は,債権銀行団と公的対外債務の多年度一括繰延べにつき基本合意を見た。

(ホ)キューバ

(a)カストロを頂点とする集団指導体制に揺ぎはないが,グレナダ事件がキューバに与えたインパクトは強く,84年を通じ「国土防衛」のための組織たて直し,訓練の強化等が図られた。

経済面では,84年は7.4%の経済成長を遂げたが,砂糖の国際価格低迷による外貨ポジション悪化のため,西欧諸国との間に第2次債務繰延べ交渉を行った。

(b)対米関係においては,米国の中米政策を強く非難しているがグレナダ事件後,中米問題では慎重さが見られる。84年12月米国との間に出入国正常化に関する合意を締結した。

ソ連との間には,2000年までの経済協力科学技術協力協定を締結する等,政治,経済,外交,軍事等すべての分野で緊密な関係を維持している。

(ヘ)カリブ諸国

83年10月以来国際的な注目を集めてきたグレナダも,12月には総選挙を行い親米中道の新国民党が勝利を収める等カリブ諸国の政情はおおむね安定的に推移してきているが,一方各国とも国際経済悪化の余波をも受け厳しい経済状況に置かれており,ドミニカ共和国においては,IMFの要請に基づき政府のとった厳しい経済政策を発端として,4月には暴動に至るなど,債務問題が経済面のみならず社会・政治面にも影響を及ぼしてきている点が注目される。

(ト)中米諸国(除,エルサルヴァドル,ニカラグァ)

ホンデュラスでは,84年を通じアルヴァレス国軍司令官追放,スアソ大統領暗殺未遂等危機的諸困難に直面したが,スアソ政権は軍部の協力を得つつ,新生民主主義体制の維持,定着化を図った。グァテマラでは,83年8月政変により成立したメヒア政権が,84年7月に制憲議会選挙を実施し,8月に同議会を発足させ,民政移管の準備を進めている。コスタ・リカでは疲弊した経済再建を最大の課題として取り組み,一定の成果を挙げたが,引き続き厳しい経済状況にある。

(チ)ブラジル

(a)軍事政権5代目のフィゲイレード大統領が就任以来,民主化路線を進めてきたこともあり,85年1月の大統領選挙においては文民大統領の選出が実現する可能性が大きいとして内政の動向が注目された。

84年4月,ブラジル民主運動党(PMDB)を中心とする野党側は大統領直接選挙を目的とする憲法改正案を提出したが,与党民主社会党(PDS)の反対により否決され,大統領選挙は現行憲法の規定どおり間接選挙で実施されることになった。

8月,与党PDSはマルフ下院議員,野党PMDBはネーヴェス前ミナス・ジェライス州知事をおのおの大統領候補に選出したが,その後与党PDSの分裂もあり,ネーヴェス候補が有利に選挙運動を展開した。85年1月15日に行われた大統領選において,ネーヴェス候補がマルフ候補を大差で破り当選し,3月に21年振りに文民大統領が誕生することとなった。

(b)フィゲイレード政権はブラジル外交の路線を踏襲し,対欧米協調路線を基本としつつ,現実主義による多魚的外交を展開してきた。ブラジル,米国はじめ日本を含む西側諸国と成熟かつ安定した関係を築き上げるとともに,中近東,アフリカ,アジア及び一部共産圏諸国とも関係を深めている。

84年5月フィゲイレード大統領の日本及び中国訪問の際,両国との間で科学技術協力協定が署名され,また8月中国との間で原子力平和利用協力協定の仮調印が行われ注目された。10月にサウディ・アラビアとの間で軍事・産業協力議定書が署名された点も注目された。

ブラジルの新政権(85年3月~)は,外交分野では従来の路線を踏襲するものと見られている。

(c)84年の経済は4%を超える成長を記録し,マイナス成長であった前年に比し景気回復の基調を示した。対外部門での成果は著しく,貿易面では黒字額が当初目標の90億ドルを大幅に上回る131億ドルとなり,また,赤字傾向を続けてきた経常収支も6.5億ドルの黒字に転じた。しかし,他方では83年211%という高率を示したインフレについては改善できず,ブラジル史上最高の223.8%を記録した。

82年9月以降顕著となった対外債務問題については,IMF,債権国政府,国際民間銀行団等よりの支援を求めつつ克服に努め,84年末までの外貨資金ぐりにつき目途をつけた。85年以降分については,84年末よりブラジル政府と国際民間銀行団との間で多年度の債務繰延べ交渉が行われたが,ブラジル経済調整計画に対するIMFの承認が得られないまま,同債務繰延べ交渉の妥結は85年3月15日の新政権成立以後に持越されることとなった。なお,84年末現在の累積債務額は1,024億ドルであり,世界最大の額となっている。

(リ)ペルー

(a)シュワルブ内閣は財政緊縮政策を採用したため国民の不評を買い84年4月経済活性化を目指すマリアテギ内閣が発足した。しかし,同内閣も経済の活性化の目的を達成できないまま再び財政緊縮策に重点を置くペルコビッチ内閣が10月に誕生した。共産ゲリラ「センデーロ・ルミノソ」等によるテロ活動が活発化し,治安が悪化した。

(b)外交面では,安保理事会非常任理事国に就任し,国連外交を中心に積極的に展開した。

(c)経済面では,輸入を抑制したため貿易収支は黒字となったが,インフレ,財政赤字,対外債務等の問題は解決できなかった。

(ヌ)アルゼンティン

(a)84年中,アルフォンシン政権は民主政権の基盤強化と国際信用の回復に努めた。政権は安定しており,その背景には最大野党ペロン党の分裂があった。

(b)外交面では,チリとの間のビーグル海峡問題がローマ法王の調停でほぼ解決し,11月末平和友好条約が署名された。フォークランド(マルビーナス)紛争については,7月,英国との直接会談が行われたが,会談は物別れに終わった。同年中活発化した外交活動を通じアルゼンティンは威信の回復に努めた。

(c)経済面では,当面の対外債務問題処理に成功し,IMFスタンド・バイ・クレジット(14億ドル),国際市銀団よりの債務繰延べ(134億ドル)及び新規融資(42億ドル)を獲得,一方,経済復興は遅く,上半期3.4%に達した経済成長も後半マイナスに転じて年間で2.5%にとどまり,インフレも700%を超えたほか,財政赤字の解決も困難のままである。政府は85年には具体的成果を迫られることとなる。

(ル)ウルグァイ

(a)内政面では,73年6月以降軍政が継続してきたが,84年8月,民政移管を巡る方途・日程につき軍部と政党関係者の合意が成立し,右内容が憲法修正議定書として正式に公布された。11月行われた大統領選挙ではコロラド党のサンギネッティ党首が当選した。同次期大統領は,85年3月就任し,12年ぶりの民政移管が実現した。

(b)経済面では,81年以来マイナス成長であり,84年もマイナス2%と推定される。政府の最大の課題は,46億ドルにのぼる対外累積債務問題の解決と経済の活性化であり,右実現のため輸出の増進に力を注いでいる。

(c)外交面では,従来より東側諸国のうち,中国,北朝鮮,キューバとの外交関係を有していなかったが,サンギネッティ次期大統領はいずれの国とも外交関係を保持するとの姿勢を示している。

(ヲ)チリ

(a)84年中,民主同盟(AD)が中心となって続いた反政府抗議運動はAD内部分裂もあり盛り上がりを欠いたが,抗議運動とテロ活動が激化,大規模かつ組織的となったため政府は11月に入り戒厳令を再布告し,テロ活動取締りを強化した。

(b)外交面では,アルゼンティンとのビーグル海峡問題解決に成果があったが,前記(a)の国内情勢から国際的孤立化を深めた。

(c)経済は回復に向かい,84年の経済成長は推定5.5%,インフレは年間23%にとどまり,失業率も13%に下るなど国内的にはより良い状態が見られたが,対外面については,銅価格の低迷,対外債務金利支払いの増大等から貿易収支の黒字幅が縮小し,経常収支が悪化した。

(ワ)ボリヴィア

(a)極度の経済困難からシーレス政府に対する労組の攻勢は激しく,頻発するストで国内活動は常時麻痺していたが,年央以降野党勢のシーレス大統領退陣要求は激化し,遂に11月シーレスは任期を1年繰上げ85年6月総選挙実施,8月政権移譲を決定,国内政情はやや平静となった。

(その後総選挙は7月実施と変更された)。

(b)84年中,外交面では目立った動きはなく,チリとの間のボリヴィアの「海への出口」問題についても進展はない。

(c)84年の経済は前年に増して悪化,マイナス成長,GDPの18%に相当するほどの財政赤字の巨大化,3,000%に迫るインフレ,8億ドルに近い国際収支赤字等を記録,対外累積債務問題も一向に解決していない。

 目次へ