第3節 北米地域

1.北米地域の内外の情勢

(1)米国

(イ)内政

(a)大統領選挙結果

84年は,第50回米国大統領選挙が行われた年であったが,11月6日の同選挙及び同時に行われた議会選挙,知事選挙の結果は次のとおりであった。

(i) 大統領選挙

候補者(党)獲得州獲得選挙人数一般投票得票率(%)

レーガン(共和党)4952559

モンデール(民主党)1(ミネソタ)+ワシントンD.C.1341

(ii) 議会選挙

改選数当選新勢力増減

共和191753-2

上院

民主141647+2

共和168182182+14

下院

民主267252252-15

(注)上院は定員100名中3分の1の33名が改選,下院は定員435名全員改選であるが,85年2月現在,1選挙区(インディアナ州8区)において,最終結果につき係争中で未定。

(iii) 知事選挙

改選州当選新勢力増減

共和7816+1

民主6534-1

(注)知事選は,50州中13州で改選。

(b)選挙結果評価

(i) レーガン大統領は歴史的な勝利幅で再選(獲得選挙人数は史上最高,一般投票得票率は今世紀5番目)。

(ii) レーガン圧勝の背景として,景気回復,レーガン大統領個人の人気,米国民の自信の回復・安定指向等が挙げられる。

(iii) 他方,上院での共和党2議席減,下院での共和党議席伸び悩み(共和党側の目標25~30議席増に対し,結果は,その約半分)に関し,第二期レーガン政権の対議会運営は,「レーガン圧勝」にかかわらず,厳しい面が生じるとの評価も行われることとなった。

(iv) なお,84年大統領選挙予備選挙においては,共和党側からは,有力侯補としてレーガン大統領のみの出馬となったため,主要侯補者8名の間で争われた民主党予備選挙が関心を集めた。中でも,本命モンデール候補(前副大統領)と,その若さと斬新なイメージで「旋風」を巻き起したハート候補(上院議員)との激しい争いが注目されたほか,黒人候補ジャクソン牧師の出馬が話題を集めた。また,民主党副大統領候補として,米国史上初の女性候補(フェラーロ下院議員)が選ばれ,大きな関心を呼び起こすこととなったが,このようなモンデール側の画期的な試みも,レーガン大統領の人柄・リーダーシップ,景気回復等に支えられた「レーガン人気」を切り崩すには至らなかった。

(c)第2期レーガン政権

(i) 主要政策

第2期レーガン政権の主要政策課題としては,内政面では,財政赤字対策,税制改革等が,外交面では,対ソ軍備管理交渉等が挙げられている。85年2月6日レーガン大統領は一般教書演説を通じ,第2期目の出帆に際し,「偉大なる工業大国がよみがえった」と米国の経済回復の現状をうたい上げるとともに,「第2のアメリカ革命」といったスローガンを掲げ,上記政策課題等未完成の仕事の完遂を訴えた。

(ii) 主要人事異動

84年大統領選挙後から85年初めにかけて,一連の政権内異動が行われ,中でも,リーガン財務長官とベーカー大統領首席補佐官の交替人事,それに保守派ないし「カリフォルニア側近」(ミース大統領顧問,クラーク内務長官,ディーヴァー大統領次席補佐官)の転出が注目された。これら人事動向に関し,第2期レーガン政権の布陣は,より実務的な性格になるであろう等の評価が見られた。また議会指導者層の異動では,特に保守穏健派のドール新・上院共和党院内総務の選出が注目され,同院内総務が率いる上院共和党と第2期レーガン政権との協調関係の動向等に関心が持たれることとなった。

(ロ)外交

(a)84年8月の共和党大会で,レーガン大統領は,「81年1月20日以降,共産主義者の支配下に入った領土は1インチもない」と述べて,政権発足以来の「米国の力と威信の回復」に対する自信を表明した。11月の選挙で同大統領が大差で再選されたのも,国民の間に,経済回復とともに,こうした外交政策への支持があったためと言えよう。

しかし,一方では,84年においては,こうした「力による平和」の姿勢とともに,実務的な対外姿勢も目立った。これは,特に,対ソ政策において顕著であった。

大統領は,84年1月16日,地域紛争,核兵器の大幅削減及び実務関係の各分野におけるソ連との対話を呼び掛ける演説を行った。その後米ソ関係は,チェルネンコ政権の発足,ソ連によるロスアンジェルス・オリンピックの不参加,宇宙軍備管理交渉を巡る応酬等の曲折はあったものの,9月末には,レーガン政権発足以来初めて,レーガン大統領とグロムイコ外相との準首脳級会談を開催するに至っている。

以後米ソ関係は,大統領選挙直後の11月22日,核兵器と宇宙兵器に関する交渉に入ることで合意を見,右を受けて,85年1月にはジュネーヴで両国の外相会談が行われた。その結果,3月から,ジュネーヴで,戦略兵器,中距離核兵器及び宇宙兵器の3分野に関する交渉が開始され,今日に至っている。

そうした中で,ジュネーヴ交渉開始直前の85年3月10日,ソ連のチェルネンコ書記長が死去し,ゴルバチョフ政治局員が後任書記長に指名された。その際,レーガン大統領が直ちに,新書記長の訪米を呼び掛けたことから,米ソ首脳会談への期待が高まっている。しかし,時期や場所等詳細は今後の課題である。

(b)アジア・太平洋地域との関係では,前年に引き続き,この地域の経済的ダイナミズムを重視する姿勢が見られた。

また,中国との関係は,台湾問題の存在はあるものの,84年には,趙総理の訪米(1月)やレーガン大統領の訪中(4月)が実現する等比較的安定的に推移した。

(c)中東和平については,引き続き重大な関心は有しつつも,基本的には当事国間の努力が肝要との立場から,目立つ動きは見られなかった。

(d)中米については,前年に引き続き,同地域の安全は米国にとっても枢要との観点から,(i)エルサルヴァドル政府に対する支援,(ii)ニカラグァヘの働き掛け(84年6月のシュルツ国務長官のニカラグァ訪問及びこれに続く対話の継続),(iii)コンタドーラ・グループに対する支持を基軸に,積極的な動きが見られた。

(ハ)米国経済

84年の米国経済は6.9%という51年以来の高い成長を記録した。しかし,四半期ベースで見た場合,かなりの変動が見られた。すなわち,第1,2四半期は,個人消費,設備投資が高い伸びを示したことにより,実質10.1,7.1%の成長を達成し,一部には景気過熱を心配する声が出たほどであった。しかし,第3四半期に入ると,これまで一貫して高い伸びを示してきた個人消費(米国GNP全体の2/3を占める)が0.7%の低い伸びにとどまったことに加え,純輸出の悪化(輸出5.5%増,輸入55,5%増)により全体として1.6%の低い成長となった。第4四半期に入ると,二度の公定歩合の引下げにより,各種金利が低下したことに加えて,クリスマス販売が好調であったことを受けて個人消費が3.6%増と再び上昇に転じたこと,純輸出が改善したこと(輸出3.1%減,輸入26.7%減)等の諸要因により4.9%成長を達成し,安定成長の軌道へ乗ったと見られた。

このような高い成長を記録した要因としては,(1)失業率の低下と就業者増による個人所得の増加,(2)物価の安定,(3)金利の低下等が挙げられよう。失業率は第3四半期の景気の落ち込みを反映し,中途で上昇はしたものの,年初の8.0%から12月には7.2%まで低下し,この間就業者も約400万人増加が見られた。また,物価も安定的に推移し,消費者物価,卸売物価はそれぞれ,年平均4.3%,2.1%の上昇にとどまった。これは,(1)主要一次産品価格が落ち着きを見せたこと,(2)ドル高により輸入品価格が安定したこと,(3)賃上げ動向に影響力を持つ自動車産業の賃上げが小幅なものになったこと,(4)労働生産性が上昇したことが挙げられる。

貿易収支について見ると,84年は輸出(FASベース)は前年比8.7%増の2,179億ドルとなったものの,輸入(CIFベース)が26.4%増の3,412億ドルとなったため,貿易収支赤字は前年比77.7%増の1,233億ドルと史上最高を記録した。こうした赤字幅拡大の要因としては,(1)米国経済の拡大による輸入圧力の増大,(2)ドル高の輸出入両面への影響等が指摘される。

(2)カナダ

(イ)内政

通算15年間政権を担当したトルドー首相が84年2月末,遂に辞意を表明したことにより,政局の焦点は6月の自由党新党首選出全国大会に移った。同党首選では,事実上ターナー元蔵相とクレチェン鉱山エネルギー資源相との戦いとなり,結果は従来のトルドー路線とは一線を画するターナーが勝利し,ターナー党首は6月30日第17人目の首相に就任した。ターナー首相は右党首選の過程で高まった自由党の支持率上昇を背景に早期総選挙実施を決定した。しかし,政治的任命や選挙キャンペーンで示したターナー首相のリーダーシップに対し新しさを期待した選挙民は離反し,9月4日実施された総選挙では,マルルーニー党首下の進歩保守党が282議席中211議席を占めるという歴史的大勝を納める結果となった。同党首は9月17日に第18人目の首相に就任した。マルルーニー政権は州政府ほか各方面との協調と対話,対米関係の改善,経済政策の見直しを掲げ,政局に臨んでいる。

(ロ)外交

83年10月に開始されたトルドー前首相の平和イニシアティブの努力は85年2月の議会報告及びチェルネンコ書記長との会談により一応終了した。

84年9月発足したマルルーニー政権は良好な米加関係の促進とNATOメンバーとして必要な国防力の維持を基本的考え方として打ち出しており,その方向で外交,国防政策に対する見直しを進めている。特に対米関係については9月の首相就任直後に訪米して首脳会談を行い,国防及び貿易に関する閣僚レベルの定期協議に合意した。また,カナダ経済を活性化させる観点からの米経済に対する見直し,つまり外資規制の緩和を打ち出したほか,米加自由貿易構想についてもその是非の検討を行っている。

(ハ)経済情勢

84年の実質GNP成長率は4.7%で76年以来の高率となったが,この成長の原動力は主として自動車産業の活況によるもので輸出増の過半は自動車関連であり,自動車以外の分野での国内需要は緩やかな増加であった。民間投資は住宅投資を含め,相変わらず低迷を紡げ,改善の兆しがほとんど見られなかった。

消費者物価上昇率は依然低下傾向を示し,4.4%であった(83年平均5.8%)が,これは71年以来の低率となった。

しかし,失業率は相変わらず高率で推移し,年平均で11.3%であった。

財政赤字は引き続き重要課題であり,84年度(84年4月から85年3月まで)は当初296億加ドル(歳入673億加ドル,歳出969億加ドル)と発表されたが,その後マルルーニー政権になって345億加ドルになるとの見通しが政府より出された。その際,歳出削減を行わない場合,85年度の赤字額はさらに拡大して371億加ドルにものぼるとされた。

貿易収支(B/Pベース)は前年比31億ドル増の208億ドルの黒字を計上し,史上最高を記録した。黒字の96%(199億ドル)は対米貿易によるものである。また貿易外収支は197億ドルの赤字で,経常収支黒字は83年の17億ドルから20億ドルに拡大した。

なお,マルルーニー政権になって注目される点の一つに従来の外資規制政策が外資積極導入政策に転換されたことが挙げられる。カナダ政府はこのため従来の「外国投資審査法」に替わる「カナダ投資法案」を議会に提出し,今後カナダ経済をより活性化する投資の増加を期待している。

 目次へ