2.中国

(1)中国の内外情勢

(イ)内政

(a)全般

84年は,中国の建国35周年に当り,良好な内外情勢,特に好調な経済実績を背景として,10月1日の国慶節には大規模なパレードを含む盛大な祝賀活動が展開され,トウ小平主任を中心とする現政権の安定ぶりと現行政策の成果が誇示された。この間,5月の第6期全国人民代表大会(全人代)第2回会議,10月の党第12期3中全会及び85年3月末の全人代第3回会議の開催,第1期整党の実施と第2期整党の開始,84年末までに人民公社の解体と郷政府設立がほぼ完了する等の動きが見られた。

(b)第6期全人代第2回会議

5月後半に開かれた本件会議で,趙紫陽総理は政府活動報告を行い,過去1年来の政策が第12回党大会の路線を具体化する方向で着実に成果を挙げつつあると述べるとともに,これらの成果を踏まえて,今後も国内の経済建設を最重点施策とし,今後1年間の経済活動の重点を体制改革と対外開放に置くこと,顕著な成果を挙げている農村の改革に追いつくべく都市の改革のテンポを一層推進する旨の方針を打ち出した。

この他,兵役法の改正,民族区域自治法の制定,海南行政区設置の決定等が行われた。

(c)党第12期3中全会

10月20日に開かれた本件会議で「経済体制改革の決定」が採択された(後述)。

同会議は,また85年9月に党の全国代表会議を開き,党中央の人事及び第7次5か年計画の要綱の討議を行うことを決定した。

(d)整党

83年末から開始された第1期整党は中央レベル,1級行政区及び大軍区の40万人弱の党員を対象として段階を追って進められ,85年3月までにほぼ終了することとなっている。第2期整党は84年末より地区・県レベルで開始された。第1期整党の過程で「文革」の徹底否定の教育が行われて成果を挙げたとされており,また,「経済体制改革の決定」以後に現われた「新しい不正の風」の是正・取締りは第2期整党の過程で重点的に行われることになっている。

(e)全人代第3回会議

85年3月末からの全人代第3回会議においては,84年の経済成果と問題点及び経済体制改革の実施に焦点をしぼった趙紫陽総理の報告が行われたほか,香港問題に関する中英合意が批准され,相続法が採択された。

(ロ)外交

(a)全般

中国の「独立自主」外交は,83年の実績を踏まえて更に活発化した。日米をはじめとする西側先進国との関係は強化され,ソ連・東欧圏との実務関係は進展の兆しをみせ,近隣諸国を含む第三世界諸国との関係もおおむね前進しつつある。6月は「平和共存五原則」提唱30周年に当ったため,その歴史的意義と国際関係における普遍性が強調された。11月アラブ首長国連邦との外交関係樹立により,中国は130か国と外交関係を持つこととなった。

(b)対米関係

米中間の最大の問題は依然台湾問題である状況に変化はないものの,1月の趙紫陽総理の訪米,4月のレーガン大統領訪中により,両国関係の今後の発展のための基礎固めが行われ,また,6月の張愛萍国防部長の訪米,85年1月のヴェッシー統合参謀本部議長の訪中等軍関係者の往来も見られた。

(C)対ソ関係

2月のアンドロポフ書記長葬儀の際訪ソした万里副総理はアリエフ第1副首相と会見し,5月に予定されたアルヒーポフ第1副首相の訪中は一時延期されたものの,9月ニューヨークにおいて呉学謙・グロムイコ両外相会談が実現し,12月に訪中したアルヒーポフ第1副首相は趙紫陽総理,陳雲政治局常務委員らと会談,三つの実務協定に調印し,両国間貿易額増加と長期貿易協定調印につき原則合意した。さらに85年3月チェルネンコ書記長葬儀の際訪ソした李鵬副総理はゴルバチョフ新書記長と会談し,胡ヨウ邦総書記の祝意を伝えた。これら一連の動きは両国間の雰囲気改善を示唆するものであろうが,第4次,第5次の2回にわたる外務次官級協議においては中国側の提起している「三つの障害」につき実質的進展は見られなかった模様である。

(d)対アジア関係

(i) 北朝鮮との関係では,5月の胡ヨウ邦総書記の訪朝,8月の姜成山総理の訪中及び11月の金日成主席の訪中をはじめ各分野での頻繁な交流が続いた。韓国との関係では,スポーツ面での交流及び国際会議出席のための相手国訪問が行われ,また85年3月の中国魚雷艇事件の際には中国は韓国と直接交渉し同事件を円滑に解決した。

(ii) ASEAN諸国との関係では,引き続き,タイとの関係の強化が図られたほか,イメルダ・マルコス大統領夫人の訪中,マレイシアとの両国外相相互訪問があり,またインドネシアとは直接貿易再開へ向けての動きが見られた。10月サン・ユ=ビルマ大統領が訪中し,85年3月李先念国家主席がビルマ,タイを訪問した。

(iii) 中印間では8月貿易協定が調印され,9月国境問題を含む第5回中印事務レベル協議が開かれ,インディラ・ガンジー首相葬儀には姚依林副総理が参列した。パキスタン,ネパールには李先念国家主席が訪問し,5月にジャヤワルダナ=スリ・ランカ大統領が訪中した。またブータンとは3月北京において第1回国境交渉が行われた。

(iv) 中国はカンボディア問題解決のかぎはヴィエトナム軍の撤退にあるとの従来の主張を繰り返した。また85年2月以降,中越国境においては砲撃を主体とする両軍間の小規模衝突が断続的に伝えられた。

(e)対東欧・モンゴル関係

(i) 東欧諸国との経済関係,人的往来は引き続き発展しつつある。7月クチヤ=ポーランド外務次官の訪中の際両国領事条約が調印され,8月マリヤイ=ハンガリー副首相が訪中,85年3月のハンガリー党大会には中国共産党より祝電が送られた。

(ii) 7月ヨンドン=モンゴル第1外務次官が訪中し,第1回中蒙国境合同調査議定書に調印した。

(f)対西欧関係

4月呉学謙外交部長の欧州歴訪の際,ECと初めての政治協議が行われ,5月には趙紫陽総理が西欧6か国を,また11月には李先念国家主席が3か国をそれぞれ歴訪した。10月コール西独首相が訪中し経済関係強化につき協議し,12月にはサッチャー英首相が訪中して香港問題に関する中英共同声明に正式調印した。

(ハ)経済情勢

(a)農村における経済体制の改革では,83年末までに既に全国98%以上の農家で生産責任制が実施されたが,84年年初以降,請負期間の延長などにより責任制は一層強化された。

83年以来進められていた人民公社の解体は84年末までに終了,全国5万余の人民公社は,8万余の郷政府によって置き換えられた。

他方,都市の改革については,部分的に試行され,84年5月には国営工業企業の自主権拡大10か条が公布され,同10月からは「利改税」(利潤上納と納税制併用を漸次納税制1本に改めていくこと)の改革が第2段階に入ったが,さらに,同10月の12期三中全会の決定により「経済体制改革に関する決定」が採択された。この決定は中国経済の懸案であった行政の過度の統制,行政機関と企業間の職責未分離,価格体系の歪み,市場メカニズムの役割軽視,賃金悪平等などの問題点を取り除き都市企業の活性化を図っていこうとするものである。

さらに,対外開放については,深セン等4つの経済特区の設立,海南島の開放に続き,第二の開放として,84年4月には沿海14港湾都市の一層の開放が実施され,さらに85年2月には開放の第三段階として長江,珠江,ミン南(福建省南部)厦ショウ泉の各デルタ地帯の開放が決まっている。

(b)84年の工農業生産はともに最近数年来の最高の伸びを記録,工農業総生産額では1兆627億元(4,581億米ドル)と前年比14.2%増,国民所得では5,485億元(2,364億米ドル)と同じく12%増となった。生産は以上のとおり大幅な伸長をみせたが,物価(小売物価)は,前年比2.8%上昇,特に第4四半期においては,前年同期比4.2%の上昇であった。また,エネルギー,特に電力供給の逼迫,交通輸送の緊張,消費フォンドの増大が早過ぎること,固定資産投資規模の過大等の問題が存在している。

(c)84年の農業総生産額は3,612億元と前年比14.5%増となり計画を4%上回った。ただ,狭義の農業の伸びは8.9%増にとどまっており,農業生産の全体としての大きな伸びは村営工業,副業等の伸びによるところが大きい。

(d)84年の工業生産について見ると,総生産額では,7,015億元と14%増となり,計画を5%上回った。軽工業生産は前年比13.9%増,重工業生産は14.2%増とほぼ均衡して発展,大衆の生活水準の向上,需要増大を反映,耐久消費財の伸長には顕著なものがあり,また,輸送手段の生産の伸びも大きい。しかしながら,一次エネルギーの生産の伸びは7.4%増と依然相対的に低水準にとどまっており,経済効率の改善もいまだ十分でないとされている。

(e)全民所有制単位の固定資産投資は1,160億元,前年比21.8%増,うち,基本建設投資は735億元,23.8%増となった。基本建設投資中,エネルギー・交通への投資の比重が83年の34.4%から35.8%へ伸長している。

(f)84年の社会商品小売額は3,357億元,前年比17.8%増で,特にテレビ,洗濯機など耐久消費財の伸長が著るしい。

(g)84年の輸出入額は1,200億元,前年比実質19・6%増,うち,輸出総額580億6,000万元,実質14.6%増,輸入総額620億6,000万元,実質24.7%増となっている。

(h)84年の農家所帯の家計サンプル調査によると1人当りの純収入は355.3元,前年比14.7%増,また,都市勤労者所帯の家計サンプル調査によると84年の可処分収入は608元,名目前年比15.5%増,実質12.5%増,全国勤労者の平均賃金は961元,名目前年比16.3%増,実質13.2%増となっている。84年末の人口は10億3,604万人,自然増加率1.081%増となっている。

(2)我が国と中国との関係

(イ)全般

84年には,中曽根総理大臣(3月),水野建設大臣(4月~5月),森文部大臣(9月),稲村国土庁長官(9月),細田運輸大臣(9月),渡部厚生大臣(10月),鈴木前総理大臣(10月)が訪中,方毅国務委員兼国家科学技術委員会主任(4月),姫鵬飛国務委員(5月),朱穆之文化部長(6月),陳璞如鉄道部長(6月),張愛萍国防部長(7月),張勁夫国務委員兼国家経済委員会主任(7月),呉学謙国務委員兼外交部長(8月),李鵬副総理(9月)が来日したほか,日中友好二十一世紀委員会第1回会合の開催(9月)に伴う王兆国中国共産党中央弁公庁主任の来日をはじめとして,閣僚の往来以外にも両国の政財界の要人の往来が相継いだ。

かくも頻繁なる要人往来は,正に良好なる日中関係の反映であり,日中両国が不断にその意志の疎通を図り,善隣友好協力関係を一層堅固なものとすべく真剣に努力を払っていることを雄弁に物語るものであったと言えよう。

その頂点に立つものは,3月に行われた中曽根総理大臣の訪中であった。安倍外務大臣とともに中国を訪れた中曽根総理大臣は,趙紫陽総理,胡ヨウ邦総書記,トウ小平党中央顧問委員会主任ほかの中国指導者と会見し,現在の良好で緊密な日中関係を21世紀に向かって長期にわたり安定的に発展させていくとの決意を確認し,さらにこれを具体化するためのいくつかの方途についても意見を交換した。

この総理訪中時に発足を見た日中友好二十一世紀委員会は,9月に東京及び箱根において第1回会合を持ち,青年の交流が将来の長期的・安定的日中関係に果たす役割の重要性に着目し,「日中青年交流センター(仮称)」を北京に建設することを両国政府に提言した。

両国の交流の幅の広さは,9月から10月にかけて中国側が行った日本青年3,000名の訪中招待が成功裡に行われたことや,我が国企業の対中提携への意欲を増したことにも端的に示された。

(ロ)日中経済関係

(a)84年の日中貿易は,往復約132億米ドル(対前年比31.7%増)と過去最高を記録し,貿易収支も4年ぶりに我が国の出超(12億6,000万米ドル)となった。これは我が国の対中輸出が機械機器を中心に伸長したためである。

(b)日中両国政府は,両国間経済・文化交流の一層の円滑化を図るために81年1月以来租税協定締結に向けて折衝を重ね,83年9月署名,84年6月発効した。現在,投資保護協定についても締結のための交渉が続けられている。

(c)政府ベースの資金協力としては,84年度からの新規円借款について,84年3月の中曽根総理大臣訪中の際に,我が方から鉄道,港湾,通信,水力発電の7プロジェクトに対し,我が国の財政事情等を勘案の上できる限り協力する旨表明し,10月には84年度分として715億円を供与する内容の交換公文が締結された。

無償資金協力については,81年12月に起工された中日友好病院が84年6月に完成し,10月に開院式が行われた。また,84年度の無償資金協力については,9月に北京郵電訓練センター及び中国肉類食品総合研究センターに対する49億円を限度とする額の供与に関する交換公文が交され,さらに,85年1月には,5億円を限度とする食糧増産援助を行うための交換公文の署名が行われた。

(d)政府ベースの技術協力としては,運輸交通,経営管理,農林業,保健医療等の広範な分野で研修員の受入れ,専門家の派遣などを実施したほか,中日友好病院や企業管理センターに対するプロジェクト方式技術協力を行った。そのほか,農業,運輸交通,エネルギー,鉱物資源,地下水や工場近代化等を対象とする各種の開発調査事業が行われた。

(e)輸出入銀行の石油・石炭開発金融(4,200億円)については,これまでに3,150億円の融資契約が調印されている。また,84年12月新規融資として,石炭2プロジェクト,石油4プロジェクトに対し,24億米ドル相当円限度を供与する内容の覚書が調印された。

(f)日中長期貿易取決め(民間)は,11月に85年の対日石炭供給量を下方修正することで合意された。85年の対日石油・石炭供給量は次のとおり。

(ハ)人的往来と文化交流

日中間の人的往来は,72年(日中国交正常化当時)約9,000名であったが,84年には278,569名となった。この間両国閣僚レベルの往来も頻繁となり,84年度の要人の往来は下表のとおりである。

両国間の文化交流は,民間及び地方自治体ベースで盛んに行われているが,両国政府間でも79年12月に締結された文化交流協定等に基づき順調に発展しており,我が国政府は青少年交流,中国人留学生の受入れ,中国の日本語教育に対する援助及び文化無償資金供与(9件,計4億2,350万円)等の分野で協力している。

(ニ)日中友好会館の建設

日中国交正常化10周年の記念事業として我が国の政界,財界及び関係団体を中心に,東京に中国からの留学生・研修生等のための宿舎及び日中文化交流のためのセンター等の総合施設「日中友好会館」を建設する計画が推進されている。この計画は,82年9月に政府首脳レベルで両国政府の建設支援が合意され,我が国政府は,既に83年度6,975万円,84年度7億5,000万円の建設関係費を補助済みで,85年度においても7億5,000万円の補助を行う予定のところ,84年5月から会館の一部のA棟の建設が開始されており,85年3月末には完工の運びとなっている。

(ホ)中国残留日本人孤児問題

(a)83年1月に行われた孤児問題に関する日中間の協議の結論を確認する口上書が,84年3月17日,北京で交換された。これにより中国政府は,孤児の訪日親族捜し等に対し引き続き協力すること,日本政府は孤児の日本への永住により生ずる家庭問題を責任をもって適切に解決すること等が確認された。

(b)84年11月から12月の間並びに85年2月から3月の間の2度にわたり,各々90人の孤児が来日,肉親捜しが実施され,75人の身元が判明した。

<要人往来>

<貿易関係>

<民間投資>

<経済協力(政府開発援助)>

(約束額ベース)(DAC実績ベース)

(3)台湾

我が国と台湾との実務関係

(イ)来日台湾人数は年々増加の傾向をたどり,84年には前年より若干増加して約35万人に達し,また,同年の訪台日本人数も前年より増加して約63万人となった。

(ロ)84年における日台間輸出入額は前年比19.2%増の91億9,000万ドルとなり,日本側の出超額は27億8,200万ドル(前年比12.9%増,日本側統計)に増大した。

<貿易関係>

(通関統計)

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