8.アフリカ(サハラ以南アフリカ)地域
(1)サハラ以南アフリカの独立国は,現在45か国を数え,国連加盟国の約3分の1を占め,国際場裡で大きな発言力を有している。また,アフリカは希少資源を含む天然資源に恵まれ,世界経済,貿易上の重要地域でもある。我が国は,相互依存関係の深まった今日の世界において,アフリカ諸国との人物交流,文化交流を促進し相互理解の増進に努めるとともに,我が国の国力増大に伴う国際責務を果たすとの観点から,幅広い分野で経済,技術協力を行うことにより,これら諸国の最大の課題である「国造り」に貢献してきている。
(2)我が国とアフリカ諸国との関係は,第二次大戦以前は,アフリカが地理的に遠く,そのほとんどの地域が西欧列強の植民地となっていたこともあり,希薄で限られたものとならざるを得なかった。
第二次大戦後,アフリカでの民族自決,独立の動きは急速に高まり,1950年代後半から1960年代にアフリカ諸国は相次いで独立した(特に1960年には17か国が一挙に独立を達成し「アフリカの年」と呼ばれた)。
我が国はこれら新独立国を歓迎,承認した。
(3)それ以来,我が国は,アフリカ大陸に何らの政治的野心を持たない国として,各国の歴史的,文化的独自性とそれぞれの対外政策を尊重しつつ,各国との友好関係を強化することに努めてきており,アフリカ諸国との関係は人物交流,経済協力,貿易,文化交流その他多くの分野で着実に緊密化しつつある。その背景には,我が国の国力の増大とともに,1963年に設立されたアフリカ統一機構(OAU)を中心とした植民地主義の根絶,域内の統一と団結の促進に向けてのアフリカ諸国の努力により,アフリカの国際社会における地位が著しく向上したことが挙げられる。
(4)我が国とアフリカとの人物交流については,我が国からの要人のアフリカ訪問として,皇太子・同妃両殿下が1960年にエティオピアを御訪問されたのをはじめ,最近では,83年(ケニア,タンザニア及びザンビア)と84年(セネガル及びザイール)と2年連続してアフリカを訪問された。また,政府要人では,74年に木村外務大臣がアフリカ4か国,79年に園田外務大臣が5か国,84年には安倍外務大臣が2か国(ザンビア及びエティオピア)を訪問し,各国首脳と忌憚のない意見交換を行った。さらに81年以降は毎年外務政務次官がアフリカ諸国を歴訪し,アフリカとの友好協力関係の強化を図っている。
他方,アフリカ諸国からの要人の来訪も国賓だけをみても,マダガスカル(64年),エティオピア(70年),ザイール(71年),セネガル(79年),ザンビア(80年),タンザニア(81年),ケニア(82年),ガボン(84年)よりそれぞれの元首の来日が実現しており,閣僚クラスの指導者の訪日も含め人物交流は年々活発化している。
(5)また,我が国のアフリカ諸国に対する経済協力は,かつては地理的懸隔,歴史的理由から低水準にとどまっていたが,我が国の経済力の増大とともにアフリカ諸国の我が国に対する期待及び協力の要請の増大もあり,我が国は,国造りを目指すアフリカ諸国に対する経済協力を強化してきた。特に最近では,アフリカ諸国が累積債務,低成長,食糧不足等の諸困難を抱えていることに鑑み,国際社会の平和と安定の維持及び人道的観点からも急速にアフリカ諸国への経済協力を拡大してきている。我が国の二国間政府開発援助に占めるアフリカ地域の比率は72年にはわずか1%にすぎなかったが,83年には11%に達している。
(6)他方,我が国とアフリカ諸国との貿易は,70年代前半は順調に増加していたが,最近は,アフリカ諸国の経済困難等が主因となって停滞気味となっている。84年の実績は輸出総額約40億ドル,輸入総額は約26億ドルで,それぞれ我が国の総輸出額及び総輸入額に対する割合は2.3%及び1.9%となっている。
これまでアフリカ諸国との経済関係を強化することを目的として70年,78年に政府派遣の経済使節団がアフリカ諸国を訪問しているが,特に最近の我が国とアフリカの経済関係打開を目的として84年にも政府派遣経済使節団が派遣された。
(7)84年において,アフリカ情勢の中で特に国際社会の注目を引いたのは,干魃による極めて深刻な食糧危機の問題であった。84年国連機関をはじめ先進各国は,急速にアフリカ支援を強化したが,我が国も,各国に先立ち食糧関係援助の強化,安倍外務大臣によるエティオピアの干魃被災地視察や国内外への支援強化のアピール等積極的に対応してきている。
このような状況の中で,84年秋に開催された「アフリカ月間」は,我が国における対アフリカ関心,理解を飛躍的に増進し,我が国とアフリカの全般的関係の発展に大きな役割を果たした。また,同年12月に官民の協力によって開始された「アフリカへ毛布をおくる運動」をはじめとして国民各層の参加によるアフリカ支援活動が活発化した。