6.ソ連・東欧地域
(1)1956年,日ソ共同宣言により,日ソ間に国交が再開されてから,我が国とソ連との間では,経済・貿易・文化などのいろいろな分野において実務関係が進展してきた。例えば,84年の両国間の貿易は39億ドルに上り,我が国は,ソ連の西側貿易相手国の中で,依然重要なパートナーとなっている。また,シベリア開発協力では,既に4つのプロジェクトが実施済みで,現在,南ヤクート原料炭,サハリン島大陸棚探鉱・開発,第三次極東森林資源開発の3つのプロジェクトが実施中であり,シベリア開発協力案件に関する我が国の対ソ信用供与は,合計25億ドル(1984年末)にも上っている。
他方,こうした実務関係の進展にもかかわらず,戦後日ソ間の最大の懸案である北方領土問題は,途中種々変遷はあったものの,依然未解決で,ソ連による不法占拠が続けられてきている。
ここで,北方領土問題に関する日ソ間の交渉の歩みを簡単に振り返ってみると,56年の日ソ共同宣言において,ソ連は我が国と平和条約を締結した後,我が国に歯舞群島及び色丹島を引き渡すこと,また,平和条約締結交渉を継続することに同意したが,60年の日米安保条約締結の際,ソ連側より,歯舞・色丹両島の引き渡しのためには,我が国の領土から全外国の軍隊の撤退が必要であるとの全く新しい追加的な条件を一方的に課してきた。
その後,ソ連側は,「領土問題は一連の国際協定によって解決済み」と主張し(例えば,61年のフルシチョフ書簡)ソ連の姿勢は更に後退したが,その後,73年,田中総理が訪ソした際の田中・ブレジネフ首脳会談において,激しいやりとりの結果,北方領土問題が平和条約の締結によって解決されるべき戦後の未解決の問題であることが両首脳間で確認された。
しかし,こうした経緯にもかかわらず,70年代後半より,ソ連側は,我が国の北方領土返還要求を,「根拠のない不法な要求」であるとか,「外部からの教唆によるもの」であるとの主張を行い,「解決済み」・「存在しない」との姿勢に立ちもどり,一向に交渉のテーブルに就こうとしていない。
この北方領土問題を解決して平和条約を締結することにより,日ソ間に真の相互理解に基づく安定的な関係を確立することが我が国の一貫した対
ソ基本方針であり,我が国は,これまで機会ある毎に,この基本的考え方をソ連側に伝えてきているが,今後とも,粘り強い対ソ交渉を行っていく必要がある。
近年,日ソ関係は,厳しい東西関係を反映して,また上述の通り北方領土問題が未解決であるだけでなく,北方領土においてソ連軍が増強されていること等により,冷え込んだ状況に置かれている。また,ソ連軍によるアフガニスタン侵攻,ポーランド問題,大韓航空機撃墜事件等の一連の国際的事件により,国民の対ソ・イメージが悪化したことも否定しえない。
こうした状況下,我が国がソ連に対して,言うべきことは言い,通すべき筋は通しつつ,対話・交流を通じて意思疎通を図っていくことは,日ソ間の無用の誤解や対立を避けるためのみならず,北方領土問題をはじめとする日ソ間に横たわる基本的諸問題の解決に一歩でも近づくためにも重要である。このような観点から,我が国は,84年以降,我が国のイニシアティブにより,日ソ間に種々のチャネルでの対話・交流を実施してきている(詳細は,第2部第1章第6節2,「我が国とソ連・東欧諸国との関係」を参照)。今後,日ソ間の対話の進展に伴い,85年3月に誕生したゴルバチョフ新政権下のソ連側の出方が注目される。
(2)東欧地域
(イ)ワルシャワ条約(WP)諸国(注)
(あ)我が国とWP加盟の東欧諸国との関係は,第二次世界大戦をめぐる国際情勢の変動の中で断絶の止むなきに至ったが,57年のポーランド,チェッコスロヴァキア両国をはじめとして順次国交が回復(ドイツ民主共和国(東独)とは国交樹立)された。以来,我が国と東欧諸国との関係は,社会体制は異なるものの,以下のとおり着実に進展してきた。
(注)ワルシャワ条約機構加盟国は,ソ連の他,東独,ポーランド,チェッコスロヴァキア,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリアの東欧6か国。
(い)要人の往来について見れば,東欧側からは東欧各国外相の訪日が実現している他,東独,チェッコ,ルーマニア,ブルガリアの4か国よりは国家元首,ポーランド,チェッコ,ブルガリアの3か国よりは首相の訪日も実現を見ている。我が国からも,天皇陛下の御名代としての皇太子・同妃両殿下のルーマニア,ブルガリア両国御訪問(79年)をはじめ,外務大臣の訪問も東欧各国に対し実現しており,また,友好議員連盟を中心とした国会関係者の東欧各国への訪問も活発に行われている。
(う)経済関係について見ても,58年に7,500万ドルに過ぎなかった対東欧貿易総額は70年代に入り大きく伸長し,84年には9億1,500万ドルに達した。
その他,文化交流の面でも,それぞれ個性豊かな文化を誇り,また,我が国の文化に対する理解にも高いものがある東欧諸国と我が国の間では,国際交流基金の事業を中心として,幅広い交流が進められてきた。
(え)東欧諸国は,このところ,緊張緩和への希求,或いは経済的理由から西側諸国への接近傾向を強めつつあり,我が国に対しても,経済分野を中心に関係強化の期待を高めている。我が国は,各国の国情及び政策に留意したきめ細かい対東欧外交を推進し,友好関係の一層の強化に努めている。
(ロ)その他の諸国
(あ)ユーゴースラヴィアとは,52年の国交回復以来友好的な関係が進展してきている。我が国からは,皇太子・同妃両殿下(76年,チトー大統領訪日に対する天皇陛下の御名代としての答礼訪問),大平総理(80年,チトー大統領の葬儀に出席),大平外務大臣(73年),安倍外務大臣(83年)の訪問が行われたのに対し,ユーゴーからもチトー大統領(68年)の他,外相の訪日が実現されている。我が国は,独立・非同盟路線を歩む同国の外交姿勢を高く評価しており,今後とも同国との関係の強化に努める方針である。
(い)アルバニアとは1981年に国交を回復し,良好な関係が維持されている。
(ハ)84年の我が国の対WP諸国関係については,引き続き着実に各分野での交流が進められた。巨額の累積債務を抱えるポーランドに対しては,83年7月の戒厳令解除後の同国の情勢の推移に鑑み,他の西側諸国と共に,公的債務支払いの繰延べ交渉を行った。また,独立・非同盟路線を堅持するユーゴースラヴィアに対しても,他の西側諸国と共に公的債務の繰延べを実施した。