第3節 各国との関係の増進
1.アジア地域
(1)序論
(イ)第2次世界大戦後,我が国は,戦前及び同大戦中の苦い経験を踏まえ,アジア地域の平和と発展のために政治的,経済的役割を積極的に果たし,もってアジア諸国と友好・親善関係を促進することを外交の柱としてきた。
アジアの一角に位置する我が国にとり,アジアの平和と発展が我が国の繁栄に直結していることは言うまでもない。
今後,アジアにおける先進国としての我が国に対するアジア諸国の期待は益々高まってきており,我が国としてもこれらの期待に応え,地域の平和と発展に,より積極的に貢献することが求められよう。
(ロ)大戦後,我が国は疲弊の極にあり,連合軍の占領下でアジア諸国をはじめとする国際社会との関係再開は平和条約の締結を待たねばならなかった。52年4月サン・フランシスコ平和条約の発効によって,我が国は,完全な主権を回復した。この平和条約には,アジアより,カンボディア,ラオス,フィリピン,セイロン(現スリ・ランカ),パキ1スタン及びヴィエトナムが締約国となったが,インドネシア,インド及びビルマとは,各々別に二国間の平和条約を締結した。なお,朝鮮については,サン・フランシスコ平和条約によりその独立が法的に承認された。
さらにサン・フランシスコ平和条約への参加をみなかった中国については,52年の「日本国と中華民国との間の平和条約」によって講和することとなった(同条約は,72年の日中国交正常化により存続の意義を失い,終了した)。
(ハ)戦後我が国が国際社会に復帰するに当たっても,戦後処理としての賠償問題は避けて通れないものであった。我が国としては,過去への反省に基づき,アジア諸国との間に新しい友好協力関係を確立し,発展させていくためには,戦争中に与えた損害に対する償いをする必要があった。かかる観点から,我が国は,ビルマ,フィリピン,インドネシア及びヴィエトナムの4か国と賠償協定を締結した。
(2)朝鮮半島
終戦により,36年にわたる我が国の統治が終了した朝鮮半島では,南側において大韓民国政府の,北側において北朝鮮政府の樹立が宣言された。
我が国は,サン・フランシスコ平和条約発効とともに韓国を承認し,外交関係樹立のための交渉を開始した。この交渉はその後難航を極めたが,両国の国交正常化に対する熱意により,14年を経た65年12月に日韓両国の外交・領事関係が開設され,同時に,漁業,経済協力,文化等の諸協定も締結された。
67年には,「日韓定期閣僚会議」が開設され,その後,原則として毎年東京とソウルで交互に開催されてきている。このほか両国政府の実務レベルの会談には,貿易,農林水産,産業技術,文化交流,在日韓国人の待遇等,種々の分野のものがあり,緊密な協力体制が確立されるに至っている。
日韓間の貿易は,国交正常化以来急速に拡大し,84年の往復貿易額は65年の約52倍にあたる114.4億ドルに達した。
日韓関係においては,政府レベルの交流のみならず,貿易・経済を含む両国国民各界各層にわたる交流が緊密なものとなってきたが,経済協力,教科書問題等をめぐって問題がなかった訳ではない。このような個別問題はあったものの,両国の友好協力関係という基本は,確固として維持されてきた。83年1月の中曽根総理の訪韓及び84年9月の韓国元首の初の日本公式訪問である全斗煥大統領の訪日によって実現した歴史的な両国首脳の相互訪問は,戦後40年の日韓関係の発展振りを象徴するものであった。これを契機として,成熟したパートナーとしての日韓両国の永遠の善隣友好協力関係が世界的な視野で構築されることとなった。
我が国の朝鮮半島に対する政策を考えるとき,上述の日韓友好協力関係が基本となることは論をまたない。もっとも,休戦ライン以北に北朝鮮が存在するという現実があり,朝鮮動乱以降南北の対峙という状況が続いている。我が国としては,朝鮮半島問題が南北両当事者の直接対話を通じて平和的に解決されるべきであるとの立場に立って,その環境醸成に協力するとともに,北朝鮮との関係については,これまでの基本政策の下で,貿易,経済,文化等の分野における民間レベルの交流を維持してきている。
(3)中国
我が国と中華人民共和国との関係は,戦後,民間レベルの交流が行われてきたが,72年9月の,日中共同声明の発出とともに,日中国交正常化が実現した。我が国は,これ以後,中国との間に良好にして安定した関係を維持,発展させていくことを外交の主要な柱の一つとし,両国関係の発展を図ってきた。こうして,74年1月から翌75年8月にかけて,貿易,航空,海運,漁業の各協定が,また78年には,日中平和友好条約が締結された。これらの条約の締結は,日中間の往来面でも直ちに大きな影響をもたらし,その後の両国首脳レベルを含めた頻繁な人的往来の契機となった。83年には,中国の指導政党である中国共産党の胡ヨウ邦総書記が来日し,中曽根総理との間で,先に趙紫陽総理が提唱した「平和友好,平等互恵,長期安定」という日中関係を律する三原則に新たに「相互信頼」を加えること及び「日中友好21世紀委員会」の設立について意見の一致が見られた。翌84年3月には,中曽根総理が訪中し,中国首脳との間にこのような充実された四つの原則に従い両国関係を一層発展させる方途について,忌憚のない意見交換が行われた。
良好で安定した日中関係は,日中両国にとってのみならず,アジアと世界の平和と安定に寄与するものであるとの認識に立って,我が国は,中国に対し今後とも引き続き積極的に協力していくこととしている。
(4)東南アジア及びビルマ
(イ)戦後,東南アジアにおいては,民族独立運動がすすめられ,多くの新国家が誕生したが,50年代において,これら諸国間では,55年のバンドンにおけるアジア・アフリカ会議にみられるように政治的理念の追求に重点を置いた協力が進められていった。
(ロ)その後,60年代中頃になると我が国等の積極的支援もあり,東南アジア開発閣僚会議等を通じて域内の経済開発推進に重点を置いた地域協力の動きが活発化していき,67年8月には,インドネシア,マレイシア,シンガポール,タイ,フィリピンの5か国間において東南アジアの平和と繁栄の実現を目的として東南アジア諸国連合(ASEAN)が結成された。当初ASEANにおいては,域内の経済,社会,文化面での協力促進に重点が置かれていたが,インドシナにおける不安定な情勢に対応し,域内の安全保障確保のため政治面での結束も強められていった。84年1月には,ブルネイも加盟した。現在これら6か国は,カンボディア問題,国際経済上の多くの諸問題等に関しASEANとして一体の立場をもって臨んでいる。
(ハ)このように東南アジアにおいては,ASEANを中心として地域協力の進展がはかられてきたが,他方インドシナにおいては,不安定な状況が未だ継続している。
インドシナ三国においては,抗仏戦争を経て独立が達成され,54年のジュネーヴ協定により,いったんは休戦がもたらされたものの,その後のヴィエトナム戦争並びにカンボディア及びラオスでの紛争により戦闘が続いた。
三国における戦闘においては,一方では米国が,他方ではソ連及び中国が,それぞれの側の国または勢力を支援し,当時のそれら諸国間の関係も同地域の情勢に反映されていった。73年のパリ和平協定成立により米国はヴィエトナムより撤退し,その約2年後の75年にはプノンペン及びサイゴンが相次ぎ陥落し,ラオスにおいても左派が実権を掌握し,三国にそれぞれ社会主義政権が樹立された。
翌76年には南北両ヴィエトナムが統一され,インドシナ三国においては,ヴィエトナム戦争中の協力関係の進展が見込まれたが,ヴィエトナムのソ連寄り路線が明確になるに伴い中国の支援するカンボディアとヴィエトナムとの関係は,中ソ対立をも背景として急速に悪化していった。78年には,ヴィエトナムはカンボディアに侵攻し,民主カンボディアをプノンペンより放逐するとともに,79年1月には「カンボディア人民共和国」を擁立した。以降,カンボディア介入を続けるヴィエトナム側と民主カンボディア側との間の戦闘は依然続いており,また,中国とヴィエトナムとの間でも79年2月に中国がヴィェトナムに進攻するなど衝突が生じており,インドシナをめぐる情勢は東南アジアの平和と安定に大きな影を投げかけている。
(ニ)ASEANの発展及びインドシナにおける紛争の継続という現状下で,我が国は,東南アジアにおける平和と安定実現のために不可欠であるASEAN諸国とインドシナ諸国との間の平和共存関係の確立のために貢献していくことを東南アジア外交の基本としている。そのために,ASEAN諸国との関係の発展をはかる一方で,ヴィエトナム戦争終了後はインドシナ諸国との間においても積極的外交活動を展開し,また,カンボディア問題の発生後は,関係諸国との対話を通じその解決のための環境作りに努力してきている。
(ホ)また,我が国は,ASEANの安定及び発展が東南アジアひいてはアジア全体の重要な安定要因となっているとの認識の下に,ASEANとの間で貿易,投資,経済協力等の広範な分野で緊密な関係を維持,発展させてきている。
(ヘ)54年,我が国とビルマとの間に外交関係が樹立されて以来,両国間には友好的な関係が続いており,最近では,84年7月にサン・ユ大統領が国賓として訪日する等,両国間の相互理解が一層深められている。
(5)南西アジア
(イ)南西アジア諸国は,第二次世界大戦前は英国の支配を受けていた(ネパール,ブータンは戦前より独立を保持)が,戦後相前後して独立した。47年8月には英領インドがインドとパキスタンに分かれて独立した。
インドは独立以来一貫して非同盟政策をとっており,平和五原則を中国とともに推進するなど,第三世界において中心的な役割を果たしてきた。
インドは独立以来中国と良好な関係を維持していたが,国境問題をめぐり62年には大規模な武力紛争が起こった。
また,インド,パキスタン両国間には,独立以来,ジャンム・カシミール州の帰属をめぐって緊張状態が継続しており,47年,65年,71年には武力紛争にまで発展した。71年の紛争は,東パキスタンの独立運動を契機として起こり,その結果,東パキスタンはバングラデシュとして独立した。
従来,南西アジア地域はまとまりに欠けていたが,最近同地域7か国による南アジア地域協力の動きが進展している。
(ロ)南西アジア地域は,9億にも及ぶ人口を擁し,中東と東アジアを結び,インド洋を抱える極めて重要な地域である。
我が国は,この地域の動向がアジア全域ひいては世界の平和と安定に結び付いているとの見地から,同地域諸国に対し,積極的に経済・技術協力を行い,友好協力関係の増進に努め,同地域の安定強化に寄与してきた。とりわけ,ソ連のアフガニスタン軍事介入以降,南西アジア諸国との政治対話の活性化に努めてきたが,84年4月末から5月初めにかけて中曽根総理大臣がインド,パキスタン両国を我が国の総理としては23年振りに公式訪問し,故ガンジー印首相,ハック=パキスタン大統領と国際政治・経済の諸問題につき有益な意見交換を行った。また,11月の故ガンジー首相葬儀にも中曽根総理大臣は安倍外務大臣とともに参列し,南西アジア諸国の首脳の中ではうジーブ・ガンジー印新首相及びパキスタン,スリ・ランカ,バングラデシュの各首脳と会談した。
これらの首脳レベルでの対話を通じて,南西アジア諸国との友好協力関係を更に深め,我が国がアジアの平和と繁栄に貢献していく基盤が強化された。
(6)我が国の対アジア外交
(イ)上述の如く戦後のアジアは,複雑な様相を呈してきた。
アジアの安定化に寄与している要素としては,次の諸点が考えられる。
第一に,東アジアの開発途上諸国の多くは,最近,目覚ましい経済発展をとげており,今後ともその発展が十分に見込まれることである。経済的活力がアジア地域の繁栄に寄与し,ひいてはその平和と安定に,長期的意味において重要な貢献をなしていくであろうことは十分に期待し得る。
第二は,中国の対外政策である。同国は,「四つの近代化」実現のため,今世紀の終わりまでに工農業生産を80年の水準の4倍へと引き上げる目標を立て,このため大胆な経済改革を試み,また対外的には開放政策を積極的に推進している。着実に国家経済の発展に努めている現在の中国にとって,何よりも大切な前提は周辺地域の平和であり,同国の外交努力は,経済建設への専念を可能とする平和で安定した国際環境の醸成におかれているのは当然の帰結といえる。
このような中国の外交姿勢は,近隣諸国は勿論のこと,アジア全域ひいては世界の平和と安定にとり極めて大きな要素となっている。
第三は,ASEANの発展である。今日の東南アジア全体の平和と安定にとり,ASEAN諸国の団結の強化,その結果としての地域機構たるASEANの強化は極めて重要となっている。ASEAN全体として見れば,84年1月に新生独立国ブルネイを新たな加盟国に迎え,一層安定した地域協力機構として着実に発展を遂げており,かかるASEAN域内の協力の促進は,アジア全体の平和と安定にとっても重要な意味を有している。他方アジアには,朝鮮半島における南北間の対峙,厳しい状況が続く中越関係及び長期化しつつあるカンボディア問題等の不安定要因が存在している。最近のアジア地域におけるソ連の軍事的プレゼンスの増大は,かかる状況を一層複雑化させている。これらの諸問題の中には,東西関係に密接に関連しているものがあることは否定できないが,他方においてその多くは東西関係のみを以ってしては,とうてい律し切れない困難な問題を抱えている。
今後のアジアにおける我が国の外交努力の基本は,アジアの安定と発展に寄与する要素をできる限り助長させる一方で,不安定化の要素をできる限り抑止しつつ,後者に係わる諸問題の解決に資する環境を醸成していくことにあると言えよう。
(ロ)戦後,アジア諸国の多くは,種々の国内的問題を抱え,また国際関係の確執にも大きく左右されながらも,総じてその社会,経済的発展を着実に達成してきた。この地域の不安定化の要素を一掃し政治的安定を実現するための道のりには多くの困難があるが,これら諸国の発展への潜在性は,諸国民の叡知と努力により,さらに高められることは,戦後のアジア諸国のたゆまぬ歩みを顧みれば想像に難くない。
特にアジア・太平洋地域は,世界で最も活力に満ちダイナミックな発展を示しており,今後この地域が相重なり益々その政治的,経済的重要性を増していくものとして注目を集めている。
各国は,我が国が,自由民主主義諸国の一員,またアジアの一国として,アジアの平和と繁栄のために応分の役割を果たしていくことを期待しており,我が国としても,従前にも増して,そのための努力を払うことが要請されている。