第2節 大洋州地域
1. 大洋州地域の内外情勢
(1) 豪州
(イ) 内政
83年3月に連邦総選挙が行われ,ホーク新党首率いる労働党が,7年余ぶりに政権についた。州レベルでも,82年から83年初めにかけて,ヴィクトリア州,南オーストラリア州,西オーストラリア州で相次いで総選挙が行われ,いずれも労働党に政権交代した。
ホーク政権は,長期にわたった干魃の終息,世界景気の回復気運等幾つかの幸運にも恵まれ,総じて好調な政権運営の波に乗って1年目を終えた。
同政権は,現実的政策,国民的合意及び政策の継続性に重点をおき諸政策を取り進めてきており,国民の高い支持率獲得に成功している。
自由党・国民党の野党連合は,総選挙敗北後の態勢作りを行っているものの,フレーザー前党首に代わったピーコック自由党新党首のリーダーシップも確立されたとは言えず一種の無力感から脱し切れない状態にある。
(ロ) 外交
ホーク政権は,対米関係の基本的重要性の確認,対ソ関係の正常化,対中関係促進という基本的枠組みの中で,(i)アジア・太平洋地域との関係重視,(ii)外交自主性の強調,及び(iii)現実的な外交政策,を旗印として外交に取り組んだ。
ホーク首相は6月に訪米し,レーガン大統領との間で個人的信頼関係を確立した。ヘイドン外相も7月にワシントンでのANZUS外相理事会出席のため訪米した。同理事会では,ANZUS体制の重要性が再確認された。
ソ連との関係では,実務的な関係の維持に努め,この一環として対ソ貿易関係の見直しを行い,10月,豪・ソ経済混合委が5年ぶりに再開された。
中国とは,4月の趙紫陽総理の訪豪や8月のヘイドン外相,84年2月のホーク首相の各々訪中により豪新政権と中国との関係が固まった。
ASEAN諸国とは,ホーク首相がインドネシア(6月),タイ(11月),シンガポール,マレイシア(84年2月),またヘイドン外相がタイ(7月),インドネシア(11月),ブルネイ,フィリピン(84年2月)を訪問するなど関係緊密化が図られた。
この他,カンボディア問題に関し,7月ヘイドン外相がヴィエトナムを訪問し,84年3月,グエン・コー・タック越外相を豪州に迎える等解決への貢献の道を探った。
また,ホーク政権は軍縮に対し積極的な取組を見せ,8月南太平洋フォーラムで南太平洋非核地帯豪州案を提示した。
(ハ) 経済
81年から見られた景気後退は83年に入り更に悪化した。特に4~6月期にはインフレ率,失業率ともに二桁台を記録し,83年前半の豪経済は1930年代の大恐慌以来とも言われるほどの深刻な不況を示した。
こうした情勢下,ホーク新政権は,フレーザー前政権下のインフレ抑制第一主義を廃し,かわって物価と景気の同時解決を図るべく,インフレ対策としての物価・所得政策及び財政赤字拡大を主内容とする景気刺激策に踏み切り,豪の経済政策を大きく転換させた。すなわち,4月に全国経済サミットを開催し,物価・所得政策等の新政策に対する国民的コンセンサス形成に努力し,8月に議会に提出した83/84年度予算で歳出15.8%増,財政赤字84億豪ドル(対GDP比4.7%)の景気刺激策をとり,また,9月には,賃金インデクセーション制度への復帰を決定した。このように経済政策の転換が図られるなかで,(あ)7~9月期のGDPが対前年同期比4.4%増と大幅増を示し,ほぼ2年ぶりにプラスに転じたほか,(い)失業率も9月をピークとして減少に転じ12月には9.2%にまで低下を示す一方,(う)消費者物価についても4~6月期をピークとして以後低下を見せ始め,10~12月期には,対前年比8.6%増にまで改善を示した。こうして,豪経済は83年後半に入り,ようやくほぼ2年にわたった不況から脱し,景気回復過程に入った。
金融面では,3月に豪ドルの10%切下げが行われたが,その後豪経済が景気回復過程に入るにつれ,豪ドルは徐々に引き上げられ,11月に入り豪ドルの過小評価感から豪ドル切上げを期待した大量の投機資金が流入し,12月連邦政府はクローリング・ペッグ方式を廃し,完全フロート制へ移行した。
83年の国際収支は,経常収支の赤字を資本収支の黒字でカバーするという形で推移したが,年後半には資本流入が特に目立ち,外貨準備高は12月末には133億5,000万豪ドルと史上最高を記録した。
(2) ニュー・ジーランド(NZ)
(イ) 内政
与野党伯仲のもと,与党国民党政府は,マルドゥーン首相の主要施策に対する内部からの批判を抱え,困難な国政運営ながら,同首相の強い指導力により手堅く政権を維持した。他方,野党労働党は,83年2月の党首交替(ロンギ新党首選出)の後,世論調査では,一時期50%近い支持率を得たが,政策を巡る党内不一致により,その後支持率は40%前後に低下し,再び与野党僅差の状態が続いた。
(ロ) 外交
NZは,西側の一員として,西側諸国の結束を強調しているが,NZの外交政策の基本はむしろ対外貿易・経済政策にあると見られている。NZとしては,自国経済を維持し発展させるためには,農産品を中心とした輸出の維持・拡大が必要であり,先進工業国の農産物市場における保護主義の打開及び新市場の開拓を外交政策の基本に置いている。83年も,伝統的な西欧市場の確保に努める一方,我が国,米国,豪州などとの貿易・経済関係の一層の緊密化を図り,また,ソ連,中国,中近東,ASEAN諸国,中南米諸国などの市場開拓に努力を払った。とくに豪州との間では,3月に貿易経済関係の緊密化を図る協定(CER)に署名した。
NZは,また,南太平洋島嶼国との政治・経済関係を引き続き強化させている。また,マルドゥーン首相は,国際貿易・通貨体制の改革を目指して第2のブレトン・ウッズ会議開催を世界に向けて提唱した。
(ハ) 経済
NZ経済は,82年第1四半期にピークを迎えたあと,世界経済の不況の深化,豪経済の景気後退,さらには,対外収支の悪化による金融の逼迫,賃金凍結による実質可処分所得の減少等のため,景気が急激に悪化した。83年初めには底入れ期に入り,この状態がしばらく続いたが,82年6月から実施した賃金物価凍結令のため,9月以降インフレが急激に鎮静化したことから,新車販売をはじめとする消費や住宅投資等国内経済活動が回復し始めた。この結果83/84年度(4~3月)の実質GDP成長率は,前年度のマイナス0.2%からプラス1.5%になるものと見込まれている。
84年3月1日には物価凍結令が解除され,代わりに価格監視措置が1年間の期限付で導入された。
雇用情勢は,83年に悪化の一途をたどり,84年1月には過去最高の失業者数(76,000人,失業率6%)を記録したが,景気回復傾向とともに3月には大幅に減少した。
83/84年度の財政赤字は30億NZドルとなり,対GDP比で8.9%となった。
国際収支面では,主要貿易相手国の景気回復等から輸出が大幅に増加したのに対し,輸入が国内経済活動の不振により若干増にとどまったため,貿易収支が大幅に改善し,経常収支の赤字幅は減少した。他方,継続的な国際収支の赤字と“THINK BIG 政策”による大型プロジェクトの推進等により,対外債務も大幅に増加し,利払いのため貿易外収支の赤字幅拡大の大きな要因となっている。
(3) パプア・ニューギニア(PNG)
(イ) 内政
82年に発足したソマレ政権は,83年を通じて安定的に政権を維持した。オタク前首相は,7月の補欠選挙で議席を獲得後,野党党首となり,11月の内閣不信任案の提出等によりソマレ政権への攻撃を試みたが,成功しなかった。ソマレ政権の課題は,治安対策,経済政策,ラバウル火山爆発に備えた諸対策等であった。
(ロ) 外交
ソマレ政権は,PNGの伝統的政策である「普遍的外交」を維持しつつ,対豪関係を基軸とした外交政策を展開した。PNG外交の重要課題である対インドネシア関係は,83年12月のソマレ首相のジャカルタ訪問により強化されたものの,84年2月以降のインドネシア領イリヤン・ジャヤからの多数の不法越境者の流入が両国関係にとって新たな懸案事項となった。
(ハ) 経済
世界経済の緩やかな回復とともに主要輸出品の価格が上昇し,また3月のキナ切下げもあって,輸出収入が増加したため,経済は上向きの兆しを示したが,いまだ経済全般の回復には至っていない。物価は上昇傾向を続けているが,最低賃金上昇率を83年度以降3年間5%に抑える政策がとられ,また,キナ切下げによる急激なインフレも生じなかった。民間投資は,オクテディ鉱山開発関係投資を除き,目立った動きはみられなかった。
(4) フィジー
(イ) 内政
82年7月に行われた総選挙の不正の有無を調査する総選挙調査委員会が設立され,これをめぐって与野党間,人種間に感情的対立がみられた。また,12月には法案審議をめぐり野党が国会審議をボイコットするに至ったが,マラ首相の指導力の下,同政権は大筋安定的に推移した。
(ロ) 外交
83年の対外政策も,英連邦諸国及び日本,米国,アジア諸国等広く各国との友好関係拡大,及び南太平洋地域の域内協力の促進を軸として進められた。
また,核政策に関し,従来,原子力推進艦船の寄港を認めないとしていたが,7月,右方針を変更し,原子力推進艦船の寄港を認めることとした。
(ハ) 経済
フィジー経済の中枢である砂糖と観光の2大産業は,3月のサイクロンと引続く干ばつのため大きな打撃を受けた。このため実質経済成長率はマイナス6.6%(当初推定4.3%)となった。物価は,住宅費の高騰はあったものの,他は比較的緩やかで全体として6.8%増にとどまった。10月モナサヴ・ダムが完成し,エネルギー不安解消と火力発電用石油輸入の大幅軽減に役立った。貿易収支は前年に続き赤字であったが,観光収入や経済援助等を加えると国際収支は前年同様黒字であった。
(5)南太平洋地域
PNG,フィジー以外の南太平洋諸国では,キリバス,ナウル,ヴァヌアツでそれぞれ総選挙及び大統領選挙が行われたが,政権交代はなく,おおむね内政は安定して推移した。また,各国とも厳しい経済状況の下で,国造りの努力を進めた。
地域協力の動きとして,8月に第14回南太平洋フォーラム(SPF:South Pacific Forum)会議が,また,10月に第23回南太平洋委員会(SPC:South Pacific Commission)会議が,それぞれキャンベラ及びサイパンで開催された。SPF会議では,南太平洋非核地帯構想,フランス領地域の非植民地化,SPCとSPEC(南太平洋経済協力機関)の統合問題等が討議された。