4. 東南アジア諸国連合(ASEAN:Asscciation of South EastAsian Nations)
(1) 域内協力の状況
ASEANは,67年の設立以来,地域協力機構として着実に発展,今や,東南アジア地域の平和と安定にとって欠くべからざる存在となっている。84年1月には,ブルネイを新たな加盟国として迎え入れ地域協力の基盤を拡大した。
(イ) 政治面での協力
カンボディア問題の長期化に伴い,83年はASEANが腰を据えて政治解決を追求しようとした年であり,国際的関心の風化防止のために国際世論の喚起に努める一方,ヴィエトナムとの対話の糸口を積極的に模索した。すなわち,4月には,シティ=タイ外相がタイ・カンボディア国境からのヴィエトナム軍の30km撤退案を提示,9月にはASEAN外相共同アピールをもって,在カンボディア・ヴィエトナム軍の部分撤退についての具体的考え方を示した。このようなASEAN側の積極的な活動により,同年秋の国連総会でも民主カンボディアの国連代表権は無投票で維持されるとともに,外国軍隊の撤退及び民族自決を求めた「カンボディア情勢決議」が82年同様,圧倒的多数の支持を得て採択された。またASEANは,域内外相会議,高級官吏会合等の場を通じて,難民問題等カンボディア問題以外の諸問題についても,共通の立場の維持・確立に努めた。
(ロ) 経済面での協力
(i) ASEANの域内経済協力は,83年も工業プロジェクト,貿易,エネルギー等の諸分野にわたって進展した。10月にバンコックで開催された第15回経済閣僚会議では,関係閣僚会議や各種委員会(貿易・観光委,工業・鉱業・エネルギー委,食糧・農業・林業委等)から,それぞれの活動について報告を受け総括を行った。この会議では,これまで特恵の対象外だった食料品についても,今後その対象とし得るよう検討すること,及び対象品目の特恵マージンを84年3月から最大限50%まで段階的に拡大することが合意された。また,ASEAN諸国の企業が参加する合弁事業に対する関税率の50%削減等,優遇措置を決めたASHAN合弁事業の基本協定も最終的に了承された(11月の外相会議で正式に調印)。
(ii) このほか83年には,域内での輸入額が1,000万米ドル以下の品目について,20~25%の関税引下げが7~8月からすべての域内国で実施,タイ・マレイシア・シンガポール線のASEAN海底ケーブル・ネットワークが,9月に完成,ASEAN工業プロジェクトであるインドネシアの尿素肥料プロジェクトが84年1月に完成を見るなど,多くの分野で域内経済協力が結実した。
(2) 域外諸国とASEANとの関係
域外先進国との協力関係は,ASEAN拡大外相会議(日,米,EC,豪,加,ニュー・ジーランドが参加)を中心に,関係国との個別協議での意見交換等を通じ進展した。ASEANと域外先進国との間に開催された主要な会議は次のとおりである。
時期
会議名
開催地
83年2月~3月
3月
4月
5月
5月
6月
10月
11月
12月
12月
84年1月
ASEAN・EC産業会議
第4回ASEAN・EC閣僚会議
ASEAN・カナダ合同協力委員会
第2回ASEAN・米国セミナー
第6回日本・ASEANフォーラム
ASEAN拡大外相会議
第4回ASEAN・EC合同協力委員会
ASEAN・ニュー・ジーランド協議
日本・ASEAN科学技術関係閣僚会議
第5回ASEAN・米国経済協議
第8回ASEAN・豪州フォーラム
クアラ・ルンプール
バンコック
オタワ
サンフランシスコ
東京
バンコック
ブラッセル
ウェリントン
東京
マニラ
キャンベラ
(3) 我が国とASEANとの関係
(イ) 83年は我が国とASEANとの関係が一段と進展した年であった。4月末から5月にかけて中曽根総理大臣はASEAN5か国とブルネイを訪問,日本・ASEAN関係をより幅広いものとすべく,科学技術協力,プラント・リノベーション協力,青年交流の拡大等を提唱した。83年中,これらの課題は着実にフォローアップされた。
まず,(i)「プラント・リノベーション協力」については,11月に政府調査団を派遣し,各国の候補案件の内容,優先度等について協議を行った。(ii)「科学技術協力」については,12月,東京で日本・ASEAN科学技術関係閣僚会議を開催し,日本・ASEAN間の科学技術協力のための枠組みを作った。(iii)「青年交流」についても12月に協議調査団を派遣し,84年度から5年間にわたり計3,750名の青年を日本に招聘すべく,プログラムの調整を行った。
(ロ) このほか経済・技術協力の分野では,引き続きASEANを最重点地域として協力した。83年は,ASEAN人造りプロジェクトのうち最後まで残っていたシンガポールの生産性向上プロジェクトが確定,また我が国の資金協力の下に建設中であったASEAN工業プロジェクトのインドネシア肥料工場が84年1月に完成したことは特筆される。
貿易面では,日本・ASEAN間の貿易総額は,82年に比べ若干の落ち込みを見せたものの往復約324億ドルに達した。また,我が国は関税の引下げ,輸入制限の緩和等市場開放措置を実施し,ASEAN産品の輸入拡大に努力したほか,ASEAN諸国との協同運営によるASEAN貿易投資観光促進センターに対しても5億2,000万円を拠出した。
また,文化面でも,我が国の拠出したASEAN文化基金(50億円)は,順調に運用され,さらに83年度もASEAN奨学基金に対し100万ドルを拠出した。