7. 中近東地域

(1) 中近東地域は,世界の主要な原油供給源として戦略的重要性を有している。特に我が国は,原油必要量の約7割を依存しているのみならず,貿易及び投資先としても中近東諸国と極めて密接なかかわりを持っている。しかし,この地域はイラン・イラク紛争,レバノン紛争,中東和平問題等政治問題のほか,急激な経済発展により生じた経済・社会問題,石油需給関係の緩和に伴う財政収入の減少等種々の問題を抱えている。こうした諸問題が域内の不安定要因となり,ひいては,国際社会全体に大きな影響を及ぼす可能性もあるので,その動向には不断の注目を要する。

このような状況の中で,我が国は,経済・技術協力を通じ中近東諸国の国造り,人造りに積極的に協力するとともに人的交流,文化交流の強化を通じ相互理解の増進にも努めた。

(2) 中近東における我が国の経済的プレゼンスの増大に伴い,近年中近東諸国から我が国に対し単に経済分野だけでなく政治面でも積極的な役割を果たすことを要望する声が強まっている。このような期待にこたえるべく,我が国は,83年には,イラン・イラク紛争の早期平和解決に向けての環境作りのため,独自の役割を模索し,また,レバノン問題,中東和平問題解決についても機会あるごとに関係国と協議を重ねたほか,政治分野における外交活動に従来以上の比重を置いて対中東外交を推進した。

(3) 83年は,4月にフセイン・アラファト交渉が決裂,5月にPLO内紛が勃発するなど中東和平の気運は著しく後退した。また,レバノン情勢も9月以降,党派間の対立が激化し,悪化の一途をたどった。こうした不安定な情勢に対し我が国は,国際機関等の場あるいは関係当事国との対話を通じて,問題の平和的解決を訴えるとともに,関係当事者に対し柔軟かつ現実的な対応を行うよう要請した。

なお7月に開催されたレバノン援助国会議には我が国も参加し,主要先進国と協調しつつ,いかなる協力が可能か検討する旨表明した。

他方12月にはパレスチナ人を含むレバノン被災民に対し100万ドルの

イラン・イラク紛争と我が国の外交努力

(要人交流)

イラク

・安倍外務大臣訪問(83年8月)

・中山外務省顧問訪問(83年9月)

・中島外務審議官訪問(83年10月)

・アリ貿易大臣訪日(83年11月)

・波多野外務省中近東アフリカ局長訪問(84年5月)

・アジーズ外務大臣(アラブ連盟ミッション)訪日(84年5月)

・波多野外務省中近東アフリカ局長訪問(84年9月)

イラン

・アルデビリ外務次官訪日(83年6月)

・安倍外務大臣訪問(83年8月)

・タヘリ環境庁長官訪日(83年10月)

・中島外務審議官イラン訪問(84年1月)

・ヴェラヤティ外務大臣訪日(84年4月)

・波多野外務省中近東アフリカ局長訪問(84年6月)

・アジジ外交委員長訪日(84年8月)

・アルデビリ外務次官訪日(84年8月)

緊急援助を実施した。

(4) イラン・イラク紛争について,我が国は,8月の安倍外務大臣によるイラン,イラク両国訪問により両紛争当事国との間に政治対話のチャネルを確立し,その後も両国への外務省高官派遣,又は両国からの要人受入れ等を通じ話合いを続け,紛争の拡大防止及び早期平和的解決の方途を模索した。これは,イラン,イラク両国とハイレベルで話合いを行い得る我が国独自の立場を活用した積極外交の一例であり、また従来とかく経済分野に偏りがちであった我が国の対中東外交の幅を広げるものであり,大きな意義を持つものであった。

我が国は84年に入ってからもこうした努力を続けているが,我が国の対イラン,イラク政策は,元来紛争の調停・仲介を意図したものではなく,紛争の拡大防止及び紛争の早期平和解決のための環境作りを主眼とするものである。またこのような我が国の外交努力は各国からも高く評価されている。

このような考え方に基づき83年に我が国が行った具体的な外交努力は次のとおりである。

(イ) 6月,イランからアルデビリ外務次官を迎え東京で第2回日本・イラン・ハイレベル対話を開催。日本側から,イランとの協力関係増進のためにも紛争の早期終結が肝要として和平を働き掛けた。

(ロ) 8月,安倍外務大臣のイラン,トルコ,イラク訪問。イラン,イラク両国政府首脳に紛争の早期平和的解決の必要性と拡大防止のための努力を直接働き掛けた。

(ハ) 9月,国連総会の機会にイラン,イラク両国外相と各々外相会談を開催。フランスによるシュペール・エタンダールの対イラク供与を巡り湾岸情勢が緊迫しつつあった時期であり,主として紛争の拡大防止に力点を置いて両国の自制を要請した(9月の中山外務省顧問のイラク訪問及び10月のタヘリ=イラン環境庁長官訪日の際にも同様の働き掛けを行った)。

(ニ) 10月,イラクがIJPC(イラン日本石油化学)プラントヘの爆撃を警告したことから,急拠,中島外務審議官を派遣し,イラク側の配慮を求めた。

(ホ) 11月,イラクからアリ貿易相を迎え第4回日本・イラク合同委員会を開催。改めてイラク側にIJPCへの攻撃回避と紛争の拡大防止のための努力を要請した。

(5) 84年2月にイラン側地上攻勢が始まり,また,その後イラク側の船舶攻撃が激化し,両国によるタンカー攻撃が頻発する等情勢は悪化したが,我が国は引き続き活発な対イラン・イラク外交を展開し,ペルシャ湾における安全航行確保等の面で両当事国に働き掛けを行った。

(6) 83年2月ペルシャ湾のノールーズ油田から原油が流出し,一時期汚染の危機が湾岸各国を襲ったが,我が国は,ペルシャ湾地域の重要性にもかんがみ,4月初旬各国に先がけて湾岸4か国に政府ミッションを派遣し,我が国としていかなる協力が可能かを打診した。このような我が国の積極的な姿勢は湾岸諸国から高く評価された。

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