第2章 1983年の世界の主要な動き

1. 全般的特徴

(1) 国際情勢は近年とみに流動性と不安定性を増してきているが,これは緊張と対立をはらむ半面,新たな均衡への模索の過程にあるとも言える。その主たる特徴は次のとおりである。

(イ) 70年代における米ソの力関係の変遷を背景に,国際情勢の基軸を構成する東西関係の枠組み,とりわけ東西間の軍事バランスが以前とは異なってきている。その中にあってウィリアムズバーグ・サミット及びロンドン・サミットで示された自由民主主義諸国の結束が,東西間のより安定した関係の構築に寄与するものと期待されている。一方,ソ連としては,短期間に2度の政権交替を経て,首脳部がいまだ強力な指導力を発揮できるような状況にはないこと,また,84年11月の米大統領選の結果,英国,西独等にみられる保守化傾向の成り行きを見極める必要があることなどから,当分の間,明確な対西側政策が打ち出される可能性は少ないものと思われる。

(ロ) アフガニスタン,カンボディア,イラン・イラク紛争等の地域的な軍事対立が解決を見ることなく推移する一方,中東,中米等では新たな地域レベルでの緊張の高まりが生じ,こうした地域レベルの緊張も国際情勢を不安定にさせる要因となっている。

(ハ) 国際情勢全般に多大な影響を与える米ソ,中ソ,米中関係には流動的な面があり,それぞれの関係の雰囲気が短期間に変転する傾向を示してきた。なお米中間には一時ぎくしゃくとした関係がみられたが,その後両国首脳の相互訪問等を通じ安定化の方向に向いつつある。

(ニ) 東西関係が緊張した中で,アジア・太平洋地域の重要性,極東の戦略的重要性が強く認識されつつある。

(ホ) 世界経済においては先進国経済は破行性はあるものの,おおむねインフレなき景気回復の道を歩んでいるが,他方開発途上国経済は一部アジア諸国に景気回復が見られるものの,依然として累積債務問題をはじめとする多くの問題に直面している。

(2) 東西関係は,70年代には緊張緩和の雰囲気の中で,その重要性が閑却されがちであったが,その後の情勢の推移によって,依然として国際情勢の動向を決定づける基本的要因であり,西側としても現実的に対処すべきであるとの認識が改めて強まった。

70年代の東西関係を特徴づけた緊張緩和政策は,米ソ両国が戦略核兵器による相互確証破壊能力を有することによって,東西間に「恐怖の均衡」が存在することが一つの理論的根拠となっていた。そして西側にはこのような前提がある以上,東側もこれにこたえて,勢力バランスの変更を求め,国際緊張を高めるような行動は自制するであろうとの期待が存在していた。もちろん緊張緩和政策の選択に対するこのような戦略的理由づけの背後には,西側内部の政治的・経済的・社会的諸事情から生じた希望的観測に基づく面もあったことは否めない。この期待に反し,ソ連は,この期間を通じて一貫して核及び通常戦力両面における大幅な軍備拡張に乗り出し,その勢いは今なおとどまるところも明らかでない。また,ソ連はこの軍事力を背景に第三世界の各地に進出し,79年にはアフガニスタンに侵攻するに至った。

こうした一連の動きは西側諸国の危機意識を高めた。特に米国にとってはソ連の軍備拡張に対応することが緊急の課題となり,既にカーター政権末期には,抜本的な軍事力増強計画を始め,続くレーガン政権は「力と威信の回復」という基本目標を推進する姿勢をとっている。また,先進民主主義諸国全体としても,英国,西独等の保守化の傾向,現実主義的な政策姿勢とも相まって,次第に共通の対ソ認識が形成されてきており,5月のウィリアムズバーグ・サミットの政治声明では,先進民主主義の基盤となっている自由を守るためにいかなる脅威にも対抗し,平和を確保するために十分な軍事力を維持し,併せて真剣な軍備管理交渉を行うことが述べられている。このような自由主義陣営の姿勢は,欧州におげる中距離核ミサイル配備問題において具体化され,11月ジュネーヴでの米ソINF交渉の合意不成立を期に,西側は79年NATO決定に従いパーシングII,巡航ミサイルの欧州配備に踏み切ることとなつた。この米国ミサイルの西欧配備問題を巡つて一部西欧諸国においては,反核運動の活発化が見られたが,西側の対ソ政策に大きな影響を与えるには至つていない。

今後ソ連としては,大きく言つて,70年代に築いた相対的な優位をある程度捨て,西側との協調を求めるか,あるいは今後更に一層の軍備拡張への道へ進むかという,二つの方向の間で選択を行つていくこととなる。戦略兵器交渉を通じる米ソ間の対話は,従来米ソ関係の最も重要な柱であり,今回の中断に至るまでは,過去においていかなる事件によつても妨げられることはなかつた。したがつて,今後ソ連が長期間にわたり,実質的な意味の対話拒否を続けることとなれば,米ソ関係がかつてない緊張関係に入ることとなるので,その可能性が大きいとは考えにくく,いずれは対話を求めての動きが出て来ると見られる。ただし現在のソ連内政を見るに,アンドロポフ,チェルネンコと短期間に指導者が交代し,強力な指導力を発揮しうる状況にあるとは言い難く,西側に譲歩を行つたとの姿勢をとることは,国内的にも困難と思われる。またソ連としては,自由主義諸国の現在の対ソ姿勢がいつまで維持されるか,西欧に出現した反核平和運動の効果にどこまで期待できるか,見極めたいところであろう。このため,自由主義陣営として受入れ可能な政策が打ち出されるにはなお時間がかかるものと思われ,その間ソ連から対米批判が繰り返されることとなるのではないかと見られる。

(3) このような東西関係の緊張が国際情勢の動向に投影する中で,アジア・太平洋地域の重要性が世界的に注目を集めるようになつた。近年の世界的経済停滞下にあつて,極東及びASEAN諸国は順調な経済発展を示しており,その重要性が高まつている。このような中でソ連は,70年代後半における米中ソ関係の変化,インド洋・南シナ海の重要性の増大等に伴い,従来極東ソ連軍,特に太平洋艦隊を大幅に増強してきていたが,近年特に対米戦略的意味の大きいSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を増強したこともあり,極東は米国自身の安全保障に直結した地域として,その戦略的重要性が一層強く認識されるに至つている。

(4) また東南アジア,中東等における地域レベルの軍事的対立が解決を見ないまま推移する中で,83年後半には,ソ連による大韓航空機撃墜事件(9月),ラングーンでの韓国大統領一行に対する爆弾テロ事件(10月),在ベイルート多国籍軍に対するテロ事件(10月),イスラエル軍司令部(ティール)に対するテロ事件(11月)等武力又は暴力の使用による事件が相次いで発生した。

このような諸事件は,いずれも国際情勢の中に伏流する緊張や不安定要因が時として表面化したものであり,その扱い方いかんでは,更に大きな,場合によつては東西関係にも影響する事態に発展する危険をも内蔵しているものであり,国際情勢の先行きには楽観を許さないものがあることの証左であると言えよう。現に中米においては,グレナダ事件,ニカラグァを巡る情勢等,偶発事件の域を越えて,東西間の緊張と対立を反映するような地域的紛争が起こつている。

(5) 現在の国際情勢が不安定なものとなつている原因の一つには,軸となる米ソ関係,さらには中ソ関係,米中関係等に流動的な面があり,それぞれの関係の雰囲気が短期間で変転を重ねている点も指摘される。すなわち,米ソ関係では戦略上の対立,中ソ関係では中国及び周辺地域の安全保障を巡る諸問題,米中関係では両国首脳の相互訪問等関係改善への動きも顕著であるが,台湾問題が依然根底に存在していることなど,各大国間関係にはそれぞれの関係そのものを揺るがしかねない解決困難な諸懸案が存在しており,その中で対外関係,国内事情等の各種考慮から変化を目指す動きが出るため,流動的なものとならざるを得ないのである。

(6) 低迷を続けていた先進国経済は,83年に入り米国の力強い景気回復に主導され,インフレ鎮静化,石油価格低下等の好ましい要因も伴つて,ようやく回復の歩みをたどり始めた。しかしながら,先進国の中でも回復の程度には各国により跛行性があり,また高金利,財政赤字,失業(特に欧州)等,インフレなき持続的成長達成のために解決されねばならない問題が多い。また,これらの問題の根底には,財政支出の肥大化,労働市場や産業構造の硬直性等の構造的な問題があり,中長期的視点からの取組が必要とされている。

一方多くの開発途上国においては,一次産品市況の不十分な回復や累積債務問題等を背景に経済の低迷状況が依然として続いており,緊縮政策による開発計画の遅延や社会的緊張を強いられている。このような状況の中で開かれた第6回UNCTAD総会(6月)は深化する南北間の相互依存関係を改めて確認したものの,南北問題に関する新たな国際協力の方向づけを出すに至らなかった。

世界貿易は83年は数量では微増となったものの,地域別には跛行性が見られ,また各国の厳しい雇用情勢等を背景として保護主義的な動きには根強いものがあった。このような中で開かれたウィリアムズバーグ・サミット(5月)においては,保護主義に歯止めを掛けること,また景気回復の進行に伴い貿易障壁を撤廃していくことにより保護主義を巻き返すことにつき合意が得られたが,その具体的実現は容易ではなく,今後とも各国の動きに注視していく必要がある。

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