第2節 通商問題

1.ガット

(1)82年は,ガットにとって,世界的な経済困難を放置しておけば戦後世界経済が依拠してきた大きな柱である自由貿易体制の土台が切り崩されかねないとの各国共通の問題意識に立って,保護主義防圧及び将来に向けての貿易体制の強化のために努力した年であったと言えよう。この活動は,81年総会(11月)における決定を受けて,11月24日から29日未明にかけて88か国の代表を集めて開催されたガット閣僚会議(東京ラウンド開始を決定した東京閣僚会議以来9年ぶり)実現に集約された。閣僚会議の主要な目的は,(1)自由貿易体制の維持,強化を図り保護主義の防圧への強いコミットメントを行う,(2)当面の懸案の解決への道を開くとともに,ガットが取り組んでいくべき個別問題に対する作業計画を作成することであった。

(2)我が国は自由貿易体制に立脚し,その恩恵を最も強く受けている一国として,閣僚会議準備作業の進捗に努めるとともに,会議においても櫻内外務大臣を長とする代表団が,会議の取りまとめに積極的に貢献した。また,このような努力の一環として・会議開催前に吉野政府代表をASEAN諸国に派遣し,これら諸国との意見調整に努めた。我が国の閣僚会議に臨む基本的立場は,(イ)政治レベルにおける多角的,開放貿易体制に対するコミットメントの再確認を行い,もって一国の保護主義が他国の保護主義を生むといった保護主義の「悪循環」を断ち切り,「保護主義防圧→経済の回復」という言わば「良循環」を生み出すこと,(ロ)ガットの多角的貿易ルールの機能の一層の強化拡充のために今後のガットの作業計画等を確立すること(特にセーフガード分野,紛争処理手続等),(ハ)80年代ないしそれ以降を見通したガットの対応を検討すべくサービス,ハイテク等新たな分野の貿易について,将来における健全な貿易の姿を今から追求するためにガットとしての積極的な取組みにつき合意することであった。

(3)会議は各国が抱える種々の経済的困難の重さをも反映して,政治宣言の書きぶり,農産品輸出補助金(米・EC間対立),セーフガード,サービス貿易,ハイテク等の取扱いを巡って各国の主張が複雑に絡み合い,取りまとめは難航を極めたが,結局,閣僚宣言が採択された。各国とも取りまとめのための努力を最後まで放棄することなく,単一の最終宣言につき合意を見たことは,ガットに基づく自由貿易体制を維持していく必要があるという各国の固い決意の現れと言えよう。宣言においては,保護主義措置の巻返し,各重要項目についての合意が得られ,これらは具体的成果と言える。今後の問題としては,閣僚会議において敷かれたレールに沿って,閣僚会議で得られたモメンタムを失うことなく,その具体的成果を積み上げていくべく,各国が一致して一層の努力をガットの場において行っていくことが重要である。

2.OECD

(イ)5月の閣僚理事会において,貿易については,保護主義に抵抗する共通の努力の必要性,及び短期的な問題を開放的で多角的な貿易システムの枠内で解決する必要性につき合意された。また,81年の閣僚理事会の指示に基づき,OECDが総力を挙げて取り組んだ「1980年代の貿易問題」スタディは,今後10年間の世界経済の変化の中で起こり得るべき貿易及び貿易関連の諸問題を各種の経済問題との接点において研究したものであるが,閣僚理事会は同スタディがこうした問題に対する国際協力の強化に貢献するものとして歓迎した。

(ロ)貿易委員会においては,80年の閣僚理事会で採択された「貿易宣言」のフォローアップとして過去1年間各国において新たにとられた伝統的及び非伝統的な貿易措置につきレビューが行われたほか,開発途上国との貿易関係,東西貿易等について検討が行われた。

(ハ)サービス分野の貿易について79年から進められていたパイロット・スタディのうち,貿易委員会が担当した建設・エンジニアリング部門の貿易障害の実態調査,分析作業は一応終了した。その他の銀行,保険,海運等の各部門における研究結果についても83年末までに順次報告がなされる予定である。

(ニ)82年3月から行われた輸出信用アレンジメント改訂交渉の結果,83年5月1日までを期限とする新ガイドラインが合意され,改訂交渉は再び83年3月に開始された。

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