第2節 大洋州地域

1.大洋州地域の内外情勢

(1)豪州

(イ)内政

82年に入り,フレーザー政権は自由党内におけるフレーザー首相とピーコック元外相とのリーダーシップ問題,経済情勢の悪化等により徐々に支持率が下降し,こうした中でフレーザー首相は4月に自由党臨時両院議員総会を開催し,党首再選を果たした。他方,労働党内でもヘイドン党首とホーク議員との間でリーダーシップ争いが先鋭化し,7月に同党両院議員総会においてヘイドン党首が再選された。

このように,与野党の情勢は流動的に推移したが,83年に入り,労働党では党首がホーク現党首に交代し,3月には連邦総選挙が行われ7年余ぶりに労働党が政権に就いた。州レベルにおいても,82年から83年初めにかけてヴィクトリア州,南オーストラリア州,西オーストラリア州で相次いで総選挙が行われ,いずれも政権が労働党に交替した。

(ロ)外交

82年の豪州外交は,引き続き西側諸国の結束への協力と対米協調を中心とし,豪州の国力に応じ積極的に国際政治の舞台でその役割を果たしていくとの方針にのっとり進められたと言えよう。

米国との関係では,5月にブッシュ副大統領が訪豪し,その直後にフレーザー首相が訪米しレーガン米大統領と会談するなど,緊密な対話が維持された。また,6月にはキャンベラにおいてANZUS理事会(米国,豪州,ニュー・ジーランドの外相レベルが出席)が開催され,防衛問題以外にも幅広い分野における意見交換が行われた。

アジアとの関係では,3月にアンソニー副首相がマレイシア,ビルマ,5月にフレーザー首相が日本,韓国,8月にフレーザー首相がマレイシア,中国,シンクレア国防相がフィリピンをそれぞれ訪問したほか,6月にはストリート外相がシンガポールで行われたASEAN拡大外相会議に参加するなど,特に近隣諸国を中心として対話が進められた。

その他,1月にガーリック国家開発・エネルギー相がサウディ・アラビア,3月にストリート外相がイスラエル,エジプト,6月にシンクレア国防相がサウディ・アラビアと相次いで豪州要人が中東諸国を訪問し,活発な対中東外交を展開した。

また,国際経済の面でも積極的な役割を果たすとの姿勢をとり,特に,フレーザー首相が保護主義防圧のための提案を行い,これを実現するために,ヴェルサイユ・サミットを前に,我が国,米国,カナダを訪問して各首脳に呼び掛げるなど,様々な外交努力を行った。

(ハ)経済

81年央まで資源ブームと言われるほどの活況を呈した豪州経済は,82年に入り,世界経済の低迷等の影響により停滞色を強めた。民間設備投資,住宅投資,実質可処分所得は低迷し,非農業部門の生産の伸びは停滞した。

また,史上最悪と言われる干ばつに見舞われ,農業部門の生産は大幅な減少を見た。かかる経済情勢の下で「家族のための予算」と銘打たれた82/83年度予算は,歳出の伸び率が歳入の伸び率を上回ったものとなり,17億ドルの財政赤字を予定し,従来のインフレ抑制第1の予算を若干緩和したものとなった。また,金融面では従来のタイトな運営から慎重ながら中立的な運営姿勢に転じた。81年7月の賃金の物価スライド制の廃止後,82年に入り賃金上昇に弾みがつき物価も賃金上昇の影響を受け10~12%の二桁台の伸びを見た。政府は物価高騰の主要因である根強い賃金上昇圧力を緩和させるため,82年12月最低6か月の賃金凍結を導入した。雇用情勢は,国内経済活動の停滞を反映し,前年に比し一段と悪化し9%台に達した。

国際収支面では世界経済の低迷の影響に伴う輸出の停滞により,貿易収支は81年に引き続き赤字となったのをはじめ,経常収支は81年より更に赤字幅を拡大し,84億ドルに達した。なお,豪州は83年3月ニュー・ジーランドとの間に貿易経済関係の緊密化を図る協定(CER: Australia New Zealand Closer Economic Relations Trade Agreement)に署名し,83年1月にさかのぼって施行した。

(2)ニュー・ジーランド(NZ)

(イ)内政

与野党伯仲の下,与党国民党政府は,マルドゥーン首相の主要施策に対する内部からの批判も抱えながら,困難な国政運営の側面も見られたものの,同首相の強い指導力により手堅く政権を維持した。一方,その支持率がおおむね40%前後と与党と僅差で競い合いながら,党内リーダーシップ問題もあり,今一つ国民の支持に伸び悩みを見せていた野党労働党は,83年2月の党首の交替(ランギ新党首選出)の後,50%台の支持率を得るに至った。

(ロ)外交

国際政治の面では,NZは西側の一員として西側諸国の結束を強調しているが,NZの外交政策の基本はむしろ対外貿易・経済政策にあると見られている。NZとしては,自国経済を維持し発展させるためには,農産品を中心とした輸出の維持・拡大が必要であり,この必要性は英国のEC加盟,石油危機以降ますます高まってきていることから,先進工業国の農産物市場における保護主義の打開及び新市場の開拓を外交政策の基本に置いていると言えよう。82年においても,伝統的な西欧市場の確保に努める一方,我が国,米国,豪州などとの貿易・経済関係の一層の緊密化を図り,また,ソ連,中国,中近東,ASEAN諸国,中南米諸国などの市場開拓に努力を払った。殊に豪州との間では,83年3月に貿易経済関係の緊密化を図る協定(CER)に署名した。

NZは,また,南太平洋島嶼国との政治的・経済的関係の強化に意を用い,8月には南太平洋フォーラム(SPF: South Pacific Forum)会議を主催するなど積極的な外交を展開した。また,マルドゥーン首相は,国際貿易・通貨体制の改革を目指して第2のブレトン・ウッズ会議を開催することを世界に向けて提唱するなど,広く国際経済問題に対する取組みを見せている。

(ハ)経済

81年に比較的高い成長を見たNZ経済は,82年に入り停滞の局面に入った。高いインフレ率と賃金凍結による実質可処分所得の縮小で個人消費は落ち込み,更に設備投資,住宅投資等が低迷した。かかる非農業部門の低迷に加え,農業部門の生産も低迷した。前年に引き続き高騰を続けた物価は,賃金物価等の凍結(6月政府は,1年間の賃金物価等の凍結を決定),景気の後退,信用の引締め等で年末に向かうに従い徐々に落ち着きを見せた。しかし,雇用情勢は,国内経済活動の停滞を反映し,更に悪化した。政府は82/83年度予算において,所得税表の大幅改訂による所得税の減税を実施した。国際収支面では世界経済の低迷により輸出は伸び悩み,他方81年の消費拡大の影響を受けて輸入は大幅に増加し,この結果,貿易収支の黒字幅は81年に比し大幅に縮小するとともに,経常収支の赤字は大幅に増加した。国際収支の赤字を賄うための政府借入れ,一連の長期・大型経済開発プロジェクト(Think Big Project)遂行のための民間資金の借入れ等で海外からの借入れは大幅に増加し,他方債務返済額もまた大幅に増加した。

(3)パプア・ニューギニア(PNG)

(イ)内政

6月,任期満了に伴う総選挙が行われ,ソマレ党首が率いるパング党が勝利を収め,約2年半ぶりに政権の座に返り咲いた。チャン前政権の敗因としては経済不況の影響,連立与党内の歩調の乱れ,ソマレ氏個人の人気回復等が挙げられよう。

ソマレ首相は8月の首相就任後,当面は内政重視の方針を打ち出し,国内経済の立直しに重点を置く旨表明した。

(ロ)外交

ソマレ新政権は外交政策の見直しを行ったが,対豪関係を外交の基軸とするとともに,南太平洋諸国との関係重視の基調に変化はなく,加えて我が国を含むアジア諸国,米国との関係は更に重視していく姿勢を明確にした。

(ハ)経済

主要輸出産品の輸出不振と輸出価格の低迷並びに財政金融面における引締め等でPNGの経済活動は停滞した。物価は比較的安定して推移したが,他方雇用情勢は,国内経済活動の停滞で更に悪化した。国際収支面では,オクテディ鉱山開発関連資材の輸入が増加したため,貿易収支は大幅な赤字となるなど厳しい状況にあった。

(4)フィジー

(イ)内政

7月,任期満了に伴う総選挙が行われ,マラ首相の率いる同盟党が僅差で野党国民連盟党(インド系)を破り,向こう5年間政権を維持することとなった。マラ首相は野党との勢力伯仲を踏まえ内政に重点を置き,足場固めに努める旨表明した。

(ロ)外交

82年の対外政策も英連邦諸国,特に英国,豪州,NZとの緊密な関係維持を基調としつつ,日本,米国,アジア諸国等広く各国との友好関係拡大及び南太平洋地域の域内協力に努めた。また,10月には第3回英連邦首脳地域会議の主催国となった。

(ハ)経済

農林水産業をはじめ,各部門で一般に生産活動は低迷した。フィジー経済の中枢を占める砂糖及びココナツ油の生産は伸びを見たものの,他の農水産物の生産は低迷した。物価の上昇率は,一桁台に低下したが,失業率は10%台の高水準で推移した。貿易収支の赤字は前年比大幅に縮小したが,輸出面では,国際糖価の下落で,砂糖の輸出額は減少した。観光収入が大幅に増加した結果(対前年比16%増),総合収支は黒字に転じた。

(5)南太平洋地域

パプア・ニューギニア,フィジー以外の南太平洋島嶼国については,西サモアで3度の政権交代があったほか,ヴァヌアツ,キリバスでも政局に不安定な面が見られたが,ソロモン諸島,トンガ,トゥヴァル,ナウルでは,おおむね内政は安定して推移した。また,各国とも厳しい経済状況の下で,国造りの努力を進めた。

地域協力の動きとして,8月に第13回南太平洋フォーラム会議が,また,10月に第22回南太平洋委員会(SPC: South Pacific Commission)会議がそれぞれニュー・ジーランド及び米領サモアで開催された。SPF会議においては,フランス領地域の非植民地化問題,核実験・核廃棄物海洋処分問題,地域協力問題等を含む諸問題につき,またSPC会議においては核廃棄物等に係る南太平洋地域環境計画等を含むSPC年間事業計画,SPCとSPECの関係等が討議された。81年のSPF会議における合意を踏まえ,非植民地化問題に関しフランス政府と討議するためマラ=フィジー首相を団長とする代表団が3月,フランスを訪問し,ミッテラン大統領と会談した。

また,漁業面の協力に関するナウル協定が2月にPNG,ソロモン諸島,キリバス,ナウルを含む7か国政府の間で署名され,各国が各々批准手続を取り進めるなど発効に向けて動きが見られた。

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