第2節 世界経済の安定的発展への貢献及び南北問題解決への努力
1.不況脱出と自由貿易体制の維持に向けての努力
(1)82年の世界経済の動き
(イ)先進工業国
第2次石油危機を契機として世界経済は不況局面を迎えたが,82年に入っても先進国経済は更に停滞し続け,米国をはじめとする主要先進国では逆に一段と不況色が強まり,OECD全体としては0・2%のマイナス成長を記録するに至った。
このような不況の長期化の過程において,一次産品市況の軟化,賃金コストの上昇率の鈍化に加え,大部分の主要国が第1次石油危機時からの教訓を生かしインフレ抑圧を経済政策の基本として引締め的政策のスタンスを堅持したことから,物価上昇は総じて鈍化(ただし,フランスについては当初ミッテラン政権が強気の拡大策をとったため,高水準の物価上昇が続いた),また,名目金利についても,特にアメリカFRBが年央以降金融政策のスタンスを微妙に変化させたことと,米国における物価上昇の顕著な鈍化を反映して低下し始め,さらに西独,英国等においても着実に金利は低下したが,実質金利は依然として高水準にとどまった。
物価が総じて騰勢鈍化を続ける一方で80年以降悪化を続けた先進国の雇用情勢は,82年に入ると不況の長期化を反映して一段と厳しいものとなり,各国の失業者数は,12月にはアメリカで1,200万人(10.8%),EC10か国で1,180万人,OECD全体で3,200万人近くに達し,戦後最悪の状態に陥った。
他方,第2次石油危機による石油価格上昇のため79年,80年と大幅に悪化した先進国の経常収支は81年に入り総じて均衡化に向かったが,82年には各国の景気動向,政策スタンスの相違等から国によっては跛行的となり,特にフランスについては当初の拡大策から輸入が伸びて帳尻を悪化させた。
(ロ)開発途上国
非産油途上国の経済は世界景気の長期的停滞の中で,81年に実質GDPベースで2.4%と低成長に陥ったことに続き,82年にはそれを下回って0.9%と戦後最低の水準となった。このような低成長となった主要因は,世界経済の低迷を反映して,一次産品価格が低下傾向にあったことに加え,82年には輸出数量の減少が加わったためである。輸出の不振に加え,高金利による対外利払いが増加したことから国によっては一挙に債務問題が深刻化した。
他方,石油輸出国についても,世界経済の長期的低迷から石油需要が大幅に減少し,これを反映してOPECの生産量は82年には1,844万B/Dと対前年比18%減となったことに加え,81年末にはスポット価格は前年末の34.2ドル/Bから29ドル/Bへと低落(基準価格は83年3月になってバーレル当たり5ドル引き下げられ29ドルとなった),OPEC諸国の経常収支は前年の600億ドル程度の黒字からほぼ収支均衡の状態となったものと見られ,さらに石油輸出度の高い国ほど成長率の低下が顕著となった。
(ハ)東側諸国
中国では穀物生産が前年を上回り,農業生産全体で11%という記録的成長を遂げ,他方,工業部門でも対前年比7.7%と回復して農工業総生産は目標成長率の4%を超えて8.7%の成長を遂げた。
他方,ソ連では穀物生産が4年連続の不作となり,工業生産面でも目標(4.7%)を大きく下回って2%台の成長にとどまるなど全般的な不振が続いた。
東欧諸国でも農業生産,鉱工業生産の不振が続いており,経済計画の目標を下げる傾向が見られた。
(2)縮小する世界貿易と保護主義の高まり
世界貿易は81年に約2兆ドルと対前年比約1%の減少を示したが,82年に入ると世界経済の長期停滞を背景として1兆8,000億ドルと対前年比6%の減少となり,ほぼ79年の水準にまで落ち込んだ。これは特に鉱業産品(主に原油)の7%減少,工業製品の1%の減少が大きく影響している。
先進工業国の輸出金額は対前年比-5%,輸入金額は-6%となったが,OPEC諸国についても石油を中心とした輸出金額は20%減少,輸入金額も3%減少した。
このような世界貿易の縮小傾向には単に世界経済が低迷していることのみならず,深刻な経済不振と戦後最悪の失業率を背景として台頭し始めた保護主義圧力の高まりがあずかっている。
主要先進国のうち,米国では議会を中心に保護主義圧力が高まり,数多くの相互主義法案が提出され,また,輸入車に一定率の国産部品の使用を義務付けるローカル・コンテント法案が提出された。さらに欧州諸国では開発途上国からの繊維輸入に対して規制が強化されたほか,例えばフランスではビデオ(VTR)についての通関業務がポワチエに集中されたほか,輸入関連書類への仏語使用の義務付け等いわば偽装された制限措置が導入された。
同時に先進諸国間では米欧間で対ソ輸出規制,鉄鋼,農産物問題を巡って対立が生ずる一方,我が国との間でも大幅な貿易不均衡を背景として米国,欧州との間で貿易摩擦が起こった。
このような保護貿易主義的措置の広がりは単に先進工業国にとどまらず,債務累積問題の深刻化あるいは国際収支上の困難の深刻化から開発途上国の多くも国際収支擁護のための輸入制限措置を導入したほか,カウンター・パーチャス等の政策を広く採用することとなった。
(3)深刻化した債務累積問題
開発途上国の累積債務は82年末で71年の約7倍の6,260億ドルにも達し,年間返済額も1,313億ドルに及んでいる。特に82年には,有数の産油国であるメキシコが債務救済を受けざるを得ない状況に追い込まれたほか,エクアドル,ヴェネズエラ等からも債務救済要請が相次ぎ,また,ブラジル,アルゼンティン等の中南米の大型債務国及び東欧諸国の状況も懸念されるなど,深刻な債務累積問題が表面化し,国際金融制度に対する影響が懸念されるに至ったが,IMF,BISによる救援,各国の金融機関と民間銀行との協力等によって,困難な事態の発生は未然に回避されている。
(4)危機への対応
このような深刻な世界経済の状況に対応して,主要先進国は,第1次石油危機後の経済運営から学んだ教訓を生かし,インフレ抑圧を基本としつつも,失業の改善,生産性向上等を通じて持続的成長を図ることを共通の戦略とし(OECD理事会の項参照),また,高まりゆく失業率,ドル独歩高の現象に対応して米国が厳しい制約条件の下で僅かながら金融政策を変えるなど,各国も自国が置かれた制約条件の中で景気回復に向けて転換への芽をはぐくむ政策を徐々にではあるがとり始めた。
さらに,サミットにおいてもかかる基本ラインを承認しつつも,特に,(イ)自由貿易体制の維持・強化,(ロ)長期的な世界経済の再活性化のための科学技術の振興と国際協力,(ハ)通貨安定のための協力の重要性が認識されるに至ったが,自由貿易体制の維持・強化については,11月のガット閣僚理事会において,困難な中にもガット体制の維持・強化の重要性が再確認されるとともに,新たなる貿易制限措置の導入を回避することを基本とする宣言が採択されたほか,セーフガード等の諸問題について継続的に協議を進めていくことが合意された。
さらに債務累積問題に,より有効に対処するために,また,IMFの資金基盤の充実のために,IMF第8次増資,GAB(一般借入取極)の枠拡大等金融システムの強化が図られた。
(5)我が国経済の動きとその役割
(イ)我が国経済の動き
82年の我が国実質経済成長率は3.0%と前年(3.8%)を下回る伸びとなり,増加寄与度を見ると,内需2.8%,外需0.2%と内需中心の経済成長であった。この間鉱工業生産は,輸出の不振,中小企業の設備投資の停滞等を反映し,前年比0.3%の伸びにとどまり,雇用情勢も完全失業者数年平均136万人(前年比10万人増)等と厳しい状況のまま推移した。一方,物価面では,卸売物価が81年同様安定した動きを続け(年平均上昇率1.8%),消費者物価も,年平均2.7%と81年(4.9%)に比べて一層沈静化し,落ち着いた動きを示した。
(ロ)我が国の対応
各国経済に比し,良好な状態にある我が国は,世界の総生産の約1割を占める経済力を擁するに至っており,経済力に見合った積極的な国際的役割を果たすことが期待されている。
我が国は,サミット,OECD,ガット等の国際機関で積極的な役割を果たす一方,自主的な観点から以下のような努力を払ってきた。
我が国は欧米諸国において保護貿易主義的動きが高まりつつある中で,自由貿易体制の維持・強化が世界経済の発展と活性化のため重要であるとの立場から,率先して我が国市場の開放努力を行い,貿易不均衡問題に対処することとし,経済対策閣僚会議の場において81年末以来一連の市場開放措置を決定,実施してきた。
81年12月の5項目の対外経済対策に引き続き,1月には,99事例の輸入検査手続等の改善,市場開放問題苦情処理本部(OTO:0ffice of Trade Ombudsman)の設置を行い,輸入検査手続等市場開放問題に関する苦情について,迅速かっ的確な処理を図ることとした。また,5月には,ヴェルサイユ・サミットを控えて我が国が応分の国際的貢献を図るとの観点から,(あ)輸入検査手続等の改善,(い)215品目の関税の撤廃又は引下げ,(う)4品目の輸入制限の緩和,(え)外国たばこ等の輸入の拡大,(お)流通機構,ビジネス慣行の改善,(か)サービス貿易の自由化等,(き)先端技術,(く)その他政府調達,産業協力,輸出対策等の8項目から成る総合的かつ包括的な市場開放対策を決定するとともに,「官民ともに外国製品や外国投資を歓迎する姿勢が必要である」旨の鈴木総理大臣談話を発表した(資料編参照)。この後,日米,日欧間の貿易摩擦問題は小康状態を迎えたが,82年の貿易インバランスが拡大する見通しが強くなったことから,諸外国において我が国市場の一層の開放を要請する声が高まった。こうした中で11月に発足した中曽根内閣は総理の強力なリーダーシップの下に12月にたばこ,チョコレート,ビスケットの大幅な関税引下げを中心に農産品及び工業品の関税の撤廃又は引下げを行った(これにより83年度からの関税の撤廃又は引下げを行う品目は,5月の市場開放対策の際の215品目等を含め323品目となった)。
83年1月には,(あ)上記86品目の関税率の引下げ,(い)6品目の輸入制限の緩和,(う)OTO諮問会議の設置等OTOの機能強化,基準・認証制度の改善等,(え)外国たばこ等輸入の促進,(お)その他輸出対策,産業協力等から成る新たな市場開放措置を決定した。同時に中曽根総理大臣は「世界に開かれた日本」という認識に基づいて,国民の理解と協力を求めるとともに,諸外国に対しても協力して自由貿易体制の維持・強化に努力することを求める趣旨の談話を発表した(資料編参照)。特に基準・認証制度の改善については官房長官を長とする連絡調整本部を設置し,3月に内外無差別の観点から改善を図ることを決定し,5月には16法案を一括とする「外国事業者による型式承認等の取得の円滑化のための関係法律の一部を改正する法律」が国会で成立した。
他方,上記のように市場開放措置を決定するとともに,内需の拡大を図るため,3月に82年度公共事業の75%前倒しを決めた。また,10月には,(あ)公共投資等の推進,住宅建設の促進,中小企業対策などの内需拡大等,(い)不況産業対策,(う)雇用対策から成る総合的な経済対策を決定し,厳しい国際経済情勢の中で,我が国が内需を中心とした景気回復を図るとともに雇用の安定を確保するなど持続的な安定的成長路線に向けての経済政策を講じた。
2.南北問題解決への努力
(1)現状
世界経済は,最近の金利の低下,一部国際商品価格の反騰,インフレの沈静化,米国の景気回復の兆し,石油価格値下がりの明るい材料があるものの,他方世界貿易量は2年連続縮小しており,失業率はなお高いなど,依然として厳しい状況にある。また,景気の停滞を背景として保護主義措置が増大するとともに,政府開発援助(ODA)を中心とした条件の緩やかな資金の流れは停滞傾向にある。他方,国連を中心とする南北対話は,国連包括交渉(GN)の進捗状況に見られるように十分な進展を見るに至っていない。
このような中にあって経済的脆弱性を有する開発途上国経済は,成長の鈍化,国際収支の悪化,債務累積等の困難に直面し,緊縮的国内経済運営,開発計画の遅延を余儀なくされている。特に非産油途上国の窮状は深刻で,82年の国際収支赤字及び債務の累積は,各々970億ドル,5,052億ドルに達し,一部の国では債務返済難が表面化するなど,先進国を含めた世界経済全体にとって大きな問題となりつつある。
先進国としては,開発途上国との間の相互依存関係の深まりを再認識するとともに,開発途上国における経済社会開発の自助努力への支援を通じ,その政治的,経済的,社会的強靱性の強化を図ることが世界経済の再活性化及び世界の平和と安定に不可欠であることを再確認する必要があろう。
我が国は,具体的対応策として,特に以下につき努力してきている。
(あ)景気の回復(我が国は内需の維持・拡大に努力)
(い)積極的調整策の推進と市場の開放化(我が国は数次にわたって市場開放に努力)
(う)経済協力の推進(我が国はODA新中期目標の下で拡充に努力)
(え)債務返済難には,債務国の自助努力を基本としつつ,それに加えて債権国及び国際機関の適切な対応
(お)国連,UNCTAD等における南北対話の促進
(2)国連貿易開発会議(UNCTAD)における動き
82年のUNCTADの活動は,81年に引き続き,第5回UNCTAD総会で提起された諸問題のフォローアップ,また83年6月に予定される第6回総会の準備に焦点が合わされ,多くの点で進展を見た。特に第5回総会の決議を受けて,保護主義・構造調整の第1回レヴューが行われ,南北間で率直な意見交換がなされたこと,さらに今後の年次レヴューの進め方につき合意を見たことは,世界経済の停滞が続き保護主義的圧力が台頭する現状に対処していく上で,有意義なものであった。
第6回総会については,開催地(ベルグラード)及び仮議題が決定され,現在,UNCTAD事務局をはじめ,地域別会合等の諸準備会合において,一次産品,貿易,通貨・金融の主要3議題を柱に,準備が進行中である。我が国としても,同総会が83年における南北対話の最大の場となるという認識の下,積極的に取り組んでいく所存である。
(3)国連包括交渉(GN)
石油価格の高騰による非産油開発途上国の窮状の深刻化を契機として,79年末の第34回国連総会においてエネルギー,一次産品,貿易,開発,通貨・金融の5分野における包括交渉を行うことが決議された。その後,国連においてGNを発足させるための準備交渉が進められたが,交渉の手続,議題等を巡り,いまだ南北間の合意が成立するに至っていない。
我が国はGNの政治的重要性を認識しており,できるだけ早期に南北双方の受け入れ得る手続,議題が合意され,GNの開始準備が整うことを期待するとの見地から,GNの公式・非公式協議に重要なメンバーとして積極的に参画してきている。
6月,ヴェルサイユで開かれた主要国首脳会議では,GN問題につき積極的な検討が行われた。その結果,GN本会議開催につき,7か国の合意が得られ,G77決議案に対しGNの中央機関と分野ごとの討議を行う専門機関との関係等につき修正を行った先進7か国修正決議案が成立した。しかし,開発途上国側は,先進7か国案を受け入れられない旨表明,新たな対案を提示した。同問題は,第37回国連総会においても討議が行われたが,結局南北間の合意は成立せず,83年以降も国連で継続して協議を行うという決定がなされるにとどまった。