第3章 1982年の我が国の主要な外交活動

第1節 各国との関係の増進

1.アジア地域

(1)概要

我が国は,アジア諸国の一員として,この地域の平和と繁栄のために政治・経済的役割を積極的に果たしていくことを,我が国外交政策の重要な柱の一つとしている。

82年のアジアにおいては,カンボディア問題,インドシナ難民問題,朝鮮半島における南北の対立等の不安定要因は依然として存続したものの,情勢は全体としては比較的安定的に推移した。他方,ソ連による著しい軍事力の増強が継続され,また,多くのアジア諸国が世界的な不況の影響を受けて,成長の鈍化,輸出の低迷等の不安材料を抱え始めるなどの不安定要因も見られた。

このような情勢の中で,我が国は,櫻内外務大臣(当時)が6月にシンガポール(ASEAN拡大外相会議),マレイシアを,8月~9月にインド,パキスタンを訪問したのをはじめ,鈴木総理大臣(当時)が9月~10月に中国を,中曽根総理大臣が83年1月に韓国を,さらに安倍外務大臣が3月にビルマを訪問するなど,積極的なアジア外交を展開し,アジア全域にわたる平和と繁栄の増進に格段の努力を行った。

(2)朝鮮半島

(イ)朝鮮半島における平和と安定の維持は,我が国を含む東アジアの平和と安全にとって重要である。我が国としては,実質的な南北対話の再開等を通じ,同地域の緊張が緩和されることを強く希望しつつ,中国,米国など朝鮮半島に大きな関心を有している諸国との意思疎通を深め,同地域の緊張緩和のための国際環境造りに貢献するよう努力した。

82年から83年初めにかけて我が国が朝鮮半島を巡って行った主な関係諸国との意見交換は,鈴木総理・趙紫陽中国総理会談,中曽根総理・全斗煥韓国大統領会談,中曽根総理・レーガン米国大統領会談及び中国,韓国,米国との外相会談等である。

南北対話については,全斗煥大統領が1月に平和統一へ向けての具体的提案を行った(資料編参照)。我が国は,韓国のかかる対話努力を支持しており,実質的な対話が再開されることを期待しつつ,今後の推移を注視している。

(ロ)我が国は,韓国との友好協力関係を引き続き重視しており,両国間のあらゆる分野での交流の強化を通じ,両国国民の相互理解と信頼関係に裏打ちされた揺るぎなき日韓関係を構築するよう努力している。83年1月には,中曽根総理大臣が訪韓し,全斗煥大統領との首脳会談において両国間の友好協力関係を確認するとともに,今後の一層の交流の強化の必要性についても意見の一致を見た(資料編参照)。

(ハ)なお,我が国は,北朝鮮との間では,貿易,経済,文化などの分野における交流を漸次積み重ねていく方針を維持している。

(3)中国

(イ)我が国は,72年の国交正常化以来,中国との間に良好にして安定した関係を維持・発展させていくことを外交の主要な柱の一つとし,両国関係の発展を図ってきた。かかる良好にして安定した日中関係は,日中両国にとってばかりでなく,アジア及び世界の平和と安定に寄与するものであるとの認識に立って,我が国は,近代化政策を推進する中国に対し,今後とも引き続き積極的に協力していくこととしている。

(ロ)82年は日中国交正常化十周年に当たる重要な年であり,これを記念して両国首脳の相互訪問等が行われた(5月に趙紫陽総理が来日,9月には鈴木総理大臣が訪中)。

(ハ)他方,7月,我が国の歴史教科書の日中関係に関する記述を巡りいわゆる「教科書問題」が生じたが,8月の官房長官談話(資料編参照)及びその後の我が方からの具体的対中説明を通じて,本問題は外交的に一応の決着を見た。

(ニ)日中間の82年の貿易額は中国側の輸入抑制策のため89億ドルと前年に比し減少した。対中経済協力は円借款,無償資金協力,技術協力等様々な分野で81年より一層拡大して実施された。

(ホ)日中間の人的往来,文化交流も増進した。特に文化交流は国交正常化十周年を記念して各種の催し物が盛大に行われたほか,国交正常化十周年の記念事業として日中友好会館の建設計画も進められている。その他中国残留日本人孤児については,中国側の協力を得て83年2月に第3回目の訪日肉親捜しが行われた。

(4)東南アジア諸国連合(ASEAN: Association of South-East Asian Nations)諸国及びビルマ

ASEAN諸国は,82年で創立15周年を迎えた地域協力機構(ASEAN)を通じて,政治,経済,文化等の分野で共通の目標達成に向けて目覚ましい成果を挙げ,東南アジアの安定勢力としてこの地域の平和と発展に大きく貢献している。我が国は,政治,経済のみならず,歴史的にも密接な関係を有するASEAN諸国との友好協力関係の増進を重要な外交政策の一つとしており,これら諸国の経済・社会開発のための自主努力に対してできる限り支援している。また,我が国は東南アジアと南西アジアの境に位置する親日国,ビルマとの友好協力関係の増進を重視している。

82年は,膠着化,長期化の兆しを見せるカンボディア情勢の下でASEAN諸国が活発な外交活動を展開した年であり,この結果7月には,抗越のための民主カンボディア連合政府が樹立された。

我が国は,カンボディア問題の包括的政治解決を求めるASEANの努力を高く評価し,一貫してASEANの立場を支持・支援した。民主カンボディア連合政府樹立後の秋の国連総会においても,ASEAN諸国と緊密な協力の下,カンボディア問題の平和的解決のため建設的な貢献を行った。

難民問題は,82年においても依然ASEAN地域の深刻な不安定要因であった。6月,シンガポールで開催されたASEAN拡大外相会議において,櫻内外務大臣は,カンボディア難民のほとんどが西部カンボディアの出身であることにかんがみ,同地域に国際機関管理下の「自主帰還難民受入れセンター」を設け,主に空路による自主帰還の実施を提案し,この実現のため,できるだけ協力する用意がある旨表明した。右提案は,各国の賛同を得て現在国連難民高等弁務官(UNHCR)等を中心に検討が進められている。

経済・技術協力の分野でも,我が国とASEAN諸国との協力関係は着実な発展を見た。ASEAN工業プロジェクトに対する協力をはじめ,ASEAN人造りプロジェクトについても順次,各国プロジェクトの内容が確定された。

ASEAN貿易投資観光促進センターも,我が国とASEAN諸国の協同運営の下に着実な発展を遂げた。

さらに,文化面においても,我が国の協力によるASEAN文化基金,ASEAN奨学金制度も順調な運用ぶりが示され,ASEAN地域研究振興計画についても実施の第一段階に入った。

(5)インドシナ地域

カンボディア問題

我が国は,東南アジアにおける永続的な平和と安定のためには,ASEAN諸国とインドシナ諸国との間で平和共存体制が構築されることが不可欠であると考えており,その環境作りのため可能な限りの協力を行うことを東南アジア外交の基本方針としている。しかし,カンボディア問題が,そのための大きな障害となっており,ヴィエトナムの武力介入以降4年目を迎えた82年においても,インドシナ情勢に基本的変化は見られなかった。

そのような状況下で,我が国は,国連総会での累次関連決議及び81年7月のカンボディア国際会議宣言に従い,カンボディア問題の包括的政治解決を達成すべきであるとの立場に立って,カンボディア問題に対する国際的関心が風化することのないよう,ASEAN諸国と協調しつつ平和回復のための努力を行った。

かかる努力の一環として,日・ASEAN外相会議においては,櫻内外務大臣から,包括的政治解決の重要性とともに,我が国も一員であるカンボディア国際会議暫定委員会の活動の意義を強調した。

また・秋の国連総会においては,従来に引き続きカンボディア情勢に関するASEAN決議案の共同提案国となった。同決議案は,6月に民主カンボディア連合政府が樹立されたこともあり,過去を上回る圧倒的多数の支持を得て採択された。

(6)インドシナ難民問題

インドシナ難民の発生後8年を経た今も,東南アジア地域には約20万人(83年2月末現在)の難民が滞留しており,東南アジア諸国をはじめ関係各国は長期化した本問題への対応に苦慮している。

我が国は,本問題が依然として人道上及び東南アジア地域の平和と安定にかかわる深刻な問題となっているとの認識から,82年度においても国連難民高等弁務官(UNHCR)等を通じ総額約6,700万ドルに上る大口の資金援助を行ったほか,定住及び一時受入れ(83年3月現在の受入れ累積総数約8,600人)の面でも引き続き積極的に協力した。

なお,ボート・ピープルの一時受入れについては,83年4月に720名収容の新施設が開設される運びとなるなど対応面での改善が図られた。

(7)南西アジア

南西アジア地域は,インド亜大陸の7か国,世界の人口の約5分の1(約9億)を占めている。

同地域は,ソ連のアフガニスタン軍事介入により,主として安全保障上,多大な影響を受けた。

爾来,インドはパキスタン,中国との関係改善,あるいは米国をはじめとする西側諸国との結び付きを強化する動きを見せ,またパキスタンは中東諸国,米国との関係強化を図りつつ,インドとの関係改善に努めている。さらには,同地域の7か国から成る南アジア地域協力の話合いが進展するなど同地域の安定を着実に強化する動きが見られる。

我が国は,従来,南西アジア諸国とは友好的な関係にあり,経済技術協力面でも同地域を積極的に支援してきているが,同地域の占める重要性にかんがみ,インド,パキスタンをはじめとする同地域諸国との政治的対話を活発化するよう努めている。これら対話の過程で,我が国としても,上記のインド・パキスタン,インド・中国等の関係改善がアジア全体の平和と安定の増進に資するものとしてこれを評価するとともに,今後も引き続きこの動きが順調に進展することを期待している。

2.大洋州地域

(1)豪州及びニュー・ジーランドは,我が国と同じくアジア・太平洋地域の先進民主主義国であるとともに、両国の鉱物・エネルギー資源及び農林産品の我が国への輸入並びに工業製品の我が国からの輸出という形で経済的に我が国と深い相互依存関係にあり,我が国との間に政治的にも経済的にも密接な関係を維持し,発展させてきている。

豪州との関係では,5月にフレーザー首相が我が国を公式訪問し,ヴェルサイユ・サミットを前にして国際経済問題を中心に鈴木総理大臣との会談を行った。7月にはキャンベラで第7回目豪閣僚委員会が開催され,日本側から櫻内外務大臣はじめ4閣僚が出席し,二国間関係のみならず国際情勢をも含めた幅広い意見交換が行われた。

ニュー・ジーランドとの関係では,8月に櫻内外務大臣が同国を公式訪問し,マルドゥーン首相,クーパー外相との会談などを行った。また,83年3月にはクーパー外相が我が国を公式訪問し,安倍外務大臣との会談などが行われた。

我が国と両国との関係の中心をなす貿易・経済関係は総じて順調であったが,上に述べたような緊密な対話をも通じて世界経済の停滞する中で問題の発生を未然に防ぐ努力を行い,また,人的交流,文化交流の促進を図り,貿易・経済関係に偏らない幅広い関係の増進に努めた。さらに,アジアの諸問題,南太平洋地域を含めた太平洋地域の諸問題につき緊密な協議を行い,アジア・太平洋地域の安定と繁栄に資するため協調を維持した。

(2)パプア・ニューギニア,フィジーなど9か国を数える南太平洋島嶼諸国は,自助努力による国造りに努めるとともに,南太平洋フォーラム(SPF)などの場を通じて経済・社会開発を主眼とした域内協力を推進しており,また,我が国の経済協力に対する期待も大きい。

我が国は,これら諸国の自助努力に呼応して経済協力を積極的に行い,また,人的交流などを通じて各国との友好協力関係を増進し,南太平洋地域の安定と繁栄に資していく考えである。

我が国は,これら諸国に対し,無償資金協力及び技術協力を中心としつつ経済協力の一層の拡充を図るとともに,9月にフィジーのギォニバラヴィ外務・観光相を我が国に迎えたのをはじめ,これら諸国との友好協力関係の増進を図った。

3.北米地域

(1)米国

(イ)日米安保体制に基盤を置く日米関係は我が国外交の基軸である。自由と民主主義並びに自由経済体制という共通の価値観を有する米国との関係が安定的に維持され,発展していくことは,我が国がアジア・太平洋,欧州,中東,中南米,アフリカの各地域において積極的な外交活動を展開する際の前提基盤となっている。他方,米国側から見ても,厳しい国際情勢の中にあって現実に対処していくために,従来以上に友好国や同盟国との結束を強化し,これら諸国の協力を得る必要性が生じた。米国も我が国との関係を最も重要な二国間関係の一つとして重視している。

(ロ)このような基本的には円滑な日米関係の中にあって,特に11月の中間選挙の頃には主として経済問題を巡って対日批判が高まった。経済分野については,レーガン政権発足以来,インフレ率は下がったものの失業率は依然として10%を超え,これを背景として対日批判の高まりが生じたものである。かくて中曽根政権が成立した11月には,日米関係は戦後最悪の状態にあるとの認識も一部に持たれるに至った。

(ハ)82年末にかけて日米関係が極めて厳しい状態にあるとの認識に立ち,中曽根総理大臣は早期に訪米することを決意し,総理訪米が83年1月に実現した(その直前に総理の韓国訪問が急きょ決定され,実施された)。この訪米は公式実務訪問として行われ,共同声明や共同新聞発表はなかったが,中曽根総理大臣はレーガン大統領との間に個人的信頼関係を樹立するとともに,81年5月の共同声明(当時の鈴木総理大臣とレーガン大統領との間のもの)を確認し,日米間の同盟関係を再確認した。首脳会談においては,極めて友好的な雰囲気の中で,軍備管理問題を含む東西関係並びにアジア情勢等の国際情勢,さらに日米二国間の関係につき率直な意見交換が行われた。特に日米関係における防衛,経済といった懸案事項があった分野において,レーガン大統領は総理の行った決断に言及しつつ,日本側の努力を高く評価した。また,日米両国間に存在する積極的協力の側面を重視していくとの点で意見の一致を見た。

(ニ)83年1月の総理訪米の際に別途行われた安倍外務大臣とシュルツ国務長官との会談において,日米間の協議を更に緊密にしていくとの観点から,少なくとも年に4回は外務大臣レヴェルの会談を開催することとなった。また,日米関係における積極面強調のため,総理大臣,外務大臣レヴェルの対話と協議に加え,「日米諮問委員会」(日本側議長は牛場外務省顧問)が設置されることとなった。

(2)カナダ

(イ)我が国とカナダは政治経済理念を共有する西側先進民主主義国の一員であり,また,太平洋を隔てた重要なパートナーである。日加両国関係は,経済貿易面を中心に近年ますます緊密化しているが,更に成熟し,かつ安定した関係を築いていくために,経済面のみならず,政治,文化,科学技術の分野においてもその関係の強化が図られており,政府首脳をはじめとする要人の往来や各種協議が活発化している。また,種々の国際機関においても相互の協力関係は拡大されつつある。

(ロ)82年においても各種の協議や交流が数多く行われた。

政府間の協議では,6月のシンガポールにおけるASEAN拡大外相会議,10月のオタワにおける第3回目加外相定期協議,11月のガット閣僚会議等の場において両国外相レベルの協議が行われたほか,事務レベルにおける各種協議(国連,科学技術,漁業等)も緊密に行われた。

議員交流では,8月にソーヴェ下院議長の訪日,9月に徳永参議院議長の訪加が実施された。

なお,83年1月にはトルドー首相がASEAN諸国歴訪後非公式に来日し,中曽根総理大臣と初の首脳会談を行ったが,これにより両首脳間に個人的信頼関係が確立されるとともに,日加両国の友好協力関係が更に促進された。

また,83年3月には参議院の招きでカナダ上院議員団(ペロー団長)が来日した。

4.中南米地域

(1)独立国32か国,人口約3億5,000万人を有する中南米地域は,広大な領土と豊富な天然資源に恵まれて,将来の発展性に富む地域であり,多数のいわゆる「中進国」と呼ばれる比較的所得水準の高い開発途上国を擁する重要な地域として近年国際政治・経済上の地位と影響力を著しく増大させつつある。また,最近,中南米諸国はアジア地域に対する関心を高める傾向が看取される。

この地域は,我が国とは貿易・投資など経済面で相互補完関係にあり,また同地域には100万人近い邦人移住者及び日系人が在住しており,彼らは我が国と中南米との絆として友好関係の推進に重要な役割を果たしている。

(2)我が国は,中南米諸国との間に存在する伝統的友好感情を重視し,その時々の情勢の変化によってこれが影響されることがないよう,政策の一貫性,継続性に特に留意してきている。また政治面における対話を更に強化し,文化・科学技術協力の分野における交流を促進することにより,これらの諸国とより一層幅のある関係を築くべく着実な外交努力を展開してきている。

6月鈴木総理大臣はブラジル,ペルーを公式訪問したが,総理大臣の南米訪問は,第8回主要国首脳会議及び第2回国連軍縮特別総会出席に引き続き行われたものであり,またフォークランド紛争の帰趨が注目されていた時期に行われただけに,訪問先国首脳との間では二国間関係にとどまらず国際情勢についても忌憚のない意見交換が行われた。同訪問はブラジル及びペルー両国との友好関係及び相互理解の増進に大きな成果を挙げるとともに,広く中南米地域に対する我が国の関心と南北問題に対する積極的姿勢を示す上でも有意義であった(共同新聞発表は資料編参照)。

4月から6月にかけて領土問題を原因としてアルゼンティンと英国の間で武力衝突が発生したフォークランド紛争に対して,我が国は,国際紛争の平和的手段による解決は,国連憲章の下ですべての加盟国が負っている厳粛な義務であり,同紛争についても国連憲章の原則と精神にのっとり,平和的・外交的手段によって解決されるべきであるとの基本的立場に立ち,国連の内外で紛争の拡大防止とその平和的解決のため種々の努力を行った。我が国はかかる観点から,アルゼンティンによる武力行使は遺憾であり,同国軍はフォークランド諸島から速やかに撤退すべきである旨明らかにするとともに,紛争の平和的解決を目指す一連の国連安全保障理事会の活動を支持し,ヘイグ米国国務長官,ベラウンデ=ペルー大統領,ペレス・デ・クエヤル国連事務総長が行った仲介努力を支持する旨明らかにした。欧州共同体(EC)諸国は対アルゼンティン武器その他の軍需品の輸出禁止及びアルゼンティンからの全面的輸入禁止を決定したが,我が国は対アルゼンティン輸入禁止措置等のいわゆる経済制裁はとらなかった。なお,我が国は,EC諸国等によりとられた対アルゼンティン輸入禁止措置が,我が国の経済的利益のため不当に利用されることがないよう民間業界に注意を喚起するなど,我が国が,EC諸国等によりとられた輸入禁止措置を不当に利用して経済的利益を伸長するようなことはしないとの姿勢を明白にした。

さらに,11月国連総会で総会が両国に対しフォークランド諸島の主権に関する紛争解決のため,交渉の再開を要請するとの趣旨の決議案が投票に付され,我が国はこれを支持し賛成票を投じた(資料編参照)。

(3)経済分野においては,82年は中南米諸国にとり第二次世界大戦後最も困難な年であった。特に金融面では中南米諸国は,開発途上国の債務残高の約4割を占め,従来累積債務問題の動向が注目されていたが,8月のメキシコの支払猶予要請を発端に多くの中南米諸国が債務返済困難に陥り,各種の金融支援を要請するに至った。このような要請に対し,我が国の関係民間銀行は,国際協調の下に応分の協力を行い,また政府としても国際通貨基金(IMF),国際決済銀行(BIS)を通じできる限りの協力を行ってきている。

5.西欧地域

(1)我が国は,従来自由,民主主義及び市場経済体制という基本的価値観を共有する西欧諸国との関係緊密化を基本外交方針の一つとしている。翻って考えるに,西欧は上述の西側共通の価値観の発生地であるのみならず,国際社会において依然として大きな発言力を有しており,また,地理的にもソ連と隣接し我が国と類似の利害関係を有している面も多い。日欧はかかる共通基盤の上に立ち,日欧間の伝統的な友好・協力関係を強化しつつ,先進民主主義諸国の仲間として世界の平和と安定のため一層の責任を果たすことが期待されている。

日欧協力推進の必要性に対する認識は,従来,日欧のいずれにおいても,とかく一部の層に限られ,いわば日米欧の三角形中,日欧を結ぶ辺が最も弱いというのが実情であった。しかしながら,在イラン米国大使館人質事件,アフガニスタン問題,ポーランド問題などを契機に日欧間の協調行動は緊密化するに至った。

最近,かかる情勢を背景にして政治分野での日欧間の対話を促進すべしとの認識が日欧双方において急速に高まっており,これをいかに具体化していくかが今後の大きな課題となっている。その意味で,9月の櫻内外務大臣のデンマーク(当時EC議長国)訪問及び83年1月の安倍外務大臣の訪欧(EC委員会,ベルギー,英国,西独,フランス及びイタリア)は,日欧政治協議の促進に大きく貢献した。両外務大臣は,欧州各国首脳などとの一連の会談を通じ,現在の国際情勢の下においては日米欧の結束の維持・強化が不可欠であるとの共通の認識に立って,その一環として日欧政治対話を促進する必要性につき完全な意見の一致を見た。その後,日欧双方の政治対話強化への気運を背景として83年3月,EC外相政治協議において,各EC議長国の任期中(6か月)に1回目・EC議長国外相協議を行うとの決定が行われた。EC諸国は主要国際問題につき欧州政治協議の枠内で共同歩調をとることに努めており,EC議長国との協議の制度化は,日欧政治対話の大きな前進と言える。また,外相レベルの政治協議と並行して欧州諸国との高級事務レベル協議も最近活発化している。

(2)日欧協力関係を激動する国際社会の風雨にも耐え得る裾野の広いものにしていくためには日欧間の「人的交流」を更に促進していくことが大切である。かかる目的に資するため毎年8月中旬~10月上旬に欧州青年日本研修計画を実施している。本計画は,約50名の欧州青年を論文審査により選抜し,2週間日本に招待するものであり,地道な計画であるが,他方,長期的な視点に立った意義深い計画であり,本計画により我が国の現状を肌で感じた欧州の若者が欧州各国社会の中核を担うようになったとき日欧関係は一層厚みを増してこよう。

6.ソ連・東欧地域

(1)ソ連

(イ)我が国の重要な隣国の一つであるソ連との関係については,政府は,北方領土問題を解決して平和条約を締結し,真の相互理解に基づく安定的な関係を確立することを基本的課題として,従来一貫して対処してきている。

(ロ)しかし,82年から83年第1四半期の日ソ関係も,北方領土における軍備強化,アフガニスタンヘのソ連の軍事介入,ポーランド情勢,さらにはソ連の中距離核戦力(INF)の極東移転問題など専らソ連側の行動に起因する事由により引き続き困難な局面にあった。

(ハ)他方,日ソ関係がかかる状況にあるだけに日ソの政治対話も重要である。1月20日から,モスクワにおいて第2回目ソ事務レベル協議が開催された。79年5月の第1回協議以来2年8か月ぶりに開催された本協議においては,日ソ二国間関係の諸問題及び国際情勢一般につき協議が行われた。本件協議を通じ領土問題を含むソ連側の立場に従来と異なるところは見られなかったが,広範な問題について日ソ間で率直な話合いが行われたこと自体は評価し得ると考えられる。

(ニ)また82年には,日ソ外相会談が3回行われた。まず6月には,第2回国連軍縮特別総会がニュー・ヨークで開催された機会に日ソ外相会談が行われ,続いて10月の国連通常総会の際にも同地において櫻内外務大臣とグロムイコ外相との会談が行われた。さらに11月故ブレジネフ書記長の葬儀に鈴木総理大臣が参列,これに同行した櫻内外務大臣がグロムイコ外相と短時間の会談を行った。これらの会談を通じ日本側からは,真の安定した日ソ関係を確立するためには,北方領土問題を解決して日ソ平和条約を締結する必要があり,78年1月以来行われていない日ソ平和条約交渉を継続するためにも,グロムイコ外相が訪日するようソ連側に要請した。これに対しソ連側は,北方領土問題については,これは「自分の領土である」(10月の日ソ外相会談におけるグロムイコ外相の言明)として従来のソ連側の頑固な姿勢を変えず,また,グロムイコ外相の訪日についても「時期と雰囲気」が問題として消極的姿勢を示した。

(ホ)日ソ間の最大の懸案である北方領土問題については,上述の第2回事務レベル協議及び日ソ外相会談において,日本側の,本問題を解決して平和条約を締結すべきであるとの主張に対し,ソ連側は領土問題は存在せずとの立場に終始したが,他方,日本国内においては,8月には北方領土問題等解決促進特別措置法が国会で採択され,また,同月櫻内外務大臣が北方領土を視察するなど,82年も全国的規模で国民世論の盛り上がりを見せた。このような国民世論を背景に,10月,櫻内外務大臣は,第37回国連総会一般討論演説(資料編参照)において,80年の伊東外務大臣演説,81年の園田外務大臣演説に引き続き本問題についての我が国の基本的な立場を広く国際世論に訴えた。

(へ)我が国は81年12月のポーランドにおける戒厳令の布告とそれ以降の事態について,西側の結束と協調が重要との認識の下に,ソ連の自制を求め将来の介入を抑止するため,2月,一定の対ソ措置を発表した(資料編参照)。

(ト)他方,米ソ間のINF交渉に関し,83年1月,グロムイコ外相等ソ連指導者が本交渉の成行き次第では,現在,ソ連の欧州部に配備されているソ連の中距離ミサイルをアジア地域に移転するとの発言を行った。我が国は,従来,ソ連に対し極東を含むソ連全域においてSS-20に代表されるINFの撤廃を要請してきているが,かかるソ連側の言明に対しては,83年1月24日の国会における安倍外務大臣の外交演説において,ソ連側の言動は地域の平和と安定を脅かしているとして強く遺憾の意を表明した(資料編参照)。また,翌25日,中島外務審議官からパヴロフ駐日ソ連大使に対し,既に極東に現存する中距離ミサイルに加え,新たなミサイルを同地域に移転することはアジアの緊張を不必要に増大せしめるものであるとの申入れを行った。

(チ)対ソ外交は,我が国の対外関係の中でも最も重要なものの一つであり,真の相互理解に基づく安定的な日ソ関係の確立はアジア,ひいては世界の平和と安定にとっても重要である。しかしながら,このような関係の確立のためには,北方領土問題の解決は避けて通れない問題であり,国民の総意を背景に本問題を解決して平和条約を早期に締結するよう,今後とも粘り強くソ連側に呼び掛けていく考えである。

(2)東欧地域

(イ)我が国は東欧諸国に対し,各国の国情及び政策を勘案しつつ,相互理解の増進及び友好関係の発展に努めてきた。ポーランド情勢により一層不安定化の様相を呈した東西関係の中においても,基本的にかかる方針を堅持した。

(ロ)戒厳令下のポーランド情勢については,これが東西間で進められてきた協力・交流関係を脅かし,国際情勢に重大な影響を与えるものとの認識の下に,我が国は一貫して西側諸国の一員として対処している。

ポーランド問題の解決に当たっては,外部からの干渉なしにポーランド人自身の手で解決されるべきであるとの立場から,我が国政府は,ソ連に対し自制を求めるとともに,ポーランド当局に対し国民的和解を通じ事態の真の正常化を求めてきている。

さらに,西側諸国の協調と結束が,ポーランドの事態に対処する上で肝要であるとの観点から2月23日公表したポーランド及びソ連に対する措置を継続している(資料編参照)。

(ハ)独立・非同盟路線を堅持しているユーゴースラヴィアについては,我が国もその外交姿勢を高く評価し,かつ政治的重要性を充分に認識している。同国経済の安定と発展を支援することを目的とする西側諸国の経済支援については,83年1月,6,000万ドルの輸出信用の供与を約束した。

7.中近東地域

(1)中近東地域は国際政治における戦略的重要性を有し,特に我が国にとっては主要エネルギー供給源として,また貿易相手国及び主要投資先として極めて重要な地域となっている。しかし,この地域は,中東和平問題,イラン・イラク紛争等諸種の政治問題を抱えているばかりでなく,近年の急激な経済開発に伴い社会・経済問題にも直面しており,こうした諸問題が域内に不安定化をもたらし,ひいては,国際社会全体に政治的・戦略的影響を及ぼす可能性がある。

こうした認識に基づき,我が国は,域内安定に貢献すべく経済・技術協力を中心とした国造り,人造りに協力している。さらに,相互理解の増進を図ることを目的として,これら諸国との人的・文化的交流のより一層の強化に努めてきている。

(2)82年においては,4月にシナイ半島全面返還が実現したものの,6月のイスラエル軍のレバノン侵攻に始まるレバノン情勢の悪化,イラン・イラク紛争の継続など中近東の情勢は,不安定のまま推移した。こうした不安定な情勢に対し,我が国は,機会あるごとに国際機関等の場において,また関係当事者との対話を通じて,紛争の公正かつ平和的解決を主張してきている。

また,中東和平問題については,我が国はレーガン米大統領の新和平提案(資料編参照)が和平へ向けての積極的な要素を含むものとしてこれを高く評価するとともに,関係当事者との接触を通じて,和平への気運を高めるべく雰囲気造りに努めてきた。

(3)82年における我が国の中近東諸国との貿易(アフガニスタンを除く,北アフリカを含む)は,輸出が約179億ドル,輸入が約384億ドルで,我が国の大幅な入超となっている。これは我が国が原油必要量の7割強を中東地域に依存している結果であり,世界貿易全体に占める比率で見ると,輸出13%,輸入29%と,特に輸入の対中東依存度の高さが際立っている。他方,対前年比で見ると,輸出は3%減,輸入は11%減となっており,特に輸入の大幅な減少が目立つ。これは,第2次石油危機を契機として,我が国においても急激な石油離れが進展し,その結果中東地域からの原油輸入も相当程度減少したからである。

ちなみに,82年における我が国の中東地域からの原油輸入量は1億5,400万kl(約266万B/D)で,全体の72%を占めている。また対前年比では5%の減少になっている。中東地域の中では,サウディ・アラビア(我が国輸入全体の35%,ただし,中立地帯を除く)からの輸入量がずばぬけて大きく,これに,アラブ首長国連邦(13%),イラン(6%)が続いている。

(4)中近東諸国との人的交流は82年度を通じ引き続き拡大した。我が国から,渡辺大蔵大臣が1月にエジプト,チュニジアを,また,安倍通商産業大臣が5月にサウディ・アラビア,アラブ首長国連邦を,6月にチュニジアをそれぞれ訪問した。更に,6月のハーリド=サウディ・アラビア国王逝去の際には,福田元総理大臣を弔問特使として派遣した。

他方,中近東諸国からの要人の来日としては,3月にシリアのカマルシャラフ企画担当大臣,7月にモロッコのベンアリ運輸大臣がそれぞれ外務省賓客として来日した。また,9月にはエジプトからハテム国家評議会議長が訪日,我が国政府首脳と意見交換を行った。

中東和平問題との関連においては,5月にファフーム=パレスチナ民族評議会(PNC)議長が日本パレスチナ友好議員連盟の招待で来日,また,12月にはジョルダンのフセイン国王が来日したが,いずれも我が国首脳と中東和平問題の関係当事者との意思疎通を図る上で多くの成果を挙げることができた。

83年1月には,東京で開催された第9回アジア太平洋労働大臣会議出席のため,バハレーン,クウェイト,カタル,サウディ・アラビア,アラブ首長国連邦及び南イエメンからも労働担当の各大臣が来日した。なお,中近東諸国からは,このほかにも,非公式ではあるが,閣僚レベルの要人が頻繁に来日しており人的交流の実を挙げている。

さらに,我が国は中近東諸国との間においては,大きな反響を巻き起こしたスポーツ・ミッションの派遣(83年1・2月)をはじめとして積極的な文化交流に努めた。

8.アフリカ地域

(1)サハラ以南アフリカの独立国は,現在45か国を数え,国連加盟国の約3分の1を占めており,国際場裏において大きな影響力を有している。また,アフリカは豊富な資源を有し,世界経済においても重要な役割を担うに至っている。

ほとんどが60年以降に独立を達成したアフリカ諸国にとって,最大の課題は国造りであるが,我が国の国力の増大に伴いアフリカ諸国の我が国に対する関心も高まっている。その結果,アフリカ各国からの要人の来日が頻繁になっており,他方,我が国の経済協力に対する期待も急速に増大してきている。

我が国は,相互依存関係の深まった今日の世界において,その国際的責務を果たすため,これら諸国との人物交流を促進することにより相互理解を深め,また,幅広い分野において可能な限りの経済・技術協力を行うことによりアフリカ諸国の経済社会開発に寄与しているが,ひいてはこれが我が国の広範な国益に資するものと考えられる。

(2)人物交流の面では,4月にケニアのモイ大統領を国賓として我が国に迎えた。7月には辻前外務政務次官がアフリカ5か国を訪問し,83年3月には皇太子・同妃両殿下のアフリカ3か国御訪問も実現して,我が国からの要人のアフリカ訪問も活発化している。

(3)経済・技術協力の分野においては,81年の二国間政府開発援助(支出純額ベース)は2億1,050万ドルで,そのうち無償資金協力については80年の5,440万ドルから81年には8,350万ドルヘと顕著に増大し,我が国の無償資金協力全体に占めるアフリカの割合は19.3%となっている。

(4)アフリカ諸国が一致して解決を求めている南部アフリカ問題(ナミビアの早期独立達成と南アフリカの人種差別政策の撤廃)については,我が国は,問題が公正かつ平和裏に解決されるよう,可能な範囲で積極的に協力を行うことを基本的立場としている。

ナミビア問題については,82年においても国連及び関係国などによる問題解決のための動きが見られたが,根本的解決を見るには至らなかった。

我が国は,ナミビア問題解決のために国連のナミビア独立支援グループが派遣される際には,民政部門に協力する用意がある旨明らかにしてきている。

また南アフリカの人種差別政策については,我が国はこれに強く反対し,同国との関係を制限的なものとしている。

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