第2章 1982年の世界の主要な動き
1.全般的特徴
(1)最近の国際情勢の主たる特徴は,70年代前半の緊張緩和の雰囲気の中でその重要性が閑却されていた東西関係が,その後の情勢の推移によって,依然として国際情勢の動向を決定づける基本的要因であるとの認識が再び強くなり,かつその東西関係の在り方について,西側諸国内において,70年代の政策が必ずしも充分なものでなかったという反省の下に,新たな政策が模索され,その一部が実行に移されつつあるという点にあると言えよう。
70年代の東西関係を特徴づけた緊張緩和政策は,戦略核兵器による相互確証破壊能力を米ソ両国が有することによる「恐怖の均衡」が存在するということを基本としたものであったが,その東西の戦略核のバランスも,年を追って,急速に西側にとって厳しいものになりつつあった。
さらに,ソ連,中国それぞれが米国とのデタントを必要とした背景の一つには,中ソ対立の激化の結果60年代末以来,両国ともに中ソ国境に大兵力を集中しなければならなかった事実もあった。しかし,緊張緩和を推進することによって醸し出された国際的な雰囲気,さらには西側内部の政治的,経済的,社会的諸事情により緊張緩和をもたらした背景の中における東西の力関係の側面は直視されることなく推移した。こうした西側の対応ぶりは,ソ連及びキューバのアフリカ,中近東各地への進出,さらにはヴィエトナムのカンボディア侵攻等を,西側の対抗措置なしに許すこととなった。
しかし70年代後半ごろから,西側諸国内にソ連の核及び通常兵力の両面における軍事力の急速な増強とこれを背景とする上記のような第三世界への勢力拡張に対する危機意識が次第に醸成され,それが漸次政策に具体化される傾向があり,79年のソ連のアフガニスタン侵入によって西側社会のコンセンサスが形成され,この政策の具体化が加速された。
かくて,70年代末までの東西関係はソ連にとり極めて望ましい国際環境を造っていたが,西側諸国の安全保障面での政策転換を機に,ソ連としてもソ連を巡る国際情勢の動向を以前よりも厳しく見直したと認められる。その結果,ソ連のその後の行動の中に従来と比較して慎重さもうかがわれるものの,他面過去10数年来続けられてきた軍事力増強を緩和する兆候もなく,また,第二世界において新たに占めた地歩,ましてや東欧支配について譲歩を行う用意はないと考えられ,近年の東西関係には過去10数年間に見られなかった緊張の高まりが認められる。
西側諸国の間では,米国を含むNATO諸国が既に78年,長期防衛計画を承認した上,各国防衛予算の年率実質3%増の合意に達し,東西軍事バランスの改善に乗り出した。
その後,アフガニスタン,ポーランド問題を巡る対ソ制裁については,最強硬路線を主張する米国に西の一部が付いていけない場面もあり,一時不協和音を生じたが,このような試行錯誤を経た上で,東西関係を是正する基本政策については一応のコンセンサスが生まれてきている。特に安全保障及び軍備管理・軍縮についての西側の基本政策は,83年のウィリアムズバーグ・サミットの政治声明において最もよく表現されていると言えよう。その内容は,要約すれば,先進民主主義の基盤となっている自由を守るために,いかなる脅威にも対抗し,さらに平和を確保するために十分な軍事力を維持し,同時に真剣な軍備管理交渉を通じ軍備のより低い水準の達成に努力し,その際サミット参加国の安全は不可分であり,グローバルな観点から取り組まなければならないという趣旨のものである。
(2)この間・中ソ間では相互の呼び掛けに応じて,中ソ関係の改善を目指す次官級会談が開始された。この会談における双方の主張にはなお大きな隔たりがあり,両国関係の正常化が容易に進むとは考えられないが,この間,中ソ間の相互非難は減少し,貿易や人的交流も増加傾向にあり,かつての「悪過ぎた」関係は是正されつつあると言える。西側としては,上記のように,いずれにしても西側の間の結束に最高の優先順位を置きつつも,中国については,今後とも友好関係を維持・増進することを基本的な態度として,現在中国を取り巻く国際環境の中で,中ソが接近し得る程度には歩止まりがあると認め,事態の進展を注視している状況と言える。
(3)米中関係においては81年来台湾に対する武器供与を巡って対立があり,82年夏の共同声明において一応の決着を見たものの,その後も台湾に対する態度等を巡って摩擦が続いたが,相互に友好関係を維持・増進していこうという態度には変わりはなく,技術移転等経済分野における両国関係改善の努力も並行して続けられている。