第2節 大洋州地域
1. 大洋州地域の内外情勢
(1) 豪州
(イ) 内政
81年の内政は総じて安定的に推移したが,次のような動きもあった。
自由党の有力者であるピーコック労使関係大臣が,フレーザー首相との政策の相違等から4月に大臣を辞任し,各方面に波紋を投げた。また,80年に行われた総選挙の結果,7月以降自由党及び国民地方党の与党連合は,上院では過半数を失うこととなった。また,フレーザー政権は,インフレ対策優先及び小さな政府を目指して一連の行政改革施策をとったが,これは資源ブームの下で公共事業の拡大を望む各州政府の反発を招くこととなった。
(ロ) 外交
81年においても,豪州の外交は,対米協調を中心とする西側諸国の結束,我が国をはじめとする主要貿易相手国との関係増進,英連邦の絆重視,ASHAN及び南太平洋諸国との善隣友好関係の発展などを機軸としつつ,中級国家としての役割と責任という観点から,国際政治の動向に積極的に対処していくとの方針の下に展開されたと言えよう。特に,9月末にメルボルンで開かれた第23回英連邦首脳会議は,豪州史上最大の国際会議として・年間の最優先の外交課題の一つとして扱われたと言われる。
米国との関係では,3月にストリート外相,7月にフレーザー首相がそれぞれ訪米し,レーガン政権との対話の緊密化が図られるとともに,3月には米軍B-52型機の豪への立寄りを米国との間で合意し,また,10月にはシナイ半島平和維持軍への参加を決定したことなどにも対米協調の姿勢がうかがえた。また・81年末以来のポーランドの事態に関連しても,対米協調及び西側諸国の結束の観点からの対応が見られた。
ASEAN諸国との関係では,2月のシティ=タイ外相の訪豪,6月のASEAN拡大外相会議へのストリート外相の参加並びに同外相のシンガポール及びフィリピン公式訪問,9月のプレム=タイ首相の訪豪など要人の往来も活発に行われ,関係は円滑に推移した。中国との関係では,1月にストリート外相が訪中したほか,4月に文化協定,9月には技術協力協定が署名されるなど,関係は着々と進展した。
南太平洋諸国との関係では,パプア・ニューギニアを中心とした経済協力を含め,これら諸国との関係を維持促進することに努めた。
(ハ) 経済
81年においても,引続き「インフレ抑制第一」の基本政策が堅持された結果,81年度中のインフレ率は,二けたを脱して9%前後の水準にまで低下した。財政面では,歳出の抑制,売上税の25%引上げなどの増税により財政赤字の圧縮が図られ,81年度予算においてはほぼ財政の均衡回復の達成が見込まれた。こうした政策を背景に,豪州の経済は着実な拡大過程をたどり,80年度の経済成長率(実質GDP)は2.9%と政府見通しを達成するところとなった。部門別では,特に民間設備投資が前年比17.9%増と最近30年間で最大の伸びを見せ,個人消費も堅調に推移したことから,非農業部門での伸びが大きく,干ばつによる農業部門の不振を十分に補った。しかしながら,このような国内経済活動の好調も雇用情勢の改善にはそれほど結びつかず,失業率は,前年の6%前後の水準から5%台の水準に低下したにとどまった。国際収支面では,世界経済の停滞に伴う輸出の鈍化,国内設備投資の活発化に伴う輸入の急増傾向が見られ,貿易収支が悪化を続けた。なお,金融制度面では,11月に金融制度調査会が最終報告書を公表し,既存の金利規制の撤廃・外国為替市場の創設,外銀参入の実現など幅広い範囲にわたる金融制度の改革を提言した。
(2) ニュー・ジーランド(NZ)
(イ) 内政
11月に3年ぶりの総選挙が行われ,NZ政治史上まれに見る接戦の結果,与党国民党が僅差で過半数を制し,12月には第3次マルドゥーン内閣が成立した。しかしながら,総得票数においては労働党が国民党を上回ったことには,国民党政権に対する批判の存在もうかがえた。また,第三党たる社会信用政治連盟が,議席数は従来どおり2議席にとどまったものの,総得票数では20%以上を獲得したことが注目された。
(ロ) 外交
国際政治の面では,NZは西側の一員として西側諸国の結束を強調しているが,NZの外交政策の基本はむしろ対外貿易・経済政策にあると見られる。すなわち,NZの経済を維持し発展させるためには,農産品を中心とした輸出の維持・拡大が必要であり,その必要性は英国のEC加盟,石油危機以来特に高まってきていることから,先進工業国のいわゆる「農業保護主義」の打開及び新市場の開拓を外交政策の基本に置いていると言えよう。81年においても,伝統的な西欧市場の確保に努める一方,我が国,米国,豪州などとの貿易・経済関係の一層の緊密化を図り,また,ソ連,中国,中近東,ASEAN諸国,中南米諸国などの市場開拓に努力を行った。
NZは,近年とみに太平洋国家としての意識を強く持つようになってきており,特に南太平洋島嶼国との政治的,経済的関係の強化に意を用い,また,その経済・社会開発に貢献している。
(ハ) 経済
81年においても,NZ経済は,低成長,物価の高騰,高い失業率,国際収支の赤字等の諸問題を抱えた。80年度の経済成長率(実質GDP)は,交易条件の悪化,弱い投資意欲による内需の低迷もあり,一0.1%とマイナス成長となった。生産活動の停滞は,雇用状態に影響を及ぼし,政府の雇用促進計画にもかかわらず失業率は上昇傾向をたどり,12月末現在で6%を超えている。従来引締めを重視していた財政・金融は,経済の低迷に伴って緩和に向かった。物価は,81年を通じ15%台の高水準で推移した。国際収支面では,交易条件の悪化,輸出の伸びを上回る輸入増で,貿易収支の黒字幅に縮小が見られた。なお,政府は,中長期計画として,マウイ天然ガス開発プロジェクトなどの大規模開発プロジェクト(Think Big Project)を推進し,経済の回復,エネルギー自立,国際収支の改善などを図っている。
(3) パプア・ニューギニア(PNG)
(イ) 内政
5党連立内閣であることから与党間の紛争も少なからず見られ,また,野党パング党が国会では最大多数を有するという状況ではあったが,チャン首相は,81年においても政権の安定に尽力した。82年6月の総選挙に向けて,各政党が自らの立場を有利に導くための動きを示したことも,81年の内政を特徴づけたものと言えよう。
(ロ) 外交
81年のPNGの外交は,従来のいわゆる「全方位外交」から「選択的外交」への転換という公にされた方針にのっとりつつ,対豪協調の維持,対日関係の緊密化,南太平洋諸国との協力関係の増進及び同地域協力機関への積極的参加,ASEAN諸国,特に隣国インドネシアとの親善の維持・発展など従来の主要外交努力に変更はなく,その強化・拡大が図られたと言えよう。外交の多角化への新たな動きを示すものとして,中国,香港,シンガポール,韓国,台湾などのアジア諸国及び中東産油国との関係の強化が目指されたことが注目された。
(ハ) 経済
銅,コーヒー,コプラ,パーム・オイルなど主要輸出産品の価格の低迷,輸入石油価格の高騰並びにブーゲンヴィル銅山における銅及び金の生産量低下などの悪条件が重なって,国際収支が悪化し,81年の経済情勢には厳しいものが見られた。財政状況も厳しく,政府は各種政府支出の削減及び見直しを行った。金融面においても引締政策がとられた。
インフレ率は,年初の11.5%から年末には8%へと低下が見られた。
(4) フィジー
(イ) 内政
81年のフィジー内政は,82年7月に迫った次期総選挙をにらみ,選挙絡みの動きを見せた。2大政党である与党国民同盟党及び野党国民連邦党は,共に党内の分裂に悩みながらも,次期総選挙に向けて結束を固めつつある。
(ロ) 外交
81年の対外政策も,英連邦諸国,特に英国,豪州,NZとの緊密な関係の維持を基調としつつ,米国,日本,アジア諸国等広く各国との友好関係拡大及び南太平洋地域の域内協力に努めた。81年においても,国連レバノン暫定軍としてフィジー軍を派遣した。
(ハ) 経済
81年の経済成長率は,国内総生産で2.7%程度と見込まれている。砂糖を中心とする少数の一次産品に依存しているため,国際市況の低迷,交易条件の悪化等により貿易収支は慢性的入超傾向が続いている。81年に開始された第8次経済開発5か年計画(81年~85年)は,第7次計画に引き続き,地方経済の開発を通じて国家経済発展を図ることを主眼としている。
(5) 南太平洋地域
地域協力の動きとして,第12回南太平洋フォーラム(SPF: South Pacific Forum)会議が8月に,第21回南太平洋委員会(SPC: South Pacific Commission)会議が10月にそれぞれヴァヌアツで開催され,フランス領地域の非植民地化問題,核実験・核廃棄物投棄問題,地域協力問題等を含む諸問題について討議が行われた。SPF会議においては,非植民地化問題に関しフランス政府と討議するための代表団の派遣が合意され,マラ=フィージー首相を団長とする代表団が82年3月にフランスを訪問し,ミッテラン大統領と会談した。
80年7月の第11回SPF会議で合意された南太平洋地域貿易経済協力協定(SPARTECA: South Pacific Regional Trade and Economic Cooperation Agreement,フオーラム諸国産品の豪州及びNZ市場への無税かつ無制限のアクセスを認めるための協定)は,1月から効力を生じた。
また,漁業にかかわる協力に関するナウル協定が,82年2月にPNG,ソロモン諸島,キリバス,ナウルを含む7政府の間で署名された。
2. 我が国と大洋州諸国との関係
(1) 豪州
1月に東京で第6回日豪閣僚委員会が開催され,豪側からはアンソニー副首相・貿易資源相,ストリート外相はじめ5閣僚が出席し,伊東外務大臣はじめ日本側出席4閣僚との間で有意義な意見交換が行われ,成功を収めた。また,議員交流をも含め,要人の往来が活発に行われたほか,8月には藤尾労働大臣をはじめとする我が国の政労使ミッションが豪州を訪問し,豪州側関係者との会談などを通じて相互の労使関係につき理解が深められた。このほか,80年12月に発足したワーキング・ホリデー制度が順調に実施されて,両国青少年の相互理解が増進された。3月に豪州国立大学の日本研究センターに対する日本側の拠出(政府,民間各100万豪州ドル)が実現され,更には,4月に日豪渡り鳥等保護協定が批准されるなど,81年においても日豪関係は幅広い分野にわたり着実に強化・拡大された。
二国間関係以外の国際問題についても,上記閣僚委員会のほか,ASEAN拡大外相会議(6月),カンボディア国際会議(7月)の際に行われた外相会談などを通じ,緊密な協議が維持された。
日豪間の経済関係は,81年においても良好に発展し,81暦年の両国間の貿易額は往復で約122億ドル(対前年比17.6%増)で,引続き我が国は豪州にとり最大の貿易相手国,豪州は我が国にとり第4位の主要な貿易相手国であった。従来両国貿易の中心をなしてきた豪州の鉱物資源,農畜産物及び我が国の工業製品の輸出入に加え,近年とみに重要性を高めている一般炭,天然ガス,ウランなど石油代替エネルギー資源の貿易に関する長期契約や開発投資などの具体的動きの活発化が見られた。また,82年3月には日豪原子力協力協定改正協定が署名された。
(2) ニュー・ジーランド(NZ)
4月にマルドゥーン首相が我が国を公式訪問し,鈴木総理大臣との首脳会談などを通じて両国間の友好協力関係が深められた。6月にはASEAN拡大外相会議に際し,園田外務大臣とトールポイズ外相の会談が行われ,また,8月には第2回高級事務レベル経済定期協議が行われるなど,緊密な協議が維持されたほか,80年の両国間直行航空路開設以来人的交流も着実に増加が見られた。貿易関係では,81暦年の往復貿易額は約18億ドル(対前年比19.6%増)と着実に拡大した。
(3) パプア・ニューギニア(PNG)
81年においても,日・PNG関係は,貿易,漁業,経済協力などを通じ円滑に推移した。もっとも,貿易では,銅,コプラ,木材など対日輸出産品の国際市況の悪化を反映して・81暦年の往復貿易額は対前年度比11.7%減となった。我が国から,森林造成開発協力調査・林業開発投融資審査等調査・ニューアイルランド島農業開発協力調査のための調査団がそれぞれ派遣されるなど,経済協力が拡大された。
(4)フィジー
1月,東京にフィジー大使館が開設され,両国関係の一層の緊密化が図られることとなった。経済協力については,地下水開発計画,地域漁業開発計画,教育機材などの無償資金協力及び漁業振興計画基本設計調査,水産養殖などの技術協力が進められた。
(5)南太平洋地域
10月の第21回南太平洋委員会(SPC)会議には,我が国もオブザーバーとして参加し,島嶼諸国参加者と意見交換を行った。
我が国は,島嶼諸国からの要請にこたえ,81年においても,漁業,教育,医療などの分野を中心として無償資金協力及び技術協力の経済協力を積極的に行った。
<要人往来>
<貿易関係>
<民間投資>
<経済協力(政府開発援助)>