2. 中国
(1) 中国の内外情勢
(イ) 内政
(a) 第11期中央委員会第6回全体会議(六中全会)の開催
中国共産党は,6月,六中全会を開催し,党指導部の人事異動を行うとともに,「建国以来の若干の歴史的問題に関する決議」(以下「歴史決議」と略称)を審議・採択した(全体会議コミュニケは資料編参照)。
同会議において,華国鋒主席は,党主席及び兼任していた党中央軍事委員会主席の地位を退き(党内第7位の副主席に降格),代わって胡ヨウ邦総書記が党主席に就任し,また,トウ小平副主席が党中央軍事委員会主席に就任した。その結果,トウ副主席を中核として,党は胡主席,政府は超総理(党内では副主席に昇格)をそれぞれ指導者とする体制が作られた。
同会議で採択された「歴史決議」では,(i)毛沢東の評価は「功績第一,誤り第二」,(ii) 毛思想は今後とも堅持する,(iii)文革は「内乱」である等の結論を提示した。
六中全会では,全体として,毛沢東の無びゅう性の否定,文革の見直し,近代化推進を打ち出した三中全会路線の正当性の確認がなされ,今後の近代化政策推進のための基礎固めが行われた。
(b)第5期全人代第4回会議
12月開催の第5期全人代第4回会議においてほ,趙紫陽総理の報告で,行政能率を向上し,近代化推進に資するため,行政機構の職員削減,組織権限の明確化,指導幹部の専門化,定年制の導入等を内容とする機構改革の方針が打ち出され,まず国務院を中心として実施に移していくことが明らかにされた。
なお,同会議では,六中全会後の指導部が抱えている懸案である現行憲法の改定作業,長期経済計画(81~85年)の策定については,いずれも結論を出すに至らなかった。
(c)台湾への呼びかけ
9月30日,葉剣英全人代常務委員会委員長の台湾に対する9項目の提案(資料編参照)が発表された。
同提案はこれまで中国側の構想として断片的に伝えられてきた第3次国共合作,中台間での対等の話合い,台湾を特別行政区とすること,台湾の軍の保有の容認などを盛り込んだものであり,中国側は,右提案をてこに,その後胡主席が台湾要人への里帰り提案(10月9日)を行うなど台湾当局への呼びかけを強めている。
(ロ) 外交
(a) 全般
中国は,近時,対外活動の目標として世界平和の擁護,覇権主義反対,第三世界諸国との団結を掲げている。中国は,我が国,欧米諸国など西側主要国との関係を進め,ソ連に対抗する政策をとる一方,ASEAN諸国,南西アジア諸国等の近隣諸国のほか,中南米・アフリカ諸国との間でも人的交流を積極的に行い,更には,10月の南北サミットに参加するなど第三世界との関係をより強くしょうとの姿勢が看取される。
(b) 対米関係
1月に発足したレーガン政権は,米中関係を米中国交樹立の際の共同コミュニケに従って発展させるとの方針を表明しており,6月のヘイグ国務長官訪中に際しては,米国側は中国側に対し,今後,中国を「友好国」として扱うこととし,そのために必要な国内法上の措置をとる旨伝え,米中関係発展につき積極的姿勢を示した。また,その関連で,両国の軍事面の交流拡大についても話合いを行った。
その後,南北サミットの際のレーガン・趙紫陽会議(10月),黄華外相訪米(10月),ステッセル国務次官訪中(11月)など種々のレベルで両国間の接触が重ねられている。
この間特に,中国側が,米国の台湾に対する武器売却は,中国の主権と領土保全を侵害するものであり,重大な内政干渉であるとして,これに強硬に反対し,関係後退をも考慮するとの強い姿勢を示したことから,これが米中関係を左右する大きな問題となり,米国としてはこれに対する対応を迫られることとなった。
(c) 対欧関係
中国は,EC各国をはじめとする西欧諸国との関係強化を引続き図っている(現在,西欧で中国と承認あるいは国交関係のないのは,ヴァチカン,モナコ,リヒテンシュタイン)。なお,オランダの台湾に対する潜水艦売却問題が紛糾し,中国は対オランダ外交関係を代理大使レベルに降格する措置をとった(5月)。
東欧との関係では,ルーマニア,ユーゴースラヴィアとの間の友好関係が引続き増進された。ポーランド情勢については,中国は外部からの干渉に反対し,ポーランド人民が問題を解決すべきである旨主張している。
(d) 対ソ関係
中国は,引続きソ連の覇権主義を非難しているが,他方,国境河川合同委員会会議,貿易会議などは継続されており,中国としては,ソ連との国家関係を現在以上に悪化させないとの姿勢を示している。
9月には,ソ連側から,78年以降中断している中ソ国境交渉再開の提案が行われたが,中国側は,本件交渉を進めるためには十分な準備が必要であるとの立場をとっている。更に,82年3月,ブレジネフ書記長のタシケントにおける演説の中で,中ソ関係修復の呼びかけが行われた。中国側はこれに対し,右演説に留意する,演説の中での対中攻撃は断固拒否する,中国が重視するのはソ連の「実際行動」であるとの立場を明らかにした。
(e) 対アジア関係
(i) カンボディア問題について,中国は,外国軍隊の完全撤退が問題解決のカギであるとして,引続き民主カンボディアをはじめとする抗越勢力を支持し,7月に開かれたカンボディア国際会議にも参加した。
(ii) 中国は,引続きASEAN諸国との関係発展を図っており,趙紫陽総理は,2月にタイ,8月にフィリピン,マレイシア,シンガポールを公式訪問した。
(iii) 南西アジア地域については,特にソ連のアフガニスタン侵攻以後,この地域に対するソ連の浸透を阻止するとの立場もあり,インドとの関係改善,パキスタンとの関係強化等の姿勢を示している。
(iv) 北朝鮮との間では,引続き関係の緊密化が図られており,1月に李鐘玉総理が訪中し,12月には趙紫陽総理が訪朝した。
(f) 対中近東・アフリカ関係
中近東との関係では,引続きソ連の進出に警戒心を高めるべきであるとの態度を強く打ち出している。アフリカに対しては,黄華副総理兼外交部長のアフリカ諸国歴訪(11月~12月)が行われ,また,タンザニア,チュニジア,シエラ・レオーネ,ザイール,トーゴーの各大統領,ジンバブエ首相らが訪中し,招待・訪問外交が積極的に進められている。
(ハ) 経済情勢
(a) 80年末から推進された経済調整政策強化の結果,81年には財政収支の均衡及び物価の安定が基本的に実現された。すなわち,財政赤字は,80年の127億元から27億元へと縮小し,小売物価上昇率も80年の6%から2%程度へと低下している。しかし,81年の財政収支の基本的均衡は,支出の削減の下に実現されたものであり,今後第6次5か年計画期(81年~85年)を通じ引続き調整を継続する必要があるとされている。
(b) 81年の農業生産は,総額1,692億元(対前年比4%増)程度となり,80年に比べ若干伸長している。これは,80年に不振であった食糧生産が3億2,500万トン(対前年比2.4%増)程度まで回復したこと,及び,経済作物が全般的に好調であったためである。
(c) 81年の工業生産総額は5,190億元(対前年比4%増)で,とりわけ軽工業生産の伸長が著しい(同13.6%増)。この結果,工業生産総額に占める軽工業生産のシェアは,51.3%となった。一方,重工業生産はやや停滞しており(同4.5%減),今後は一定の成長を維持することが必要とされている。81年の産業別生産状況を見ると,原油1億118万トン(同4.5%減),石炭6億1,700万トン(同0.6%減),電力3,067億kwh(同2.0%増),粗鋼3,560万トン(同4.1%減),化学肥料1,250万トン(同1.4%増),テレビ484万台(同94.3%増),ミシン1,020万台(同32.8%増),自転車1,740万台(同340%増)などとなっており,耐久消費財の伸長が顕著である。
(d) 大衆の生活水準向上に注意が払われ,賃上げやボーナスの支給などにより,都市労働者職員の年間平均賃金は,826元(対前年比8.4%増)程度となっている。また,農産物買上価格の引上げや副業奨励により,農民の収入も80年に比べ16%程度増加している。これに伴い,労働者,農民の貯蓄も増加し,81年末の貯蓄残高は労働者一人当り320元,農民一人当り26元であった。
(e) 対外貿易は,80年に続き伸長を続け,総額約400億米ドル(対前年比7.5%増),うち輸出209億米ドル(同16.1%増),輸入191億米ドル(同0.5%減)となった。主要品目としては,輸出では鉱工業品が41%を占め,輸入では農産物,軽工業材料などが60%近くを占めた。貿易収支は,18億米ドルの黒字となり,このほか貿易外収入のうち,観光収入が対前年比6億1,700万米ドル増(67%増)となったことから,国際収支事情は比較的良好で,81年末の外貨準備高は,47億7,300万米ドル(対80年末比2倍強)となっている。
(2) 我が国と中国との関係
(イ) 日中首脳会議(カンクン)
10月,メキシコのカンクンで開催された南北サミットに出席した鈴木総理大臣と中国の趙紫陽総理との間で首脳会談が行われ,国交正常化10周年に当たる82年に,両国首脳が相互訪問を行うことが約束された。
(ロ) 第2回日中閣僚会議
12月15,16日の両日,東京において第2回日中閣僚会議が開催された(共同新聞発表は資料編参照)。会議では,アジア情勢及び南北問題を中心とする国際情勢,両国の経済情勢及び二国間問題について率直な討議が行われた。
また,プラント問題に関する資金協力問題が最終的に解決を見,その一環として,400億円までの商品借款の供与に関する書簡の交換が行われた。
(ハ) 日中経済関係
(a) 81年の日中貿易は,往復103億8,900万ドル(対前年比10.5%増)と初めて100億ドルを超え,また,バランスでは,国交正常化後初めて我が国の入超(1億9,400万ドル)となった。
(b) 中国の経済調整政策の影響により,80年末ごろから我が国から輸出される予定のプラントの建設中止が決定されたため,同プラントの供給者である本邦企業と中国側との間で発注済プラントの引取りを巡り問題が発生した。
このため,2月に大来政府代表が訪中し,中国側の考え方の真意を聴くとともに,本邦企業と中国側との間で折衝が続けられた結果,中国側は発注済のプラントをすべて引き取ることを約束した。その後,中国側より,右プラントの建設継続のための資金協力が要請され,日中間で協議を重ねた結果,基本的合意に達し,12月に開かれた第2回日中閣僚会議において最終的に解決を見た。
(c) 政府ベースの円借款については,82年3月に,81年度分として供与限度額600億円の交換公文が締結された。8月には,「中日友好病院」建設計画に対する無償資金協力(供与期間3年,供与限度額160億円,うち初年度分23億2,000万円)の供与に関する交換公文が取り交わされた。
(d) 政府ベースの技術協力は,引続き,鉄道,企業管理,保健医療,農業,資源開発等の広範な分野で協力が進められている。
(e) 輸銀の石油・石炭開発金融(4,200億円)については,これまでの合計融資額は約1,800億円に達した。
(ニ) 中国残留日本人孤児問題
3月,47名の中国残留日本人孤児が,肉親捜しのため訪日し,うち24名の肉親が判明した。
次いで,82年2月から3月にかけては,第2回の訪日身元調査として孤児60名が来日し,うち42名の肉親が判明した。
(ホ) 人的往来と文化交流
日中間の人的往来は,72年(日中国交正常化当時)約9,000人であったのが,81年には127,000人を超え,次表のとおり両国閣僚レベルの往来も極めて活発になっている。
両国間の文化交流は,79年12月に両政府間で署名された文化交流協定等に基づき順調な進展を見せている。両国間の学者,留学生,芸術家,スポーツ選手等の交流,学術研究・調査の実施,各種公演,講演会,映画会等が実施されており,交流の規模は着実に拡大している。特に,留学生については,中国政府が我が国に派遣している留学生は,81年末で約750名(米国に次ぎ世界第2位)であり,我が国の給費する中国人留学生と合わせ800名以上に達している。
また,6月には,日中科学技術協力協定に基づく第1回協力委員会が北京で開催された。
更に,80年から実施された対中国日本語教育特別計画(中国人日本語教師に対する日本語研修)は2年目を迎え,我が国は,引続き,北京語言学院に設置された日本語研修センターへの講師派遣及び教材提供等を行ったほか,研修生の在日研修会実施のため,2月に研修員等127名を訪日招待した。
(3) 台湾
(イ) 内政
台湾においては,3月末から4月初めの間,4年半ぶりに国民党第12回全国代表大会が開催され,党の体制の整備と中央委員会メンバーなどの新陳代謝が行われた。その後,11月中旬には,県市長,県市議会議員の選挙が行われたが,同選挙が従来と異なり平穏に行われたことは,台湾の政情が一応安定している現れと見られた。
次いで,同月下旬,蒋経国指導部は,行政院5部長,台湾省主席,軍首脳等のポストの改造を行い人心の一新を図ったが,そのうち,懸案の多い経済,財政部長には企業家出身者及び若手をそれぞれ起用した。
(ロ) 外交
(a) 台湾は,81年も引続き外交関係を有する諸国(23か国)に対しては,現在の友好関係の維持・発展を,また,外交関係のない国に対しては,積極的に実務関係の強化を図ろうとしている。
外交関係のない国との実務関係の強化としては,81年において,ベルギー,オランダ,オーストリア,西独及び豪州が相次いで台北に貿易事務所を設けたこと及び12月に孫行政院長がインドネシアを非公式訪問したこと等が注目された。
(b) 81年は,辛亥革命70周年記念の年であり,9月末には葉剣英全人代委員長が9項目の提案(資料編参照)を行うなど中国側の統一の呼びかけが強まった。
これに対し,台湾側は,逆に「三民主義による中国統一」を主張し,中国側の呼びかけを拒否ないし黙殺するとの態度を変えていない。
ただし,香港を通ずる中台間の間接貿易は増えており,また,第三国においては,学者,スポーツ選手等による若干の接触が見られる。
(ハ) 経済
81年の台湾経済は,先進各国の景気の低迷,台湾内部の人件費の上昇による輸出の伸びの鈍化,これに伴う民間設備投資意欲の減退及び輸入の伸びの低下により景気不振の様相を深めた。鉱工業生産指数の伸びは前年比3.6%,実質経済成長率は5.5%であって,76年以来最も低い成長となった。このような状況において,台湾の経済にとり,輸出市場の多角化及び労働集約型産業から技術・資本集約型産業への転換がますます重要な課題となっている。
(ニ) 我が国との関係
(a) 来日台湾人の数は,79年の観光出国の自由化以来年々急増しており,81年は約31万人に増加した。
(b) 日台貿易は,累年台湾側の大幅入超であり,入超額は80年において前年を大幅に上回る28億5,000万米ドルを記録した後,81年においても28億8,000万米ドルと減少の気配はない(いずれも日本側通関統計)。本問題に関し,台湾側はかねがね日本側に対してその改善を要望していたが,82年2月以降,日本製の消費財1,500余品目及び大型バス・トラック等の輸入を禁止した。日本側は3月,本措置に抗議し,その撤回を求めた。
(c) なお,日台間のチャネルとしては,日本側の交流協会及び台湾側の亜東関係協会がある。