第2部

各説

第1章 各国の情勢及び我が国とこれら諸国との関係

第1節 アジア地域

1. 朝鮮半島

(1) 朝鮮半島の情勢

(イ) 韓国の政情

(a) 内政

80年の韓国は,学生デモ,光州騒擾,崔圭夏大統領から全斗煥大統領への政権交代等大きな政治変動に見舞われたが,81年は落ち着きを取り戻し,1月には非常戒厳令も解除され,新憲法の下で大統領選挙,国会議員選挙などが実施されて全斗煥新政権がスタートした。

81年及び82年3月までの主な国内動向は次のとおりである。

(i)  大統領選挙

まず,2月11日に大統領を選ぶための選挙人の選挙が行われ,次いで2月25日の大統領選挙には全斗煥大統領(兼民主正義党総裁),柳致松民主韓国党総裁,金鍾哲韓国国民党総裁,金義沢民権党総裁の4党首が立候補したが,全斗煥大統領が90.2%の多数票を得て当選した。

(ii)  国会議員選挙

朴政権下における政党ほすべて解散させられたが,国会議員選挙に向け,新政党結成の動きが活発となり,12の政党が結成された。

3月25日の選挙により,国会に議席を獲得できなかった4政党は規定により解散され,8政党が国政に参加することになった。この8政党は,民主正義党151(与党),民主韓国党81(旧新民党系),韓国国民党25(朴政権時代の与党系),民権党2(旧野党系),民主社会党2(革新系),新政党2(革新系),安民党1,民主農民党1,無所属11である。

4月11日には新体制発足後,初の国会が召集され,各党とも本格的な政治活動を開始した。

(iii)  新政府の施策

全斗煥新政権は,大統領選挙,国会議員選挙で多数票を得て,順調な滑り出しを見せた。

新政府は,その基本政策を韓国の政治風土に合った民主主義の土着化,真の福祉社会の樹立,社会正義の実現,戦争の脅威,貧困,権力乱用からの解放等に置くことを明らかにした。内政面では和の政治を目指し,野党指導者等との対話を進める一方,金大中氏に対する減刑(死刑から無期,1月23日),政治犯を含む服役者に対する恩赦(3月3日,8月15日,12月24日,82年3月3日),夜間通行禁止の解除(82年1月5日)などを行った。このほか,大幅な行政改革や汚職の追放にも着手するなど思い切った政策を推進してきた。

(iv)  内閣改造

82年1月3日,内閣改造が行われ,国務総理以下,経済閣僚を中心に6閣僚が更迭された。国務総理に劉彰順韓国貿易協会会長,副総理兼経済企画院長官に金竣成韓国銀行総裁が任命され,このほか,財務,建設,動力資源,統一院の各長官が交代し,また,大統領秘書室長,政務第1秘書官等大統領府と一部軍幹部が交代した。

(b) 外交

(i)  基本方針

全斗煥大統領は,82年1月22日の国政演説の中で,外交基本方針を次のとおり明らかにしている。

(あ) 同盟国及び友好諸国との既存の友好協力関係の拡大

(い) 成熟したパートナーシップとしての米韓関係の発展

(う) 相互尊重と理解に立脚した日韓善隣友好協力関係の発展

(え) アジア・欧州・中東・アフリカ及び南米諸国などとの既存関係の拡大と新しい関係の確立

(お)共産国家との対話のかけ橋構築に努力

(か) 南北双方の最高責任者による相互訪問の実現

(ii)  対米関係

米国と韓国との間には相互防衛条約が結ばれており,韓国にとっては,安定した米韓関係を発展させていくことがとりわけ重要である。レーガン米国大統領の就任(1月)直後,全斗煥大統領が米国を公式訪問(2月1~3日)したことにより,米韓関係におけるそれまでのもやもやした雰囲気は一掃され,米韓関係は緊密化に向かった。特に,全斗煥大統領とレーガン大統領との共同声明において,米国が在韓米軍を撤退しないことを確約したことは,韓国を大きく満足させるものであった。更に,米韓安保協議会の開催(4月),米韓経済協議会の開催(6月)等を通じ,在韓米軍の駐留継続の確認,対韓軍事援助の質的拡充,経済面での協力強化等が合意され米韓関係は円滑に推移した。

(iii)  欧州等その他先進国との関係

韓国は,近年,対外関係多角化の見地からヨーロッパ諸国との関係強化に関心を深めている。北欧諸国との関係においては,人権問題に関する根強い対韓世論の存在と地理的遠隔性とがあいまって未だ確固としたものにはなっていないが,8月末から9月にかけて,南国務総理は,北欧諸国(スウェーデン,デンマーク,フィンランド,ベルギー,EC委員会)を訪問し,これら諸国との関係の強化に努めている。12月には,盧泰愚大統領特使が西ドイツを訪れて,政府要人との会談を行った。他方,フランスからはフランソワ・ポンセ外相が訪韓した。

(iv)  非同盟諸国などとの関係

韓国は,81年を通じて非同盟外交を積極的に展開した。特に,ASEAN諸国とは訪問・招待外交を積極化し,7月,全斗煥大統領がASEAN5か国を歴訪したほか,タイからは,11月,プレム首相が訪韓した。12月には,盧泰愚大統領特使のアフリカ諸国訪問及びバグダッドで開催された非同盟諸国・開発途上国労働長官会議への権労働部長官の出席等の動きがあった。

韓国は,また,資源確保の観点から81年も前年に引続き対産油国外交を展開し,特に4月にはイラクと領事関係を樹立した。

韓国は,特に,中近東,アフリカを北朝鮮との外交競争の場ととらえ,これら地域の未修交国との関係設定,関係保有国との関係強化に外交努力を投入した。特に,3月の全斗煥大統領就任式の機会に,これら諸国から要人を多数招請した。

(c) 経済

韓国経済は,60年代から輸出主導型の工業発展を遂げ実質経済成長率10%台の高度成長を持続してきたが,79年には6.4形の成長にとどまり,80年には6.2%のマイナス成長と急激に失速した。韓国経済の問題点としては,高度成長期に慢性化した高インフレ体質,外資依存体質,輸出主導型成長パターンがあり,韓国経済が成熟するにつれ国際経済の変動の影響を受けやすい経済構造になったことが指摘されている。

81年経済は,物価安定を最優先課題としつつ,景気浮揚策として公共事業の前倒し発注や輸出促進を図るための輸出金融優遇策,ウォン・レートの切下げが実施されたが,80年のマイナス成長による消費購買力の減退,過剰設備及び金融引締めによる投資意欲の低迷等によって経済水準は79年度を若干上回るにとどまった。

輸出は,繊維等軽工業品を中心に好調を見せ,総輸出(サービスを含む)は,対GNP比40%を上回った。しかしながら,81年末から,輸出は大きく落ち込んでいる。

物価は,年初から強力な物価安定策がとられ,石油等原資材価格が安定したこともあって,卸売物価上昇率は前年比22.5%,消費者物価上昇率は同23.3%と80年に比して比較的安定した。

失業率は,4.4%と前年の5.2%より若干改善されたものの依然高い水準であった。

貿易収支,経常収支の赤字幅は,各々33億ドル,47億ドルと改善された。外貨準備高も69億ドルと前年比約3億ドル増加したものの,貿易規模との比較ではむしろ減少している。

(ロ) 北朝鮮の情勢

(a) 内政

北朝鮮においては,金日成主席を中心とする指導体制が堅持されている。81年は主体思想を基本指針とし,社会主義制度の強化を図る三大革命(思想,技術,文化)路線を推進する動きが,従来に引続き展開された。

党主要人事面では,金日成主席の子息金正日氏が82年2月の第7期最高人民会議代議員選挙で代議員に選出され,金正日氏は,党の要職に加えて初めて立法機関に参与することとなった。この動きは,事実上金正日氏が主席の後継者としての地位を占めるに至ったことを示すものと一般に見られている。

(b) 外交

(i)  北朝鮮の外交の基調としては,北朝鮮を友好的に遇するすべての国々と完全な平等と自主性,相互尊重と内政不干渉,互恵の原則に基づいて国家的,政治的,経済的及び文化的関係を結ぶとの方針が打ち出されている。

(ii)  北朝鮮は,77年に入り非同盟諸国との間の要人の往来に積極的に取り組んできた。81年中には,朴成哲副主席,李鐘玉総理,金永南党政治局委員,許ダム副総理兼外交部長などを団長とする政府及び党代表団ら要人がアフリカ,東南アジア諸国を往訪したほか,アジア,アフリカなどからの要人が北朝鮮を訪問した。

(iii)  北朝鮮は,81年を通じ,レバノン,セントビンセント,更に,82年2月にナウルと外交関係を新たに樹立した。この結果,82年3月現在で外交関係を有する国は104か国で,このうち韓国とも外交関係を有しているのは67か国である。

(iv)  中国及びソ連との関係においては,北朝鮮はバランスの保持に留意する態度を維持している。中国との関係は,基本的には良好な友好関係が維持されている。要人の交流としては,1月に李鐘玉総理が,また,11月に金永南党政治局委員が中国を訪問し,中国側からは,12月,趙紫陽首相が北朝鮮を訪問した。

他方,ソ連との関係においても,2月,李鐘玉総理を団長とする朝鮮労働党代表団がソ連共産党第26回大会に出席のため訪ソした。

なお,北朝鮮は,従来アフガニスタン問題に関する論評を一切控えてきたが,8月に平壌で開催された非同盟食糧・農業会議にアフガニスタン代表の入国を認め,アフガニスタン問題に関してソ連寄りの姿勢を打ち出したととが注目をひいた。

(c) 経済情勢

(i)  毎年1月の金日成主席の「新年の辞」において,前年の経済実績が発表される慣例であるが,本年は,具体的な工業成長率や穀物生産高等の数字は発表されていないことが注目される。北朝鮮では,経済関係の政府組織がしばしば改編されており,これらの点から,北朝鮮経済は伸び悩んでいると推測される。

今後の計画については,第2次経済7か年計画(1978~84年)の繰上げ達成が強調されている。

(ii)  北朝鮮は,81年末現在,西側諸国を含む諸外国に対し推定約20~30億ドルに達する債務を抱えていると伝えられる。

北朝鮮は,79年から81年にかけ西側各国業界との間で幾度か支払繰延べ合意を締結したが,支払いは滞りがちと言われる。対日債務は,約4億ドルであるが,現在ほぼ順調に返済されている。

(ハ) 南北関係

(a) 南北対話の現況

全斗煥大統領は,1月及び6月の2度にわたり,南北最高責任者の相互訪問及び会議開催を提案した。

更に,82年1月,全大統領は,南北代表が参加する民族統一協議会による統一憲法の起草・制定,統一実現までの措置としての「暫定協定」締結等を内容とする,具体的かつ包括的な南北統一構想を明らかにした(資料編参照)。

また,2月には国土統一院長官が,ソウル・平壌間の道路開通等20項目の提案を発表した。

しかし,北朝鮮側は,協定締結は南北分断を法的に固定するものである等非難するとともに,「高麗民主連邦共和国」樹立,在韓米軍撤退等を繰返し主張した。

北朝鮮側は,更に,南北の政治家による百人連合会議の招集を呼びかけたが,その中で韓国の政府当局,政党,団体を排除し,韓国側メンバーを一方的に指名する等韓国側にとって到底応じられないものであった。

韓国側は,南北最高責任者会談,民族統一協議会開催問題のほか,上記北朝鮮側提案にかかる会議開催問題を含め協議するため,南北双方9名の代表から成る予備会談を3月中に開催することを提案したが,北朝鮮側の応ずるところとなっていない。

(b) 軍事情勢

81年も朝鮮半島には依然として厳しい緊張状態が続き,非武装地帯の銃撃戦(5件),武装スパイの浸透(1件)等のほか,北朝鮮軍機による白ニヨン島領空侵犯,米軍のSR-71機に対するミサイル発射事件も発生した。米韓首脳会談(2月)では,北朝鮮の継続的な軍事力増強に対応するため,在韓米地上軍撤退計画が撤回されるとともに,在韓米軍の戦力強化と韓国軍の近代化の推進について合意が見られた。韓国は,国防費の対GNP比率を6%に維持するとともに,81年に終了した第1次戦力増強計画に引続き82年からの第2次戦力増強計画に着手した。

一方,これらの軍事的な措置と並行し,在韓国連軍司令部は,緊張緩和と信頼醸成を図るため主要演習の事前通告(12月)及び演習の相互視察(82年1月)を提案したが,これらに対する北朝鮮の態度は否定的である。

なお,81年末に北朝鮮が行った軍事演習及び82年春の米韓合同軍事演習「チーム・スピリット'82」は,いずれも定例的なものでありながら,規模においては従来を上回るものであった。

(2) 我が国と韓国との関係

(イ) 概観

65年の日韓国交正常化以来,日韓関係は,着実な発展を見てきており,両国間で広範な分野にわたって交流と協力が行われている。81年においても,両国関係の円滑な進展を図るため,双方の努力が引続き払われた。

3月に行われた全斗煥大統領の就任式には,我が国政府を代表して,伊東外務大臣が出席した。

8月には,盧信永外務部長官が来日して園田外務大臣との間で外相会談が行われ,9月には,ソウルで3年ぶりに第11回日韓定期閣僚会談が開かれた。

これらの会議においては,朝鮮半島の情勢及び経済協力問題をはじめとする両国間の諸問題につき意見交換が行われた。閣僚会議の共同新聞発表(資料編参照)では「両国の閣僚は,日韓両国が相手方の繁栄の中で自国の繁栄が可能であるとの共通の認識の下に,大局的な見地から相互信頼を構築していく必要性について認識を同じくした」旨述べられている。

81年及び82年初期における主な動きは次のとおりであった。

(ロ)経済協力問題

8月の外相会談及び9月の定期閣僚会議において,韓国側は,82年から開始される第5次5か年計画に対する協力として,我が国から60億ドルの政府開発援助を一括して供与して欲しいと要請した。

これに対し,我が国は,友邦の隣国である韓国が現在経済的諸困難に直面しつつ新しい国造りに努力を傾注していることを考慮し,我が国の経済協力の基本方針の下に,厳しい財政事情にもかかわらず,できる限りの協力を行いたいとの立場を表明した。

経済協力の方法,内容などにつき,両国間の考え方には大きな隔たりがあったが,その後外交ルート等による協議が行われ,82年1月及び2月の実務者協議を通じ,韓国側要請のプロジェクトにつき意見交換が行われた。これら折衝に基づき,3月には我が国からの中間回答が行われたが,経済協力の内容につき両者の立場に依然大きな差がみられ,本件問題は両国間の大きな懸案となっている。

(ハ)通商関係

日韓両国間の貿易は,国交正常化以来,日本側の出超が続いている。

しかし,81年の我が国の対韓輸出及び輸入は各々5%及び13%増加し,その結果,往復貿易額に占める出超幅は縮小し,徐々にではあるが,日韓貿易は拡大均衡に向かっている。

日韓間の生糸及び絹製品貿易については,秩序ある貿易を確保するため毎年協議を行っているが,81年度分については,年度末に至るも合意に達することができなかった。

(ニ)日韓大陸棚共同開発

大陸棚の共同開発事業は,80年5月から本格的な試掘段階に入り,同年5月上旬及び7月中旬に第5及び第7小区域において,また,81年10月上旬から12月中旬にかけて第7小区域において試掘が行われた。

しかし,いずれも微量の油・ガス徴はあったものの商業化可能量の炭化水素の発見には至らなかった。82年1月には,ソウルにおいて日韓大陸棚共同委員会第4回定例年次会議が開催され,共同開発の実施に関連する諸事項に関して協議が行われた。

(ホ)漁業問題

西日本水域における韓国漁船の操業問題について,政府は韓国側に対し,日韓漁業共同委員会等の場で,あるいは,外交ルートを通じ,韓国漁船の領海侵犯操業の中止及び日韓漁業協定合意議事録の尊重を働きかけてきている。韓国政府としても対策を講じているが,なお問題の抜本的解決を見るに至っていない。

竹島周辺水域の安全操業を確保する問題については,政府は引続き努力を払っている。

(ヘ)竹島問題

我が国は,韓国による竹島不法占拠に対し,従来から繰返し抗議してきており,11月にも,8月に行われた海上保安庁巡視船の調査結果に基づき,竹島における韓国側各種建造物の設置及び官憲の滞在につき抗議し,これらの撤去を求める口上書を発出した。

要人往来

貿易関係

民間投資

経済協力(政府開発援助)

(3) 我が国と北朝鮮との関係

我が国と北朝鮮との間には国交はないが,貿易,経済,文化などの分野で交流が行われている。81年における主な動きは次のとおりである。

(イ) 漁業関係

我が国と北朝鮮との漁業問題については,77年9月に結ばれた日朝民間漁業暫定合意書(82年6月30日まで有効)に基づき北朝鮮が定めている暫定操業水域内で,我が国の200トン以下の零細漁業者により漁業活動が行われている。5月には,北朝鮮による我が国漁船2隻(乗組員合計25名)の拿捕事件が発生した。

(ロ) 人的交流

(a) 81年中の邦人の北朝鮮への渡航者数は,841名であり,80年の746名に比し13%増加した。渡航目的のうち,最も多いのは商用であり,このほか観光,文化交流等があった。

(b) 一方,同期間中の北朝鮮からの入国者数は,270名であり,80年の258名に比し5%増加した。入国目的の大部分は商用であった。

(c) 更に,同期間中の在日朝鮮人に対する北朝鮮向け再入国許可数は4,101件であり,80年の4,245件に比し,2%減少した。大部分は親族訪問等の人道的なものであり,このほかに学術・文化交流,商用等があった。

(ハ) 日朝貿易

81年の日朝貿易は,前年比25%減となった。対北朝鮮輸出は機械類が,輸入は金属鉱などが中心である。

貿易関係

 

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