第2節 世界経済再活性化と南北問題解決への貢献
1. 世界経済再活性化に向けての努力
(1) 1981年の世界経済の動き
世界経済は,81年においても依然として高インフレ,失業増大,国際収支不均衡等第2次石油危機の後遺症を抱え,各国においてこのような経済的諸困難を克服する努力が続けられた。
(イ) 先進工業国
石油価格の高騰を契機とする世界的インフレと景気の低迷に対処するに当たり,経済の安定的発展を図るには,まず物価の上昇を抑制する必要があるとの考えから,多くの国では金融面を中心に厳しい緊縮政策がとられてきた。こうした努力の結果,物価の上昇傾向には鈍化が見られるようになり(OECD諸国の消費者物価上昇率:80年12.8%→81年10.6%),石油需給も緩和状態になったが,物価騰勢は依然として高水準で推移した。
また,各国の金融引締政策等により,金利は世界的に高水準となり(例えば,米国プライム・レートは81年頭初から秋口まで20%前後の高水準で推移),これが石油価格高騰のデフレ的効果に加わったため,多くの先進工業国においては景気回復の遅延や景気後退を余儀なくされた(OECD諸国の実質GNP成長率:80年1.20%→81年1.25%(実績見込み))。こうした状況下,失業者数も増大し(OECD諸国の失業率:80年5.8%→81年6.8%),これが各国で大きな政治問題,社会問題となった。
国際収支面においては,石油消費の節約努力や景気停滞を背景とする石油輸入の減少等により先進工業国全体としては赤字幅が縮小した(OECD諸国の経常収支:80年△727億ドル→81年△350億ドル(実績見込み))。
こうした中で,多くの欧米諸国において,中長期的な観点から供給面を重視しつつ,経済の再活性化を図る努力が行われた。特に,米国,英国においては,「小さな政府の実現」と「自由市場経済の活用」を志向する政策が打ち出された。これに対し,フランスにおいては,5月にミッテラン社会党政権が誕生し,公共部門を重視した政策を採用している。
他方,世界貿易は停滞し(81年輸出額前年比伸び率△2.7%),欧米諸国においては失業増大等を背景に保護主義的動きが高まった。こうした動きは,先進工業国間においていわゆる貿易摩擦問題を惹起し,自由貿易体制の維持・強化が大きな課題となった。
(ロ) 開発途上国等
開発途上国について見ると,非産油国では,先進工業諸国の景気停滞や一次産品市況の軟化等を背景に輸出が低迷し(輸出前年比:80年25.5%→81年2.9%(実績見込み)),多くの国において景気の鈍化傾向が見られた(非産油開発途上国の実質GNP成長率:79年4.9%,80年4.4%,81年4.4%未満(実績見込み))。このような状況下で,国際収支の赤字は拡大傾向を示し(非産油開発途上国の経常収支:79年△380億ドル,80年△600億ドル,81年△680億ドル(実績見込み)),対外債務累積等非産油開発途上国の経済情勢には厳しいものがあった。
産油国においては,石油需給の緩和を背景としてサウディ・アラビア以外の国々の経常収支に黒字縮小ないし赤字転化が見られ(OPECの経常収支:80年1,100億ドル→81年600億ドル(実績見込み)),その結果,幾つかの国においては財政上の困難を来たすことが懸念された。
他方,東側諸国の経済を見ると,81年にはソ連・東欧諸国を中心に経済停滞が深刻化し,対外債務累積も大きな問題となっている。
(2) 我が国の外交努力
(イ) 基本的立場
今日の世界経済の大きな特徴の一つは,相互依存関係の深まりということであり,いずれの国の経済も世界経済と密接にかかわり合いを持っている。このような状況において,資源に乏しく貿易に大きく依存している我が国の繁栄の基礎は,世界経済の安定と発展にあることは言うまでもないが,自由世界第2位の経済力を有する我が国の国際社会における責任という観点からも,我が国としては,世界経済の諸困難を克服し,その再活性化を図っていく努力に積極的に貢献していくことが肝要である。
(ロ) 81年の日本経済
81年の世界経済は,上記のように厳しい状況下にあったが,その中にあって,我が国経済は,第2次石油危機の影響を比較的順調に乗り越えてきた(81年の実質GNP伸び率,経常収支,消費者物価上昇率は,それぞれ,2.9%,47.3億ドル,4.9%)。物価については,春以降落着きを取り戻し,景気は緩慢ながら一応回復の傾向を見せた。しかし,内需の回復は鈍く,輸入需要は低迷し,経済成長の多くを外需に依存する形となったため,失業等の諸困難を抱える欧米諸国との経済摩擦が大きな問題となった。
(ハ) 我が国の対応
(i) 以上のような状況に対し,我が国は,次のような観点から適切に対処すべく,諸般の外交努力を重ねてきた。
(a) 経済の再活性化
欧米主要国を中心に世界経済は依然として低迷し,失業の増大,高水準のインフレ等に悩んでいる。こうしたスタグフレーションの状況に対処するためには,各国が独自にあるいは相互に協力しつつ,適切な需要管理政策を行うとともに,供給面でも中長期的に構造調整を進めるべく種々の施策を講じ,もって経済の再活性化を図っていくことが肝要である。
供給面での具体的施策としては,(あ)設備投資や技術開発の促進により生産性の向上を図ること,(い)賃金決定メカニズムの硬直化傾向を改善すること,(う)政府部門の肥大化を防止し,民間部門の活力を維持すること,(え)省エネルギーを推進し,代替エネルギー開発を一層促進すること等が挙げられる。
以上のような諸施策は,一朝一夕にその成果が現われるものではなく,その実施の過程で一時的な失業の増加や公共サービスの低下等が生ずることも予想される。したがって,こうした施策に対する国民の支持を得ることが,経済再活性化のために極めて重要な要素となる。
(b) 自由貿易体制の維持・強化
欧米諸国においては,近年,保護主義の高まりが改めて顕著となっている。その背景としては,これら諸国において失業等の経済的諸困難が深刻化していることに加え,重要な産業分野において競争力が低下し,これに対する防御的動きとして外国からの競争を制限すべしとの声が国内で強まっている点が指摘される。
しかし,保護主義的な措置は,世界貿易の健全な発展を阻害するのみならず,非効率な国内産業の温存を通じてその国の長期的な経済発展をも妨げ,更には,その国の消費者が安価,良質の商品を選択する余地をも奪うことは明らかである。
したがって,各国とも貿易面で市場の一層の開放等を促進するとともに,経済の再活性化を進め,もって世界経済・貿易の拡大均衡を図るべく,より一層の努力を重ねていく必要がある。
(c) エネルギー対策の推進
81年第2四半期以降,国際石油情勢は基本的に緩和基調で推移してきているが,その先行きについては依然として不透明感があり,また,中長期的に見た場合,産油国側における資源温存的な価格・供給政策,開発途上国を中心とした今後の需要増等の要因もあり,再び需給が逼迫化する可能性がある。したがって,我が国をほじめとする先進消費国としては,現状に満足することなく,今後とも石油依存型経済からの脱却を目指し,省エネルギー及び代替エネルギーの開発・導入を積極的に推進していく必要がある。
(ii) 我が国は,従来,主要国首脳会議(サミット),OECD,GATT,IEA等における国際協力に積極的に参加・貢献してきたが,81年においても上記のような考え方に立って,世界経済の安定と発展を図るべく,これらフォーラムにおける議論に活発に参加し,建設的な役割を果たしてきた。
例えば,7月にはオタワにおいて第7回主要国首脳会議が開催された(宣言ほかの関連文書は資料編参照)が,鈴木総理大臣は,同会議の初日冒頭に各議題を通じての基本的考え方をまとめて発言し(資料編参照),これが会議全体の基調をなすこととなった。具体的には,総理は,(イ)サミット諸国間の連帯と協調(和の精神)の強化,(ロ)西側経済の再活性化,(ハ)自由貿易体制の維持・強化等を強調し,これがそのまま共同宣言の骨格となった。また,総理は,構造調整の必要性,GATT閣僚会議の重要性等に言及したほか,サミット参加国がアジア諸国をはじめ第三世界の期待と関心に十分留意すべき旨述べ,各国首脳の理解を得た(その結果は,例えば,宣言において政府開発援助の拡充,農業開発,人造りの技術協力などの南北問題関係部分に反映されている)。
また,81年においては,欧米諸国とのいわゆる経済摩擦が大きな問題となった。同年前半においては,自動車等個別産品の我が国から欧米諸国への輸出増大が問題となったが,我が国は,それぞれの問題につき自由貿易を維持しつつ諸外国との協調を図るとの観点から,適切な対応に努めた。
更に,81年後半に至り,欧米諸国は大幅な対日貿易不均衡を背景に,我が国に対し包括的な貿易不均衡是正策を強く要請してきた。これに対し,我が国は,世界経済における我が国の立場を踏まえつつ,貿易の拡大均衡を図るとの見地から内需の回復等適切な経済運営を行うとともに,一層の市場開放等を促進していくべく,鈴木総理大臣を中心に政府・与党が一体となって対外経済問題に真剣に取り組んだ。
特に,12月の経済対策閣僚会議においては,(あ)市場開放対策,(い)輸入促進対策,(う)輸出対策,(え)産業協力対策,(お)経済協力対策の各項目から成る「対外経済対策」を決定した。その後,政府は,同対策の着実な実施を図っているが,市場開放対策のうち関税については,82年4月から東京ラウンド合意に基づく関税率段階的引下げの2年分繰上げ(対象1,653品目)を実施した。また,非関税面では,輸入検査手続等の改善(73項目),市場開放に関する苦情処理推進本部(OTO)の設置などの措置をとった。更に,このような政策努力をはじめ,我が国に対する理解を深めるべく,諸外国に対する広報活動を強化した。その後も,一層の市場開放を進めるべく,諸般の努力を継続している。
2. 南北問題解決への努力
(1) 主要な動き
世界経済は,81年も引続き低迷し,開発途上国・特に非産油開発途上国の経済の窮状は深刻さを増している。このような状況の中にあって,81年には,南北サミット,新・再生可能エネルギー国連会議,後発開発途上国(LLDC)国連会議等南北問題に関する大きな国際会議が相次いで開催され,注目を浴びた。他方,国連包括交渉(GN)については,国連総会,南北サミット等の場において早期発足のための努力が払われたが,いまだ発足には至っていない。
我が国は,各国間の相互依存関係が深まった今日の国際社会において,開発途上国の経済的,社会的発展を促すことが世界経済の調和のとれた拡大的発展,ひいては世界の平和と繁栄にとって不可欠であるとの認識に立って,建設的な南北対話の進捗に引続き取り組んでいる。
(2) 南北サミット
80年2月に公表されたブラント委員会報告は,現下の緊急問題の解決に向けて,開発途上国を含む世界の指導者が集まる首脳会議の開催を提唱したが,これに着想を得て,10月にメキシコにおいて南北サミット(協力と開発に関する国際会議)が開催された。すなわち,8月に22か国の外相による準備会合が開催され,続いて10月に同じ22か国の首脳が一堂に会してメキシコのカンクンにおいて南北サミット本会議が開催された。我が国からは,鈴木総理大臣が出席し,園田外務大臣,河本経済企画庁長官ほかが随行した。
会議では正式な議題は設けず,「討議の枠組み」が定められ,これに従い,(イ)食糧安全保障,農業開発,(ロ)一次産品,貿易,工業化,(ハ)エネルギー及び(ニ)通貨・金融の4分野に関して活発な討議が行われた。鈴木総理大臣は,相互依存と連帯の精神を機軸とし,南北対話の推進,経済協力,特に政府開発援助(ODA)の重要性,今世紀の人類の課題としての食糧・農業問題の解決,「人造り」の重要性を強調した(総理冒頭発言は資料編参照)。
会議の一つの焦点であった国連包括交渉の発足問題については,首脳間で直接議論の末,国連の場で「GNを開始するとの全会一致の決定が得られることを,緊急性を認識して国連において支持することが望ましい」旨合意され,議長総括(資料編参照)に盛り込まれた。
南北サミットは,協力と開発の問題及び世界経済の再活性化について南北双方の首脳が一堂に会して討議を行った史上初の全世界的規模でのサミットであった。各国の指導者がかかる形で自由な意見交換を行ったことは,今後の世界経済の運営,ひいては平和と繁栄の維持に大きな貢献を果たしたものと考えられる。
(3) 国連包括交渉(GN)
石油価格の高騰による非産油開発途上国の窮状の深刻化を契機として,79年末の第34回国連総会において,エネルギー,一次産品,貿易,開発,通貨・金融の5分野における包括交渉を行うことが決議された。その後,国連においてGNを発足させるための準備交渉が進められたが,交渉の手続・議題等を巡り南北間の合意が成立していない。特に,81年は10月に南北サミットが開催され,我が国を含む世界の主要国の首脳により,国連の場でGNを開始するとのコンセンサスのできることが望ましい旨合意されたことから,同年秋の第36回国連総会における審議の行方が注目された。
我が国は,GNの政治的重要性を認め,GNの公式・非公式協議を通じて重要なメンバーとして討議に活発に参画してきている。81年末の第36回国連総会においても,我が国は,南北サミットでの合意を踏まえできる限り早期に包括交渉の準備が整うことが望ましいとの方針で臨み,西側主要国,開発途上国と密接な協議を行い,コンセンサスの醸成に努めた。
しかしながら,第36回総会においても,特に,包括交渉の本会議を開くか予備会議を開くか,あるいは,GNの中央機関と分野ごとの討議を行う専門機関との関係をいかにするか等を巡って合意が成立せず,GN発足問題は82年以降に持ち越されることとなった。
(4) 新・再生可能エネルギー国連会議
新・再生可能エネルギー国連会議は,8月にケニアのナイロビで開催され,太陽エネルギー,バイオマス,風力等14種類の新エネルギー源及び再生可能エネルギー源の開発及び利用促進措置を盛り込んだ「ナイロビ行動計画」を採択した。
我が国は,同会議が国連においてエネルギー問題を取り上げる初めての機会であり,また,その成否は将来の南北対話の進展に極めて重要な影響を及ぼすとの認識の下に,準備段階から積極的に参画し,都合5回の準備委の議長国を務めたほか,会議事務局にエネルギー問題の専門家を派遣するなど会議の実務的準備と運営に重要な方向づけを行った(我が国の大来首席代表の演説については資料編参照)。
(5) 後発開発途上国(LLDC)国連会議
LLDCは,開発途上国の中でも特に開発の遅れた国であり,これら諸国の80年代の開発を促進するとの観点から,第5回UNCTAD総会において,「1980年代新実質行動計画」を完成し,採択するためのLLDC国連会議の開催が決議された。
この決議に基づき,LLDC国連会議は,9月,パリにおいて開催され,「1980年代新実質行動計画」が全会一致で採択された。
同会議において,我が国は対LLDC援助の拡充を含む行動計画採択のために積極的な活動を行い,参加各国,特にLLDCから高く評価された(我が国の北原首席代表の演説については資料編参照)。
(6) 国連貿易開発会議(UNCTAD)における動き
81年のUNCTADの活動は,第5回UNCTAD総会で提起された諸問題のフォロー・アップに焦点が合わされ,多くの点で進展を見た。特に,世界経済の停滞が続き,保護主義的圧力が台頭する中にあって,第5回UNCTAD総会以降の懸案であった保護主義・構造調整のレヴューの仕方につき合意を見たことは,重要な成果であった。このような動きの中にあって,我が国は,80年8月から81年7月末までの1年間,UNCTADにおけるBグループ(西側先進国グループ)の議長国を務め,南北対話の推進に大きな貢献を行い,関係各国からも高い評価を受けた。