第3章 1981年の我が国の主要な外交活動

第1節 各国との関係の増進

1. アジア地域

(1) 概要

アジア諸国との関係を一層緊密にするとともに,この地域の平和と安定のために政治・経済的な役割を積極的に果たしていくことは,我が国外交の重要な柱である。

81年のアジアは,急激な変化もなく総じて安定的に推移したが,国際経済環境が厳しさを増す中で,各国ともそれぞれ困難な対応を迫られた。

また,カンボディア問題は膠着化の兆しを見せ,インドシナ難民やアフガン難民の問題も未解決のまま存続した。

このようなアジア情勢の中で,我が国は,1月に鈴木総理大臣が東南アジア諸国連合(ASEAN)を構成する5か国を歴訪したのをはじめ,伊東外務大臣が3月に韓国,4月に中国を訪問,また,園田外務大臣が6月にASEAN拡大外相会議(マニラ),7月にカンボディア問題国際会議(ニューヨーク)に出席するなど,積極的なアジア外交を展開し,アジア地域の平和と安定の増進に格段の努力を行った。

(2) 朝鮮半島

(イ) 朝鮮半島における平和と安定の維持は,我が国を含む東アジアの平和と安全にとって重要である。我が国としては,実質的な南北対話の再開等を通じ,同地域の緊張が次第に緩和されることを強く希望しつつ,中国,米国など朝鮮半島に大きな関心を有している諸国との意思疎通を深め,同地域の緊張緩和に側面的に貢献する努力を行った。81年から82年初めにかけて我が国が朝鮮半島を巡って行った主な関係諸国との意見交換は,レーガン米国大統領・鈴木総理大臣会談のほか,中国及びソ連との事務レベル協議などである。

南北対話については,全斗煥韓国大統領が1月及び6月に無条件の南北対話再開提案を行い,82年1月には,平和統一へ向けての具体的提案(資料編参照)を行ったが,残念ながら対話は実現するに至っていない。我が国としては,全大統領の諸提案は建設的なものであると評価しており,実質的な対話が再開されることを期待しつつ,今後の推移を注視している。

(ロ) 我が国は,韓国との友好協力関係を重視しており,両国間のあらゆる分野での交流の強化を通じ,国民的基盤に立脚した日韓関係の構築に努力している。日韓間の交流強化の必要性については,3月の全斗煥大統領就任式出席のために訪韓した伊東外務大臣と盧外務部長官の間で確認され,8月の日韓外相会談及び9月の第11回日韓定期閣僚会議(共同新聞発表は資料編参照)の際にも確認された。韓国は,8月の日韓外相会談において,韓国の第5次経済社会発展5か年計画に対する協力として,我が国から5か年にわたり総額60億ドルの協力を得たい旨要請してきたが,この経済協力問題は日韓間の重要な懸案となるに至った。

(ハ) 我が国は北朝鮮との間では,貿易,経済,文化などの分野における交流を徐々に積み重ねていく方針を維持している。

(3) 中国

(イ) 中国との間に良好にして安定した関係を維持・発展させていくことは,我が国外交の主要な柱の一つであり,日中間の友好協力関係の増進は,アジア地域,ひいては世界の平和と安定に寄与するものである。

現在,中国が近代化路線を推進し,経済的にも対外開放体制をとっていることは,我が国を含む西側諸国にとっても好ましいことであり,かかる観点から我が国としては,中国の経済建設に対しできる限りの協力を行っていくこととしている。

(ロ) 10月に鈴木総理大臣と趙紫陽総理との間の首脳会談が,両首脳の南北サミット(カンクン)出席に際して行われ,両国関係を中心に意見交換が行われるとともに,国交正常化十周年に当たる82年には両首脳が相互訪問を行うことが決められた。

12月には,東京で第2回日中閣僚会議が開かれ,国際情勢,両国関係など幅広い問題について率直な討議を行った(共同新聞発表は資料編参照)ほか,81年初めから両国間で懸案となっていたいわゆるプラント問題の最終的解決が達成された。

(ハ) 両国の経済関係も順調に進展し,81年の貿易額は,史上初めて往復100億ドルを突破した。

日中間の人的往来,文化交流も引続き増進した。また,中国側の協力を得て,中国残留日本人孤児が81年,82年,肉親捜しのため訪日し,半数以上の身元が判明するという成果を収めた。

(4) ASEAN諸国及びビルマ

(イ) ASEAN諸国は,近年の困難な国際環境の中で,市場経済の活力を十分に生かして着実に経済・社会開発を推進し,年々高い経済成長を達成するとともに,5か国の連帯と協力を通じて東南アジアの安定と発展に大きく貢献している。我が国は,ASEAN諸国の国家及び地域としての強靱性強化に向けての自助努力を積極的に支援するとともに,地域協力機構としてのASEANが活力ある協力体として発展することを支持している。また,我が国は,東南アジアと南西アジアの境に位置し,独自の内政・外交を展開するビルマとの友好協力関係の増進を重視している。

(ロ) 特に,81年は,膠着化の兆しを見せるカンボディアの情勢を前に,同問題の包括的政治解決を目指すASEAN諸国の連帯及び彼らと志を同じくする域外国との協力が一段と力強く進められた年であり,また,我が国とASEAN諸国との広範囲な分野にわたる協力関係も1月の鈴木総理大臣の歴訪を契機として新たな発展を刻することとなった。

まず,1月に鈴木総理大臣は,ASEAN重視の立場に立ち,総理就任後初の外国訪問としてASEAN5か国を歴訪し,各国首脳と東南アジア情勢,二国間関係,日・ASEAN協力の在り方等について隔意のない意見交換を行うとともに,最後の訪問国であるタイのバンコクでは歴訪の成果を総括して我が国の東南アジア外交の基本姿勢を明らかにする政策演説(バンコク・スピーチ)を行った(各国との共同新聞発表及びバンコク・スピーチは資料編参照)。この総理歴訪により,日・ASEAN友好信頼関係は一段と確固たる基盤を確立し,81年から82年初めにかけて総理の約束事項である二国間の協力案件及びASEAN工業プロジェクトヘの資金協力が速やかに実施に移され,また,ASEAN人造りプロジェクト及びASEAN地域研究振興計画の実施につき日・ASEAN間で鋭意協議が進められた。

また,園田外務大臣は,6月,マニラで開催されたASEAN拡大外相会議に,豪州,カナダ,欧州共同体(議長国オランダが代表派遣),ニュー・ジーランド,米国の各外相と共に臨み,日・ASEAN外相会議では,カンボディア問題解決のための一つの方策として,

(i)  平和維持軍の導入,ヴィエトナム軍の段階的撤退などの軍事面での施策

(ii)  国連選挙監視団の派遣による自由選挙実施,主要関係国による国際的保障,ヴィエトナム・カンボディア国境に非武装地帯設置といった政治面での施策

(iii)  難民の帰還促進,カンボディアに対する復興援助といった人道面の施策等につき我が国なりの考え方を提示するとともに,カンボディア問題解決のため,今後ともASEAN側と緊密に協力していく意向を表明した。更に,園田外務大臣は,翌7月,ニューヨークで開催された国連のカンボディア国際会議に出席し,ASEAN諸国,その他の志を同じくする諸国と協調しつつ,カンボディア問題の包括的政治解決に向けて建設的な貢献を行った。

このほか,日・ASEAN協力の具体的事業として,6月にASEAN貿易投資観光促進センターが本邦に開設され,また,82年1月にはジャカルタにおいて第5回目の日・ASEANフォーラムが開催された。

(ハ) また,4月にビルマのネ・ウィン大統領,11月にタイのプレム首相が訪日(共同コミュニケは資料編参照)し,鈴木総理大臣ほか我が国要人と会談を行ったほか広く各方面を視察した。この機会に,伊東外務大臣とウ・レー・マウン=ビルマ外相,また,園田外務大臣とシティ=タイ外相との会談も行われた。このビルマ及びタイ両国首脳の訪日により,我が国と両国との友好協力関係の一層の増進が図られた。

(5) インドシナ地域

(イ) カンボディア問題

インドシナにおいては,81年もヴィエトナムのカンボディアに対する武力介入が継続し,引続き東南アジア地域の不安定要因となった。我が国は,ヴィエトナムの武力介入は国際社会の基本原則に反するものとして容認し得ず,同地域の恒久的な平和と安定のために,カンボディア問題の包括的政治解決を達成すべきであるとの基本的立場に立って,引続きASEAN諸国の立場を支持し,国際世論の支持の下これら諸国と共に平和回復に努力するとの外交政策を展開した。

まず,鈴木総理大臣のASEAN歴訪に際しては,ASEAN諸国の立場を支持するとの基本姿勢を改めて明確にし,併せて,カンボディア国際会議開催を求める国連決議の実施のため適切な措置をとるよう国連事務総長に働きかけを行った。また,追って関係諸国を歴訪したエサフィ国連事務総長特使に対しても同様の考え方を伝えた。

こうした我が国及びASEAN諸国の働きかけにこたえて開催されることとなったカンボディア国際会議を建設的なものとすべく,我が国は日・ASEAN外相会議において,上述のとおり包括的政治解決の要綱(マニラ提案)を提示した。また,国際会議には園田外務大臣が出席して,ヴィエトナムに対し国際社会の呼びかけにこたえてカンボディア問題解決のための交渉に参加するよう訴えた。また,我が国は,同会議の宣言・決議(資料編参照)のコンセンサスによる採択のために積極的に貢献を行い,更に,国際会議暫定委員会の一員にも選出された。

秋の第36回国連総会においては,右国際会議の宣言・決議をエンドースするASEAN決議案の共同提案国となり,同決議は過去のASEAN決議案を上回る圧倒的多数の支持を得て採択された。

(ロ)インドシナ難民問題

インドシナ3国から難民が流出し始めて以来7年を経た今日も,ASEAN諸国などには約22万人(82年2月末現在)のインドシナ難民が滞留しており,81年を通じ本問題は長期慢性化の様相を呈するに至っている。

我が国は,本問題が依然として人道上及びアジア・太平洋地域の平和と安定にかかわる重大な問題となっているとの認識から,81年度においても問題解決のため引続き多大の努力を払った。

すなわち,80年度(1億ドル)に引き続き81年度においても,総額約8,100万ドルに上る大口の資金協力を行ったほか,4月には定住枠を3,000人に拡大して我が国への定住受入れに努め,また,ボート・ピープルに対しては引続きほぼ無条件で一時庇護を提供するなど,救済の枢要な3分野で貢献を行った。更に,タイにおける我が国政府派遣の医療チームや民間諸団体の献身的活動も81年を通じ一層の評価を受けるようになるなど,我が国のインドシナ難民対策は,国際的に高く評価されるようになっている。

(6) 南西アジア

南西アジア地域は,世界の人口の約5分の1(約9億)を占める地域であるほか,国連,非同盟,第三世界等の場で大きな発言力を持つ諸国を有する重要な地域である。

同地域は,ソ連のアフガン軍事介入により大きな影響を受けたが,他方,ここ1年間にインド・パキスタン,インド・中国及び米国・パキスタンの関係改善並びに南アジア地域内協力の発足など同地域の安定を増する動きも見られた。

我が国は,従来,南西アジア諸国とは極めて友好的な関係にあり,経済技術協力面でも同地域を積極的に支援してきているが,同地域の占める重要性にかんがみ,インド,パキスタンをはじめとする同地域諸国との政治的対話を活発化するよう努めている。これら対話の過程で,我が国としても上記のインド・パキスタン,インド・中国等の関係改善がアジア全体の平和と安定の増進に資するものとしてこれを評価するとともに,この動きが順調に進展することを期待する旨表明している。

2. 大洋州地域

(1) 豪州及びニュー・ジーランドは,我が国と共にアジア・太平洋地域に属する先進民主主義国であり,両国の鉱物及び農業資源の我が国への輸入並びに工業製品の我が国からの輸出という経済的相互補完性,更には,両国近海での我が国漁船の操業などを基礎として,我が国との間に政治的にも経済的にも密接な関係を維持し,発展させてきている。

我が国は,両国との貿易・経済関係の重要性を十分認識しつつ,両国との二国間関係の緊密化及び多様化を進めるとともに,更に,アジア・太平洋地域の安定と繁栄のためには両国との協力が重要であるとの観点から,両国との間に緊密な協力関係を発展させていくとの方針を有している。

豪州との関係では,1月に日本側から伊東外務大臣及び豪州側からアンソニー副首相・貿易資源相,ストリート外相はじめ両国の関係閣僚が出席して第6回目豪閣僚委員会が東京で開催され,二国間経済関係及び国際経済情勢を中心に有意義な意見交換が行われ,友好協力関係が増進された。このほか,我が国は,二国間関係のみならず国際政治,経済上の諸問題につき豪州との間で緊密な協議を維持し,友好協力関係の強化及び拡大を図った。

ニュー・ジーランドとの間では,4月にマルドゥーン首相が我が国を公式訪問し,鈴木総理大臣との首脳会談などを通じて両国間の友好協力関係が一層緊密化された。

(2) 南太平洋島嶼諸国は,自助努力による国家建設に努めるとともに,南太平洋フォーラム(SPF)などの場を通じて経済・社会開発のため域内協力を推進しており,また,我が国からの経済協力への期待も大きい。

我が国は,これら島襖諸国の経済・社会開発のための自助努力に呼応して経済協力を積極的に行い,また,人的交流などを通じて各国との友好協力関係を増進し,南太平洋地域の安定と繁栄に資していく方針である。

81年には,我が国は,これら島嶼諸国に対し,技術協力及び無償資金協力を中心とする経済協力を進めるとともに,招待外交などを通じ友好協力関係の増進に努めた。

3. 北米地域

(1) 米国

(イ) 我が国は,日米両国を含む西側先進民主主義諸国が,国際問題について緊密に連絡をとりつつ,それぞれの国力,国情に応じて協力しながら,西側全体の総合的利益に寄与し,もって世界の平和と繁栄を確保することが肝要であると考え,日米両国がこの西側の協力の柱とならなければならないと考えている。国際社会における日米両国の大きな地位と深刻な国際情勢にかんがみ,我が国外交の機軸である日米友好協力関係を強化・発展させる必要性は,ますます高まっていると言える。

一方,米国は,従前の国力と国際的地位の相対的低下に加え,経済・財政を中心に極めて困難な国内問題に当面しているが,それにもかかわらず,厳しい国際情勢を背景に,自由世界の指導的地位にある国としての責任と役割を果たすべく,自らの国力の維持・強化に努めている。同時に,米国は,自由世界の利益の擁護・増進のため,その同盟・友好諸国が一層の貢献を行うことを期待し,わけても,そのような貢献を行いうる国として,我が国に対しますます大きな期待を寄せている。日米関係の重要性に対する双方の考え方は,基本的に一致していると言える。

(ロ) 5月の鈴木総理大臣の訪米は,レーガン新大統領との間で,以上のような日米関係の重要性を確認し,両国間の協力強化について協議するためであった(共同声明は資料編参照)。

鈴木総理大臣とレーガン大統領は,東西関係,アジア情勢を中心とした国際情勢,防衛問題をはじめとする日米二国間関係等,両国が共通に関心を有する諸問題について幅広く意見交換を行った。とりわけ,防衛問題については,日米安保条約の果たしている重要な役割が再確認された。すなわち,我が国の防衛努力については,鈴木総理大臣は,我が国の世論の動向,財政状況,他の諸政策との整合性,更に近隣諸国への影響等の要素に十分配慮しつつ,自主的に,かつ,憲法及び基本的防衛政策に従って,着実に防衛力の整備を続けると述べ,これに対し大統領から,日本が憲法等の制約の範囲内で防衛力の整備に努力してきたことに対する評価とそのような努力を続けることへの期待が表明された。なお,防衛問題に関連し,総理大臣は,極東の平和と安定のための日本の役割は,政治,経済,社会,文化等広範な分野にわたる積極的平和外交の展開に重点がおかれることを説明した。

これらをはじめとする意見交換を通じて,日米両国は,自由,民主主義,開放経済という基本理念を共有しつつ,日米安保条約に基づく安全保障関係や経済関係など広範な分野において利益を分かち合い,協力し合う緊密な同盟関係にあること,そして,そのような両国が世界の平和と活力ある国際社会の実現のため,一層連帯・協力していくことが今や強く求められていることが確認された。

(2) カナダ

(イ) 我が国とカナダは,政治・経済理念を共有する先進民主主義国であるとともに,自由世界における重要なパートナーである。日加関係は,近年貿易経済関係を中心に拡大発展を遂げてきているが,政治・文化・科学等の諸分野を包含した一層成熟した日加関係の確立を目指して両国首脳をはじめとする要人の交流の活発化が図られており,また,国際場裏においても共通の理念を追求する重要なパートナーとして協力関係の拡大が図られている。

(ロ) 81年は,日加両国首脳間の交流が深まった年として特筆される。オタワ・サミット前の5月に訪加した鈴木総理大臣は,トルドー首相と会談して個人的友好信頼関係を確立するとともに,サミットを成功させるため,国際及び二国間の問題について幅広く率直な意見交換を行った。また,7月に開催されたサミットでは,両首脳による緊密な協議と信頼感により,我が外交政策をサミット合意に反映させる上で大きな成果があった。

また,1月の田中通商産業大臣のカナダ訪問,10月のラロンド・エネルギー大臣の訪日及び11月の第2回日加外相定期協議のためのマクギガン外相の訪日等に見られるように,閣僚レベルでの対話も緊密に行われ,多分野における日加協力関係の緊密化が一層図られた。

(ハ) 更に,議員交流では,我が国の日加議員連盟に対応する組織として,カナダ側においても加日友好議員連盟が3月に正式発足したことにより,今後の両国間の議員交流が本格化するための体制が整うこととなった。

4. 中南米地域

(1) 独立国32か国,人口約3億6,000万人を有する中南米地域は,広大な領土と豊富な天然資源に恵まれて,将来の発展性に富む地域であり,多数の中進国を擁する重要な地域として近年国際政治・経済上の地位と影響力を著しく増大させつつある。また,この地域内にあって北米に近接する中米・カリブ地域の情勢不安定に対する国際的関心が高まっている。

この地域は,我が国とは資源供給,貿易・投資など経済面で相互補完関係にあり,また,同地域に在住する100万人近くの邦人移住者及び日系人は,我が国と中南米との絆として友好関係の推進に重要な役割を果たしている。

(2) 我が国は,中南米諸国との間で,経済的相互補完関係を基盤としつつ,更に,政治面,文化面においても対話を促進し,相互理解の促進に努めることによって,これら諸国と幅広い関係の増進を図るよう着実な外交努力を展開した。

8月に園田外務大臣がメキシコ,ブラジル,アルゼンティンの3か国を外務大臣として2年ぶりに公式訪問し,二国間案件にとどまらず広く国際情勢一般に関して意見交換を行ったほか,中南米からもジャマイカのセアが首相,コスタ・リカのカラン大統領など多くの元首や政府首脳が訪日した。なお,園田外務大臣は,上記中南米訪問の締めくくりとして,最後の訪問地であるアルゼンティンにおいて,我が国と中南米との関係の現状と将来に関する演説(資料編参照)を行い,好評を博した。

このような要人の交流と並行して,長期的視点から青年層の交流を促進すべく,80年に引続いて中南米青年日本研修計画が30名の青年の来日を得て実施された。

文化面で特筆されるのは,5月下旬から6月上旬にかけてメキシコ市において日本・メキシコ両政府,民間団体の協力の下に開催された「メキシコ・日本旬間」である。この「旬間」中に,大相撲メキシコ巡業はじめ日本機械見本市,日本映画祭,音楽会,版画展など多彩な内容の催し物が行われ,大成功を収めた。

なお,パナマにおいては,大平総理大臣の功績をたたえ,80年7月にパナマ市の53-B通りが「大平通り」と命名されたのに続き,81年には同総理大臣の胸像が建立され,4月にその記念式典が行われた。また,メキシコにおいても,7月,メキシコ市内のポプラール公園が「大平公園」と命名された。

(3) 経済・経済協力分野において,我が国は,ブラジル,メキシコ,アルゼンティン,アンデス諸国,中米・カリブ諸国など域内のバランスに配慮しつつ,関係の緊密化と多角化に努めている。

81年において特記されるのは,ブラジルとの関係で多くの経済協力案件がまとまったことである。7月には,アマゾン・アルミ製錬計画の見直しに伴い,政府は資金の増加分について政府関係機関から所要の援助を行う旨決定し,また,11月には港湾整備計画に対する円借款(220億円)の交換公文が署名された。更に,同国のカラジャス鉄鉱山開発計画については,12月にデルフィン・ネット企画大臣が来日した機会に,我が国から5億ドルの融資をすることにつき大枠で合意に達した。メキシコに派遣された貿易交流促進ミッションが,3億1,800万ドルに上る成約を取りまとめたことも特筆される。

また,中南米地域に対する効果的援助の実施を目指すべく,同地域で初の対象国としてペルーに経済技術協力評価調査団が派遣され,同国に対する我が国の経済技術協力の現状評価が行われた。

このほか,ペルー,パラグァイ,ボリヴィア,ガイアナ,ハイティ,ホンデュラス,ジャマイカなどに対して円借款の供与あるいは無償資金協力が行われ,インフラ部門,保健医療,農林・水産をはじめとする幅広い分野で対中南米協力が行われた。

なお,81年の我が国の対中南米貿易は,輸出約105億ドル,輸入約67億ドルであり,80年に比べそれぞれ18%及び17%増加した。

5. 西欧地域

(1) 我が国は,従来より自由・民主主義及び市場経済体制という基本的価値観を同じくする西欧諸国との関係緊密化を基本外交方針の一つとしてきたが,日欧対話,日欧協力推進の必要性に対する認識は,日欧いずれにおいてもとかく一部の層に限られており,いわば日米欧の三角形中,日欧を結ぶ辺が最も弱いと言うのが現状であった。しかしながら,在イラン米国大使館人質事件,アフガニスタン問題及びポーランド問題などを機に日欧の協調行動は一層緊密化するに至っている。

6月,鈴木総理大臣は,73年の田中総理大臣の訪欧以来8年ぶりに訪欧し,西独,イタリア,ヴァチカン,ベルギー,英国,オランダ及びフランスの7か国並びにEC委員会を訪問した。鈴木総理大臣は,現下の国際情勢下において,いかに日欧が協議・協調して世界の平和と安定,繁栄と発展に貢献すべきかについて,各国首脳と率直な意見交換を行い,日欧間の協力関係促進に大きな足跡を残した。

他方,欧州からは,ペルティーニ=イタリア大統領の訪日(82年3月)及びフランス元首として初めての我が国公式訪問であるミッテラン大統領訪日(82年4月)が相次ぎ,日欧相互理解の増進に大きく寄与した。また,我が国は日欧協力促進に際し,EC議長国との関係強化を重視しているが,その意味で,82年2月のティンデマンス=ベルギー外相(EC外相理事会議長)の訪日は高く評価された。

今後は,このようにして作られた日欧間のパイプをいかにして,激しく揺れ動く国際社会の波風に耐え得るより太く,より強いものにしていくかが課題であり,政府要人のみならず,国民レベルの幅広い交流を深めていく必要がある。

(2) 国民レベル,なかんずく次代の日欧関係を担う青少年間の交流を一層促進すべく,8月中旬から9月下旬にわたり,第3回欧州青年日本研修計画が実施された。本計画は,EC加盟国及びEC機関に勤務する青年50名を論文により選抜の上,日本に2週間招待して,我が国の政治,経済,文化などの諸方面につき奥地に見聞する機会を与え,もって日欧関係を「草の根レベル」まで拡大することを目的としている。

(3) 80年来,日・EC経済関係は,EC諸国が深刻な経済的諸困難に直面する中で,我が国との貿易不均衡が拡大し,81年には対日入超が100億ドルを超えたことを背景として緊張が高まっており,厳しい状況にある。

ECの総貿易額は,世界貿易の約40%と高く,ECにおいて保護主義的圧力が高まれば,世界貿易全体に大きな影響を及ぼすことは避けられない。また,西欧経済の再活性化は,世界経済の発展のためにも重要である。

このような考え方に基づき,我が国は,積極的にEC側と対話を進めながら我が国の立場を説明するとともに,日・EC経済関係を単に貿易面にとどめず産業協力の面にも拡大し,より幅広い基盤に置くことによって一層安定したものとする努力を行った。具体的には,前述の鈴木総理大臣の訪欧,10月の政府経済使節団の訪欧(団長は稲山経団連会長),82年3月の江崎自民党国際経済対策特別調査会長の訪欧などを通じて,EC側との意思疎通が図られた。

6. ソ連・東欧地域

(1) ソ連

(イ) 我が国の重要な隣国の一つであるソ連との関係については,政府は,北方領土問題を解決して平和条約を締結し,真の相互理解に基づく安定的な関係を確立することを基本的課題として,従来より一貫して対処してきている。

(ロ) 81年は,日ソ共同宣言により日ソ間の国交が回復されて以来25周年に当たったが,日ソ関係は,北方領土におけるソ連の軍備強化,アフガニスタンヘのソ連の軍事介入,ポーランド情勢などにより遺憾ながら引続き困難な局面にある。

(ハ) 9月,ニューヨークにおいて日ソ外相会談が行われ,日ソ対話の必要性について双方の意思が一致し,日ソ事務レベル協議,外相間協議の開催について原則的に合意がなされた。この合意に基づき,82年1月,第2回日ソ事務レベル協議が開催され,国際情勢一般及び日ソ二国間関係の諸問題について率直な意見交換が行われた。

(ニ) 日ソ両国間の最大の懸案である北方領土問題については,第2同日ソ事務レベル協議において,日本側から,73年の日ソ共同声明のラインにソ連側がまず立ち戻ること,北方領土配備のソ連軍は速やかに撤去されねばならないこと,平和条約締結交渉を早期に行う必要があることなどを我が国の基本的な考え方としてソ連側に伝えた。これに対しソ連側は,ソ連にとって領土問題は存在せず,かかる立場は将来も変わらないとの従来のソ連側の立場を述べるにとどまった。更に,我が国から,次回の平和条約締結交渉は,グロムイコ外相が訪日して行われる順番となっている旨指摘し,その早期訪日を要請したところ,グロムイコ外相は検討を約した。

(ホ) 国内においては,2月7日の「北方領土の町の設定,9月の鈴木総理大臣の北方領土視察に見られるように,全国的規模で国民世論が盛上りを見せた。このような国民世論を背景に,北方領土問題について国際世論の正しい理解を求めるため,9月,園田外務大臣は,第36回国連総会一般討論演説において,80年の伊東外務大臣演説に引続き,北方領土問題についての我が国の基本的な立場を広く国際世論に訴えた。更に,北方領土問題に関する各種広報資料の作成,配布等による海外広報活動を活発に実施した。

(ヘ) 我が国は,12月のポーランドにおける戒厳令の布告とそれ以降の事態は,ソ連の圧力の下に生じたものであると判断せざるを得ず,政府は,ソ連政府に対してはその責任を指摘し自制を求めた。しかしながら,ポーランドを巡るその後の事態に改善が見られないことから,政府としては,西側諸国の結束を維持し,西側諸国と協調して行動することが重要であるとの認識の下に,ソ連の自制を更に強く求め,将来の介入を抑止するため一定の対ソ措置をとることとし,82年2月,その内容を宮澤官房長官談話(資料編参照)として発表した。

(ト) 対ソ外交は,我が国の対外関係の中でも最も重要なものの一つであり,真の相互理解に基づく安定的な日ソ関係の確立は,アジアの平和と安定にとっても重要である。しかしながら,このような関係の確立のためには,北方領土問題の解決は避けては通れない問題であり,国民の総意を背景に北方領土問題を解決して平和条約を早期に締結するよう,今後とも引続き息長くソ連側に呼びかけていく考えである。

(2) 東欧地域

(イ) 東欧諸国全般との関係については,我が国は,各国の国情をも勘案しつつ相互理解及び友好関係の増進を図ってきており,81年においてもかかる方針に沿って外交努力を行った。具体例として,5月にホネカー=ドイツ民主共和国国家評議会議長(元首)が国賓として我が国を公式訪問した(共同コミュニケは資料編参照)が,これは,ドイツ民主共和国における対日関心の増大,相互理解の促進,通商航海条約の署名等を通ずる両国間関係の増進に大きく寄与するものであった。

(ロ) ポーランド情勢については,12月13日にポーランド全土において戒厳令(資料編参照)が布告され,「連帯」主要メンバーを含む大量の関係者拘留,ストライキ・集会の禁止等一連の強硬措置がとられる事態に至った。我が国は,かかる事態を深く憂慮し,事態が外部からの干渉なしにポーランド人自身の手で解決され,ポーランド当局が国民的和解の精神に基づき国内諸勢力闘の民主的話合いを直ちに開始するよう求めた外務大臣談話を12月25日発表した。82年1月14日には,かかる事態が東西間で進められてきた協力・交流関係を脅かし,国際情勢に重大な影響を及ぼすものであるとの観点から,ソ連の自制を求めるとともに,ポーランド当局に対し現下の異常な事態を早急に終息させるよう求めた外務大臣談話を発表した。更に,かかる我が国の立場については,82年1月7日,ポーランド当局に対して直接申入れを行った。しかし,その後も事態には改善は見られないため,我が国は西側諸国との協調の下に,82年2月23日ポーランド及びソ連に対する措置(資料編参照)を発表した。なお,右措置とともに,既にポーランドに約束済の経済的支援は継続することを明らかにし,また,ポーランド国民に対する人道的支援として50万ドルを拠出した。

(ハ) ユーゴースラヴィアは,チトー大統領の死去(80年5月)後も独立・非同盟の路線を堅持しているが,我が国はかかる外交政策を高く評価するとともに,5月のヴルホヴェツ外相訪日の際には科学技術協力協定に署名する等両国関係の促進に努めた。また,アルバニアとの関係については,3月に外交関係を樹立し,82年3月には大使館(兼館)の設置のための手続を終了し,我が国外交の基盤を更に広げた。

7. 中近東地域

(1) 我が国は,従来,中近東地域を戦略上の要衝及びエネルギーの供給地として極めて重要視してきた。この観点から,我が国は,域内諸国の経済的・社会的発展のために積極的に経済技術協力を推進するとともに,人的・文化的交流にも意を用い,相互理解に基づいた友好協力関係の強化に努めている。そのため,最近,これら諸国の我が国に対する期待感も高まりつつある。また,この結果,我が国は,望むと望まざるとにかかわらず,経済面のみならず,政治の分野においても中近東諸国の注目を集めるようになってきている。

中近東地域は,内部に種々の政治的問題を抱えており,それぞれの問題が世界全体に及ぼす影響も大きなものがある。我が国は,同地域の種々の問題に関し,関係諸国と緊密な連絡を保ちつつ,域内安定のため応分の貢献をなすべく努めてきた。我が国としては,今後域内諸国の我が国に対する期待にこたえるためにも,かかる努力を更に継続する必要がある。

(2) 中東和平問題の解決は,中近東地域の安定を達成するためには不可欠の課題である。キャンプ・デービッド合意に基づくイスラエル・エジプト間の交渉は,二国間関係については,サダト=エジプト大統領の暗殺にもかかわらず,比較的順調に推移しており,82年4月のシナイ半島のエジプトヘの完全返還を目指して交渉が継続された。一方,パレスチナ問題については,80年7月以来中断していた自治交渉が9月に再開されたものの,交渉は依然難航しており,楽観は許されない。サウディ・アラビアが8月に中東和平に関する8項目提案(資料編参照)を発表した裏にも,このような背景がある。

我が国は,中東における包括的な和平が平和裏に実現されるべきであるとの観点から,紛争当事者との意思疎通等を図って平和的解決の雰囲気の醸成に少しでも貢献すべく努めている。10月のアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長訪日の際に,鈴木総理大臣及び園田外務大臣が同議長と会談したのも,かかる努力の一環である。

(3) 79年12月に始まったソ連のアフガニスタン軍事介入は,国際法及び国際正義にもとるものとして世界に大きな憤りと不安を与えた。

我が国は,ソ連のアフガニスタンヘの軍事介入は,国際社会の平和と安定に重大な脅威を与えるものと考え,国連,日ソ事務レベル協議等あらゆる場において,ソ連軍のアフガニスタンからの即時撤退を強く要請し続けるとともに,ソ連に対する措置を継続した。更に,本事件により大きな諸困難に直面しているパキスタンやアフガニスタン難民に対する援助に関し積極的な姿勢を維持した。

80年9月に戦闘が拡大したイラン・イラク紛争は,未解決のまま終始した。

我が国は,紛争が一日も早く平和的に解決されなげればならないとの立場から,イラン・イラク両国に対し,あらゆる機会をとらえて紛争の早期解決を訴えるとともに,国連,イスラム諸国会議などによる国際的な仲介努力を支持してきている。

(4) 我が国は,最近緊密化の度合いを増している中近東諸国との間で,積極的に人的交流を拡充すべく努めている。中東産油国は君主制をとる国が多く,我が国の皇室に親近感を抱いている国が多いが,2月から3月にかけての皇太子・同妃両殿下のサウディ・アラビア御訪問は,極めて有意義なものであった。我が国からは,このほかにも非公式ではあるが,閣僚レベルの要人が頻繁に同地域を訪問して人的交流の実を挙げている。

また,中東和平問題との関連では,エジプトのアリ副首相兼外相(9月)のほか,特にアラファトPLO議長の訪日(10月,日本・パレスチナ友好議員連盟の招待による)もあり,我が国首脳と中東和平問題の関係当事者との意思疎通を図る上で多くの成果を挙げることができた。

8. アフリカ地域

(1) サハラ以南のアフリカの独立国は,現在45か国を数えるが,南アフリカ共和国を除くすべての国がアフリカ統一機構(OAU)の加盟国であり,OAUの下に団結し,国際社会における発言力を高めつつある。また,アフリカは豊富な資源を有し,世界経済においても重要な役割を担うに至っている。

アフリカ諸国にとって最大の課題は国造りであるが,我が国の国力の増大に伴い,アフリカ諸国の我が国に対する関心と国造りへの協力に対する期待も同時に強まっている。この結果,アフリカ諸国からは,政府首脳をはじめとする要人の訪日が相次いでいるが,我が国は,人物交流等を通じてアフリカとの相互理解を深めるとともに,増大しつつある我が国の国際責任を自覚し,これらアフリカ諸国の国造りのために幅広い分野において可能な限りの経済・技術協力を行っている。

(2) 人物交流の面では,3月に国賓としてタンザニアのニエレレ大統領(共同コミュニケは資料編参照)が,5月にジンバブエのムガベ首相が非公式に訪日する等アフリカの有力な指導者を相次いで我が国に迎え,相互理解と友好協力関係の増進に努めた。また,81年中に我が国を訪れたアフリカ諸国の閣僚級の要人は32人を数えた。

(3) アフリカ諸国が一致して解決を求めている南部アフリカ問題(ナミビアの独立達成と南アフリカ共和国の人種差別政策の撤廃)のうち,ナミビア問題については,81年においても国連,関係国を中心にして活発な動きが見られたが,問題解決には至らなかった。

我が国は,南アフリカ共和国の人種差別政策については,これに強く反対し,同国との関係を制限的なものとしている。また,我が国は,南部アフリカ地域の諸問題が公正かつ平和裏に解決されるよう,可能な範囲で積極的に協力を行うことを基本的立場としており,ナミビア問題解決のために,国連のナミビア独立支援グループが派遣される際には,我が国としても民政部門に協力する意図がある旨を明らかにしてきている。

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