第2節 大洋州地域
1. 大洋州地域の内外情勢
(1) 豪州
(イ) 内政
80年の豪州内政は連邦総選挙を中心に推移したと言ってよく,10月18日の総選挙の結果,自由党及び国民地方党の与党連合は,下院で23議席差という勝利を収め,11月には第4次フレーザー内閣が成立してフレーザー首相が引続き政権を担当していくこととなった。
(ロ) 外交
中級国家としての国際的役割と責任という観点から,国際政治の動向に積極的に対処していくというフレーザー首相の外交基本政策は,80年の豪外交においても踏襲されたと言えよう。
まず,対米協調,わが国との関係促進,西側諸国の結束強化が基本的考えであろう。豪州は,アフガニスタン問題に関連して対ソ制裁を実施したほか,ポーランド情勢に関連しても強い対ソ姿勢を示し,また,イラン・イラク紛争との関連では,西側諸国によるホルムズ海峡共同パトロール構想について積極的関心を示した。
東南アジア諸国との関係では,11月にストリート外務大臣が就任直後ASEAN諸国を歴訪するなど,ASEAN諸国との関係強化が図られた。
中国との関係では,5月に李先念副総理が訪豪し,フレーザー首相との会談などを通じ豪中関係の緊密化が図られた。
南太平洋島嶼国との関係では,第11回南太平洋フォーラム(SPF)会議にフレーザー首相自らが出席するなど,同地域重視の姿勢がうかがえ,島嶼国に対する経済協力もパプア・ニューギニアを中心として積極的に行われた。
(ハ) 経済
フレーザー政権は,80年においても引続き「インフレ抑制第一」の基本政策を堅持した結果,80年中のインフレ率は10%を若干超える水準で推移した。一方,財政赤字の縮小にも積極的に取り組み,徹底した歳出の抑制,石油課徴金収入などによる歳入の増加によって,80年度予算では実質的にほぼ均衡を達成するに至った。また,資源株を中心に海外からの株式投資資金が流入するなど,民間資本収支の大幅な改善を主因として国際収支の改善が実現された。こうして豪経済は緩やかながらも着実な回復過程をたどり,79年度の経済成長率(実質GDP)は2.2%と政府見通しの範囲内に収まるところとなったが,雇用情勢は80年を通じほとんど改善が見られなかった。
(2) ニュー・ジーランド(NZ)
(イ) 内政
与党国民党及び野党労働党とも,80年の後半にはリーダーシップ問題が持ち上がり,政局が若干動揺した面もあったが,結局マルドゥーン国民党及びローリング労働党両党首とも,党首の座を保持した。一方,上記リーダーシップ問題の契機ともなった社会信用政治連盟の進出が特記される。同連盟は,NZ政党史上初めて第3党として2議席を持つに至った。
(ロ) 外交
NZ政府要人が機会あるごとに表明しているように,NZの外交政策の基本は対外貿易経済政策にある。特に,石油危機以来,先進工業諸国における「農業保護主義」の打開及び新市場の開拓に力を注いでおり,80年においても,伝統的な西欧市場との貿易関係を再構築するための努力を続けるとともに,米国,豪州,わが国などとの貿易経済関係の一層の緊密化を図り,また,ソ連,中国,中近東,ASEAN諸国,中南米諸国などの新市場開拓の努力を行った。
NZは近年とみに太平洋国家としての意識を強く持つようになってきており,特に,南太平洋島嶼国との政治的,経済的関係の強化を図っている。
安全保障面について見れば,NZはANZUS同盟を基本としつつ,ソ連に対しては80年1月には,内政干渉を理由として駐NZ大使を国外追放するなど強硬姿勢を見せる一方,ソ連との貿易関係をできる限り損なわないよう慎重な配慮を行っている。
(ハ) 経済
80年度はゼロ成長が見込まれ,しかも,この予想は時期の経過とともに悪化しており,景気の回復が遅れていることを物語っている。物価については,78年に10%内で収束するかに見えた消費者物価上昇率は,その後の大幅賃上げ,輸入価格の上昇などのコスト要因に加え,食肉,酪農品などの輸出価格の好転が国内価格にも反映し,80年第3四半期には年率16.3%と再び顕著に上昇している。再燃したインフレの影響などで企業の投資意欲が低迷していることもあって,雇用情勢には改善が見られず,失業率も4%を超えた。国際収支については,貿易収支において79年度で約8億ドルの黒字であったが,貿易外収支の赤字幅がそれを上回ったため,経常収支の赤字は78年度の4億3,000万ドルから79年度は4億8,000万ドルヘと悪化した。
(3) パプア・ニューギニア(PNG)
(イ) 内政
80年1月の内閣改造を契機に,ソマレ連立内閣(パング党,連合党など)に分裂が生じ,施政に不満を有していた人民進歩党など野党の動きとも連動して,3月に入りソマレ内閣に対する不信任案が可決されるに至り,チャン人民進歩党党首が新首相に任命された。チャン新政権は人民進歩党,国民党,パプアベセナのほかに新たに結成されたメラネシア同盟及び分裂した連合党主流派から成る小党連立であり,必ずしも安定政権とは言えないが,チャン首相はその取りまとめに尽力している。
(ロ) 外交
80年においても,PNGは,普遍主義外交を唱えつつ,その主要外交努力を対豪協調の維持,対日関係の強化,南太平洋諸国との協力関係の増進と地域協力機関への積極的参加及びASEAN諸国特に隣国インドネシアとの親善の維持・発展に向けた。
ソ連との関係では,アフガニスタン問題との関連でモスクワ・オリンピックのボイコット及びソ連船によるPNG港湾使用禁止措置を採った。タンザニアとの外交関係の樹立,ローデシアでの総選挙に閣僚を含む監視団の派遣など対アフリカ外交の開拓にも努めた。対中関係では,5月の李先念副総理のPNG公式訪問を契機として中国大使館が開設され,対中国貿易,経済協力関係の促進が図られる見通しとなった。
(ハ) 経済
80年の経済は,主要輸出産品の価格低迷と輸入の大幅増による国際収支の悪化並びにインフレの高進という悪条件はあったものの,消費支出の増加と民間・公共部門における堅調な投資の伸びに支えられ,80年のGDP成長率(実質)は3~4%になった見込みである(PNG国立銀行の推定)。物価は,海外からの輸入インフレと国内消費支出の増加が原因で食料品を中心に上昇し,80年12月末現在,消費者物価は前年同月比11.8%増であった。貿易関係については,国内消費と民間・公共部門における投資活動が堅調に推移した結果,一般消費財を中心に輸入が増加し,他方コーヒー,ココア,コプラの輸出価格が低迷し,その結果貿易収支の黒字幅は縮小した。
(4) フィジー
(イ) 内政
80年のフィジー内政は,82年9月に迫った次期総選挙をにらみ,早くも選挙がらみの動きを示し始めた。2大政党である与党国民同盟党及び野党国民連邦党は,共に党内の分裂に悩みながらも,次期総選挙に向けて結束を固めつつあり,それぞれ10月及び11月に開催された党大会において党内の団結と選挙における対決への姿勢を明確にした。
(ロ) 外交
80年の対外政策も,英連邦諸国,特に英国,豪州,NZとの緊密な関係の維持を基調としつつ,国連などの場において積極的役割を果たすとともに南太平洋地域の域内協力に努めた。80年においても,ローデシア監視チーム及び国連レバノン暫定軍としてフィジー軍を派遣した。
(ハ) 経済
80年の経済成長率は国内総生産で3~4%増と見込まれ,これは人口増加率1.8%を上回り,一人当たり総生産は昨年に引続き上昇した。水力発電及び上水道計画の2大プロジェクトという刺激要因にもかかわらず,成長率が昨年(5.8%)より低下したのは,砂糖生産の落込みによるものと見られる。
(5) 南太平洋地域
(イ) 80年7月,英仏共同統治下にあったニュー・ヘブリデスが新国家名をヴァヌアツ共和国として独立した。
(ロ) 80年においても200海里水域設定の動きがあり,西サモアが12月に同水域を実施した。
(ハ) 地域機構の動きとして,80年7月第11回南太平洋フォーラム(SPF)会議がキリバスの首都タラワで開かれ,フォーラム諸国産品の豪州及びNZ市場への無税かつ無制限のアクセスを認める南太平洋地域貿易協力協定(SPARTECA)が合意され,同協定はフォーラム諸国(ナウルを除く)の署名を経て81年1月から効力を生じた。