7. 中近東地域
(1) 中近東地域の戦略的要衝及びエネルギー供給源として占める位置にかんがみ,この地域の国際政治及び世界経済に占める重要性はとみに増している。この地域における平和と安定は域内諸国民の安寧のみならず世界の平和と安定に重大なかかわり合いを有し,ひいてはわが国の経済的生存にも大きな影響を及ぼすものと考えられる。
わが国は,このような認識の下に,これら諸国の国造りや人造りのための経済技術協力を推進するとともに,人的・文化的交流などを通じ,相互理解を増進することによりこれら諸国の安定と発展に貢献し友好協力関係の強化に努めている。
また,この地域の抱える諸問題の重要性を十分考慮し,わが国の有する国際的影響力と,これに伴う責任を自覚し,これらの問題の平和的解決にわが国としても応分の貢献を行ってきている。
(2) 79年11月に発生した在イラン米大使館占拠事件は81年1月にようやく解決を見たが,ソ連のアフガニスタン軍事介入(79年12月)は未解決のまま推移し,更に80年9月には,イラン・イラク間での国境武力衝突が,全面紛争に拡大するという重大事件が発生した。
わが国は,在イラン米大使館占拠,人質事件については,かかる行為が国際社会の基本的秩序そのものを脅かす行為であるとの認識の下に,イラン政府に対し,人質の早期解放を繰り返し働きかけるとともに,国際社会の責任ある一員として人質事件の早期解決の目的のために,EC諸国と協調しつつ一連の対イラン措置をとった。人質事件は,かかる各国の措置,アルジェリア政府の仲介などもあり81年1月に解決したが,右解決に伴いわが国の対イラン措置は81年1月解除された。
ソ連のアフガニスタンヘの軍事介入に関しては,わが国はこれが国際社会の平和と安定に重大な脅威を与えるものと考え,ソ連軍のアフガニスタンからの全面撤兵を強く要請し,一連の対ソ措置をとった。更に,本事件により,直接的脅威を受けているパキスタンに対し,援助を増大するとともに,アフガン難民援助を行った。
イラン・イラク紛争については,戦火の不拡大及び第三国の不介入を確保することが重要であることから,米ソ両国に不介入を働きかけるとともに,紛争は,1日も早く平和的に解決されねばならないとの立場に立って,イラン・イラク両国に対し,紛争の早期平和解決を訴え,また,国連,非同盟,イスラム諸国会議などによる国際的仲介努力を支持している。
(3) エジプト・イスラエルの関係は,平和条約に基づき着実に正常化され,80年2月には相互に大使が交換された。しかし,西岸・ガザのパレスチナ自治に関する交渉は,両国の基本的立場の相違から実質的な進展を見なかった。更に7月末,イスラエル議会が統一ジェルサレムをイスラエルの首都とするジェルサレム基本法を成立させたことに対し,エジプトが強く反発したこともあり,交渉は事実上中断した。その後米国は,新大統領選出に伴って,中東政策を再検討していること,81年6月末にイスラエルの総選挙が行われることもあり,目立った進展は見られなかった。
(4) 上記のごとき情勢の中で,中近東及び南西アジア地域の平和と安定のためにわが国として貢献すべき方途を探るべく,政府は80年2月から3月にかけて園田総理大臣特使を中東,南西アジア7カ国に派遣した。また,大来外務大臣が80年5月にジョルダンを訪問し,伊東外務大臣が9月に国連でイスラエル外相と会い,12月にはエジプトを訪問し,中東紛争当事国との対話を積み重ねた。また,中近東地域の安定に資するためトルコ,エジプトなどに対する援助を行った。