第1章 1980年の世界の主要な動き
1.全般的特徴
(1) 1980年の国際情勢における最大の特徴は,79年末のソ連によるアフガニスタンヘの軍事介入を契機として米ソ関係が厳しいものとなり,東西関係が不安定化したことである。つまり,ソ連のアフガニスタン軍事介入は単に米ソ二国間関係にとどまらず多くの情勢に大きな影響を及ぼし,80年1年間の国際情勢の動向の基調を形づくることとなった。また,このような状況に更に拍車をかける結果となったのが,同年夏以降のポーランド情勢の緊迫化であった。
(2) アフガニスタン問題発生後,米国はSALTII条約の批准審議棚上げを始めとし,西側同盟諸国と協調しつつ一連の対ソ措置をとるとともに,ソ連に対する強い姿勢を強めるに至った。こうした西側諸国の強い反発に対応して,ソ連は一連の平和攻勢を行ったが,かかる国際情勢の基調に変化をもたらすことはなかった。81年初頭にはソ連に対し強い姿勢を標榜したレーガン新大統領が就任した。
(3) 80年の国際情勢におけるもう一つの主要な特徴は,ソ連によるアフガニスタンヘの軍事介入とイラン・イラク間の本格的な戦闘の発生,イラン国内情勢の引き続く混迷などの結果,中東,特に湾岸地域の安全保障問題の重要性に対する認識が一段と強まってきたことが挙げられる。特にソ連のアフガニスタンヘの軍事介入以降,米国は緊急展開部隊の創設,エジプト,ソマリア,ケニア,オマーンなどの軍事施設利用を始めとする対抗措置を打ち出し,湾岸地域の安全保障の確保に対する強い決意を表明している。
他方,湾岸諸国の間でもこの地域の情勢の緊迫化に伴い,域内の協調を進める動きが強まってきた。その一環として,81年初めサウディ・アラビア,クウェイト,バハレーン,カタル,アラブ首長国連邦及びオマーン6カ国は域内協力のための湾岸協力理事会の設立を打ち出した。
(4) 更に,80年においては,前年来のカンボディア問題及びアフガニスタン問題が長期化したのに加えて,新たに,イラン・イラク紛争の激化とその長期化,ポーランド情勢の緊迫化といった今後の国際政治情勢,経済情勢にも大きな影響を及ぼすことにもなりかねない不安定要因が発生し,いずれも年内には決着を見るに至らず,81年に持ち越された。
(5) 国際経済においては,先進工業諸国経済は前年は拡大局面にあったが,80年に至り欧州諸国続いて米国が景気後退に陥り,インフレの高進,失業の増大,経常収支赤字の三重苦に再び直面する一方,非産油開発途上国においても79年以降の第2次石油危機を主因として,交易条件の悪化,経常収支赤字が増大するなど,その経済運営が一層困難なものとなった。