1. 国 連 総 会
(1) 国連国際法委員会(ILC)選挙
第31回国連総会においては,1976年末に任期終了となる国際法委員会委員25名の改選が行われた。わが国は1961年以来委員の地位にある鶴岡千仭氏を候補者に指名していたが,同氏は13ヵ国から外国人候補としての指名を受け,11月7日の本会議において行われた選挙において106票を獲得し,40名の候補者中第11位で当選した。
国際商取引法の漸進的調和及び統一の促進を目的とする国際商取引法委員会の構成国36ヵ国のうち,6年の任期が1976年末をもつて終了する17ヵ国について,国連総会は12月15日の本会議において改選選挙を行い,わが国は131票の多数を獲得して再選された。なお,わが国は,第22回国連総会(1967年)の第1回選挙以来からのメンバーであり,委員会の作業に積極的に参加してきている。
(1) 領土的庇護に関する条約の審議・採択を目的とする国連主催全権会議は,1977年1月10日より4週間ジュネーヴにおいて開催され,中川融元駐国連大使を代表とする代表団を派遣したわが国を含め92ヵ国が参加した。今次会議において審議の基礎となつたのは,国連総会決議3237(XXIX)に基づき専門家グループが1975年に作成した「領土的庇護に関する条約草案」であつた。この草案は全10ヵ条より成つていたが,今次会議においては,草案第1条から3条までと新規条項2ヵ条を委員会レベルで審議・採択したところで時間切れとなり,条約全体を採択するという所期の目的は達せられなかつた。今後の作業継続の問題については,国連総会における審議の結果を待たねばならない。
(2) 会議における討論の根底に横たわる問題は,迫害を逃れ庇護を求める個人を保護すべきであるとする「人権派」と庇護を与えるか否かは国家主権に属する裁量の問題であるとの「国家主権派」のバランスをいかにして見出しうるかという点であつた。大雑把にいえば,多くの西欧諸国が庇護を求める者の「人権保護」を重視したのに対し,東欧諸国は開会当初からこの条約作成の意義自体に疑問を表明する等「国家主権」にウェイトを置く態度をとつたことが注目された。わが国代表国は,副議長及び起草委員の要職を勤め,庇護を求める者の保護と国家主権のバランスを図るとの基本的立場から,最も活発な代表団の1つとして,積極的に審議に参加した。
(3) 今次会議の委員会レベルにおいて採択されたのは,第1条:庇護許与についての努力義務といわゆるタライ回し禁止,第2条:庇護の適用対象,第3条:ノン・ルフルマン原則,新規条項:家族との再会のための便宜及び庇護を与えられた者の活動規制,であつたが,これらの条文案の多くは,委員会においても僅差で採択されたものであり,次回会議が開催された場合に,本会議において3分の2の多数の支持を得てそのまま最終的に採択されることとなるか否かについては,大きな疑問がある。
(4) 今次会議では,今日の国際社会においては,領土的庇護という問題について国際的なコンセンサスが容易に得られるものではないということが明らかとなつたが,いずれにしても,国連主催の会議において各国がそれぞれの立場から領土的庇護に関する見解を表明し審議を行つたことには,それなりの大きな意義があつたものと考えられ,わが国としても今次会議における代表団の活動を通じて,領土的庇護問題に関する国際的な努力に応分の寄与を果たしたものと考えられる。