1. 国際通貨制度改革
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76年1月ジャマイカのキングストンで開かれたIMF暫定委員会において,かねてから懸案であつた為替相場制度や金の取扱い等の主要事項を含む国際通貨制度の諸問題につき一括して実質上の合意が得られた。この合意の内容は,世界経済の安定的発展のための枠組ともいうべき国際通貨制度を新たな世界経済の状況に適合しうるよう再建し,その安定的かつ効果的な運営を図ろうとするものである。IMF理事会は,前記の合意を協定改正案として起草する作業を続け,76年3月24日,IMF協定の第2次改正案を決定し,総務会の承認を求めた。その後総務会は郵便による投票を行い,4月30日,同改正案を総務会として承認した。 |
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第2次改正は,現行協定のほぼ全部の規定にわたつているが,主な改正点は,次のとおりである。 |
(イ) 為替相場制度
現行協定は,加盟国に固定平価を基礎とする為替相場制度の採用を義務づけているのに対し,改正案では,相場制度の選択は各国の自由とするが,IMFを通ずる国際的監視に従うこととし,将来世界経済が安定したと認められるに至つたときは,IMFは,85%の多数決により平価制度の導入を決定することができることになつている。
(ロ) 金 関 係
現行協定には,ドルを基軸通貨とする金為替本位制という見地から金に関する規定が置かれているが,改正案では,国際通貨制度における金の役割を漸次低下させる方向で,金の公定価格の廃止,IMF増資の金による一部払込み義務の廃止等の改正がなされるとともに,これに代わり,特別引出権(SDR)が国際通貨制度における中心的準備資産になるとの目的を助長するため,SDRの使用範囲の拡大を図るための改正がなされている。
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わが国は,前記の第2次改正の受諾に関し,5月24日に国会の承認を得て,6月18日受諾書をIMF事務局に寄託した。本件改正が発効するためには,加盟国の5分の3(78カ国)で総投票権数の5分の4(80%)を有するものが受諾することを要するが,77年1月末現在で29.34%の投票権シェアを占める15カ国が受諾しているにすぎない。 |
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前記ジャマイカ合意の一環であるIMFの第6次増資案が,3月22日総務会により郵便投票によつて採択された。同増資案は,各国の割当額を全体で292億SDR(約340億ドル)から390億SDR(約450億ドル)に33.6%増加するものであるが(グループ別では,主要産油国は約5%を約10%へとシェア倍増,その他の開発途上国は約22%のまま据え置き,先進国は約73%を約68%へと5%のシェア削減。わが国は4.11%から4.25%へとシェアを高めている),その発効は,協定の第2次改正の発効後とされている。なお,第6次増資発効までの暫定措置としてクレディット・トランシュの引出し枠を割当額の100%から145%に拡大することが1月20日の理事会で決定された。 |
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76年1月のIMF暫定委員会においてIMFの保有する約1億5,000万オンスの金のうち,6分の1(2,500万オンス)を4年間にわたり開発途上国の利益のために売却すること及び他の6分の1を75年8月31日現在の加盟国に対し割当額に応じ1オンス35SDRの公定価格で売り戻すことにつき了解に達した。IMF理事会は,この了解事項を実施するため,76年5月5日の会合において,爾後2年間にわたり1,250万オンスの金を売却することを決定するとともに,信託基金の設立を正式に決定した。同基金は,前記の金の売却益と各国の自発的拠出を財源とし,所得の低い開発途上国に緩和された条件で国際収支上の援助を与えることを目的とするものである。その援助対象国は,73年における1人当りの国民所得が300SDR以下の加盟国(現在61カ国)であり,貸付金利は0.5%,返済期間は5年据置きを含む10年とされている。なおIMFは,76年6月から77年3月までの間に7回にわたり合計約520万オンスの金を売却した。 また加盟国に対する金の返却(公定価格による売戻し)については,4回に分けて行われることになり,第1回の返却(約600万オンス)が77年1月に行われた。 |
76年の国際通貨情勢を一言でいえば,欧州通貨動揺の1年であつたといえよう。年初早々の伊リラの動揺に始まり,3月仏フランのEC共同フロートからの再離脱,10月EC共同フロート参加国通貨間のレート調整や3月初め以降の英ポンドの再三の動揺等にみられるように,76年を通じて欧州通貨情勢は,比較的平穏裡に推移した75年とは様相を一変し,各国のインフレ率の相違,国際収支の強弱等経済力の格差を反映し,いわゆる「強い通貨」と「弱い通貨」との分極化傾向を伴いながら,波乱含みに推移した。
以下主な動きをみると,76年1月伊政情不安などに端を発したリラ投機が始まり,3月に入ると英国の政治・経済情勢に対する信認の低下を背景に同月5日英ポンドが急落し,対ドル相場が2ドル割れとなつた。これを契機にEC共同フロート参加国通貨間の調整等の思惑から西独マルク,スイス・フラン等に対する買圧力,仏フラン,ベルギー・フラン,英ポンド,伊リラ等に対する売圧力が一段と強まり,仏フランは3月15日EC共同フロートからの再離脱に至つた(74年1月に離脱,75年7月復帰)。
その後,7月に旱魃を契機として仏フランがやや動揺し,8月にはEC共同フロート参加国通貨間の調整に対する思惑から小波乱が生じたが,いずれも各国当局の積極的介入などにより,まもなく落ち着きを取り戻した。しかし,9月中頃になると,英海員組合によるストライキ問題を契機にポンドが急落し始め,遂に1.7ドル台を割るに至つた。その後も軟化を続けたが,10月28日の1.5695ドルを底値として反転した。他方,EC共同フロート参加国通貨では,同通貨間のレート調整に対する思惑から,9月に入り西独マルクに対する買圧力が激化し,10月18日は基準相場の調整を余儀なくされた。また,仏フラン,伊リラについては,秋以降多少の動揺はあつたものの,おおむね平静に推移した。
わが国の円をみると,76年は総じて強調裡に推移した。その間,6月末のプエルト・リコにおける主要国首脳会議前後から米国を中心に,わが国の為替市場に対する介入の仕方について,不当に円安の状態を維持するものであるとの批判が新聞・雑誌等にみられるようになつたが,10月初めのIMF・世銀合同年次総会前後におおむね収束されたものとみられる。
以上が76年の国際通貨情勢の概観であるが,このような不安定な国際通貨関係は,世界経済の安定的発展に好ましいことではなく,また,逆に各国経済の安定的発展が国際通貨関係の安定を確保していくための必要不可欠の前提条件である,したがつて,今後各国相互の経済・金融面における緊密な協調が一層必要となつてこよう。
なお,上述の英ポンドの動揺に対する国際金融協力として英国に対し,76年6月わが国を含めた先進9カ国及び国際決済銀行(BIS)による53億ドルの短期信用供与(76年12月に期間が終了)が,また77年1月には公的ポンド残高に関しBISによる総額30億ドル(ただし,公的ポンド残高の減少に応じ,その範囲内)の中期信用供与措置(いわゆる「新バーゼル協定」)が決定された。