第4節 中 南 米 地 域

 

1. 中南米地域の情勢

 

(1) 内  政

 76年3月,アルゼンティンに軍事政権が誕生したことにより,コスタ・リカを除く中米諸国とペルー,ブラジル以南の南米諸国はすべて軍事政権ないし軍事政権的な国となつた。中南米諸国の各政権は,政治的にはおおむね安定している。経済面においては,産油国たるヴェネズエラ,エクアドルが,引き続き高い成長率を達成したのに対し,他の諸国は,一次産品価格の低迷と国内開発に必要な工業製品輸入価格の高騰によつて,その経済社会開発計画の縮小を余儀なくされた。ただ,76年の始め頃から,ブラジル・コーヒーの霜害による国際コーヒー価格の高騰によつて,中米のコーヒー輸出国の経済は好転し始めた。

 主要国の76年の経済情勢は次のとおりである。

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(イ) アルゼンティン

 76年3月政権を掌握した現軍事政権は,インフレ抑制と統制経済から自由経済への転換を目指す経済政策を推進し,インフレの鎮静化等かなりの成功を収めた。

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(ロ) ブ ラ ジ ル

 政府の物価抑制政策にもかかわらず,74年以降の金融緩和,賃上げ,公共投資拡大の影響が76年初より出はじめ,物価は40%以上上昇した。このため,政府は国家開発計画の縮小を余儀なくされた。

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(ハ) メ キ シ コ

 76年12月,ロペス・ポルティーリョ新大統領が就任した。前政権の末期に至つて,それまでの伝統的政策であつた工業化促進による高度経済成長政策のひずみが顕在化し,前政権はペソの60%切下げというドラスティックな措置を余儀なくされた。新政権はかかる経済の立て直しを政権の最大の課題として取り組んでいる。

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(ニ) コロンビア

 コーヒーの国際価格の騰貴による経済の活況に支えられ,比較的順調に開発諸政策を進めた。

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(ホ) チ  リ

 国際収支は銅の国際価格の高騰に支えられて好調に推移し,インフレも,政府の強力な政策によつて,75年の年率340%から76年は約170%に低下したが,失業率の増大が見られた。

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(ヘ) ヴェネズエラ

 中南米随一の産油国たるヴェネズエラは,76年も5.5%のかなり高い経済成長率を達成し,意欲的に国内経済社会開発を推し進めた。

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(ト) ペ ル ー

 政権担当2年目に入つたモラーレス政権は,インフレ(公営企業赤字補填,公共投資による財政赤字が大きな原因)と国際収支危機,経済問題をめぐる先進国との摩擦(債務返済と国有化)の事態に対処するため,76年初頭以来,経済の開放体制化につとめ,財政の均衡化,平価切下げ等を含む一連のドラスティックな経済再建政策を打ち出した。このため経済活動は低水準にとどまつた。

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(チ) キ ュ ー バ

 砂糖の国際価格暴落による厳しい経済困難の中で,政府は国民に耐乏生活を求める政策をとり,第1次経済開発5カ年計画の修正を余儀なくされた。

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(2) 外  交

 76年における中南米諸国の外交は,中南米諸国相互間においても,また中南米以外の国との関係においても,従来どおり基本的には「イデオロギー複数主義(相手国の政体に拘泥することなく,広く外交関係を設定する)」と厳格な「内政不干渉の原則」の2つにそつている。キューバと他の中南米諸国との関係改善への動きは,キューバのアンゴラ介入を契機として,凍結され,また米国との関係についてもキューバによるハイジャック条約の廃棄等があり,少なくとも短期的には関係改善が足ぶみ状態にある。

 米国と,キューバ以外の中南米諸国とは,伝統的に緊密な関係にあるが,76年にはキッシンジャー国務長官(当時)が,2月及び6月の2回中南米10カ国を歴訪し,米国・中南米間の「対話」の促進に努力した。また,米国とパナマとの間では新パナマ運河条約についての交渉が断続的に行われた。中南米各国は,この問題は単に2国間問題であるにとどまらず,中南米と米国との間の問題でもあるとして,交渉の進展につき希望を表明した。

 ブラジルについては,独伯原子力協力協定に基づく西独からブラジルへの核燃料再処理施設輸出に,米国は反対の立場をとつている。

 一方,域内協力のための国際機関については,アンデス統合からチリが脱退した。その原因は,国内経済開発のため,外資導入に積極的なチリと,外資規制に重点をおく他の加盟国との意見の相違にあつた。また,米州機構改組の検討は76年も進められ,憲章改正等を行うための総会が77年に開催されることとなつている。

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2. わが国と中南米諸国との関係

 

(1) ガイゼル・ブラジル大統領の来日

 ブラジル連邦共和国のエルネスト・ガイゼル大統領及びルシイ・マルクス・ガイゼル夫人は,日本国政府の国賓として76年9月15日より(公式には16日より)20日までの日程で日本を公式訪問した。大統領にはシルヴェイラ外務,ゴメス商工(当時),ウエキ鉱山・動力の各大臣,ヴェローゾ企画庁長官,アブレウ武官府長官ほか政府の高官が随行した。

 ガイゼル大統領夫妻は9月16日,天皇・皇后両陛下と会見し,9月17日及び18日の両日三木総理大臣(当時)との会談を行つた。

 更に,16日及び18日の両日日伯閣僚協議会が開催され,日伯間の協力関係を飛躍的に発展させるため大型プロジェクト実施等につき協力することで意見の一致をみた。この成果は9月18日共同コミュニケとして発表された。

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(2) 貿易及び民間投資の動向

(イ) 対中南米貿易

 75年のわが国の対中南米貿易は,輸出前年比5.9%,輸入同7.0%の落ち込みを見せ不振であつたが,76年は輸出が50億1,300万ドル(前年比5.2%の伸び),輸入が24億6,500万ドル(前年比2.3%の落ち込み)を記録した。わが国の貿易量全体が前年比輸出で20.5%,同じく輸入が11.4%の著しい回復を示したのに比較して,中南米との貿易は全体として低調だつたといえる。これを対中南米貿易量のわが国貿易量全体に占める割合で見ると,輸出が7.5%(75年8.5%,74年9.1%),輸入が3.8%(75年4.4%,74年4.4%)となり,輸出入とも低下傾向が見られる。わが国の対中南米貿易においては,わが国の輸入の後退による貿易インバランスが恒常化しつつあり,76年も25億4,800万ドルにのぼるわが国の出超となつた。この出超額は過去最大であり,また74年以来3年連続して20億ドル台の黒字幅を記録したことになる。

 国別では,輸出額はパナマ,ブラジル,ヴェネズエラ,メキシコ,アルゼンティン,キューバ,輸入額はブラジル,チリ,アルゼンティン,メキシコ,ペルー,グァテマラの順となつており,キューバとの輸出入の激減,パナマ,ヴェネズエラへの輸出増加,アルゼンティンとの貿易の不振が目立つた。上位5カ国のシェアは輸出で67.2%,輸入で75.1%となつており,依然として特定国への集中傾向は続いている。

 商品別の貿易構造には大きな変化は見られず,わが国輸出の90%以上が機械・機器等の重化学工業品で占められており,輸入の80%以上が食料及び工業用原材料で占められている。

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(ロ) 対中南米民間投資

 中南米地域に対する民間投資の実績は77年3月末の許可累計額で33億100万ドルになり,前年同期比14.6%増,わが国海外民間投資累計額の約17%を占めている。国別ではブラジルが依然として5割以上を占め,続いてペルー,メキシコ,パナマ等が主要投資先となつている。

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(3) 経済・技術協力

 中南米地域が開発途上地域の中では先進的地域であるため,わが国の民間ベースによる企業進出,鉱業開発等への投融資は極めて活発な反面,政府ベースによる経済協力は比較的低い水準にある。すなわち,同地域に対する直接投資,輸出信用等が経済協力総額に占める割合が,アジア中近東,アフリカ地域と較べて極めて高いことが特色となつている(76年実績92%,60~76年累計97.7%)。76年についても民間中心の経済協力が行われ,同地域に対する政府円借款は,わが国全体供与額24件,2,342億円(取極ベース)のうち,わずか2件の40億円にとどまつた。一方,わが国は76年7月に正式にIDBの域外加盟国となつた。これにより多国間金融機関を通ずる対中南米・政府援助が大幅に伸びることが期待される。

 技術協力については,従来からの専門家派遣,研修員の受入れ,青年協力隊の派遣等の拡充に加え,開発調査団の派遣にも力を入れており,更に近年水産,医療,保健,教育,農業等社会開発のための技術協力も着実に成果を収めつつある。

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(イ) 資 金 協 力

 76年の円借款については,76年3月コスタ・リカへの港湾建設資金として25億円,同9月ペルーへの送電線建設資金として15億円の供与につき交換公文の調印がなされた。

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(ロ) 技 術 協 力

中南米に対する76年の実績は次のとおり(DAC報告統計による)。

(あ) 専門家派遣 285名

(い) 研修員受入れ 968名

(う) 青年協力隊 36名

(え) 機材供与 15億4,300万ドル

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(4) そ の 他

(イ) ロドリゲス・キューバ副首相の来日

 カルロス・ラファエル・ロドリゲス・キューバ副首相は外務省賓客として夫人及びゴメス工業施設建設庁担当大臣,アニーリョ第1外務次官ら随員13名とともに5月17日から26日まで(公式日程は21日まで)訪日した。

 日本滞在中,同副首相は三木総理大臣,福田副総理大臣,宮澤外務大臣(いずれも当時),土光経団連会長らわが国政財界の要人と会談し,両国間の経済問題や国際問題一般について意見交換を行つた。

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(ロ) マルティネス・デ・オス・アルゼンティン経済相の来日

 アルゼンティンのマルティネス・デ・オス経済相は76年10月9日より14日までわが国を公式に訪問した。日本滞在中,皇太子・同妃両殿下と会見したほか,政府首脳と会談した。帰国に際し,アルゼンティン産穀物の対日輸出に関連して情報の交換,技術協力の推進,技術協力協定締結の可能性の検討,漁業開発協力推進の希望表明等を骨子とする共同新聞発表が両国政府の間で行われた。

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(ハ) コロンビアとの技術協力協定締結

 76年12月22日,日本とコロンビアとの間に技術協力協定が締結された。同協定は,わが国がコロンビアに対し専門家派遣,機材供与等の各種技術協力を行い,他方,コロンビア側は,わが国専門家に対し所得税,関税免除等の諸措置をとることを主な内容としている。

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(ニ) ペルー水産加工センター協定の締結

 76年6月7日,東京において,わが国とペルーとの間にペルー水産加工センターに関する協定が締結され,10月13日に発効した。

(ホ) 政府は,76年12月1日メキシコ市で挙行されたホセ・ロペス・ポルティーリョ(Hose Lopez Portillo)メキシコ大統領の就任式典に,永井道雄文部大臣(当時)を特派大使(夫人同伴)として参列せしめた。

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