1. 豪 州
(1) 政 治 情 勢
1975年末の上下両院同時選挙において大勝を得て発足した自由・国民地方両党連合政権は,議会における圧倒的多数を背景として,財政緊縮,国民医療保険制度,労組対策等の新政策を次々に実施した。
新政権は,わが国との緊密な関係の拡大強化,中国との関係の増進,近隣地域,特にASEAN諸国を中心とする東南アジア諸国との友好関係の発展等の点では,前労働党政権の方針を踏襲したが,他面,対米協調,対ソ警戒心の維持,国防重視等の点で,前労働党政権と若干異なつて自国の国益に応じた重点主義を採用した。
対米関係においては,フレーザー首相の訪米(7月)のほか,ANZUS協力の重視表明,米原子力艦艇の寄港許可,米・豪によるインド洋の共同監視声明等の動きが目立つた。
中国については,6月フレーザー首相が公式訪問した。
東南アジア諸国に対しては,フレーザー政権は,前政権に劣らず,ASEAN諸国を中心とするこれら諸国との関係の増進を重視しており,フレーザー首相及びピーコック外相のこれら諸国への往訪が相次いだ。
また,10月,南太平洋フォーラム特別会議の席上,ピーコック外相は,この地域に対し今後3年間にわたり6,000万豪ドルの援助を行う旨を発表した。
(イ) 概 説
76年の豪州経済は,豪州政府のインフレ抑止及び景気回復のための経済諸政策により若干の改善が見られたものの,全体としては低調に推移し,75/6年度(75年7月~76年6月)の実質成長率はマイナス0.1%,消費者物価上昇率は14.4%(76年12月の前年同期比),更に失業率は5.8%(77年1月末)を示し,豪州経済は依然として不況から完全に立ち直らなかつた感があつた。
75/76年度の豪州の輸出は93.4億豪ドル,輸入は78.9億豪ドルで貿易収支は14.5億豪ドルの黒字を示したが,経常収支及び資本収支の赤字のため,結局総合収支で10.2億豪ドルの赤字となつた。
豪州政府は,外貨の流出を防ぐため76年11月末豪ドルの17.5%の切下げを実施した(切下げ幅はその後微調整により12月末に12.45%となつた)。
豪州政府は,76年において石油危機以降実施されてきた自動車,鋼板,繊維,家電製品等に関する輸入制限措置を継続したが,12月に至り,豪ドル切下げに伴つて,900品目の関税率の引下げもしくは撤廃,自動車数量制限及び亜鉛鉄板関税割当の撤廃等の措置をとることを明らかにした。
豪州政府は4月,新外資政策を発表し,前政権と同様「資源と産業に対する豪州の所有と支配の確立」をその基本方針としつつ,特に鉱物資源の生産・開発,農業・牧畜及び林業・漁業の各プロジェクトについては豪州による50%以上(ただしウランについては75%以上)の持分及び支配権ないし議決権を必要とすること,ただし,かかる外資政策の運用に当つては弾力的に対処するとのガイドラインを明らかにした。
(イ) 自由・国民地方党新政権は,フレーザー首相の訪日(わが方公式招待)(6月),日豪基本条約署名(同月),豪日財団設立(4月),文化協定批准(2月)等の一連の動きを通じて,前労働党政権に劣らない対日重視の立場をはつきりと示した。6月署名された日豪基本条約は,両国間の緊密な友好協力関係を更に安定的かつ長期的基盤の上に置こうとする画期的な意義を有するものである。
77年1月には,ピーコック外相ほか3大臣が来日し,東京で第4回閣僚委員会が開催され,有益な意見交換が行われた。
(ロ) 76年のわが国対豪輸出は23.1億米ドル,輸入は53.6億米ドルで前年に比し総貿易額で30.1%の伸長を示した。豪州にとり,わが国は70/71年度以来第1位の貿易相手国,他方わが国にとり豪州は,米国及びサウディ・アラビアに次ぎ第3位(75年第4位)の貿易相手国である。
(ハ) 76年においては,牛肉,漁業,豪労組スト等をめぐり短期的摩擦が生じた。
11月,わが国は76年度下期分として2万トンの牛肉輸入割当を発表したが,豪側は,同割当は,同年度上期割当(4万5,000トン)に比し半分以下であるとして,わが国に対し,安定的かつ予見可能性のある牛肉輸入方強く要請し,別途交渉中であつた本邦まぐろはえなわ漁船の豪州寄港の期間延長問題を棚上げするとの立場をとつた。
本件問題は,77年1月の日豪閣僚委員会でわが国が2万トンの牛肉追加割当を発表したことにより,漁船寄港問題とともに円満に解決し,その結果,同年1月末,日豪間に本邦漁船の寄港期間を79年1月まで2年間延長することが取決められた。
また,76年後半にはANL(Australian National Line:オーストラリア国営海運会社)の鉱石専用船のわが国への造船発注をめぐり,豪州港湾関係労組は,右発注を不満とし,豪州に寄港する本邦船舶に対し出航阻止等の妨害行為を行うとの問題も生じたが,77年に入り解決されるに至つた。
(1) 政 治 情 勢
75年末の総選挙で,3年ぶりに政権に返り咲いた国民党は,マルドゥーン首相指導の下,インフレ収束及び国際収支改善を最大課題として取り組む姿勢を示し,厳しい耐乏経済政策を断行した。国民の多数は政府の政策を支持しており,政権は安定している。
国民党新政権は,インド洋,南太平洋等へのソ連の進出に対する警戒心を隠さず,対米協調及びANZUS防衛体制の重視を打ち出すことにより,前労働党政権時代の対外政策の軌道を修正した。
他方,わが国及びASEANを中心とするアジア・太平洋地域重視政策は踏襲,強化された。
(イ) 概 説
政府は経済立て直しを図るため,6月から1年間にわたり賃金,配当等の凍結を行い,さらに8月から12月まで物価,家賃を凍結した。また豪ドル切下げに伴い,11月末にNZドルの7%切下げを行つた。
消費者物価は,10~12月の対前年同期比15.6%の上昇を示した。
76年においては,輸出が29.2億NZドル,輸入が29.3億NZドルと貿易収支は改善し,総合収支では600万NZドルの赤字と国際収支は75年に比し大幅な改善を示した。
輸入抑制策として,2月輸入担保金制度を導入した。
(イ) 国民党新政権も対日重視の政策を踏襲し,4月にはマルドゥーン首相が公式に来日し,わが方閣僚と精力的に会談を行つた。
(ロ) ニュー・ジーランドは,わが国に対し農畜産物の長期安定的取引の確立を求めており,この見地から同国の200海里水域内での本邦漁船の操業と農産物輸出とを含めた総合的経済関係を促進するとの姿勢を示している。
(ハ) 76年のわが国の対ニュー・ジーランド輸出は4.1億米ドル(前年比5%増),輸入は4.5億米ドル(前年比21%増)であつた。75/76年度において,わが国はニュー・ジーランドにとり輸出では第2位,輸入では第3位の貿易相手国であつた。
(1) 政 治 情 勢
75年9月に独立したPNGは,ソマレ首相の指導下で順調に基礎固めを進めた。
独立以来,ブーゲンビルの分離独立問題が暗影を投じていたが,8月分離主義者との間に妥協が成立し,ブーゲンビル州政府に対し大幅な権限を認めるとの形で問題は解決された。
なお,ブーゲンビル問題の解決に伴い,PNG各地に州政府設立の気運が起り,セントラル州ほか3州では臨時州政府が成立した。
PNGは,現在わが国,豪州を含む23カ国と外交関係を樹立し,ソマレ首相及びキキ外相による訪問外交を展開している。
PNGは,普遍主義(Universalism)の外交政策を標榜し,イデオロギー,政治形態のいかんを問わず,多くの国と友好関係を促進するとの方針を有している。
地域協力については,南太平洋フォーラム及び南太平洋委員会に加盟している。
(イ) 概 説
76年のPNG経済は,主力のブーゲンビル銅価格が依然低迷したものの,コーヒー,ココア等農産物の輸出価格が記録的に暴騰したこと等もあり,景気の上昇がみられた。
一方キナの切上げ(下記(ハ))措置により,国内インフレ率は,年率5.3%と他の開発途上国に比べ比較的小幅の上昇にとどまつた。
75/76年度の輸出は4.5億米ドル,輸入は4.4億米ドルであり,経常収支は1,700万米ドルの赤字,資本収支は700万米ドルの赤字となつた結果,総合収支は2,400万米ドルの赤字(74/75年度比65%減)となつた。
7月豪ドルに対し5%の単独切上げを行い,また11月末の豪ドル切下げに伴い,為替レートの変更を行い,新豪ドルに対し12.5%の切上げ,その他の通貨に対しては7.25%の切下げを行つた。
(イ) わが国との関係は,諸分野において深まりを見せた。
両国間貿易は,総額2.4億米ドルで前年同様わが国の入超であるが,前年に比し16%の伸長を示した。
日豪漁業協定に基づく本邦漁船によるPNG漁業専管水域内操業及びPNGへの寄港は12月末をもつて終了したが,77年8月まではPNG政府の一方的行政措置によりかかる操業,寄港が認められた。
PNGの国営航空企業であるエア・ニューギニーは,77年1月,週1便,鹿児島に乗入れを開始した。
(ロ) わが国は,必要に応じ可能な範囲でPNGの国造りに協力するとの立場である。
わが方経済協力の一環として進捗中であつたカヴィエンにおける漁業訓練大学の建設工事は77年3月完了した。ラバウル及びカヴィエン漁業基地建設等に関し,わが方はフィージビリティ調査を行つた。
(イ) 南太平洋地域における4つの独立国,フィジー,ナウル,トンガ,西サモアは,それぞれ経済開発に力を注いでいる。
(ロ) 各地で行われた選挙の結果,次の指導者が新しく就任した。
3月 西サモア
トゥプオラ・エフィ首相
7月 ソロモン諸島(英領)
ピーター・ケニロレア首席大臣
12月 ナウル
バーナード・ドウィヨゴ大統領
(ハ) 西サモアのマリエトア国家元首が8月末来日した。
(ニ) 南太平洋フォーラムは,7月及び10月,第7回会議(於ナウル)及び特別会議(於フィジー)をそれぞれ開催した。
また,南太平洋委員会は,10月ヌメアにおいて第16回会議を開催した。
(ホ) 76年1月にソロモン諸島が,また77年1月にギルバート諸島がそれぞれ自治に移行した。また,ニュー・ヘブリデスにおいても独立への胎動が感じられる。