第6節 在外邦人に対する保護,援助及び啓蒙

 

 

1. 生活困窮者,精神異常者等への援助

 

 75年においても,多数の在外邦人が生活の困窮,事故,疾病等により在外公館へ援助を求めてきた。

(1) 生活困窮者

 中南米移住者の中には,働き手である家長の死亡,事故,疾病等のためにその家族が生活に困窮する事例が少くなく,日本政府はこれら生活困窮者に対して,生活費や医療費あるいは葬祭費等を交付するなどの援助を行つている。また困窮状態から立直る見込みがなく帰国を希望する者のうち,その帰国費用を負担することが困難な場合には,政府はこれらの者に旅費を貸付けで帰国を援助している(75年には,22世帯55人に対して帰国を援助した)。

 また韓国には戦前,戦後を通じ韓国人と結婚した日本婦人で極度に生活に困窮している人が少くない。政府はこれらの人々に対して,69年以来,現地における生活費,医療費等を援助しているほか,夫と死別・離別または夫が行方不明となつて生活に困窮し,やむなく帰国を希望する人に対しては,帰国費を支給して援助している(75年中には,この制度の下で27世帯74人が帰国した)。

(2) 精神異常者

 外国滞在中や旅行中に環境の変化や言葉の問題等からノイローゼなどの精神障害を来たしたり,あるいは精神病になる邦人が近年急増している。これらの精神異常者に対しては,できるだけ早急に帰国させて本邦の医療機関で治療を受けさせることが望ましいが,このような人を安全に帰国させるためには,専門医,家族など然るべき付添人が必要な場合が多い。在外公館では,このような場合,家族,医療機関,航空会社等の関係者と密接な連絡を取つて,本人が安全かつ速やかに帰国できるよう便宜を図つている。75年に専門医や家族に付添われて帰国した精神異常者は41人に達した。なお,ノイローゼ等による海外における自殺者も13人を数えた。

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2. 邦人の犯罪,各種事故,遭難等

 

(1) 在外邦人の犯罪

 国外における邦人の犯罪は,一般邦人の犯罪と船員の犯罪に区分できる。

(イ) 一般邦人の犯罪の大宗は関税法違反(主として麻薬の密輸)である。その多くはソウルや釜山をはじめ,香港,タイ,インド,イラン等で発生しており,75年中の被逮捕者数は30件42人であつた。このほか,殺人や強窃盗6件,不法入国(強制退去)8件,外国為替管理法違反3件等があり,更にホテル代未払事件が相当数ある。

(ロ) 船員の犯罪及び事故

 75年中,遠洋漁業に出漁中の漁船及び外国航路の貨物船等の船員間の(1)殺人,傷害その他の刑事事件は,51件56名(前年13件34名)に急増し,また,(2)疾病,怪我,行方不明等の事故は,38件48名と増加している。

 一方,緊急入域,衝突,座礁等船舶の事件も29件に上つている。

 上記(1)の刑事事件のうち,33件が船員間の傷害殺人事件であるが,その約95%が漁船中における事件であつた。

 事件発生を海域別にみれば,全体の約70%は太平洋地域(主として南太平洋,豪州,ニュー・ジーランド近海),次いで北洋,大西洋,その他の順となつている。

 事件発生漁船の約60%は,かつお,まぐろ漁船であり,次いでさけ,ます漁船となつている。

(ハ) なお,海外における邦人による大規模な犯罪事件としては,75年8月4日にクアラルンプールで発生した日本赤軍派による在マレイシア米国及びスウェーデン両国大使館の占拠事件があげられる。事件発生後,内閣に内閣官房長官を長とする対策本部が設置されたが,これに対応して外務省内にも対策本部を設けて,事件発生地及び国内関係方面との連絡に当るとともに,人質の安全確保の見地から,関係国政府と鋭意折衝する等,事件解決のための努力を行つた。

(2) 各種事故及び遭難等

 在外における邦人の交通事故も年々増加し,75年中は死亡者34名,負傷入院者49名に達したほか,旅行中の病死18名,自殺13名,他殺5名,登山遭難及び水難13名,負傷3名を数えている。

 なお75年中の特筆すべき事件としては,フィリピンのミンダナオ島サンボアンガ付近における邦人,邦船(末広丸,スールー4号)のゲリラによる誘拐事件がある。

 一邦人は,8月25日同地観光中,7人のゲリラに誘拐され,身代金20万ペソを支払つて(フィリピン政府が負担)同27日夜釈放され,また末広丸(木材運搬船。船長以下邦人26名乗組,ほかに比国税関吏5名同乗)は9月26日,約20名の武装ゲリラの襲撃を受け,その根拠地に連行された。ゲリラ側は身代金100万ペソを要求したが,結局投降し,事件は同月29日解決した。更にまぐろ運搬船スールー4号の場合は,乗組員10名中6名が11月7日夜ゲリラに拉致され,身代金500万ペソの要求があつたが,比国南西方面軍当局の説得により投降,1カ月後の12月6日漸く人質は釈放された。

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3. 邦人の所在調査

 

 最近,資産の相続,土地収用等の問題で在外にいる邦人の所在を調査してほしいとの要望が多く,特に明治・大正時代に米国や南米に移住した者の留守家族等からの依頼が多数寄せられている。これらに対しては,できる限りの手がかりを求めて,現地の在外公館で調査を進めており,要望の約40%については所在が判明している。

 また海外旅行中消息を絶つた者については,事情聴取のうえ,当人の生命財産等に緊迫した危険ありと思われる者については,即刻関係公館に指示して実情調査を行わしめている。

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4. 巡回医師団の派遣

 

 外務省は,72年以来,海外の邦人の健康維持の見地から,海外の各地に医師団を派遣している。75年度においては,中近東,アフリカに5チーム,東南及び南アジアに3チーム,中南米に2チーム,東欧に1チーム,合計11チームをそれぞれ派遣した。各医師団は,医師3名又は医師2名及び看護婦1名で構成され,75年度には,合せて医師29名及び看護婦4名が,海外の70カ国120カ所に派遣され,約7,000名の邦人の健康相談に当つた。

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5. 緊急事態発生の際における邦人保護

 

 海外在留邦人約39万人の保護にあたつて最も虞れられることは,戦争,動乱,内戦の発生である。地震,津波等の不時の天災による被害については不可抗力として致し方のないこともあるが,戦乱等に対しては,正確な情報入手,事態の予測及び連絡等適切な対応措置を講ずることによつて被害をある程度未然に防止しうる。

 75年中には,次のとおりカンボディア,ヴィエトナム及びレバノンで戦乱,内戦があり,在留邦人保護のため,外務省としてさまざまな対応措置をとつた。民間側の協力もあつて,幸い一般邦人の死傷者は1名も出していない。

(1) カンボディア

 革命政府軍が75年1月1日首都プノンペンに対する総攻撃を開始した当時のカンボディア在留邦人は,31名であつた。大使館は現地の情勢を勘案のうえ,1月4日及び2月7日,在留邦人に対し,情勢説明を行うとともに退避を勧告した。3月に入り,在留邦人は報道関係7名,一般6名に減少したが,プノンペンに対する砲撃がさらに激しくなつたため,3月11日最終的退避勧告を行うとともに,外務本省においては,これら残留している報道及び商社関係者の本社に対し,速やかなる退避を本社側から指示するよう要請した。

 以上の措置を講じたうえで大使館員は,残留することを強く希望したカメラマン1名及び家族がカンボディア人のため当初から残留を決めていた者を残し,在留邦人とともに4月5日プノンペンを出発,バンコックに退避した。

 ついで4月14日ポチエントン空港が制圧され,17日プノンペンが陥落したが,残留した前記カメラマンについては種々手を尽した結果,5月8日タイ国に出国せしめることができた。

(2) ヴィエトナム

 75年3月4日共産側は,南越全土で攻勢を開始した。

 3月末南ヴィエトナムには528名の邦人が在留していたが共産軍は,4月に入り急速にサイゴンに対する包囲網を縮めるに至つた。そこで大使館は在留邦人に対し,4月3日,5日,14日及び共産軍がサイゴン東方約60キロに迫つた22日の4回にわたつて引揚げ勧告を行つた。また外務本省においてもこれに呼応して,本邦進出企業の本社に対し駐在員の帰国命令発出方を要請した。このため続々と引揚げが行われ,4月24日には当初の528名を179名にまで減少せしめることができた。

 サイゴンが全く包囲され,民間航空の運行も途絶えがちとなつたので,最後の邦人救出手段として,日航機をチャーターして,サイゴンに派遣することとし,4月29日に進発し,マニラで待機したが,同日タンソニュット空港が砲撃され,着陸が不可能となつたため,30日東京に帰航した。なお,サイゴンは30日陥落した。

 サイゴン陥落後,操業船での脱出,米軍ヘリコプターによる救出,北越機等による出国(第1便~第7便)及びその後の帰国等により,12月末現在,残留大使館員4名のほか在留邦人は72世帯88名にまで減少することができた。

(3) レバノン

 レバノンには,75年9月1日現在939名の邦人が在留していた。レバノンの内戦が激化した9月25日,ベイルート進出本邦企業の本社関係者約80名を外務本省に招き(75社の代表者出席),レバノン情勢は複雑で急速に解決する見通しは立たない旨を説明するとともに,各社が駐在員の安全確保のため,早急に措置をとるよう要請した。

 この結果,9月末には約半数の461名がロンドン,アテネ等に退避,あるいは帰国した。

 外務本省は10月27日及び28日のベイルート市内の戦闘激化に伴い,29日在レバノン大使に対し,邦人保護に万全を期するよう訓令するとともに,レバノン進出本邦企業約100社に対し,電話連絡により,駐在員及び家族の安全確保措置を講ずるよう重ねて勧奨するとともに,なるべく早い機会に引揚げないし退避することが望ましい旨を伝達した。また外務事務次官も10月30日の記者会見において同趣旨を説明し,引揚げを勧奨した。

 かくて12月末現在邦人は99名に減少した。

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6. 海外子女教育

 

 海外に長期に在留する邦人の増加に伴い,それら邦人のうちで義務教育年齢にある子女の数は,75年5月現在約1万6,000名となつている。外務省は,関係各省の理解と協力を得て,在外邦人にとつて当面する最も切実な問題の一つである子女教育問題について,これら邦人が不安なく海外の諸活動に専念し得るよう種々の施策を行つている。現在,世界各地に設立されている全日制日本人学校(以下「日本人学校」)及び補習授業校の現状及び外務省の援助等の内容等は次のとおりである。

(1) 日本人学校

 日本人学校では,本邦の小学校,中学校の教育課程とほぼ同等の教育課程により教育が行われている。75年末現在で,41校(後述の新設校5校を含む)が海外各地に設立されており,地域的には,従来アジア,中近東,アフリカなどの開発途上地域を中心に設置されていたが,最近では先進地域においても,必要性の高い場所では日本人学校が設立されるに至つている。75年度には新たに釜山,ダッカ,ジェッダ,カラカス,ニュー・ヨークの各地に合計5校の日本人学校が設置された。

 日本人学校に通学している児童生徒の数は,75年5月現在で6,229名(うち小学部5,257名,中学部972名)で,1年前に比して30%の増加を示している。常勤教員の数は合計407名(うち本邦派遣341名,現地採用66名)で,1年前に比し22%増加した。学校の所在地,児童生徒数及び教員数の詳細は「1975年度全日制日本人学校児童生徒教員数一覧表」(下巻付表7.(3)参照)に示すとおりである。

 外務省は,海外子女教育の充実強化の見地から,文部省の協力をえて海外の日本人学校に対し国内の国・公・私立の学校の教員等を派遣している。教員の定数については,75年には,新設校の教員を含め85人の増員を図り日本人学校への派遣教員の定員は合計349名となつた。(ただし,サイゴン日本人学校の閉校等の事情により,実際の派遣教員数は前記のとおり341名となつた。)派遣される教員の待遇については毎年改善がはかられており,75年度には滞在費の平均単価が前年に比して12.6%引き上げられた。また,外務省は,日本人学校が現地で採用する教員に対する謝金の補助及び,日本人学校の校舎を借上げるために必要な経費に対する補助も行つている。

(2) 補習授業校

 補習授業校は,現地の学校(現地の外国系の学校も含む)に通学する在外邦人子女に対し,国語を中心とし,併せて算数,社会科等の教科について,週1~2回,2~3時間程度の授業を行うもので,75年5月現在,48校が主として北米,欧州等の地域に設立されている。補習授業校の所在地,児童生徒数及び講師数は「1975年度補習授業校児童生徒・講師数一覧表」(下巻付表7.(4)参照)に示すとおりである。補習授業校の講師には,現地の在留邦人のなかから適格者が委嘱されており,その数は75年5月現在390名程度である。

 外務省では,これらの講師に対し支給される謝金に対し,1名当り月額100米ドルを限度として補助を行つており,75年度には250名分の補助を行つた。また,74年度よりニュー・ヨーク等の大規模補習授業校に専任教員を派遣しており,75年度にはさらに5名の増員をはかり,合計11名の専任教員を9校の補習授業校に対し派遣している。

(3) その他

 民間では,財団法人海外子女教育振興財団が,在外子女教育の振興のため,日本人学校及び補習授業校に対する各種の援助を行つているほか,海外の邦人子女(日本人学校在籍者を除く)を対象に通信教育を行つており,受講者は76年1月現在約4,900名に達している。

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