第2章 わが国の行つた外交努力
第1節 各国との関係の増進
1. アジア地域
アジアの諸国は,わが国にとつて平和と繁栄を分ち合う隣人ともいうべき関係にある。わが国は,このような認識に立つてアジア諸国との関係の強化と相互理解の増進に努めるとともに,地域の安定と繁栄に寄与することをもつて,その政策の基本方針としている。
75年は,インドシナ地域で30年にわたつて続いていた紛争が終息し,社会主義政権が成立したという点で,戦後のアジア史における画期的な年であつた。
このようなインドシナ情勢の変化に伴つて,東南アジアの非共産諸国は,諸大国との関係の再調整を行いつつ国としてまた地域としての強じん性を高めることに努め,更に地域的な自主性と連帯の一層の強化を目指す新たな動きを示した。
他方,その他のアジア地域においてはインドシナ情勢急変の影響は見られたものの,情勢はおおむね平穏に推移した。
わが国はこのような情勢の変転を踏まえつつ,アジア諸国との関係を維持し発展させる努力を行つた。また,東南アジア地域については,インドシナとASEAN地域の間に平和で協力的な関係が樹立されるよう念願している。
75年を中心としてわが国がアジア地域に対して行つた外交努力の主な点を挙げれば,以下のとおりである。
(イ) 朝鮮半島はその平和と安定がわが国にとつて特に重要な地域である。韓国の安全は朝鮮半島における平和の維持にとり緊要であり,また,朝鮮半島における平和の維持はわが国を含む東アジアにおける平和と安全にとり必要であると考えられる。インドシナ情勢の急激な変化は朝鮮半島にも心理的影響を与え,緊張の高まる局面も見られたが,当面,軍事均衡は維持されている。
(ロ) わが国は,韓国との友好協力関係の維持発展を基本とし,北朝鮮との間には貿易,人物,文化等の分野で漸進的な交流を進めていくとの政策を維持している。
また,南北間の関係が改善され,平和的統一に向つて両者間の対話が行われることを希望している。
(ハ) 75年の日韓関係をみると,2月韓国で緊急措置違反容疑で逮捕されていた日本人2名の釈放があり,金大中事件,朴大統領狙撃事件と困難な問題が続いていた日韓関係は改善の方向に向つた。
7月22日には,金大中事件に関連して,金東雲元駐日大使館書記官に関する口上書が韓国政府より寄せられ,7月23~24日には宮澤外務大臣が訪韓した。その際外相会談で,第8回日韓定期閣僚会議の早期開催が合意され,同閣僚会議は9月15日ソウルにおいて,日本側より福田副総理兼経済企画庁長官,宮澤外務大臣,安倍農林大臣,河本通産大臣の4閣僚が出席して開催された。
(ニ) 75年の日韓貿易は世界的な景気後退を反映して往復で36億ドル(前年比16%の減少)に止まつた。12月例年どおり第12回日韓貿易会議が東京において開かれた。日本の対韓民間投資は,前年に引き続き低調であつた。政府レベルでは,研修生の受入れ,専門家の派遣等の技術協力は例年どおり実施され,資金協力は8月北坪港開発(124.2億円)及び農業振興(110億円)の両プロジェクトに対する円借款供与に関する書簡の交換が行われた。
なお,65年6月22日に署名されたいわゆる請求権協定に基づく韓国に対する経済協力(有償2億ドル,無償3億ドル)は,75年12月17日,10年間の期間満了に伴い,所期の目的を達し,予定どおり終了した。
(ホ) 北朝鮮との間には国交はないが,貿易,人物,文化等の分野における交流は近年相当拡大している。しかし75年の貿易は,北朝鮮における外貨事情悪化,わが国の不況等も反映して,往復貿易額で約2.5億ドルと前年の68%に縮小した。
また,北朝鮮の日本,西欧諸国等に対する対外債務支払遅延問題が表面化し,北朝鮮経済の不調をうかがわせた。
わが国は72年9月に署名された日中共同声明に基づき,中国との善隣友好関係と相互理解の増進に努めてきている。日中関係は,国交正常化以来3年余の間に,政治・経済・文化・人的交流等各面において着実な発展を示しつつある。
(イ) 75年8月,総領事館の相互設置に関する書簡が日中両国政府間で交換され,9月には上海に日本国総領事館,76年3月には大阪に中国総領事館が開設された。
(ロ) また,実務協定の面では,74年6月以来休会していた漁業協定交渉が75年3月東京で再開され,その後6月から8月にかけて北京で交渉が行われた結果,8月15日東京で羽中漁業協定が署名され,それぞれの国内手続を了した後,12月22日発効した。これにより,日中共同声明で特記された4実務協定はすべて締結され,両国関係の実務的基礎が固められた。
(ハ) 平和友好条約については,74年11月以来東京及び北京で交渉が行われ,75年9月末ニューヨークにおいて,宮澤外務大臣と中国の喬冠華外文部長との間で初めて大臣レベルの意見交換が行われた。
(ニ) 経済関係では,75年の貿易額は総額37.9億ドルに達し,なかでも,わが国の対中石油輸入は前年に比べて大幅に増加し,約800万トンに達するなど順調な発展を示した。また,数多くの経済ミッションが相互に訪問したが,11月には北京で羽本工業技術展覧会が開催され,河本通産大臣が訪中した。文化面でも種々の交流が行われたが,政府レベルでは学術文化使節団(団長吉川幸次郎京大名誉教授)が訪中し,中国からも76年3月中国人民対外友好協会代表団(団長王畑南)等が来日した。
モンゴルとの関係は,74年9月に結ばれた文化取極に基づく文化交流が開始され,また経済協力に関する政府調査団が訪モする等,外交関係樹立の際の共同コミュニケに言及された「経済及び文化的協力の発展」が見られた。
インドシナ情勢の急転を目のあたりに見たASEAN各国は,インドシナの新政権との共存を求め,また,新たな大国間の力関係に細心な適応を試みるとともに,他方で自国の政治・経済・社会基盤の強化と自主的な地域協力を行うとの方針を従来にもまして明確にした。その象徴的な動きが,76年2月のASEAN首脳会議であつた。また,ビルマにおいても,国内の経済基盤強化の努力が行われ,外交的にも,独自のラインを進めるとの方向が改めて明示された。
わが国は,これら各国の基本方針を支持し,対話と協力に努めた。特に経済面を中心とする協力の推進及びハイレベルでの意見交換には見るべき成果があつた。
(イ) ハイレベルの交流
75年5月シンガポールのリー首相が訪日し,総理大臣・外務大臣と会談を行つたのを皮切りに,6月フィリピンのマルコス大統領夫人,7月インドネシアのスハルト大統領及びマレイシアのリタウディン外務担当国務相,10月タイのチャチャイ外相が,それぞれ来日し,ポスト・インドシナの国際情勢につき,意見交換を行つた。
このほか,東南アジア諸国から,多くの閣僚が訪日し,頻繁な意見交換が行われた。
更に,わが国からも,7月に大来佐武郎氏(海外経済協力基金総裁)が,また12月には,外務省吉野外務審議官が,それぞれ東南アジアを訪問し,各国首脳と意見交換を行い,わが国外交の方向づけに,種々有益な示唆を得た。
(ロ) 経済面における協力の推進
わが国は経済的自立を希求する各国の自助努力を支援するとの見地から,わが国内の不況にもかかわらず,従来に引き続き積極的な協力を行うことに努力した。すなわち,5月に開催されたインドネシア援助国会議(IGGI)において,わが国は他の先進諸国に率先して積極的な方針を明らかにし,会議を成功に導いたほか,7月スハルト大統領の訪日を機に,アサハン計画への協力方針を決定した。また,フィリピン,ビルマ,タイの各国に対し,円借款を供与した。
(ハ) 対話の推進
わが国と東南アジア諸国との間の幅広い接触を行うことを目的として,従来に引き続き,日比経済合同委員会,日・タイ貿易合同委員会等が開催され,また東南アジア青年の船等の事業が推進された。
わが国は社会主義政権の誕生したインドシナ3国との間にも体制の差を越えて良好な関係の形成に努めていくことを方針としている。わが国がインドシナ地域の戦後復興と開発のために応分の援助を行うことは,同地域ひいては東南アジア全体の平和と発展に寄与するものと考えられる。この観点からわが国は,特に北ヴィエトナムとの関係の確立に重点を置きつつ,概略以下の外交努力を行つた。
(イ) インドシナ緊急援助
わが国は,インドシナ情勢急変に伴い同地域で大量に発生した難民を救済するため,75年4月に国際赤十字のインドシナ緊急援助計画に対して,6億円の拠出を行つた。9月には同計画に5億円を追加拠出するとともに,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)及び国連児童基金(ユニセフ)が中心となつて実施中のインドシナ緊急援助計画に対して6億円,UNHCRによる国外インドシナ難民援助活動に対して3億円をそれぞれ拠出した。
(ロ) 北ヴィエトナムとの関係発展
わが国は,ヴィエトナム民主共和国(北ヴィエトナム)との間に73年9月21日外交関係を設定した後,大使館開設及び無償援助供与に関し,同国政府と話合いを続けてきたが,10月11日,ハノイにわが方大使館が開設されるとともに75年度分85億円の無償援助取極が締結された。
76年1月には在京北ヴィエトナム大使館の開設,2月には有田外務審議官を団長とする日本政府事務当局訪越団の派遣,3月にはわが方長谷川大使の着任,石油関係訪越団の派遣等を通じ両国間の相互理解の促進と関係強化が進められた。
(ハ) ラオスとの友好関係増進
わが国は,75年7月外国為替安定基金(FEOF)に180万ドルの無償援助を行い,9月にはナムグム第2期開発基金に対し20億1,000万円の追加借款を供与することを決定したが,これらの措置はラオス側からも高く評価されている。
わが国と南西アジア各国との関係は,経済交流,経済・技術協力関係,各種の人的交流等を基礎に良好に推移している。わが国のこの地域に対する外交の基本的方針は同地域のいずれの国とも友好関係を維持増進するとともに,この地域の安定と発展のためにできる限りの協力を行うことである。かかる方針に基づき,わが国は主として以下の外交努力を行つた。
(イ) インドの関係では,75年11月東京において第10回日印定期協議(事務レベル)を行つた。また,同国に対し,第14次円借款(総額約301億円)及び第15次円借款(総額約302億円)の供与を約束した。
(ロ) パキスタンとの関係では,76年3月今里廣記日本精工会長(日本・パキスタン協会会長)を団長とする政府派遣経済使節団を同国に派遣した。
また,旧東パキスタン向プロジェクトに係る債務約245億円につき,パキスタンの債務を免除したほか,第12次円借款(総額約134億円)及び第13次円借款(総額約158億円)の供与を約束した。
(ハ) バングラデシュとの関係では,第2次円借款(115億円)の供与を約束したほかKR食糧援助として総額30億円相当の米を供与した。
(ニ) スリ・ランカとの関係では,ラージャパクセ漁業・保健大臣及びアヌーラ・パンダラナイケ与党自由党青年部長(パンダラナイケ首相の令息)をそれぞれ本邦に招待した。また第10次円借款(45億円)の供与を約束し,KR食糧援助として約3億円相当の米を供与した。
(ホ) モルディブとの関係では,同国の漁船動力化計画に対してエンジン購入費1億5,000万円を贈与した。
(ヘ) ネパールとの関係では,同国クリカニ水力発電所建設プロジェクトに対し,30億円の円借款供与を約束した。
豪州,ニュー・ジーランドは,わが国とともにアジア・太平洋地域に属する先進民主主義国であるとともに経済的にもわが国と深い関係にあり,政治,経済両面においてわが国の重要なパートナーである。アジア・太平洋地域の安定と発展を維持,増進していく上で,豪州,ニュー・ジーランドを含む先進民主主義諸国との協力関係は基本的に重要である。
このような考え方に立ち,わが国としては,両国との間に永続的かつ緊密な友好関係を維持するため一層の努力を払つていく考えである。
日豪間では,75年には両国関係強化のため次のような努力が払われた。
第一に,円滑な経済関係を増進するための努力である。両国間には豪州からの石炭,鉄鉱石,食肉,酪農品,羊毛等の安定的対日輸出に対する関心,またわが国工業製品の対豪輸出に伴う問題があるが,両国は互いに重要な経済的パートナーであるとの認識の下に,緊密な対話と協議を通じてより円滑な経済関係のための努力を払つた。特に,75年5月キャンベラで開催された第3回日豪閣僚委員会は,率直な意見交換を通じて両国間の相互理解を促進する上で大きな成果をもたらした。
また,両国関係を真に緊密なものとするためには,経済の分野のみならず,政治,文化,教育,社会等幅広い分野での交流を発展させる必要がある。日豪友好協力基本条約は,まさにこのような意味において日豪関係全般を律する条約であり,両国は74年来その早期締結のための努力を払つてきたが,75年中も引き続き交渉が行われた。75年12月に成立した自由,国民地方党連立政権も本条約に対し積極的な姿勢を示している。
更に,日豪間では活発な人的交流が行われた。特に,76年2月には,豪州新政権成立後初の要人として,アンソニー副首相兼外国貿易相兼国家資源相が来日した。
ニュー・ジーランドとの関係も近年ますます緊密の度を加えており,75年には,4月のティザード副首相兼蔵相(労働党政権当時)の訪日,5月の安倍農林大臣のニュー・ジーランド訪問等政府ハイレベルの接触も活発に行われた。
パプア・ニューギニアとの関係では,75年1月,わが国はポート・モレスビーに総領事館を開設,更に75年9月同国が豪州から独立した際には独立と同時に同国を承認,外交関係設立を行い,同年12月には大使館を開設した。かかる一連の措置及び経済協力案件の推進に見られるように,わが国は同国との関係強化に努めているが,パプア・ニューギニアとしても,経済開発のためわが国に期待するところは大きい。
ナウル,フィジー,トンガ,西サモアの南太平洋4島嶼国との間でも友好協力関係の進展をみた。
3. 北 米 地 域
(イ) 日米両国は,政治,経済,安全保障をはじめ極めて多岐にわたる分野で相互依存の関係にあり,米国との友好協力関係の維持,発展は,わが国外交の基軸をなすものである。また,両国の相互依存関係は単に2国間にとどまらず広く世界的な視野の中でその重要性を増してきている。
こうした観点からわが国政府は,75年8月の三木総理大臣訪米をはじめ外務大臣レベルの会議,更には実務者レベル間の協議を通じて日米両国間の懸案の解決,さらには日米の協力関係の一層の促進に努めた。また民間レベルの交流も活発に行われており,両国民の相互理解と信頼関係は一段と深まつている。
(a) 三木総理大臣の訪米
三木総理大臣は75年8月に米国を訪問し,フォード大統領と会談した。この会談においては,日米関係のみならず,インドシナにおける武力紛争終息後のアジアにおける諸情勢をはじめ,種々の国際問題について腹蔵のない意見交換を行つた。また,両国首脳は世界経済の一般情勢,国際金融,貿易,エネルギー及び先進国と開発途上国との間の協力に関する諸問題についても意見を交換し,世界経済が相互依存性を深めるなかで,日米両国の協力関係の増進の方途につき語り合つた。またこの会談において,世界の平和と繁栄という共通の目標に向かつて建設的かつ創造的協力を行うことが日米両国にとつて基本的に重要であることを確認した。このことは,日米両国が共に先進工業民主主義国として国際社会の中で極めて密接な互恵的協力関係にあるとともに,その果たすべき役割が増大していることを反映したものと言えよう。 |
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この首脳会談は三木総理が総理大臣就任後初めて開かれたものであり,両国首脳の相互信頼関係を樹立する観点からも意義深いものであつた。 |
(b) 外務大臣・国務長官会談等
三木総理訪米の際の日米共同新聞発表には,外務大臣と国務長官が年2回意見交換を行うことが述べられているが,75年には,宮澤外務大臣とキッシンジャー国務長官との会談は,様々な機会をとらえて合計9回にわたつて行われた。 |
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これらの会談では単に2国間問題だけではなく,両国が共通の関心を有するグローバルな問題についても突つ込んだ意見交換が行われ,両国相互の立場に対する理解も深められ,日米間の協調関係が一層推進された。特にキッシンジャー長官が6月ニューヨークの日米協会において日米関係に関する包括的な演説を行い,また10月の訪中に際しては訪中の途次と帰途,また12月のフォード大統領訪中に際してはその帰途日本に立寄り中国情勢などにつき日本側と協議を行つたことは,米国側が日本との関係を極めて重視していることをあらためて示すものであつた。 |
(ロ) 75年には,このような外交努力と並行して,日米両国の友好関係を象徴する画期的な出来事として,日米修交史上初めての天皇・皇后両陛下の御訪米が行われた。
両陛下は9月30日に日本を御出発になり,約2週間にわたつて米国各地を御訪問されたが,その間フォード大統領夫妻をはじめ,米国民の心暖まる歓迎をお受けになつた。御訪米期間中,両陛下は進んで米国の一般大衆と接触され,その誠実なお人柄は米国民に多大な感銘を与えられたようであつた。また両陛下はバルツ農場をはじめ米国社会を幅広く御視察になつた。
両陛下御訪米の模様が日本国内において連日大きく報道され,これを通じて多くの日本国民が米国の風物と米国民の友情に接する機会をもつことができた。また,米国内においても新聞,テレビなどで大きく取り上げられ,ニューヨーク・タイムスをはじめ多くの新聞が両陛下御訪米を歓迎する社説を掲げ,更に米国議会は両陛下歓迎の決議を採択した。米国各方面のこうした歓迎ぶりは,戦後30年を経た今出米国が日本を真の友邦としてみなしていることの証左といえよう。
この両陛下御訪米は,政治や政策の次元を超えた日米両国民の友情と相互理解の促進に大いに貢献し,日米修交史上記念すべき出来事であつた。
(イ) 近年日加両国は,政治,経済,文化,科学技術等多岐にわたる分野で協力関係を発展させてきている。わが国は同じ太平洋地域に位置する先進民主主義国としてカナダとの友好協力関係の基盤を一層幅広いものとし,両国の多方面にわたる提携を強めることを方針としている。75年には,第7回日加閣僚委員会の開催をはじめ,政府及び民間レベルにおいて活発な交流が行われた。
(ロ) 第7回日加閣僚委員会
第7回日加閣僚委員会は,4年ぶりに6月23,24日の両日東京で開催され,宮澤・マッカッケン両外務大臣はじめ日加双方より各々5閣僚が出席し,両国が共通の関心を有する諸問題について,忌憚のない意見の交換が行われた。
今回の会合で,日加双方は両国の外交の多角化,多様化政策をそれぞれ再確認した。経済面では,両国間の互恵的経済関係の推進が両国経済の発展にきわめて重要であることを再確認し,そのため日加両国政府の話合いを具体化する方向で作業を開始することで合意した。この合意は今回の会合の重要な成果の一つである。また日加双方は,今回の会合が両国指導者間の個人的接触を通じ相互理解,信頼の強化に大きく寄与したことを歓迎した。
(ハ) 日加事務レベル協議
上記閣僚委員会での合意に基づき,11月25日から4日間,カナダより多数の政府高官の出席を得て日加事務レベル協議が東京で開催された。日加間の経済協力促進のための方途を探求するため,資源・エネルギー,製造業,農業等の分野の個々の業種ごとに意見の交換が行われた。この協議の結果,タールサンド開発の分野等についてわが国より使節団が派遣されることとなつた。
わが国の対中南米外交の目標は伝統的な友好関係を基礎として,相互理解を促進し互恵的協力関係を一層緊密化することにある。近年中南米諸国は米国のみならず,日本,西欧諸国との幅広い協力関係の展開を志向しており,特にその最大関心事たる国内経済社会開発の促進上,わが国からの経済技術協力の拡充を求めて対日関心度を著しく増大している。
わが国は,前記の目標に沿つて各分野での外交努力を強化した。
第一に相互理解の増進のため各界の要人交流の促進に努めた。75年8月に,福田副総理がヴェネズェラ,ブラジル両国を公式訪問して,両国政府首脳と会談した。同年6月には,永野日商会頭を団長にわが経済界指導者により構成された経済使節団をアルゼンティン,ウルグァイ,パラグァイに派遣し,これら諸国とわが国との協力関係のあり方について訪問国政府及び各界の首脳と意見交換を行つた。他方,中南米諸国からは,ペルー及びハイティから外務大臣が訪日したほか,キューバの砂糖産業大臣,ペルーの動力鉱山及び商務大臣,ブラジルの通信及び鉱山動力大臣等閣僚級要人が相次いで訪日し,わが政府及び関係各界要人と会談した。
第二に中南米諸国に対するわが経済技術協力の一層の拡充に努めた。1975年における主要な協力実績としては,(イ)パラグァイに対する追加的政府借款及びボリヴィアに対する政府借款の供与,(ロ)米州開発銀行に域外国としての正式加盟の決定,(ハ)対チリ債務救済,(ニ)アンデス,中米諸国を中心とした農業,医療協力等の新分野における技術協力強化等が挙げられる。また,わが対中南米経済協力の特色たる直接民間投資についても,ブラジル,メキシコ,パナマを中心に引き続き増加しており,わが対中南米投資累計額は75年9月末現在27億ドルに達しわが対外投資総額の19.1%を占めている。
第三に,文化交流面での強化に努めた。わが国と中南米諸国との関係緊密化と中南米におけるわが国のプレゼンスの増大に伴い,国民一般レベルでの相互理解を深めることの必要性が強く感じられるに至つている。わが国はブラジルでの日本文化研究所,メキシコの日墨学院開設の援助協力,国際協力基金を通じる日本文化研究者への奨学金提供,学術交流の奨励等を行つた。
西欧諸国は,先進民主主義諸国の重要メンバーである。特に拡大ECは経済的諸困難もあつて,統合のテンポは必ずしも順調ではないが,経済・政治統合への動き及び対外政策における協調を推進し国際的発言力を強めつつある。
わが国と西欧諸国との間には,貿易・資本等の経済交流,人的・文化的交流等幅広い関係が進んでいるが,特に近年双方の国際的役割の増大に伴い先進民主主義諸国としての共通の意識が強まりつつあり,その下でわが国は各種の協議,協力を進め,広い意味での政治的対話の緊密化にも努めている。この意味で対西欧外交は,わが国外交の基盤を強化し,多様化する努力の重要な一翼を担うものといえよう。
このような考えに立ち,わが国は主として次のような努力を行つた。
第一に,政治,経済等幅広い分野における対話と協調を,二国間あるいは種々の国際的フォーラムの場で極めて緊密に行つた。まず,三木総理大臣が75年11月宮澤外務大臣,大平大蔵大臣とともにランブイエにおける主要国首脳会議に出席し,米国とともに西欧4カ国首脳と率直な意見交換を行つたことは,日欧協力の強化という観点からも極めて有意義であつた。他方,宮澤外務大臣は,OECD閣僚理事会(5月),国連総会(9月)及び上記ランブイエ会議に出席した機会を利用して仏,英及び西独外相と会談を行つた。また12月には訪欧し,西独及び仏外相と定期協議を行い,国際情勢全般及び二国間問題につき意見交換を行つたほか,ジスカール・デスタン仏大統領,シュミット西独首相と会談する機会も得た。西欧諸国からは,5月エリザベス女王が英国元首として初めて来日されたほか,オランダ及びデンマークの外相,西独蔵相,英国より貿易大臣,農漁業食糧大臣,エネルギー大臣,環境大臣が来日し,わが国関係閣僚との間で意見交換を行つた。
第二には,経済関係拡大・強化の努力である。日欧間の貿易関係は,75年には世界経済の停滞を反映し,前年の貿易額を下回り,わが国の対欧輸出81億ドル,輸入44億ドル(わが国総輸出入のそれぞれ14.6%,7.6%)であつた。わが国の経済進出,特に一部特定産品の輸出急増に対する西欧諸国の警戒心,西欧諸国による特定品目の対日輸入制限の維持,わが国の貿易出超傾向等の問題点もあるが,他方,近年原子力をはじめとする科学技術面での協力,アフリカ等第三国における開発協力など新しい分野での具体的協力が拡大しつつある。日・西欧間の経済関係は,双方の経済力にかんがみ未だ拡大の可能性を有しているとみられ,わが国としては,引き続き各種の諸困難の克服と,新しい協力関係の開拓に努め,両者間の経済関係の拡大均衡を図つていくことが肝要である。
6. ソ連・東欧地域
(イ) 日ソ関係全般
ソ連はわが国と政治理念及び社会体制を異にする国であるが,同時に,わが国にとつて重要な隣国である。したがつて,わが国の対ソ外交の基本は,ソ連との間に相互理解と信頼に基づく安定した善隣友好関係を確立することである。そして,このような日ソ関係の確立は,日ソ両国国民の利益に応えるのみならず東アジアひいては世界の平和と安定にとつても重要な貢献をなすものである。
わが国は,このような基本的立場に立つて日ソ関係の増進に努めてきており,近年両国間の関係は,貿易,経済,文化,人的交流等の諸分野において順調に進展してきている。例えば,わが国の1975年の対ソ貿易量は約28億ドルに達し,西側先進諸国の中でも最大の対ソ貿易国の1つとなつている。また,シベリア開発に係わる経済協力についても66年以来7つのプロジェクトが実施に移され(そのうち1つは実施済),わが国がソ連に供与した借款総額は約14.7億ドルに及んでいる。
以上のように日ソ関係は実務面において順調に進展しているが,他方において歯舞群島,色丹島,国後島及び択捉島の北方4島のわが国への返還を実現して日ソ平和条約を締結するという重要な問題が最大の懸案として依然残つている。
わが国は,日ソ間に真に安定的かつ永続的な友好関係を確立するためには北方領土問題を解決して平和条約を締結することが不可欠であるとの立場から,従来からこの問題の解決に努力してきた。76年1月には宮澤外務大臣と来日したグロムイコ外相との間で,わが国において初めて平和条約交渉が行われ,またグロムイコ外相が三木総理大臣と会見した際にもこの問題について話合いが行われた。
更に,日ソ間には,北方4島周辺水域における本邦漁船の拿捕問題(安全操業問題),北方4島にある日本人祖先の墓地への参拝問題,日本近海におけるソ連漁船の操業に関連する問題,在ソ日本人(未帰還邦人)の帰国問題などがある。
グロムイコ外相が76年1月に来日した際に,こうした問題についても宮澤外務大臣などとの間で話合いが行われたが,その概要は下記(ハ)のとおりである。
(ロ) 日ソ首脳者間の書簡交換
(a) 75年2月13日,三木総理大臣はトロヤノフスキー在日ソ連大使を通じてブレジネフ書記長の総理大臣あて書簡を受領した。同書簡は75年1月三木総理大臣がブレジネフ書記長にあて発出した書簡に対する返簡である。同書簡は,日ソ関係を促進させたいという三木総理の考えに同感である旨及びソ連側としては平和条約交渉を継続させながら善隣協力条約について討議したい旨を述べたものである。同書簡の受領に際して,三木総理は,善隣協力条約について,日ソ双方にとり北方領土問題を解決して平和条約を締結することが先決である旨をトロヤノフスキー大使に対して明確に述べた。 |
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(b) 3月8日,三木総理大臣はトロヤノフスキー大使を通じてブレジネフ書記長の総理大臣あて書簡を受領した。同書簡は,モスクワの東洋諸民族文化博物館にある故福田平八郎氏の絵画42点を日本政府に寄贈する旨,及びこれが両国国民の相互理解の増進に資することを期待する旨述べたものである。 |
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(c) 4月25日,三木総理大臣はブレジネフ書記長にあて書簡を発出した。書簡は,在ソ重光大使を通じてブレジネフ書記長に代つて会見したグロムイコ外相に対して伝達された。同書簡は,上記(a)及び(b)の書簡に対する返簡である。三木総理は,同書簡において,故福田平八郎氏の絵画の寄贈に対する謝意を表明するとともに,日ソ関係についての日本側の基本的考え方を述べた。 |
(ハ) グロムイコ外相の来日
グロムイコ外相は,76年1月9日から13日まで,日本政府の招待によりわが国を公式訪問した。グロムイコ外相の訪出よ,75年1月に宮澤外務大臣が平和条約交渉のために訪ソした際の合意に基づいて行われたものである。今回のグロムイコ外相の来日は,66年,72年に続き4年ぶり3回目の来日であつた。グロムイコ外相の本邦滞在中,宮澤外務大臣との間に平和条約交渉及び日ソ外相間定期協議が行われたほか,三木総理大臣,福田副総理などもグロムイコ外相との間で日ソ間の問題を中心に意見交換を行つた。
(a) 北方領土問題(平和条約交渉)
前述のとおり,今回わが国で本格的な平和条約交渉が行われたのは56年の外交関係回復以来初めてのことであり,今回の交渉はそれだけでも意義があつた。 |
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宮澤外務大臣とグロムイコ外相との間の平和条約交渉及びグロムイコ外相の三木総理大臣との会見において,わが方は,まず,歯舞群島,色丹島,国後島及び択捉島の北方4島は法律的,歴史的根拠により正当にわが国に帰属すべき日本固有の領土であるとのわが国の基本的立場を改めて明確にした。その上で,わが方はこれら北方4島の返還は,わが国国民の一致した願望であり,この願望は時間の経過によつても決して消え去るような性格のものではないことをグロムイコ外相に伝え,外交関係回復以来20年になる今日,日ソ両国は今や領土問題を解決して平和条約を締結すべき時期にきているとして北方4島のわが国への返還につきソ連側の英断を強く求めた。これに対するソ連側の態度は相変らず固く,交渉においてグロムイコ外相は,領土問題について日ソ双方の立場には依然隔たりがある旨くり返した。 |
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数次にわたる交渉の結果,日本側は共同コミュニケにおいて,北方4島の問題が「第2次大戦の時から未解決の諸問題」の中に含まれるとの了解の下に作成された73年10月10日付の日ソ共同声明の当該部分(「双方は,第2次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する・・・・・・」)の全文を改めてソ連側に確認させた。また,同コミュニケにおいて平和条約を早期に締結するため交渉を継続すること,及びこの平和条約交渉継続及び外相間定期協議のために宮澤外務大臣に1976年にソ連邦を公式訪問するようにとのグロムイコ外相の招待を受諾した旨があわせて明記された。 |
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なお,今回の交渉においてグロムイコ外相は,平和条約の締結までには時間がかかるという理由で,平和条約締結交渉を継続しながら,他方で「善隣協力条約」を締結するようわが方に対して改めて示唆した。この条約の締結については前記(ロ)(a)に記したとおり,既に三木総理大臣より日ソ双方にとり北方領土問題を解決して平和条約を締結することが先決である旨回答済であつたが,今回もグロムイコ外相に対し,同様の基本的立場を改めて明確にした。 |
(b) 日ソ間のその池の問題
(i) 安全操業問題
宮澤外務大臣及び安倍農林大臣より,北方水域における日本人漁夫の拿捕という不幸な事件をなくすため,人道的立場より主管大臣間の交渉を早期に再開するようグロムイコ外相の協力を要請するとともに,抑留中の漁夫全員の釈放を要請した。これに対し,グロムイコ外相は安全操業問題に関する交渉の再開は異議ない旨述べたほか,抑留漁夫全員の釈放に関するソ側決定を宮澤外務大臣に伝達した。その結果,32名の抑留漁夫全員は1月中に帰国した。
(ii) 日本近海におけるソ連漁船の操業問題
宮澤外務大臣及び安倍農林大臣より,75年10月に日ソ漁業操業協定が発効したにもかかわらず,日本近海におけソ連漁船の操業に伴い依然日本漁民の漁具等に被害が生じている事実を指摘し,わが国沿岸12カイリ以内でのソ連船の操業を自粛するよう要請した。これに対し,グロムイコ外相は,具体的な問題については協定に基づいて設置される漁業損害賠償請求処理委員会で解決することが必要である旨述べた。
(iii) 墓参及び未帰還邦人問題
宮澤外務大臣は,北方4島,ソ連本土及び樺太にある邦人墓地への墓参がわが方の希望どおり実現するよう,また,戦後ソ連に残留を余儀なくされている日本人で帰国を希望する者の帰国が早期に実現するようグロムイコ外相に対して人道的配慮を要請した。グロムイコ外相は,墓参については日本側の希望を原則として好意的に検討する旨,また,未帰還邦人については本人から直接申請があれば検討する旨,それぞれ約した。
近年,わが国と東欧諸国との関係は通常の貿易,経済関係にとどまらず,人的交流,文化・科学技術交流等の分野へ拡大しつつある。わが国は,体制の相違にもかかわらず,東欧諸国との関係を進めることを方針としている。75年には,ドイツ民主共和国のミッターク閣僚評議会副議長(1月~2月),ルーマニアのチャウシェスク大統領(4月),ブルガリアのムラデノフ外相(6月)等の訪日が行われた。また,これら諸国による展覧会,演奏会等の文化活動が活発に展開された。
このような動きを背景として,75年中にわが国はルーマニアと文化取極,科学技術協力取極,ブルガリアと文化取極,ハンガリーと通商航海条約を締結し,さらに所得に関する二重課税防止条約締結交渉をルーマニア及びチェッコスロヴァキアとの間に開始し,これら諸国との関係増進のための枠組みの整備に努めた。これら取極のうち特にルーマニアとの科学技術協力取極は,わが国が東欧諸国との間に初めて締結したものであるだけにその意義は大きい。
一方,わが国と東欧諸国との貿易は年々増加して,74年には往復10億ドルを超えるに至つたが,75年には国際経済情勢の影響により,約1割減少した。しかし東欧諸国は,民生向上,経済発展のために西側の高度産業技術の導入を必要としており,わが国のプラント輸出市場として重要性を持つている。
これに比して,わが国の東欧諸国からの輸入は,従前に比しさらに後退しており,東欧諸国との貿易不均衡がさらに増大している。これを是正するためにも輸入努力の強化と共に,東欧における輸入代替ないしは輸出能力増大への寄与及び東欧諸国との第3国市場での協力等の方策が必要となつている。
わが国外交の中で中近東地域の占める比重は近年著しく増大している。従来,同地域とわが国との関係は地理的に遠隔であることもあつて必ずしも密接でなかつたが,近年同地域が国際政治,経済の分野において果たす役割がとみに大きくなつたことに伴い,わが国との関係も飛躍的に緊密の度を加えつつある。
中近東の重要性については,まずアラブ・イスラエル紛争が世界の平和と安定に重大な係り合いを有するものであること,及び同地域は世界の石油資源の約3分の2を埋蔵し,世界のエネルギー事情,ひいては国際経済全体に大きな影響を与え得ることにある。また,同地域の諸国が現在経済発展に力を注いでおり,貿易面でも日本の有力なパートナーとなりつつあること,更に同地域の多くの国がアラブ圏に属し,その連帯行動によつて国際政治において大きな影響力を有していること等も挙げ得よう。わが国は中東に公正で永続的な平和が早急に達成されることを切望し,そのための国際的努力を支持するとともに,同地域の諸国との経済貿易関係の伸長,経済技術協力の推進,人的・文化的交流の促進を図る方針である。
これらの諸点についての75年を通ずる主要な動きは次のとおりである。
まずアラブ・イスラエル紛争については,75年9月エジプト・イスラエル間協定の締結が実現をみ,中近東における緊張は当面大いに緩和されるところとなつた。わが国は,同協定締結をいち早く支持し,中東における永続的平和が達成されるためには,安保理決議242の全面的実施及びパレスチナ人の国連憲章に基づく正当な権利の尊重が必要であるとの立場をとつている。更に,わが国は,紛争の平和的解決のためにすべての関係当事者が話合いを行うことを国連その他の場で呼びかけており,今後ともこれを続けていく方針である。
わが国は,エネルギー消費の大半を占める石油について,その7割余を中東石油に依存しており,同地域はわが国のいわば動力源となつている。これを反映し,わが国と中近東諸国との貿易は,わが国総貿易の2割に達し,米国,東南アジアに次いで第3位を占めるに至つている。また,この地域の諸国は現在,国づくりに精力を注ぎ輸入需要が増大し,今後とも伸長が見込まれる。わが国としても,これら諸国の国づくりにできる限り協力することとし,各種借款の供与,専門家の派遣,研修生,留学生の受け入れを行つている。74年8月にイラクと,75年3月にサウディ・アラビアと経済技術協力協定を結んだのもこの一環である。
更に,わが国は現在中近東諸国の国民との人的接触・文化交流の拡大に特に力を入れている。最近では75年8月に羽田野外務政務次官が,76年1月には河本通産大臣がそれぞれ中近東諸国を歴訪した。また,わが国には,76年2月にモロッコのオスマン首相,3月にはジョルダンのフセイン国王が訪日したのをはじめ,多くの要人が来日し,中近東諸国とわが国の相互理解の増進に貢献した。
文化面での交流については,わが国よりの巡航見本市船や文化ミッミョンの派遣,展覧会の開催等を通じ,その拡大を図つている。人的交流・文化交流は,国民の間に親近感を醸成する最も良い手段であり,この観点からわが国としてはこれに引き続き力を尽していく考えである。
(1) わが国の対アフリカ外交の基本は,わが国とアフリカ諸国との友好親善と互恵協力の関係を増進することにあるが,日本・アフリカ友好協力関係に新たな一時期を画したというべき74年の木村外務大臣(当時)のアフリカ公式訪問の後をうけて,75年においては同訪問による成果を拡充していくとの認識に基づき,わが国の対アフリカ外交が推進された。
(2) 南部アフリカ諸問題の解決は,アフリカ諸国にとつての最大の政治的関心事であるが,わが国としては,民族自決の正当な願望としてこれに深い理解と同情を有するものであり,これら諸問題の公正な解決のためには援助を惜しまないとの基本的立場に立つて,主として以下の具体的措置を講じた。
(イ) ポルトガル施政地域であつたモザンビーク,カーボ・ヴェルデ及びサントメ・プリンシペが相次いで独立を達成した際,わが国は,これら諸国を直ちに承認するとともに三木総理大臣より各国の元首に対し祝意を伝達し,わが国として非自治地域の早期独立に支援を惜しまないとの立場を表明した。
(ロ) 国際連合の南ローデシア制裁委員会の決定に基づき,わが国は,対南ロ-デシア制裁の実効を挙げるべく,同地域への集団旅行は自粛するよう注意喚起を行つた。
(ハ) 南部アフリカにおける人種差別,植民地支配の犠牲者救済及び教育,訓練を目的とする国連南部アフリカ関係基金(南部アフリカ教育訓練計画,南ア信託基金,ナミビア基金)に対し,わが国は,75年に総額15万ドルの拠出を行つた。
(3) アフリカ諸国に対する経済・技術協力については,各国の国家建設の努力に対し側面から協力するとの立場から,わが国は引き続き協力を強化した。
(イ) わが国は,ヌクルマ政権時代に累積したガーナの対外債務の救済に協力するため交渉してきた結果,実質的合意に達し,3月,ガーナの商業上の-債務救済に関する交換公文を締結した。
(ロ) アフリカ諸国に対する資金協力としては,合計97億円に上る円借款供与のための交換公文が署名された。
(ハ) モザンビークの自然災害及び帰国難民の救済のため,わが国は,人道的見地から国連難民高等弁務官を通じ,独立直前のモザンビークに対し,1億2,000万円を緊急援助として拠出した。
(ニ) また,国家建設の途上にあるアフリカ諸国は,わが国の経済・技術協力に期待するところが多く,このため,ナイジェリアからはアコボ石油・エネルギー大臣等が,ニジールからは,ムンケラ外務協力担当国務大臣を団長とする経済ミッション等が相次いで来日した。これらに対し,わが国はできる範囲内で,相互協力を推進するとの立場をとつている。
(4) 日本・アフリカ相互の緊密な友好関係増進の具体的な動きとして,ザンビア及びセネガルが相前後して在京公館を開設した。
また,ガボンのボンゴ大統領,ガンビアのジャワラ大統領,ザンビアのムワンガ外務大臣の訪日をはじめ,多数の閣僚級要人の訪日により,アフリカとの人的交流による相互理解も強化された。