第2節 国際経済・金融問題

 

1. インフレと不況

 

 74年は,世界経済にとつて非常に困難な年であつた。73年第4四半期に石油価格が急騰したが,これは72年頃から既に悪化していたインフレに対して各国がとりつつあつた引締め措置が十分浸透し切らないうちに起つたため,各国とも高率のインフレに悩まされることとなつた。各国は相次いで厳しい総需要抑制策をとつたが,もともと石油危機以前から多くの国で設備能力,原材料,労働力等の供給サイドにボトル・ネックが生じていたためコスト上昇圧力が強く,容易に物価上昇率は減少しなかつた。しかし,総需要抑制策が進むにつれ,景気は停滞に向い,年後半に若干持ち直したものの,74年を通じてはOECD加盟国全体でマイナス0.1%という,かつてないほどの低い成長率を記録することとなつた。これまで経済成長を支えていた基礎産業の設備投資が不振となり,個人消費の停滞と相まつて先進工業国では同時的に不況感が強まり,失業が増加した。

 一方物価は,74年末から75年にかけてやや落着いてきており,一次産品価格も下落しつつあることから,各国とも景気拡大のための政策転換を行なつているが,物価の先行きに対する警戒的な姿勢はなお崩しておらず,景気刺激策の急速な推進にはなお慎重である。

 また,国際収支面も先進工業国に関する限りは,不況による国内の需給緩和,石油輸入の停滞,産油国への輸出の伸びなどから改善されつつあり,予想を上回るペースで貿易収支の赤字幅が減少していると言える。

 このように74年から75年初めにかけての世界経済は,第2次大戦後かつてなかつた程困難な状態から立直りへの過渡期間にあつたものと言うべく,現在は,経済活動に未だ十分の浮揚力はついていないものの,前途にやや明るさが増してきたのではないだろうか。

 こうした時期にあつて,わが国は,OECD,IMF・世銀,国連等の場における経済・金融関係会議に積極的な役割りを果たすべく努力してきた。また各国との2国間協議の場においても,問題解決のための相互努力を訴えてきた。現在のように世界経済の前途に問題が山積している時にこそ,国際協調が何にも増して必要であろう。独りわが国のみでなく国際社会全体の努力がなされており,われわれはようやく新たな世界経済の安定化へ進み始めたと言えよう。

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2.オイル・マネーに関する諸問題

 

 こうした国際社会の経済秩序の安定化にとつて,最も大きな課題の一つとして討議されてきたのは産油国に蓄積されるオイル・マネーの問題であり,またそれをいかに国際収支赤字国などの資金必要国へ流してやるかという「還流」の問題であつた。

(1) オイル・マネーの蓄積規模

 石油危機以来,諸種の機関で行われた予測の中には,74年の産油国の経常収支黒字は500~600億ドルとの見方があつたが,74年以降の累積額については,年間500~600億ドルのペースが続き,10年後には5,000~6,000億ドル,これに利息を加えた莫大な資産が産油国に蓄積され,世界経済の運営が困難になるとする見方と,将来の産油国の経常収支は逓減するので累積額はさほど大きくならないとする楽観的な見方とが分かれていた。

 しかし74年の先進工業国の石油消費量の伸びが横ばいであつたこと,産油国の消費国からの輸入量が大きく伸びていること等もあり,最近はオイル・マネーの蓄積量に関しても,世界経済を直ちに破壊するほどの規模になるといつた悲観的見方は少なくなりつつあるようである。例えばOECDでは,1980年における産油国の累積黒字は2,250億ドルとなり以後漸減していくと予測している。

(2) オイル・マネーの還流

 オイル・マネーの規模が最終的にどの程度のものになるにせよ,これまで世界経済が経験したことがないほどの規模の資金が産油国の手に集中する事態となることは,現在の趨勢から判断する限り避けられない。この産油国の黒字は,そのまま先進工業国と,産油国以外の開発途上国の赤字につながるわけであるが,いかに世界経済に混乱を起こすことなく,資金を必要とする国々へ産油国の資金を流すかが,オイル・マネー還流と呼ばれている問題である。

 高騰した石油代金支払を主因としてOECD加盟諸国が蒙つた赤字は,74年は330億ドル以上に達している。この赤字を埋めるために各国が輸出促進,輸入抑制のための貿易制限を行い,他国の犠牲において自国の国際収支改善を図ることは,世界経済全体の縮小均衡につながるだけである。均衡回復は自由貿易の原則を維持し,秩序ある資金の流れを確保していくこと以外からは生まれない。また特に注意しなければならないのは,石油価格高騰により大きな被害を受けた開発途上国,特に石油の輸入量が大きいが有力な資源を持たない先発開発途上国の窮状を国際的に救済していく必要があることである。現在のように相互に密接に連携しあつた世界では,いかなる国家群の経済危機も直ちに世界全体にとつての危機となりかねない。その意味で,経済面での国際協調が今ほど要求されている時はないといえよう。こうした観点から,困難な国際収支状況にたち至つた諸国へ資金を流すために,いくつかのオイル・マネー還流機構が考えられたが,これらの諸構想は二つの種類に大別される。

 第一は,産油国から直接拠出される資金を主たる原資として,資源を持たない開発途上国などに融資を行うための機構である。この代表的なものはIMFオイル・ファシリティー(特別石油融資制度)であり,その他に産油国自身が打出している諸援助基金構想等がある。

 第二は,産油国から預金・投資等の形で先進国市場(特にニューヨーク及びユーロ市場)に流入したオイル・マネーを,流入先である先進国から資金必要国へ流す「第2次還流」,あるいは「リシャフリング」と呼ばれる形の還流機構である。この代表的なものとして,75年4月9日にその設立協定が署名された「OECD金融支援基金」があげられよう。

(イ) IMFオイル・ファシリティー

 74年1月にローマで開能された国際通貨制度改革に関する20カ国委員会において,ウイッテフェーンIMF専務理事が行つた提案に基づき,IMF事務局が具体案を作成し,6月にIMF理事会において合意された制度である。

 この制度は,石油価格上昇に伴う石油輸入コスト増大によつて国際収支上の困難に遭遇するIMF加盟国に対し,IMFの信用力を背景として産油国及び国際収支黒字国から借入れた資金による信用供与を行うものである。貸付期間は最長7年間,貸付金利は約7%である。

 資金規模は当初約30億SDRであつたが,74年中にMSAC(石油価格上昇により最も深刻な影響を受ける国々)を中心として借入れが相次いだため,75年1月15日に開かれたIMF暫定委員会において,新たに75年分として総額50億SDR(約60億ドル)の規模でオイル・ファシリテイーを拡大することが合意された。

(ロ) OECD金融支援基金

 75年1月14,16日に開かれた10カ国蔵相会議において,OECD全加盟国金融支援取決めを,2年間の期間で設立すべきことが合意され,この意向を受けて設置されたOECD金融特別作業部会が作成した「OECD金融支援基金協定」が4月に署名されることとなつた。

 この基金は,加盟国が経済困難の結果,一方的に貿易制限を行つたりする事態を避ける等の目的で,総計200億SDR(約250億ドル)の資金規模で設立されるものである。融資期間は7年以内,金利は市場条件が基礎となる。

 この基金は多くの例のように,加盟国が予め一定の拠出を行なつた資金をもつて融資するのではなく,加盟国が予め負担の最高限度額を約束しておく方式をとつている。また基金は,加盟国が基金に対して行う直接的な貸付によつてだけではなく,加盟国が与える貸付予約を基礎に自ら市場で資金を調達することもできるようになつている点が,従来のこの種の機関とは異なつている点と言える。

(3) オイル・マネーの投資

 公的なレベルでのオイル・マネーの還流については,以上のように各種構想の具体化を通じて国際的な体制づくりが整備されつつあるが,更に注目しなければならないのは還流の大半を受持つ民間市場の動静である。

 米国政府の推計によれば,74年に発生した約600億ドルのオイル・マネーのうち,約200億ドルがユーロ市場に流入した。更に米国,イギリス,それ以外の先進国に流入したそれぞれ110億ドル,75億ドル,55億ドルのオイル・マネーも,そのほとんどは市場向けのものであり,結局オイル・マネーの大部分が米欧の市場に流れていることが明らかである。

 市場機構が還流の中心的役割を果たしたことから,市場に十分の還流能力があるとの事後的な評価を一応行うことは可能であろう。しかしながら,多額のオイル・マネーの流入により市場に何の不安も生じなかつたわけではなかつた。フロートの下での為替取引の失敗からドイツのへルシュタット銀行の経営が破綻し,その後フランクリン・ナショナル銀行,ロイズ銀行等,一連の銀行が巨額の損失を出すに至り,国際金融市場に対する信誌が動揺することとなつた。こうしたことから一部の銀行はユーロ市場における仲介機能を縮小し,また一時的にオイル・マネーの流入自体も鈍つたため,74年夏から秋にかけユーロ市場での資金調達が目立つて逼迫する事態が起こつた。巨額の資金の急激な流入を混乱なく処理することは,市場機構にとつても何ら問題なく行い得ることではなく,市場が危機に曝されるとの悲観論が現実のものとはならないとしても,今後一層健全な運営が必要であることは依然として変らない。

 わが国は,こうした還流問題に対しては,一貫して「多様化された還流経路と適正規模の還流機構」の設定を主張してきた。このようなわが国の考え方は,他の多くの国々の認識とも共通しており,実際にも国際論議はこの方向で実を結びつつある。

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3. 通貨制度改革

(1) C-20の報告

 72年秋以来,国際通貨制度改革に関する20カ国委員会(C-20)の場で主として行われてきた通貨制度改革については,74年6月の蔵相会議で一応の結論が出された。この作業は世界経済の安定のために,黒字国及び赤字国が責任を平等に負担する合理的な国際収支調整過程を作ることを目的として進められてきたが,石油危機の発生により世界経済が戦後未曾有の困難に遭遇したために,必ずしも73年9月に採択された通貨改革に関する第一次改革案(モース報告)に盛られた諸提案をそのまま踏襲したものとはならなかつた。

 6月のC-20では,国際通貨制度に関して各国全体が速やかにとるべき措置を「当面の行動計画」として発表する一方,更に長期的に必要となる措置を「改革の概要」としてとりまとめ,9月のIMF総会に提出した。

「当面の行動計画」に盛られた諸点は次のようなものであつた。

(イ) 解散するC-20に代えて,通貨制度改革作業で残された問題点につき継続審議する等の目的で蔵相レベルの「暫定委員会」を設置する。この委員会は長期的通貨改革の一環として将来「総務会執行委員会」が設置されるまでの過渡期間存続する。

(ロ) 国際収支の調整過程に関し,緊密な国際協議と監視を行うためにIMF手続を改善する。

(ハ) 変動相場制度の管理に関し,加盟国が為替レートの乱高下を防ぐために介入すること等を定めたガイドラインを設定する。

(ニ) オイル・ファシリティー(前項参照)の創設を承認する。

(ホ) 国際収支上の理由に基づく輸入制限措置回避に関し,各国が自発的な誓約を行うことについて合意する。

(ヘ) 従来金を仲介としてドルで表示されていたSDR(1SDR=1.206ドル)の価値を主要16カ国通貨の加重平均による価値に結びつけるとする「通貨バスケット方式」を7月1日から採用することを決定する。(この決定によりSDRはドルと切り離され,独自の取引価値を持つこととなつた。)

(2) 金をめぐる諸問題

 国際通貨制度の中で準備資産としての金の役割を縮小し,SDR(特別引出権)を準備資産の中心に据えていくとの従来からの国際通貨制度改革の議論の了解に沿つて,金の新しい地位に関する国際合意を得ようとする試みは,74年も継続してC-20等の場で論議が行われたが,最終的な解決は未だに見出されていない。

 一方,石油価格高騰に伴ない一部の諸国で国際収支に困難が生じてきたために,金の地泣に関する基本的な問題に触れることなく,現在各国の中央銀行が保有する金を実際上市場価格で評価する動きが出てきた。すなわち4月に開かれたEC9カ国蔵相会議が市場関連価格による中央銀行間の決済を認めたのに続き,6月の10カ国蔵相会議においても,中央銀行間の協定により相互に金を担保として貸借を行い,担保価格は中央銀行間で決定することができる旨の申し合わせが行われた。金の担保価値を市場価格で評価するとの趣旨は,12月にマルティニクにおいて開かれた米仏首脳会談でも確認された。

 自由金市場の金価格は,72年以降ドルの弱化,インフレの昂進,国際通貨不安等を背景に急激に上昇し,74年初頭以来1オンス150~190ドルの間の高水準にある。

 金の将来の地位がいかなる形で決まるかについては,金の公定価格を廃止するとの基本的な点で各国間に一般的な合意はあるものの,具体的な取扱いをいかにするかについては,各国間の意見がまだ調整されておらず,今後更にIMFの場等を中心に国際的な論議が続けられていこう。

(3) 為替相場制度

 通貨制度改革に関する論議の重要な柱の一つとして,固定相場制度を原則として,例外的な場合に限つてフロ-トを認めることとすべきか,あるいはフロートを固定相場制度とともに並列的に認めていくこととすべきかといつた,為替相場制度をめぐる問題がある。世界的な規模でのフロートを経験して既に2年近くになるが,その評価は,各国の立場の相違(経済に占める貿易の比重,短期資本移動の感応度,国際収支の基調,輸出入の価格弾力性,更には景気引締めの度合い等)により分れており,新たな制度についての国際合意ができるまでには,なお紆余曲析が予想される。

 

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