第5節 西欧地域

 

1. 西欧地域の内外情勢

 

(1) 欧州の東西関係

(イ) 概     観

 73年秋からの石油危機を契機として,西欧諸国は程度の差こそあれ,一様に厳しい経済情勢にみまわれ,更に欧州共同体の統合進展の動きが困難に直面するのではないかとの危惧が生じた。加えて英・仏・独等西欧主要国での指導者の交替もあり,西欧諸国は域内問題に関心を集中する姿勢を示し,欧州の東西関係も一時停滞の様相を示したが,74年秋の独ソ・仏ソ首脳会談等によつて,西欧諸国とソ連との間で引き続き緊張の緩和に向けて努力する旨確認された。

 独ソ・仏ソ経済協力は,秋の首脳会談の際それぞれ経済協力促進協定,経済協力協定が締結されたが,内容的には特にみるべき具体的進展はなかつた。

 ベルリン問題については,独連邦共和国政府の連邦環境庁及びECの職業訓練センターのベルリン(西)設置決定(それぞれ74年7月及び75年1月)に対して,ソ連及び東欧諸国よりベルリン四カ国協定を理由に非難が表明された。また,独ソ間の諸協定,協力プロジェクトにおけるベルリン(西)の取扱いをめぐり,依然として東西間で見解が対立しており,ベルリン問題は今後とも欧州の東西関係における焦点となつてゆくものとみられる。

(注) ベルリン協定 ベルリン協定は71年9月ベルリン共同管理国たる米・英・仏・ソ4カ国がベルリンに関る通行問題及び同市の国際的地位等について取決めた協定である。

(ロ) 欧州安全保障・協力会議

 本件会議の第2段階が73年9月18日から35か国の参加を得て開催されており,(a)欧州の安全保障に関する諸原則,(b)経済・科学・技術及び環境分野における協力,(c)人道上及びその他の人・情報の交流拡大における分野における協力,(d)会議のフォロ-・アップ等に関し討議が行われている。会議においては,東側諸国が安全保障原則の作成に重点を置いているのに対して,西側諸国は安全保障の基本となる相互の信頼醸成措置及び緊張緩和の前提としての人・情報の交流拡大を重視している。75年3月現在,上記議題(c)における離散家族の再会及び異なる国民間の結婚に関するテキストが合意される等かなりの進展を見ているが,「国境の平和的変更」,「軍事演習及び軍隊の移動の事前通報」,「人・情報の交流拡大」,「会議のフォロ-・アップ」等をめぐつてなお未解決の問題が残つており,本会議の終結の時期は未定である。(最終段階はヘルシンキで開催。但しレベルは未定。)

(ハ) 中欧相互兵力・軍備削減交渉

 73年10月30日からウィーンで開催されている中欧相互兵力・軍備削減交渉において,西側は東西間の戦力の不均衡(西側は東側が兵力で15万人,戦車数で9,500台西側を上回つているとしている)を是正することを主要目標として,削減過程を二段階にわけ,(i)第一段階は米・ソ両軍のみとする,(ii)第二段階では米ソ以外の国々の兵力削減を行い,東西の地上兵力につき共通の上限を設定するという基本的な立場をとつている。これに対して東側は,地上兵力のみならず空軍・核戦力をも削減の対象に含め,75年から三段階にわけて兵力・軍備を15%以上削減することを提案しており,交渉の具体的進展は余り見られていない。この交渉は関係国の利害関係が複雑にからみ,問題が高度に技術的で多岐にわたるため,長期交渉になることが予想される。

(2) 欧州統合の進展

(イ) 政 治 協 力

 欧州共同体においては,石油危機を契機とする経済困難,英国のEC加入条件再交渉要求等により,74年秋には一時統合の停滞が危惧されたが,12月にパリで開催されたEC首脳会談において,欧州統合の促進をめざし,共同体の利害に関連する国際政治のあらゆる分野で漸進的に共通の立場を形成し,かつ協調的外交政策を遂行してゆくとの加盟国の意思が再確認され,75年からは,各国政府首脳は政治的意思をより強力に結集すべく,共同体理事会の名の下に年3回会合することとなつた。74年における具体的な政治協力の概要は次の通りである。

(a) EC・アラブ対話。 EC外相会議は,アラブ諸国との関係緊密化,広い分野にわたる長期協力を目的とするアラブ諸国との対話の方針を決定し,7月末EC・アラブ間の予備会談が開かれた。
(b) 米・EC協議手続に関する決定。 米ソ核戦争防止協定の締結(73年6月),中東戦争,EC・アラブ対話の決定(74年)をめぐり,米国とEC間の協議のあり方につき米・欧間でやりとりがあつたが,EC側は対米協議手続を決定し,米国もこれを了承した(6月)。
(c) 欧州安全保障・協力会議に臨む加盟国間で緊密な協議が行われた。
(d) サイプラス紛争に関する協議を行ない,紛争当事国に対するECとしての同一歩調を確認した外相宣言を発表(7月)。

(ロ) 経 済 統 合

 74年は拡大EC発足以来2年目にあたり,大きな進展が期待されていたが,EC各国間の利害関係の複雑化や各国経済の格差の拡大,一部加盟国における政権交替などのため統合の動きは一時停滞した。特に,国際エネルギー戦略をめぐり,仏とその他の8カ国との間に歩調の乱れがみられ,また英国のEC加入条件再交渉も結論を得るに至らなかつた。

 しかし,12月に開かれたパリEC首脳会談では,従来の統合推進の基本方針を再確認するとともに,地域開発基金の設置を決めるなど具体的政策の面で進展をはかりつつ,EC統合に向けて新たなスタートを切つた。

 このほか,共通エネルギー政策の策定作業も開始され,産油国・消費国対話準備会合についてもECの共通ポジションを模索するなど,エネルギー問題の分野でも新たな進展の気運がみられ,また75年2月には旧植民地であるアフリカ諸国との従来の連合協定(ヤウンデ協定・アリューシャ協定)にかわり,アフリカ,カリブ海,太平洋の英連邦諸国をも含めたロメ協定が締結され,関係開発途上国に対する政策面でも成果を上げた。更に,英国の加入条件再交渉問題も75年3月の第1回欧州理事会で実質的な解決をみるなど,ECは種々の困難に直面しつつも,統合に向つて着実な努力を重ねている。

(3) NATO

 73年4月のキッシンジャー米国大統領補佐官(当時)の提案による西側同盟諸国間の関係強化を狙つた「新大西洋憲章」作成について,米・欧間で幾多のやりとりがあつた末,74年6月,(イ)米・欧防衛の不可分性と防衛努力の維持・強化の再確認,(ロ)英仏独自の核戦力の意義の承認,(ハ)緊密な協議,情報の交換の決意表明を骨子とする「大西洋関係に関する宣言」が採択・署名された。

 他方,いずれも同盟の一員であるギリシャ・トルコ間でサイプラス紛争をめぐり対立が再燃し,ギリシャがNATO軍事機構から脱退したこと及びポルトガルにおける共産党を含めた政権の成立とその後の同国の動向が,NATO南翼の防衛体制にどのような影響を与えるかが注目されている。

(4) 各 国 情 勢

(イ) ドイツ連邦共和国

 74年においては,各種地方選挙において与党社会民主党(SPD)及び自由民主党(FDP)が後退する傾向が顕著で,その間東独スパイ事件もあり,ブラント首相が辞任した(5月)。その直後新大統領にはシェール前外相が,新首相にはシュミット前蔵相が就任した(5月)が,シュミット内閣は,内政面では,国民生活の安定と社会正義の実現に努力を集中する姿勢を示した。因みに経済面では,74年の物価上昇率7%,貿易収支の黒字221億ドルと相対的に安定した実績を示したものの,建設,繊維,靴・皮革,更には自動車等における景気後退が深刻化し,失業者数も年末には95万人(4.2%)に達した。この結果,独政府は国際協調の観点からも,秋以降漸進的に引締緩和政策を実施するに至つた。

 企業における労使共同決定法案及び勤労者の財産形成問題は,連立政権の内政上の重要課題であり,与党間においても更に調整の要があり,今後も紆余曲折が予想される。

 外交面では,対米関係を重視し,米国とのパートナーシップのもとに欧州の政治統合を推進する姿勢を示し,この方向でNATO及びECにおける調整に努力した。東方政策では,10月シュミット首相が訪ソしたが,ベルリン問題では基本的な解決は得られなかつた。

(ロ) フ ラ ン ス

 ポンピドウ大統領の逝去(74年4月)の後,5月の大統領選挙では,ジスカールデスタン候補(与党,独立共和派)が,第2回投票で1.6%の僅差でミッテラン社共統一候補を破り,第五共和制第3代大統領に就任した。ジスカールデスタン新大統領は,ポンピドウ路線の継承を唱えるとともに,国民の「変化」に対する期待に応えるべく,シラック新内閣に,中道派若手及び婦人閣僚を多数登用した。国内政策面では,インフレ高進,失業増大等経済情勢の深刻化の中で,一時期国民の不満増大及び労働攻勢の強化が見られたが,新政権は,その後物価抑制と同時に不況産業への助成策等経済情勢の改善に力を注いだ。またジスカールデスタン政権の誕生後,仏政界では,与党ドゴール派内でのシラック新幹事長を中心とする新主流派の形成,社共連合内部での両党間の意見の不一致等の動きもみられた。

 外交面では,ジスカールデスタン政権は,基本的にはポンピドウ路線を踏襲し,対米関係の再調整,EC統合推進,エネルギー資源及び中東問題の対処を軸として展開したが,今後先進国間の協調の中で,仏の志向する欧州の独自性確立をいかに達成していくかが重要課題となろう。

(ハ) 英    国

 保守党政権と炭労との対立,週3日労働制の実施という厳しい社会経済情勢の下で総選挙が行われ(2月),労働党少数内閣が成立したが,その後再度総選挙が行われ(10月),労働党が辛うじて単独過半数を得た。

 労働党政権は,労組との協調を背景に,いわゆる「社会契約」の理念をかかげ,インフレの昂進,不況の深化,貿易収支の悪化に取組んでいるが,困難な経済情勢は75年に入つても基本的には変つていない。

 北アイルランド問題については,プロテスタント強硬派が抬頭したため,連立執行部が辞職(5月),再び直接統治が導入され,他方IRA(注) は英本土でも非合法化された(11月)。

 外交面では,EC加入条件の再交渉が進められ,EC首脳会談(74年12月,75年3月)等を通じ,予算分担金制度の公平化等を求める英側の要望が相当程度認められ,75年6月にはEC残留の可否を問う国民投票が行われる予定である。他方国防面においては,国防費の対GNP比の削減とこれに伴う海外からの撤退という方針が打ち出された(12月)。

(ニ) イ タ リ ア

 内政面では,貿易収支の大幅赤字とこれを補填するための対外借款の増大,物価高騰等の悪条件が重り,戦後最悪の経済危機を迎え,3月と11月の2回にわたり内閣の交替が行われた。経済情勢の悪化に対しては,5月の輸入担保金制度につづき,7月には緊急経済政策が実施に移されたこと等により漸く歯止めがかけられつつある。

 しかしながら,11月に成立したモーロ内閣は,キリスト教民主党及び共和党による少数内閣で,社会・民社両党の閣外協力に全面依存という脆弱性を有している上,再度の政変の原因である社会党とキリスト教民主党間の政策上の対立も解消されておらず,75年6月の統一地方選挙の結果が今後の共産党の動向とともに連立政権に如何なる影響をもたらすことになるか注目されている。

 外交面では,従来の基本方針が維持され,欧州統合の推進,NATOへの忠誠,地中海の安全保障の確保,善隣友好の推進等に重点を置く外交を展開したが,ギリシャ,サイプラス,ポルトガル等の情勢変化に伴い,西側同盟国からはイタリアの地中海地域における安全保障上の重要性が再認識されている。

 また,レオーネ大統領のイラン,エジプト訪問やモーロ前外相の中東諸国歴訪等により石油対策及び対中東関係推進のための努力が払われた。

(ホ) ポ ル ト ガ ル

 74年4月25日,「軍部運動」は,海外領の非植民地化,民主体制の樹立,生活水準の向上をめざしてクーデターを敢行して,46年に及ぶサラザール・カエタノ体制に終止符を打ち,大統領にスピノラ将軍を推戴した。その後,共産党,社会党,人民民主党を含む暫定政府及び「軍部運動」の内部における穏健派と急進派の対立が激化し,9月にはスピノラ将軍が退陣し,コスタ・ゴメス将軍が大統領に就任した。その結果,海外領の非植民地化が促進され,アフリカ領はすべて75年中に独立することとなつた。他方,一連の急進的政策と激動する政情は広く国際的に注目されており,75年4月に予定されている制憲議会選挙はポルトガルの将来を予測する上で重要な意味を持つものといえよう。

(ヘ) ギ リ シ ア

 7月のサイプラスにおけるクーデターとそれに伴うトルコ軍のサイプラス進駐を契機として,67年以来の軍事政権が退陣,代つてカラマンリス文民政府が成立した(7月)。その後,総選挙(11月),国民投票による王制廃止と共和制の確定(12月),文民大統領の選出(12月)が行われ,75年に入つて新憲法案の審議が行われている。

 他方対外的には,サイプラス問題の解決にNATOが何ら貢献しなかつたとの理由によりNATOの軍事機構から脱退し(8月),またサイプラス問題をめぐつてトルコと対立しており,更にエーゲ海大陸棚問題についてもトルコとの間に摩擦を生じた。

(ト) サ イ プ ラ ス

 7月15日サイプラス国家警備隊によるクーデターが発生,マカリオス大統領は国外に避難し,他方同月20日にはトルコ軍がサイプラス進駐を敢行した。停戦,希・土・英3カ国外相による和平会談を経て,8月トルコ軍は作戦行動を再開,全土の3分の1を越える北部地域を支配下に置いた。

 その後,国連事務総長の斡旋により両系住民代表会談が開かれ,捕虜の交換が実現したが,難民の帰郷問題やサイプラスの今後の統治形態の問題では進展が見られなかつた。12月のマカリオス大統領の帰国,75年1月半ばに再開された両系会談においても,何ら事態の進展も見られないまま,2月13日トルコ系住民側はトルコ軍占領地域の連邦自治州化宣言を行つたため,両系住民代表会談も中断されることとなつた。

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2. わが国と西欧諸国との関係

 

(1) 要人往来・定期協議

(イ) ポンピドウ逝去の際の田中総理大臣(当時)訪仏

 田中総理大臣はポンピドウ大統領の葬儀参列のために74年4月5日から7日までパリを訪問した。なお,その際ニクソン米国大統領,ポドゴルヌイ・ソ連最高幹部会議長,ブラント独首相,ウィルソン英首相及びトルドー加首相らと会談した。

(ロ) 日独定期協議

 木村外務大臣(当時)は10月8日・9日,来日したゲンシャー独外相との間で第7回日独定期協議を行い,西欧情勢,アジア情勢,国際経済問題,日欧関係に関し,意見交換を行つた。その際,日独科学技術協力協定が両大臣の間で調印された。

(ハ) 日仏定期協議

 木村外務大臣(当時)は11月21日,22日に来日したソーヴァニャルグ仏外相との間で第11回日仏定期協議を行い,国際政治,多国間経済問題(特に石油資源問題),更に原子力協力・貿易等の分野における日仏協力関係について意見交換を行つた。

(ニ) 日英事務レベル協議

 74年度の日英外相定期協議は,都合により取りやめとなつたが,その間東郷外務事務次官とブリムロー英外務事務次官との間の協議が12月5日東京で行われた。両次官はアジア情勢,中東情勢,欧州清勢,国際経済問題等について意見交換を行つた。

(ホ) ベルギー国王,王妃両陛下の御訪日

 ベルギーのボードワン国王,ファビオラ王妃両陛下はインドネシア公式訪問の帰路,74年11月2日から4日まで訪日された。両陛下は天皇・皇后両陛下及び皇太子・同妃殿下にお会いになり歓談された。

(2) 日・西欧経済関係

(イ) 現状概略

 74年のわが国と西欧との貿易実績は,日本通関統計で輸出85億9,300万ドル(FOB),輸入52億3,400万ドル(CIF)で,73年に比し輸出は31%,輸入は29%増であつた。対拡大EC貿易については,輸出59億6,800万ドル(前年比36%増),輸入39億8,200万ドル(同25%増)であつた。輸出入産品については,概ね先進工業国間のパターンを示している。

 日・西欧貿易は基本的に拡大均衡に向いつつあると期待されるが,現在経済活動が世界的に停滞傾向にあり,日欧貿易の先行きは当面決して明るくない。また西欧諸国の一部では依然対日警戒心が払拭されていないため,わが国はかかる西欧側の事情を考慮し,適切な輸出秩序維持にも努力している。

 また日欧間の経済交流は貿易面のみならず,資本交流,科学技術協力,第三国における日欧協力などの分野で活発化しつつあり,今後とも幅広い経済協力関係の樹立に努める必要がある。

(ロ) 日本・ベネルックス電子産品政府間協議

 日本製電子産品の対ベネルックス3国への輸出急増にともない,73年の政府間協議により,わが国は74年に輸出自主規制を実施したが,75年についても74年の政府間協議の結果,引続き自主規制を実施することとした。ただし,数量については74年比ラジオ,テープレコーダー18%,テレビ21%増枠されるとともに,日本側の自主規制は75年で終了されることが確認された。

(ハ) 貿 易 交 渉

 わが国は本年もオーストリア,スペイン,ノールウェー等の西欧諸国と貿易につき協議を行つた。

(ニ) 日独科学技術協力

 日独両国政府は,74年10月8日科学技術の分野における協力協定を締結し,海洋科学技術,新たな環境保護技術の研究及び開発,新たなエネルギー源及びエネルギー技術等の専門分野において,専門家の会合等の各種の会合,科学者の交流,情報の交換を通じ,科学技術協力を促進することとなつた。

 この協定締結により,科学技術の分野における両政府間の協力関係が今後一層強化され,かつ,促進されるものと期待される。

(3) 航 空 交 渉

(イ) 日英航空当局間協議

 英側キャセイ航空の求める大阪空港の使用問題をめぐつて,日英航空関係に一時問題が生じたが,9月30日から10月2日まで東京で行われた協議において,(a)現行の当局間取極を完全実施する,(b)キャセイ航空はかねて計画中の大阪経由ソウルへの運航を行わず,他方日本航空はかねて停止中の香港/シドニー区間の運航を再開しない,とのラインで合意が成立した。

 その後更に,75年4月以降の包括的な取扱いに関する協議が行われた結果,とりあえず1年間はほぼ現状通りとする旨の合意が成立した(75年2月)。

(ロ) 日仏航空協定の附表修正

 日仏航空当局間協議は,74年11月東京で開催され,その結果,日仏航空協定附表中の中国本土内の地点を北京,上海,広州に特定する旨の合意がなされた。

(4) 日・EC関係

(イ) 概     観

 74年の日・EC関係は前年に引続き大きな進展をみせた。2月には,オルトリEC委員長が政府賓客として1週間訪日し,総理大臣,外務大臣をはじめ主要閣僚と会談,日・EC関係の緊密化及び間断なき対話の継続につき合意をみた。かかる対話の一環として,4月にラパス経済社会評議会議長,10月にソームズEC副委員長及びムニヨッツアEC副委員長が各々来日する一方,5月には内田経済企画庁長官がECを訪問,通商並びに経済全般につき各々有益な意見交換を行つた。このほか,事務レベル会合も数次にわたり開催された。

 更に,欧州共同体委員会の駐日代表部の設置並びにその特権及び免除に関する協定が3月に署名され,同協定は5月31日に発効,EC委員会駐日代表部は7月に開設された。

(ロ) 日・EC通商問題

(a) 日・EC統一通商交渉は当面GATTの多角的通商交渉に吸収されることで,日・EC間の意見の一致をみており,目下同多角的通商交渉の枠内での解決を見出すべく努力が行われている。
(b) 日・EC間の繊維問題(特に制限の取扱い)は繊維製品国際貿易取極の枠内で処理されることになつており,日・EC委間で話し合いが行われている。

(5) そ の 他

(イ) スペインとの間の租税条約の発効

 74年10月21日木村外務大臣(当時)とアラゴネス駐日スペイン大使との間で「所得に対する租税に関する二重課税の回避のための日本国とスペイン国との間の条約」の批准書の交換が行われ,同条約は11月20日に効力を生じ,75年1月1日より適用されることとなつた。

(ロ) アイルランドとの間の租税条約の発効

 74年11月4日ダブリンにおいて,わが方アイルランド駐剳山下大使とアイルランド側フィッツジェラルド外務大臣との間で「所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税の防止のための日本国とアイルランドとの間の条約」の批准書の交換が行われ,同条約は12月4日に効力を生じた。その結果,わが国においては74年1月1日以降に開始する課税年度の所得,アイルランドにおいては74年4月6日以降に開始する賦課年度の所得税及び74年4月1日以降に開始する事業年度の法人利潤税について適用されることとなつた。

 

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(注) アイルランド共和軍 アイルランド独立を目指す抵抗組織