1. 中南米地域の情勢
(1) 内政-政治的安定下の経済発展
過去1カ年の中南米諸国の内政は大概平穏に推移した。軍事政権10年目を迎えたブラジルを初めとし,ペルー,エクアドル,ボリヴィア,チリの軍事政権はいずれも政治イデオロギーとして各国の諸条件に沿つたナショナリズムに立脚しつつ国内経済社会構造の改革を指向しており,既存勢力との多少の摩擦を生じつつも,国民の大半の支持を得ていることが安定の要因と思われる。特に豊富な資源,広大な国土の下での経済力の充実を背景に一層政治的安定性を増やしたガイゼル政権下のブラジルは,今や言論統制の緩和等軍事政権から民主的体制へ移行の準備に入つたと言うことができ,74年11月実施された国会議員,州議会議員選挙においては完全な自由が保証された。ペルーは,急進的な革新路線に反対する一部国内勢力があり,最近のインフレと言論統制に対する政府批判の気運が生れつつあるが,一連の社会構造改革と経済開発の促進を図る進歩的施策により,ペルー政治史上前例の少ない6年を超える長期安定政権となつている。73年9月のクーデターにより成立したチリのピノチェット軍事政権は,前政権の行過ぎた統制経済による混乱によりもたらされた年間500%を超える異常なインフレ,極端な国際収支赤字等に悩まされた。しかし,74年はインフレも明らかに鎮静化の方向に向い,テクノクラートに経済運営に委ねるブラジル方式による国内体制整備の効果もあり,ピノチェット軍事政権の努力は一般に評価され始めていると言えよう。他方,立憲革命党を基盤とする長期安定政権が継続しているメキシコでは,エチェヴェリア大統領義父誘拐事件等テロが散発し注目されたが,インフレによる社会的不公正拡大に対し,税制改革,最低賃金大幅引上げ,生活必需物資の価格凍結を通じる強力な社会格差是正政策が推進されている。また,アルゼンティンにおいては,73年の国民投票によつて18年振りに政権に返り咲いたペロン大統領が,74年7月に高齢のため死亡し,代つて副大統領であつたイサベラ・ペロン夫人が大統領に昇任した。同夫人は反政府グループのテロ活動,ぺロン党内の左右両派対立等の不安定要素を抱えつつも,軍部,諸野党の協力支持を得て「不安定の安定」を維持している。当初同夫人は1カ月も続くまいとの観測もあつたことから考えれば,既に半年以上も中南米の政治史上前例のない女性大統領として,その地位を保つていること自体注目すべきことであり,1960年代より長い間の政治的混乱を経たア泣[ンティン国民が国内安定を当面の最大課題と考え,副大統領から昇任した正統な新大統領を支持する必要を認めているものと考えられる。
上述の通り,内政上の安定を確保しつつ,中南米諸国はエネルギー危機で増幅された世界経済の諸困難を克服して74年にも引続き7%台(国連ラ米経済委員会推定)の高度経済成長(実質)を達成した。特に中南米随一の産油国として,石油価格の値上げ後一躍その経済力を伸長したヴェネズェラは,近隣諸国への経済協力を行い中南米域内での経済的影響力をも増大するに至つた。石油輸入国であるため過去5年間の驚異的成長の頭打ちが予測されたブラジルはインフレの再燃にもかかわらずテクノクラートによる安定的経済施策により引続き74年も10%近い高度成長(実質)を実現した。アルゼンティン,メキシコ,ペルー等の域内主要国も国内資源開発を推進しつつ7%台の高度成長を示した。キューバは砂糖の国際市況に助けられて外貨収入を一挙に3倍増し,国内経済体制の整備に本格的に取組みつつある。他方,チリは銅の国際市況の堅調が一時的であつたため引続き国際収支困難に悩まされたが,国内的にはインフレ抑制に成果を示した。
(2) 外交-対米関係の調整と資源外交の展開
74年の中南米諸国の外交は,大きく対米関係と資源・エネルギー問題をめぐる動きの二つによつて特徴づけられる。
(イ) 「新しい対話」の一年
従来中南米諸国の外交は米国の過大な政治的及び経済的影響からの脱皮をその中心にしてきた感があつたが,73年10月にキッシンジャー米国務長官が提唱をした米国と中南米諸国との「新しい対話」外交は,それまでの低調な米国の対中南米外交の積極化努力の現われであつた。米国の新対話政策出現の裏には,中南米諸国のナショナリズムの昂揚に伴う対米関係の修正と西欧・日本といつた域外先進国への接近,及び対共産圏外交の積極化等の動きのほか,豊富な資源を有する中南米地域に対する再認識があつたとみられる。
しかしながら74年2月のメキシコでの第1回米州外相会議以降好転するやに思われた米・中南米関係も,74年11月にエクアドルで開催された米州機構(OAS)の対キューバ経済封鎖措置撤回討議のためのOAS外相協議会において中南米の大勢が対キューバ和解を打出したにもかかわらず(注)米国が撤回決議に棄権したこと,及び75年1月に成立した米国新通商法が中南米にとり差別的であるというエクアドル,ヴェネズェラを筆頭とする中南米各国の強い反発を主因として,アルゼンティンで予定されていた第3回米州外相会議が無期延期されたことにより,一時的にせよ頓挫をきたしたと言わざるを得す,今後の動向が注目される。
(ロ) 資源・エネルギー問題をめぐる動き
74年の中南米各国の外交政策を個別に観察すると,産油国として飛躍的に伸びた経済力を背景に中米諸国への融資等オイル・マネーの政策的活用,米国の国際石油価格をめぐる圧力に対する反発,米国新通商法非難等の積極的石油外交を推進するヴェネズエラ,一方で経済力増大に伴い近隣諸国への積極的経済協力政策を打出しつつ他方で中国との外交関係設立(74年8月)など国際社会の多極化に対応しつつその国際的地位向上に努めるブラジル,中南米における発言力増大を狙い対中南米善隣外交及び非同盟,共産諸国との意欲的外交を進めるアルゼンティン,74年にブルガリア,ハンガリー及びアルバニアとの国交樹立を果し外交多角化政策をとるメキシコ,更には73年のクーデター後,西側諸国との経済的連携を増進し米国及び中南米の右寄り諸国との緊密な関係回復を図らんとしているチリなど個々の政策は多様化している。
他方,このような政策的多様化と併行して中南米諸国は地域グループの立場から資源ナショナリズムに立脚しつつ,第三世界の指導的役割を演じ国際社会の注目を集めている。すなわち,74年8月の第三次海洋法会議がヴェネズェラの首都カラカスで開催された際には,元来世界に先駆けて領海200カイリを提唱した立場から,第三世界を代表して海洋資源主権の主張に極めて積極的役割を果した。また74年の第29回国連総会で,先進諸国の一部を除き原則的多数で採択された諸国家の経済権利義務憲章はエチェヴェリア・メキシコ大統領の提唱と推進によるものであつた。
(1) 田中総理大臣のメキシコ・ブラジル訪問
田中総理大臣は74年9月12日より27日にかけて,メキシコ,ブラジルを公式訪問し,両国官民を始め特にブラジルの70万人に達する日系人の大歓迎を受けた。田中総理大臣とエチェヴェリア・メキシコ大統領及びガイゼル・ブラシル大統領との会談では,二国間問題のほかエネルギー,インフレ,環境,貿易等現下の国際経済問題並びに世界外交上の諸問題について率直な意見の交換が行われ,これらの問題の解決のためにわが国とメキシコ,ブラジルとの間で幅広い協力を行うべきことで意見の一致を見た。首脳会談の結果発表された日本・メキシコ共同コミュニケ及び日本・ブラジル共同発表に挙げられた主な合意事項は次のとおりである。
(イ) メ キ シ コ
(a) エチェヴゥリア大統領の提唱による国家間の経済権利義務憲章が国連総会で採択されるよう夫々の立場で努力を払う。 | |
(b) わが国よりの経済協力の拡充 | |
(c) 1971年以来実施中の日墨交流計画の推進 | |
(d) 日本・メキシコ学院の創設 |
(ロ) ブ ラ ジ ル
(a) アマゾンでのアルミニウム精錬所計画,ブラジル農業開発促進等経済協力の推進 | |
(b) 原子力開発協力 | |
(c) サンパウロ大学日本文化研究所の建設に対する日本政府よりの資金援助 | |
(d) 日伯閣僚協議会の創設 | |
(e) ガイゼル大統領の訪日(1975年秋) |
(2) 貿易及び民間投資の動向
(イ) 対中南米貿易の動向
74年のわが国の対中南米貿易は前年比大幅な伸長を示した。すなわち,わが輸出は50億7,300万ドルで,前年比83.7%増,わが総輸出額に占める比率は前年の7.5%から9.1%へ上昇した。
他方,わが国輸入は27億1,600万ドルで前年比39.0%増となつたが,わが国総輸入に占める比率は前年の5.1%から4.4%へ下降した。この結果,貿易バランスは,わが国が23億5,700万ドルの出超となり,71年以来のわが出超がますます恒常化してきた。
わが国輸出の90%までが重化学工業製品で,輸入も90%以上が食料及び工業用原材料である。また,わが国輸出の80%が中南米26カ国中5カ国(ブラジル,パナマ,アルゼンティン,ヴェネズエラ,メキシコ)に集中しており,わが国輸入も75%が上位5カ国(ブラジル,キューバ,チリ,メキシコ,ペルー)に集中している。
(ロ) 対中南米直接民間投資の動向
中南米地域に対する直接民間投資の実績は74年12月末の許可累計額で24億1,300万ドルとなり,同年同期に比べ49%増を示し,わが国海外直接民間投資総額の約20%を占めるに至つた。
国別動向としては,ブラジルが依然として対中南米直接民間投資の約5割を占めているが,近年その他諸国への投資が増加傾向にあり,特にペルーに対する石油部門への巨額な融資が行われた結果,74年におけるわが国の投資先としてはメキシコを凌駕した。
(3) 経済・技術協力関係
わが国の中南米に対する経済協力は同地域が開発途上地域中,比較的開発が進んでいるため前述の民間投資に見られるとおり,わが民間企業の進出,石油・鉱業開発への投融資等が極めて活発となつている。かかる状況の下にわが国の政府ベースでの経済協力はアジア,中近東,アフリカ地域に比べ,極めて限定された範囲に留められてきた。74年にもわが政府が供与した円借款は2件に過ぎなかつた。しかしながら,域内の相対的低開発諸国を対象とする政府ベース資金協力は今後順次拡大する方向にある。また米州開発銀行等の地域的開発金融機関を通じた政府ベースの資金協力も推進されつつある。
技術協力については通常の専門家の派遣,研修員の受入れ,青年協力隊の派遣のほか,各国の開発計画を対象とする開発調査団の派遣を行つており,さらに医療,保健等社会開発のための技術協力も緒についている。
(イ) 資 金 協 力
円借款については,74年3月,エクアドルのキトー火力発電所建設資金として26億8,000万円,74年10月,エル・サルバドルのサン・サルヴァドル新国際空港建設プロジェクトに対する資金57億円の供与についてわが国政府と相手国政府との間に夫々正式合意が成立した。
(ロ) 技 術 協 力
中南米に対する74年の実績は次の通り(DAC統計による)
(あ) 専門家派遣(調査団を含む) 374名(うちJICA 214名)
(い) 研修生受入 803名(うちJICA 482名)
(う) 青年協力隊 23名
(え) 機械供与 834千ドル
(お) 開発調査の派遣
(ペルー)ヤウリ地区資源開発
(グァテマラ)港湾建設等19件
(ハ) 対チリ債務救済
チリの国際収支悪化に伴う外貨危機を緩和するため,日本を含む12の債権国(注1)はチリ政府の要請に基づき,73年,74年に弁済期の到来する債務の繰延べにつき協議し合意に達したので(注2)74年3月わが国は上記合意に基づき同年5月より東京においてチリとの間で二国間交渉を行い繰延べに伴う金利(6.5%)その他細目につき合意に達し,11月29日公文交換を行つた。
(ニ) 米州開発銀行(IDB)へのわが国の加盟問題
中南米地域の経済,社会開発の促進を目的として設立されたIDBは加盟対象国が米州域内に限定されていたため米国への過度の依存がその大きな限界となつてきた。そこでIDBは71年以来わが国を初めとする域外先進諸国に対し加盟意向の打診とともに資金協力要請を行つてきたところ,74年11月のIDB域外国パリ会議において出資額を含む加盟条件等について意見の一致をみるに至り同年12月17日マドリッドにおいて加盟予定12カ国(注)による「加盟意図宣言」署名が行われた。この結果わが国のIDBを通じる中南米諸国への協力が本格化することが期待される。
(4) そ の 他
(イ) 日本・ブラジル航空協議
1962年に発効した日本とブラジルとの航空運送協定第8条に基づく日伯両国航空当局間協議が,74年5月20日から22日まで,リオ・デ・ジャネイロ市において行われ,
(a) 日本とブラジル両国は,新たに,南太平洋路線(日本-リマ及び(又は)サンチャゴ-ブラジル)の路線権を相互に認める; | |
(b) 日本側はブラジル・バリグ航空の現行ロスアンジェルス経由東京乗入路線の週一便増便を認める;との合意がなされた。これに基づき,南太平洋路線については,協定附表修正のため,74年7月30日,宇山駐ブラジル大使とシルベイラ・ブラジル外務大臣との間で書簡交換が行われた。 |
(ロ) わが国の対カリブ外交の強化措置
カリブ海における旧英領諸国は,ジャマイカ,トリニダッド・トバゴ,バルバドス,バハマ及びグレナダの5カ国を数え,これら諸国とわが国との関係は,人的交流の増大,経済関係の強化を中心として最近では頓に緊密化の方向を辿つている。わが国としては今後これら諸国との関係を一層増進し,対カリブ外交の強化を図るため,75年度中にジャマイカ及びトリニダッド・トバゴへの兼務駐在官(注)(それぞれ1名)の派遣,バハマ及びグレナダへの大使館(兼轄)の設置方を予定している。
なお,同じくカリブ海に位置するハイティに対しては,既に75年2月より兼勤駐在官1名を派遣している。