1. 豪 州
(1) 政 治 情 勢
72年末に政権の座に就いた労働党政府は,73年中は国内政治の面においても積極的な動向を示したが,74年に入り,上院における少数与党の状態を打開するため,上下両院同時解散に訴え,5月に総選挙が行われた。その結果,労働党は下院では5議席の僅少の差で優勢を確保し政権維持に成功したものの,上院では劣勢を挽回できなかつた。労働党は,インフレの昂進及び失業の増大もあり,その後行われた各州の地方選挙でも連敗し,世論調査においても支持率の低下が見られたが,連邦選挙法改正,石油鉱物公社法,国民保健法,地方交付委員会法,金融公社法,国有道路法等の重要な法律を成立させた。
(2) 外 交 関 係
外交面では,労働党政権施政の2年目は,前年ほど積極的かつ顕著な動きは見られなかつたが,中堅国家としての豪州の地位を確立するとの基本的政策に基づいて,地味な努力がひき続き行われた。
特に,多くの国と外交関係を設定したことを特筆すべきであろう。すなわち,バハマ,バルバドス,ガイアナ,ジャマイカ,トリニダッド・トバゴ,グァテマラ,サウディ・アラビア(以上1月),スーダン(2月),パナマ(3月),北朝鮮(7月)とそれぞれ外交関係を設定した。なお,7月にはソ連の旧バルト3国併合を承認した。この内,北朝鮮との外交関係の設定及び旧バルト3国併合の承認は,国際政治の現実を認めるという労働党の外交政策に基づくものとして注目に値する。
なお,74年もウィットラム首相自らが精力的に諸国を歴訪し,首脳外交を展開した。まず1月から2月にかけて,東南アジア6カ国を訪問し,9月から10月にかけて2週間国連総会出席を兼ね,米国及びカナダを訪問した。また,12月から75年1月にかけ5週間にわたり,英国,フランス,ソ連,西独を含むヨーロッパ,アジアの13カ国を訪問した。そのほか,9月にはインドネシアを非公式に訪問した。
労働党政権成立直後に若干の摩擦を生じた米国,英国,シンガポール,フランスとの関係は,ウィットラム首相のこれら諸国訪問により,改善された。
(3) 経 済 情 勢
(イ) 概 説
世界的規模の景気後退とインフレ昂進の影響をうけた74年オーストラリア経済にとつて,インフレ・失業対策は最も重要な課題であつた。
インフレ対策としてとられた金融引締め政策は,企業活動の低下,労働争議の大型化をもたらし,更に羊毛・食肉の輸出不振等の結果,74年の経済成長率はマイナス3%となつた。このため,近年1~2%台を推移してきた失業率は国内不況を反映して次第に上昇しはじめ,74年12月には4%という,豪州としては記録的な水準に達した。消費者物価は,近年,3%前後の上昇を示すに留まつていたが,74年9月までの1年間には,コスト・アップ等の要因のため14.6%の上昇を記録した。
(ロ) 国 際 収 支
73/74年度(73年7月~74年6月)の豪州の輸出は67億6千万豪ドル,輸入は57億4千万豪ドルであつたが,貿易外収支は17億豪ドルの赤字,資本収支はほぼ均衡した結果,総合収支では7億豪ドルの赤字(前年度は14億豪ドルの黒字)となつた。なお,74/75年度に入り,貿易収支が赤字に転じたため,74年9月に豪ドルの12%の切下げが行われ,同時に米ドルとのリンクがはずされ,フロート制へ移行した。
(ハ) 輸入制限的動き
国内の失業者急増による労働組合からの圧力もあり,豪州政府は,74年末頃より,繊維,自動車,家庭電器等をはじめとして,国内産業保護のため相次いで,輸入制限的措置をとつている。
(ニ) 外資導入政策の修正
74年後半になつて,金融緩和策の一環として,外資規制が緩和され,準備銀行への預託制度の一時中止,2年以内短期借入禁止が,6カ月以内に改められた。
(4) わが国との関係
(イ) 田中総理大臣の訪問
田中総理大臣(当時)は,74年10月31日より11月6日までの間,豪州を訪問し,ウィットラム首相と2回にわたる会談を行なつたほか,西オーストラリア州のピルバラ地域を訪問し,わが国にとつて関係の深い鉄鉱石の開発及び船積施設を視察した。田中総理大臣訪豪に際し,豪側よリウランの対日供給が保証され,また外資政策の新しいガイドラインが発表される等わが国経済にとつて重要な地位を占める豪州との貿易・経済関係を一層安定し強化させる上で,幾つかの重要な成果が得られた。更に,文化協定の締結,文化交流計画等の創設についての合意が得られる等両国関係を幅広くするために重要な一歩が踏み出された。
(ロ) 奈良条約締結交渉
日豪両国間の基本関係を律することとなる「友好協力に関する日豪基本条約」いわゆる「奈良条約」は,73年10月,ウィットラム首相が来日した際,交渉開始が合意されたものであるが,その後数回にわたり,公式,非公式に話し合いが行われ,実質的な進展が見られた。日豪両国は,この条約が,将来にわたり日豪両国関係を安定した基盤に置くものとして重視しており,今後とも交渉妥結のための努力を続けることとなつている。
(ハ) 貿易・経済関係
(a) 74年のわが国の対豪輸出は19億9,800万米ドル(対前年比66%増),対豪輸入は40億250万米ドル(対前年比15%増)と順調に拡大した。 | |
(b) 最近の世界的規模の景気後退は,特に食肉の豪州からの輸入,自動車をはじめとするわが国工業製品の豪州への輸出をめぐり,両国間に調整を要する問題を生ぜしめている。しかし,豪州は,わが国にとつて米国に次ぐ第2位の貿易相手国であるとともに,豪州にとつてわが国は,第1位の貿易相手国であり,両国とも相互に重要な依存関係にあるという現実をふまえ,双方の間で,円満解決の努力が続けられている。 |
(ニ) 要 人 往 来
わが国からは,田中総理大臣のほか74年9月前尾衆議院議長一行が豪州議会の招待で訪問した。また,浩宮徳仁親王殿下が74年8月に非公式に訪豪された。
豪州からの来訪者は,連邦総選挙の関係もあり,比較的少なかつたが,パターソン北部開発大臣,スチュアート運輸大臣,リート農業大臣,サー・ガーフィールド・バーウィック高等裁判所長官等の要人が来日した。
(ホ) そ の 他
74年2月6日に渡り鳥等保護協定が,また,同11月1日に文化協定がそれぞれ署名された。
(1) 政 治 情 勢
74年8月のカーク首相の急逝に伴い,同じ労働党のロ-リング蔵相が首相に就任した。また国民党(野党)の党首は7月マーシャル氏からマルドウン氏に交代し,両党とも新しい体制で75年の選挙に臨むこととなつたが,74年の地方選挙では労働党の不振が目立つた。
(2) 外 交 関 係
74年には,経済の分野での新しいパートナーの開拓を主目的とする経済外交に努力が注がれ,特に中東諸国に対する関心が示された。
アジア・太平洋重視の基本方針は堅持されているが,政権初年度の華々しさから地味な動きに変つている。
(3) 経 済 情 勢
(イ) 国 内 経 済
ニュー・ジーランドにおいても,インフレ克服が国内経済の最大の課題であつたが,74年における同国の消費者物価上昇率はこれまで最高の12.4%を記録した。
(ロ) 国 際 収 支
貿易依存度の高いニュー・ジーランド経済は,石油危機以後の世界的インフレの影響を大きく受け,また,食肉,羊毛など一次産品の輸出の伸び悩みもあり国際収支対策が最大の課題となつた。
74年のニュー・ジーランドの輸出は17億4,700万NZドル(対前年比5.3%減),輸入は22億7,700万NZドル(対前年比53.3%増)となり,貿易収支は,前年の3億6千万NZドルの黒字に対し,5億3千万NZドルの赤字となつた。貿易外収支は3億NZドルの赤字,資本収支は海外借款により約4億NZドルの黒字となつた結果,総合収支では,約4億NZドルの赤字となり,ここ数年間の黒字基調は逆転を余儀なくされた。
なお,通貨に関しては,74年9月に,豪ドルの切下げに追随して,NZドルは主要国通貨に対し,9%切下げられた。
(4) わが国との関係
(イ) 田中総理大臣の訪問
田中総理大臣(当時)は,74年10月28日から31日までニュー・ジーランドを訪問し,ローリング首相と会談を行い,また,ウィリナキの両国合弁事業の製材・パルプ工場を視察した。首脳会談では,両国間貿易の促進策の検討,アジア・太平洋地域の諸問題を中心とした国際政治,経済問題について広汎な意見交換が行われるとともに,文化交流計画の創設が合意された。今次訪問を通して,近年対日重視を強めつつあるニュー・ジーランドとわが国との関係は新たな一歩を踏み出したと言えよう。
(ロ) 経 済 関 係
74年の対ニュー・ジーランド貿易は,わが国からの輸出が4億8千万米ドル(対前年比81%増)と大幅の伸びを示し,一方,わが国の輸入は僅かに減少して4億米ドルとなつたため,貿易収支は,はじめてわが国の出超となつた。
わが国とニュー・ジーランドとの産業協力も近年活発化しており,例えば南島ブナ林開発,南島原料炭開発,マウイ天然ガス開発等のプロジェクトが挙げられる。
(ハ) 要 人 往 来
74年9月前尾衆議院議長一行がニュー・ジーランド議会の招待により訪問した。ニュー・ジーランドからは,74年4月ローリング蔵相(当時)が,また,9月モイル農相がそれぞれ来日した。また,日本・ニュー・ジーランド経済人会議が新たに発足し,第1回会合が同10月に東京で開催された。
(1) 73年12月1日に自治制に移行したパプア・ニューギニア(以下PNGと略称)は,75年中に独立するものと予想されている。
(2) わが国とPNGとの関係は,貿易・経済関係を中心に深まつており,わが国はその国づくりにできる限り協力を行うとの立場から,この分野での協力関係の促進に努めている。
74年11月田中総理大臣が豪州を訪問した際,ソマレ首席大臣との間に会談が行われ,また,ジェフコット天然資源大臣が74年12月来日し,PNGの開発についての日・PNGの協力について,話し合いが行われた。
わが国は,75年1月に,在ポート・モレスビー総領事館を開設したが,今後日・PNG関係が一層促進されることが期待される。
南太平洋地域における4つの独立国,フィジー,ナウル,トンガ,西サモアとわが国との関係は着実に発展しつつある。
74年以降も,前年に引続き,要人の来訪が相次いだ。ナウルからは75年1月デ・ロバート大統領夫妻が非公式に来日し,また,74年7月,トンガからはカヴァリク航空大臣が来日した。なお,英領ソロモン諸島からはママロニ首席大臣が75年2月初めて来日した。
クック諸島のラロトンガにおいて,74年3月,南太平洋フォーラムの第5回会合が開催され,その際PNGが同フォーラムに加盟した。また,9月には,同じくラロトンガにおいて第14回南太平洋委員会が開催された。