(3) 第72回国会における田中内閣総理大臣所信表明演説                           

                    (昭和48年12月1日)

 第72回国会が開かれるにあたり,当面緊急を要する諸問題について所信の一端を申し述べます。

 中東戦争を契機とする石油の生産と供給の制限は,世界各国に対して大きな影響を与えております。なかんずく,エネルギーの大半を海外の石油に依存している我が国産業経済に与える影響は大きく,国民生活の安定向上を妨げることのないよう緊急な施策を必要とする事態を迎えているのであります。

 政府は,この事態に対応するため,11月16日,内閣に緊急石油対策推進本部を設置し,石油緊急措置をとりまとめ,率先して石油,電力等の消費節約に努めるとともに, 産業に対してもその節減を要請し,強力な行政指導を実施しております。また,広く一般国民に対しても,不要不急のエネルギー消費に対する自粛を求めているのであります。

 石油消費の抑制により,諸製品が減産を余儀なくされ,その結果,供給不足を招き,物価は必然的に上昇するという推論が一部でなされております。そして,それがまた物価値上がりの誘因ともなつております。しかし,生活必需品については,生産段階にも,流通経路にも相当量の在庫が存在しており,一部商品については,既に在庫の放出 を打つてまいりました。また,総需要の抑制を図る一方,国民生活の安定に必要な部門については電力等のエネルギーを優先的に供給いたしますので,買占め,売惜しみのごとき風潮を生まない限り,需給の安定は十分確保できると考えております。我が国は現在,国民総生産の約10パーセントを輸出しており,供給力にも余裕があります。しかも,石油事情について長期的見通しをたてるまでの暫定期間について,生活必需品の緊急輸入等を行うのに必要な外貨を十分保有しているのであります。

 しかしながら,たとえどのような事態が生じても,国民経済の混乱を未然に防止し,必要物資の安定的供給を確保するためには,最小限の法的措置が必要であります。このため,物資の需給,価格の調整等に関する緊急措置を規定した国民生活安定緊急措置法案を今国会に提出いたします。また,事態の推移に応じて,石油の消費節減及び配分の適正化を機動的かつ効果的に。実施できるよう,緊急時における指導,規制措置を定めた石油需給適正化法案も今国会に提出いたします。これらの運用にあたつては,特に分配 や負担の公正を期するとともに,異常な価格の上昇,買だめ,売惜しみ等による不当利得を得る者が生じないよう万全を期してまいりたいと考えます。

 世界のすべての国にとつて,有限な資源を福祉の向上と繁栄のためにいかに有効に開発し,利用するかは,次第に深刻な問題となつてきております。資源を海外に大きく依存している我が国の実情にかんがみ,私は,かねてからその安定的供給の確保と供給先の多元化の必要性を痛感し,これまでも資源保有諸国からの供給確保に努力を重ねてま いりました。私は,内閣を組織して以来,欧米,ソ連各国首脳との会談を通じて,資源の共同開発,安定供給について積極的に話合いを打つてまいりました。資源問題は,我 が国外交の重要な一つの要素であります。外交は,もとより我が国益に立脚すべきものでありますが,同時に,関係国の立場を十分理解する互恵の精神と世界の平和と繁栄に 貢献する精神に基づいて行わなければなりません。かかる精神を基調として先般豪州首脳と資源開発につき会談いたしました。また,来春早々の東南アジア諸国訪問にあたつ ても,これら諸国との長期にわたる友好親善を深め,各国の国づくりに貢献しつつ,資源の共同開発や備蓄を行うことなどについても,各国首脳と会談し相互の理解を深めたいと考えているのであります。

 中東問題に関して,政府は11月22日にその態度を明らかにいたしましたが,これは,中東の恒久的平和の確保が世界の平和と繁栄にとり重要であるとの基本認識に立つて, この平和の実現に寄与しようとの意図にでたものであります。また,中東諸国との関係を一層緊密化するため,近く政府の特使を派遣する等着実な外交努力の積み重ねを図つてまいります。

 物価の安定は,当面する最重要課題であります。比較的安定的に推移してきた卸売物価は昨年秋以降高騰し,また,消費者物価も本年初めから上昇を続けております。これ は,第一に,ドル不安に端を発した国際物価の値上がり,輸入原材料価格の高騰に加え,ここ2,3年来の世界的な不作により農産品の価格が高騰したこと。第二に,外貨準備の急増に伴う外国為替資金特別会計の大幅払い超に加え,国際収支の不均衡是正のため,輸出から内需への転換を図る観点から金融緩和策がとられ,これらの結果として企業に過剰流動性が生じたこと。第三に,本年度50兆円をこえる賃金給与所得によつて消費購買力が充実し,個人消費が拡大したこと,などの要因が複合して生じたものであります。そのうえ,今次の原油の供給制限と輸入価格の上昇が,物価問題の解決を一層 困難なものにしようとしております。政府は,これらの要因を総合的に把握,分析し,有効適切な物価対策に総力を結集いたします。

 物価騰貴を抑制するためには,総需要の抑制を図ることが基本であります。これまで累次にわたる物価安定対策を講じ,財政執行の繰延べ,金融引締めの強化等を行うとと もに,民間設備投資及び大規模な民間建築の抑制,消費者信用の調整等の措置を実施してまいりました。これらの措置は,その効果が末端まで浸透し,物価動向に好影響を与 えるまで堅持することはもとより,石油情勢の進展など今後の事態の推移に応じて,更に強化する考えてあります。来年度予算の編成にあたつても,景気や物価の動向に十分配慮し,慎重に対処してまいります。また,個人貯蓄の増強を図るため,利子非課税制度の拡大を含む貯蓄優遇策を実施する考えてあります。

 総需要の抑制と並んで,個別物資の需給関係の調整も極めて重要であります。政府は,需給ひつ迫の著しい建設資材,品薄となつた生活必需物資について,関係業界に緊 急増産や出荷指導を実施するなど機動的な調整措置を講じております。また,生活関連物資の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律に基づき,灯油,ガソリン, 紙等国民生活に関係の深い物資を特定物資として指定し,投機的取引の防止に努めておりますが,この際,同法を改正し,特定物資の範囲の拡大,売渡命令の創設等規制措置の強化を図る考えてあります。

 物価騰貴の最大の弊害は,所得及び資産の不公平な分配をもたらすことであります。政府は,先般,厚生年金,国民年金等の給付水準の実質価値を維持するため,物価スラ イド制を導入するとともに,物価動向等を勘案して生活保護の基準及び社会福祉施設に入所している老人,児童等の生活費の引上げなどの措置を講じました。今後とも,経済的に弱い立場にある人々のために社会保障給付の改善などきめ細かい施策を講じてまいります。

 土地問題の解決も緊急の課題であります。政府は,既に法人の土地譲渡益に対する課税の強化,特別土地保有税の新設,三大都市圏の市街化区域内農地の宅地なみ課税の実施等を行うとともに,土地取得に関する金融の抑制,都市緑地保全法の制定等による土地利用規制の強化など土地問題の解決に鋭意取り組んでおります。しかしながら,現下の地価上昇の原因は基本的には宅地需給の不均衡にあり,供給の増大なしには,地価の抑制は不可能なのであります。将来における国土利用の全体的な展望のもとに全国的に土地利用計画を確立し,これに即して公共優先の立場から土地の所有,利用の両面にわたつて規制,誘導を強化し,投機と乱開発を排除しつつ,国土の総合的な開発,利用を進めるとき,宅地の確保と地価抑制は可能となるのであります。国土総合開発法案は, このような観点から提案したものであり,地価凍結を含む土地対策の基本法的性格を有するものであります。

 政府は,人事院勧告に基づく公務員給与の改善,生産者米価の引上げに伴う食糧管理特別会計繰入れ等当面財政措置を必要とする諸案件につき,所要の補正予算及び法律案 を今国会に提出いたします。

 我が国は,これまで,豊富で安価な石油エネルギーを使えるという利点を最大限に生 かして,生産の増強と雇用の拡大を達成してきました。しかし,今日の事態は,資源の 制約のなかで新しい豊かさを追求するという未だかつて経験したことのない試練に当面 しているのであります。これは,経済的にも社会的にも,我が国にとつて一つの歴史的 転換期ともいえるのであります。

 この際,創造力と適応力に富む国民の総力を結集して,産業活動においては省資源,省エネルギーへの構造的対応を成し遂げ,国民生活においては生活感覚を転換させて,資源の浪費を排し,「節約は美徳」の価値観を定着させていかなければなりません。更 に,原子力の開発,水力発電の見直し,石炭その他国内資源の活用,太陽エネルギー,水素エネルギー等の無公害の新エネルギーの開発を推進し,エネルギー源の多様化に努 めることが必要であり,かつ,それを成し遂げうると信じます。

 政府は,全力をあげて国民経済の混乱を未然に防ぎ,国民生活の安定を確保するため,内政,外交のあらゆる面にわたり,冷静な判断と敏速果断な行動をもつて対応し, この転換期を乗り切る決意であります。

 しかし,いかなる政策も,国民の理解と支持がなければその効果をあげることはでき ません。国民各位も,当面する事態を冷静に受けとめ,高次の社会連帯感のもとにひと りひとりが慎重に対処し,福祉社会の実現という共通の目標に向かつて協力されるよう 期待してやみません。

 

目次へ