―在外邦人の保護,援助―
第4節 在外邦人の保護,援助
1. 在外日本人
邦人海外渡航者の数は年々急増しており,海外に在留する邦人の各種分野における活躍はめざましいものがある。
外務省が在外公館を通じて1970年10月1日現在で調査した結果およびその後の在外公館からの報告書等によると,在外邦人数は,商社員,留学生などの長期滞在者が約7万1千人,永住者(日本国籍をもつもの)は約26万7千人,日系人(外国に帰化した移住者およびいわゆる二・三世等)は約106万人と推定される。(国別統計は付表7参照)
長期滞在者を国別にみると米国が圧倒的に多く,約2万5千人,次いでドイツ約4千5百人,タイ約4千人,フランス約3千5百人,英国約2千8百人,中華民国約2千7百人,オーストラリアおよび香港それぞれ約2千人となつている。
次に,移住者の多い国を順にあげると次のとおりである。(この数には,日本の国籍をもつ永住者のほか,日本国籍を持たない二世・三世などのいわゆる日系人も含まれている。)
ブラジル65万7千人,米国52万4千人,ペルー5万6千人,カナダ3万3千人・アルゼンティン2万3千人,ボリヴィア1万2千人,パラグァイ6千4百人(以上いずれも概数)
1970年10月1日を期して日本国内においては,統計法に定めるところにより第11回の国勢調査が行なわれた。
外務省は大正9年の第1回国勢調査の際から外国においてもこれと並行して(昭和25年を除く)在外邦人数の調査を行なつてきた。外国での調査は統計法に基づくものではないが,本邦の国勢調査に関連して海外に在留する邦人の実態を把握することは外務省として各種行政施策の企画,実施上の基礎資料として重要であるし,かつ総理府の依頼もあるので今回もこれを実施したものである。
調査は,1970年10月1日現在で,在留邦人各世帯が予め在外公館から入手した調査票に記入して任意に申告するかたちで実施した。調査票には,世帯構成員各人の氏名,年令,続柄,現住所,職業,永住,非永住の別等を記載する。調査の対象は日本国籍者のみで,帰化一世や二世等日本籍を持たないいわゆる日系人を含まない。
なお,各在外公館から外務省に送付してくる調査票の集計は総理府統計局によつて行なわれる。(外務省においてとりあえず各国別に仮集計した結果は付表7参照。)
多数の邦人の海外進出にともない,事故による死亡あるいは負傷や病気により在外公館に援助を求めるもの,罪を犯し外国官憲に逮捕されたものなどの数もふえている。
(1) 生活困窮者
中南米移住者のなかには,働き手である家長の死亡,あるいは病気のため家族が生活に困窮するケースが多い。これら生活困窮者に対し,政府は生活費や医療費を交付し,援助の手をさしのべている。また困窮状態から回復の見込みなく多額の帰国費用を負担することが難かしい場合は,政府が旅費を貸付けて帰国を援助している。
この他,一般旅行者で渡航先において何らかの理由で無一文となり在外公館に援助を求めて来るものについては,家族よりの送金につき世話をしたり,どうしても家族よりの送金が受けられない者に対しては,旅費を貸付けて帰国を援助することもある。
また,韓国には韓国人と結婚した日本婦人のうち,極度に生活が困窮している者,あるいは帰国を希望している者も少なくない。これらの人々に対しては,現地における生活,医療などの援助のほかに帰国希望者に対し,帰国援助を推進しており,1970年度内には65世帯,178名が帰国した。
(2) 精神異常者
外国旅行中または滞在中,精神障害をきたす者もふえているが,その多くは日本と異なる生活,自然環境に適応しえないことによるものと考えられる。これら障害者はできるだけ早く帰国させねばならないが,帰国の途次精神科医等同伴者が必要であることや旅費の調達問題もからみ解決に手数を要することが多い。
(3) 無銭旅行者
海外渡航の自由化につれて,青年男女の渡航者が増加し,そのなかには無銭旅行者や,帰国旅費を準備せずに出かけるもの,またはこれに近いものが目立つて多くなつている。訪問先国の関係当局から事前に適法な就労許可を得ずに就労することは殆んどの国で違法とされていることを認識せず,観光ヴィザで入国し,違法な就労をして現地官憲に取調べを受けたり,資格外活動のかどで強制退去を要求されるような者もある。
また,これら旅行者の中には麻薬の吸飲とか密輸のかどで現地官憲の取調べを受けたり,数年におよぶ体刑に処せられる者もいる。また,乞食同然の身なりをし,周囲のひんしゆくをかつたり,さらには,放浪の末旅費を使いはたして在外公館に泣きついたり,ホテル代未払のまま立ち去り,ホテル側から在外公館に支払いを督促してほしいと依頼してくるケースなどもふえている。
(4) 国外犯罪その他
1970年度1年間で,邦人の国外犯罪は約30件発生している。これらのなかで主なものは次のとおりである。
(あ) 麻薬犯罪
前記(3)でもふれたように,青年旅行者のなかには麻薬の吸飲や密輸のかどで外国警察の取調べを受ける等のケースがある。これら旅行者は中近東などで麻薬を手に入れ,西欧まで運搬したり,ヒッピー族に加わつて麻薬を吸飲し,逮捕されるものである。このほか,日本で鳥の餌として市販されている麻の種子を外国に持ち込み,同国の法律で処罰されるというケースもあつた。1970年度に,インドやスウェーデン等で逮捕されたり,実刑を課せられたケースは5件に及んでいる。
(い) 公海上における日本船舶内等の殺傷事件
出漁中の本邦漁船員による殺傷事件はあとをもたない。1970年度1年間におけるこの種事件は13件に達し,これらの中には,殺人被疑者等の身柄を引き取るため,海上保安官が現地へ赴いたケースも4件ある。
(う) 交通事故,山岳遭難
海外渡航者の増加にともない在外邦人の交通事故による死傷件数は,1970年度は38件に達している。これら交通事故の原因は,種々考えられるが,道路交通規則の相違,気象状況の急変等のほか,高速道路運転の不慣れ等によるものもある。
スイス,ネパール等における山岳遭難による死傷事件も,1970年度一年間で10件に及び10名が死亡し,ないしは,行方不明となつている。これら捜索は,現地の救助機関によつて行なわれ,家族が後日捜索費用を負担することとなるが,この額は平均数十万円の多額となつている。
(え) 逃亡犯罪者および密航者
このほか,わが国で背任罪を犯し,その罪を逃れるため,香港,フランスへ逃亡した富士銀行不正融資事件の被疑者,菅沼正男,金東善を,それぞれ香港,フランスの当局の協力により本邦に引き渡しをうけるために,警察官が,現地に赴くという事例があつた。
また米国やヴィエトナムに密航した者もあつた。
動乱の際に,在留邦人の生命,財産の安全をはかることは,在外公館の重要な任務の一つである。
(あ) 1970年3月18日,シハヌーク殿下の追放に始まる政変をきつかけに,カンボディア領内における北越,ヴィェトコンとロンノル政府軍との間の交戦が地方において激化し,首都プノンペンも共産軍側の脅威にさらされるようになつた。
このような事態の下に,日本大使館では,在留邦人保護のため,邦人の所在の完全な把握と,連絡体制の整備に努めた。また,地方における戦闘が激化するにつれ,地方に在住する邦人は首都に移り住むように,また婦女子は一時帰国,ないし近隣国に退避するように勧奨した。
この結果政変直後の1970年3月25日には252名(男159名,女93名)いた在留邦人は12月8日の調査では49名(男47名,女2名)にまで減少した。また外務本省,および近隣公館において,ガンボディアへの不要不急の渡航を止めるよう指導を行ない,本省より,在留邦人用の備蓄米,食料品および薬品等をカンボディアに送つた。
(い) (イ)パキスタンにおいては1970年12月の総選挙の結果アワミ連盟が過数を制して第1党,人民党が第2党となり,1971年3月3日より制憲議会の開会が予定されていた。しかるに東パキスタンを代表するアワミ連盟と西パキスタンを代表する人民党の主張が大きくくい違うため,3月1日,ヤヒヤ大統領は議会開会を無期延期した。以後東パキスタンでは州都ダッカその他で連日大規模なデモが行なわれ,デモ隊と軍隊との衝突で多数の死傷者がでる一方,ゼネストにより経済も麻痒状態におちいつた。
(ロ) 外務省及びダッカ総領事館は,騒じようの発生前に,在留邦人に対し早目に国外退避を勧奨し,また同総領事館は,邦人との連絡網の整備,食糧等の備蓄を行なつて万一に備えるとともに,外務省よりもトランシーバー,食料品,国旗等緊急物資を送りとどけた。
3月9日ダッカ総領事より,事態のいつそうの悪化も考えられるとして航空機の派遣を要請して来た。外務省は日航と協議のうえ,日航機DC8-62(165人乗り)をチャーターし,同機は12,13日の両日にわたり,バンコック・ダッカ間を2回往復して200余名の邦人の収容にあたり,バンコクで,同地ないしその他の国に向う者をおろして14日,131名の邦人を乗せて帰国した。
この日航特別機による引揚の結果,ダッカに残留する邦人の数は3月14日現在39名となつた。
前述の長期滞在邦人約7万名のうち小学校,中学校の学令期にある子弟の数はおよそ8千名におよんでいるものと推定される。
これら在外子弟に対し日本国民としての教育の機会を与え,数カ年の外国在留後,再びわが国の学校に円滑に編入学できるようにし,もつてこれら子弟を同伴する在外邦人が後顧の憂いなくそれぞれの任地における諸活動に専念できるようにするために,アジア,中近東,アフリカ等の主要都市には,日本国内に準ずる教育を行なう日本人学校が開設されている。また先進地域にあつては国語,社会,算数等について日本の教育の補習を行なう補習学校(日本語学校)が設けられている。これらの各施設に対して外務省は文部省とも協力し,教員の派遣,教科書・教材の配布,施設設備の整備援助などを行なつている。
なお,1971年1月在外子弟教育の振興に関し,政府の諸施策に相応し各種の教育事業を行なうことを目的とする財団法人海外子女教育振興財団が,経済諸団体,海外勤務者を持つ各企業等の出資により設立された(外務,文部両省の共管)ので,今後の活動が期待される。
(1) 日本人学校
1970年度にはベイルート,ナイロビの2地域に日本人学校が新設されたが,これにより日本人学校は既設校を含め23校となつた。(なお,プノンペンにも開設の予定であつたが,カンボディア状勢の悪化により,婦女子が殆んど引き揚げたため開設は見送られた。)
その所在地,児童生徒数,教師数等は「日本人学校一覧」のとおりである。日本人学校は小学部を中心とし,地域によつては中学部を併設し,それぞれ本邦の小学校,中学校の教育課程とほぼ同様の教育課程により教育を行なつている。
日本人学校の教師は,本邦から派遣する政府教員(各国立大学附属学校教諭,各県公立学校教諭および大学新率者)と現地在留邦人中の教員有資格者より採用する現地採用講師からなつているが,1970年度予算では派遣教員について20名の増員を図り,派遣教員の総数は103名となつた。本年度の教員派遣にあたつては従来のように大学新卒者をあてることは止め,国立大学附属学校教諭(文部教官現在16名)のほかは,各県教育委員会の協力を得て各県公立学校教諭を派遣した。
また派遣教員の待遇の改善として,滞在費の単価を増額するとともに従来文部教官についてのみ認められていた配偶者手当を教職経験年数一定以上の派遣教員すべてに認めることとした。
(2) 補習学校
北米,欧州地域等の先進諸国においては週に1~2回土曜日等に日本の国語,社会,算数等の教育を施す補習学校が開設されているが,1970年度におけるその所在地,児童生徒数,教師数は「補習学校一覧」に示すとおりである。
補習学校の教師は現地在留邦人のなかから,教員免許状を有する人が委嘱されており,外務省はおよそ50名分についてその謝金の一部を補助している。