―海外移住の動向―
第3節 海外移住の動向
1.概 況
わが国の戦後の海外移住は1952年に再開され,以後,移住者数は増加の一途をたどり,特に1955~61年度においては,毎年度1万数千名を越える者が移住したが,1962年度以後,減少し,1964年度以降は毎年ほゞ4,OOO人台にとどまつている(移住関係旅券発給統計)。これはわが国経済の高度成長に伴う国民の生活水準の向上,および若年層労働力不足現象の深刻化,さらには受入先国当局が選択的受入れの基準を徐々に厳しくしてきたことなどの事情が重なり合つたためと考えられる。
1970年度における移住者を渡航先国別に見ると,その過半数が米国向けであり,カナダを含め北米向け移住者が全体の約80%,ブラジル向け移住者が約10%,残る10%がアルゼンティン,パラグァイ,ボリヴィア等の中南米向け移住者と,オーストラリア,その他の地域向け移住者となつている。
全移住者中に占める技術移住者の割合は1970年度においても前年度と同水準を維持しており,家族移住者の減少,ならびに単身青年移住者の増加の傾向も依然として続いている。
(1)今後の海外移住のあり方
海外移住は,個人が正しい情勢判断の下にあくまでも自己の発意と,確固とした信念と責任をもつて海外に新しい可能性を求めて発展するものであり,この意味において海外移住は第一義的には個人の幸福追求のためのものであるといえるが,他面移住したわが国民が,わが国の経済,社会,科学,文化等の発達を背景として,優秀な技術,経営能力等を生かし,移住先国の発展に寄与することは,国際協力の一環として重要であり,また国際社会におけるわが国の声価の向上に資するものである。
したがつて,理想的な海外移住というものは,移住者自身にとつて満足のいくものであり,また移住者受入国にとつても歓迎されるものでなければならず,しかも行政的観点に立つた場合,それがわが国の国益に資することが必要である。要するに,理想的な海外移住とは,移住者,移住者受入国およびわが国3者の利益という三位一体の上に築かれるべきものである。
このような観点から,今後の海外移住行政は,単に海外に職を探せばこと足れりというような消極的なものではなく,日本国内においてはその才能を十分に伸ばしていない有為の人材に対して,そのエネルギーのはけ口を海外において見出さしめ,移住先国の発展に寄与せしめるという積極的なものでなければならない。
戦後25年を経て,わが国の国際社会に占める地位はゆるぎないものとなつた。これに伴い諸般の分野における国際交流も大きな進展を見せており,海外におけるわが国民の活動は目覚しいものがある。この活動は,今後とも貿易,海外投資等の経済交流,あるいは発展途上国に対する経済技術協力の分野等でますます活発化しようとしている。このように,従来は海外移住に代表されていたわが国民の海外発展の姿は今日著しく多様化していることが特に注目される。わが国民の海外における活動は,このように新しい局面を迎えつつあるわけで,その活動のあり方いかんは,国際社会におけるわが国の声価に大きな影響を与えよう。
かかる観点からすれば,今後の海外移住は,ある期間海外に生活の本拠をおく一般在留邦人,ないしは技術協力に伴う人的協力等諸分野との相互関係をよくふまえ,広くわが国民の国際的発展を助長する観点からこれを把握することが適切であろう。
(2)海外移住の施策
諸般の情勢の変化に対応し,移住行政の運営に当たつても新しい考え方がとり入れられている。すなわち,都道府県に対しては,移住についての啓発に当たり,移住を狭く限定することなく,わが国民の国際性の向上と海外発展意欲の昂場を主旨とするよう指導している。また,新たに高校等に対する海外知識の啓発も都道府県の移住業務に含めた。他方,海外移住事業団に対しては,移住業務が人間の一生を左右する責任の重い仕事であることを十分認識し,移住者送出にあたつては単に移住者の送出数に拘泥することなく,的確な情報と豊富な知識を提供した上で,真に海外において活躍するに十分な能力を備えた者だけを移住させるよう指導している。一方,既移住者に対しては,戦後送出した移住者の営農および生活状態が必ずしも十分とはいえないので,その現地における定着・安定を援助すること,およびこの援助の対象を拡大することに最大の努力を払つている。
なお,現在国内では経済の高度成長に伴う国民の生活水準の向上,労働需給の逼迫化,移住者受入国の受入条件の変化等から海外移住に消極的な意見も存在するに至つているが,海外移住審議会ではこうした諸状勢の変動の中における新しい海外移住政策のあり方および実施体制について1970年9月,総理大臣より諮問を受け,現在小委員会を設け活発に審議を行なつている。
(3)海外移住をめぐる世論の動き
外務省は1970年9月,総理府広報室に依頼して全国の20才以上の男女3,000人を対象として海外移住に関する世論調査を行なつたが,その結果は次のとおりである。
(あ) 全体の14%の者が外国で働きたいという気持を持つており,その就業の形態は青年海外協力隊員,技術協力要員,あるいは官庁,会社の駐在員など多様化している。
(い) 移住者に対するイメージも極めて明るくなり,「海外で大いに働きたい人」という好意的なイメージを持つ者が大部分(60%)で,「暮しが立たないから移住する」という戦前の暗いイメージを持つ者(16%)を大幅に上まわつている。
(う) 国や都道府県が「海外移住を積極的にすすめ,移住希望者には資金その他の便宜をはかる」ことに賛成する者は36%で,1965年調査の24%と比べ増加している。外国で働きたいという者にはこの積極的な施策の支持者が多く,56%になつており,かれらは国に対して資金貸与,研修,受入れのあつせんなどを希望している。
(え) 海外移住の目的としては,「青少年の夢や希望をかなえる」(31%),「国際親善・文化交流」(27%),「日本人の国際性を高める」(25%)をあげる者が多く,「経済協力」(15%),「経済的寄与」(7%),等の直接的,物質的利益を超越した,海外移住によつて生じる多様な成果に注目する傾向が強い。
(1)新規移住者の概要
1970年度において渡航費の支給を受けて中南米へ移住した者の数は629名であつて,昨年に比して32名増であつた。
最近における移住者の減少は特に農業移住において著しい。戦後移住再開直後および1960年前後の戦後移住最盛期においては農業移住者の比率は98%以上を示していたが,最近においては60%を下回り,工業技術移住者その他近親呼寄による移住者がその比率を高めている。
また,最近の中南米への移住の特徴として,次の諸点があげられる。
(あ) 家族単位の移住者よりも,単身者の移住が多くなつている。
(い) 移住者の学歴は著しく高まり,家族移住者の構成員たる幼児,学童を含む総数に対し,高卒以上の者が約55%を占めている。
(う) 移住者の携行資金量も増加し,家族移住者の約30%は100万円以上を携行している。現物として携行する農機具,身廻り品を加算すれば半数以上は100万円を超えるものと推定される。
(え) 農業移住者のうち,自営開拓農として渡航する者が減少し,雇用農として渡航する者が圧倒的に多くなつている。これは単身移住者が殆んど雇用農として渡航することに起因するものである。
(2)既移住者援護のための受入国との交渉
(あ) 移住者の地権取得について
戦後における対伯移住の初期の段階においては,主として北伯,東北伯に所在するブラジル連邦政府および州政府の経営する植民地に分散入植した邦人移住者がかなりの数にのぼる。これら移住者のなかには,植民地当局の求める条件を満たし,一定の年限を経過したにもかかわらず,当局から地権の交付を受けていない者が少なくない。ブラジル側当局では,確定地権を下付するには,地積測量が必要であるところ,これに要する予算および技術者が不足しているため作業が進捗しないのであるが,わが方としては移住協定に基づく日伯混合委員会を通じ地権の早期下付方を督促しており,徐々にではあるが確定地権を取得する者が増えている。
他方ドミニカの場合は,元来民有地であつた土地を国が接収して創設した2移住地へ入植した邦人移住者は,国の旧地主への補償が済まないため地権の交付を受けられないでいる。このため,在ドミニカ大使館を通じてドミニカ当局に対し地権交付の促進を督促してきたところ,ドミニカ政府は旧地主との間に補償金額に関する同意をとりつけることに成功し,あとは予算化の問題を残すだけとなつた。
(い) ブラジルにおける外国人の農村地取得制限法について
ブラジル政府は,投資や鉱物資源確保を目的とした外国人による土地買収を禁ずるため,1969年3月10日付で外国人の農村地取得制限法を公布した。このため日本人の所有する農村地の総面積が郡の面積の規定の比率を越える場合には,邦人移住者は同郡内の農村地は取得できなくなつたばかりか,公証人および不動産登記所が郡内の外国人所有地の国籍別面積の登録を完了しなければ邦人移住者を含む外国人が農村地を取得できないという支障をきたしている。そこで在ブラジル大使館では直接に,または日伯移住混合委員会を通じてブラジル当局に対し本法の改訂を申し入れてきたところ,近く新たな大統領令の公布される公算が強くなつた。
(3)既移住者への援護施策の強化
1952年度以降1970年3月末までの,中南米への渡航費支給移住者の総数は約6万1千名にのぼつているが,まだ定着・安定の城に達していない者も少なくない。このような人々を積極的に援護するという方針のもとに,外務省は海外移住事業団を通じ,1970年度においても,次のとおり従来からの事業を拡充した。
(あ) 融資援護体制の強化
移住者の定着・安定促進のための海外移住事業団の融資事業について見ると,前年度末までの融資累計額は約51億円,融資残高は約27億円に達したが,本年度は更に新規貸付6億2千万円を計上しており,年度内回収予想額約2億円を差引いても本年度末における融資残高は4億円余り増加して,31億5千万円に達する見込みである。そのうちブラジルは約17億円で,殆んどが農業者向け貸付けで技術移住者を対象とした小工業貸付けは1%に満たない。同じくスペイン語地域の融資残高は14億5千万円で,現地農業貸付約11億9千万円,農工企業貸付約7千万円,渡航前融資約1億9千万円となつている。
なお小工業に対する貸付については,本制度が制定されて以来約4年を経過し,その実態もほゞ把握し得,かつ,融資回収状況が良好なため,1970年12月1日以降,「設立後1年以上経過した製造業」という制限を取りはずし,新設の企業をも貸付対象に含め,業種も製造業の外,加工,修理業をも含め,更に対象地域も従来事業団サン・パウロ支部管内に限つていたのを事業団支部のある中南米全域に拡げ,貸付の円滑化を図ることとした。
(い) 営農の機械化
南米の邦人移住地の多くは,土壌の肥沃度を重視するため主として森林地にその立地を選んだ。このため森林の伐採,開墾および整地には苛酷な労働が要求されることとなり,移住者の安定への道程は長くまた体力の損耗も大きい。このため営農の機械化が必要とされ,海外移住事業団は現地の農協にブルドーザー,大型トラクター等の農業用大型機械を無償貸与し移住者の利用に供してきた。1970年度には,今までのボリヴィア,南部パラグァイの外,中部パラグァイのイグアス移住地にもこれを拡充し,ブルドーザー1台および大型トラクター2台を無償貸与している。
(う) 移住地の電化
海外移住事業団は,現地電力会社と協力し,1967年以来アルゼンティンのアンデス地区,ブラジルのフンシャール地区およびグァタパラ地区(1970年10月完成)の移住地電化を実施してきたが,1970年度にはブラジルのピニャール地区の電化工業として,移住地区域内配電工事20.5kmを,総工事費の2分の1ずつを事業団と受益入植者が折半負担して実施中である。
(え) 畜産センター
南米奥地の移住地においては,畜産を盛んにすることが移住者の定着安定に有効であるところが多い。特にボリヴィアのサンファン地区および沖繩第1,第2,第3の各移住地ではこれが営農確立の大きな柱と考えられている。このため沖繩第2移住地地区内に新たに畜産センターを設置し数年計画でこれを整備し,これら4移住地の畜産の振興と,防疫ならびに品種改良にあてることとした。
(お) 沖繩移住地総合対策の推進
1967年に,海外移住事業団がボリヴィアにある3つの沖繩集団移住地の管理を琉球政府および琉球移住公社から引き継いで以来,沖繩移住地総合対策を樹て,1968年から6ヵ年にわたる年次開発計画に着手した。
1970年は第3年目に当り,飲料水対策として深井戸58基の設置と道路対策としてD7ブルドーザー1台購入の外,道路工事42.4km,排水路工事4.7km,橋梁工事3ヵ所等の諸工事を実施した。
(か) 民間資本の移住施策への導入
(イ)パラグァイ絹糸工業株式会社(ISEPSA)
前年度からパラグァイに進出していた片倉工業と伊藤忠との合弁による標記会社は,南部パラグァイのアルトパラナ移住地に4月18日待望の乾繭工場の落成式を行ない,日本人移住者の養蚕経営に大きな貢献をすることになつた。
(ロ)イタプア製油商工株式会社(CAICISA)
南部パラグァイの邦人移住者の生産する油桐,大豆等の油料作物の加工および販売を行ない,移住者の援護に当る目的をもつて1968年12月標記会社が設立されたが,機械発注開始以来満2ヵ年を要して1970年9月15日,エンカルナシオン市に搾油工場が竣工した。
海外移住事業団は,1970年9月,本邦にある日本イタプア製油投資株式会杜に対し,1億5千万円の追加投資を行なつた。また,1971年2月,海外経済協力基金および関係4商社も合計1億円の追加投資を行ない,その結果この投資会杜の資本金は5億5千万円になつた。
(ハ)イグアス農牧株式会社
本邦にある南米開発株式会社は,かねがねパラグァイ国イグアス入植地に進出する目的をもつて現地に標記会社の設立を計画していたが,1970年7月,パラグァイ政府から設立許可を得た。この会社は畜産を振興して邦人移住者の定着安定にも資することにかんがみ,海外移住事業団はイグアス移住地の未分譲地の一部,9,280ヘクタールをこの会社に払下げた。
(4)移住地現地調査
1970年度には,外務省は各省の協力を得て4調査団を中南米に派遣し,それぞれ次の事項の調査を行なつた。
(あ) 保健衛生調査
1962年度より引き続き実施してきた邦人移住者の保健衛生調査は1969年度分をもつて最終回としたが,年度末から新年度にかけて,締めくくりの意味で移住地の衛生環境を中心に調査を行なつた。
(い) 海外移住事業団支部のない国における移住者実態調査事業団の支部の設置されていないメキシコ,ペルーその他4ヵ国の邦人 移住者につき実態調査を行なつた。
(う) 散在中小移住地実態調査
今回は,ブラジルの北,中部を中心に,移住者の営農状況,子弟教育,医療衛生,治安状況,奥地散在移住者の集団移住地もしくは都市近郊への転住の可否およびその可能性等の調査を行なつた。
(え) 移住地文教事情調査
中南米諸国および移住地の教育制度,教育施設,そのほか日本語教育,青年教育をも含めた教育の実態を調査し,今後の移住地教育環境の整備改善ならびに移住者子弟の教育水準の向上についての対策樹立に資するため,1963年に派遣の第1回調査団に引き続き,第2回調査団をボリヴィア,パラグァイ,アルゼンティン,ブラジルおよびドミニカ共和国の5ヵ国に派遣した。
(1)カナダへの移住
カナダへの移住者数は,ここ数年来,年間600~700名の規模であるが,漸増傾向にあり,カナダ連邦政府移民省統計によれば,1970年1~12月の日本人移住者数は785名で,前年同期の698名に比し87名の増加となつている。これら移住者の中には専門技術者および技能士が多く単身者,高学歴者の割合が高くなつている。
カナダへの移住者は渡航した後に職をさがす場合が多く,語学力が就職および生活安定への鍵となるため,海外移住事業団では主として語学力補完を目的として,希望者に渡航前訓練を行なつており,1970年中には111名に対して訓練を行なつた。
カナダ政府は同国内で需要度の高い職業を有する欧州方面からの移住者に限定し渡航費貸付を行なつてきたが,1970年4月以降わが国からの移住者にも渡航費貸付を開始している。
(2)米国への移住
米国への年間移住者数は近年3,000~4,000名であるが,その過半数は米国市民の配偶者,両親子女である。また,移住者を職業別にみると,扶養家族を除く有職者の50%前後が高級専門職従事者である。
(3)オーストラリアへの移住
オーストラリア政府の移住者受入政策は,依然として欧州人を基幹とする人口構成を維持することを主目的としているが,近年,特に1966年頃から欧州人以外の移住者についても,同国にとつて有用であり一定の資格を有する者については,移住の門戸を開き始めた。わが国からの移住者数はここ数年来,年間30~40名程度で,その大部分がオーストラリア人の配偶者である。
(4)農業研修生等
(あ) 派米農業研修生
1966年以来,日米両国政府の後援により,年間約200名の農業研修生が農業研修生派米協会により米国に派遣され,2年間の研修をうけている。
(い) カナダへの農業移住訓練生
1969年,27名の訓練生が海外移住事業団を派遣機関,アルバータ州農業団体を受入機関としてカナダに向つた。
訓練期間は2年間で,1970年も引き続き43名がカナダに赴いた。移住訓練生は,本人の希望により訓練期間終了の後,永住することも可能である。