―国連における経済問題―
第5節 国連における経済問題
1. 経済社会理事会(ECOSOC)
わが国は,1967年秋の第22回国連総会における選挙で1970年末まで3年の任期で経済社会理事会理事国に選出され,1970年3月及び4月ニューヨークで開かれた第48回理事会,および同年7月,ジュネーブで会合した第49回理事会の審議に参加した。
上記経済社会理事会会期および第25回国連総会においては,第2次国連開発の10年,貿易開発理事会(TDB)報告,工業開発理事会(IDB)報告,人間環境問題,社会開発,天然資源の開発,開発途上国の経済開発に対する融資,国連国際大学設置問題,国連平和部隊,国連諸機関活動の調整等の諸問題が審議された。
中でも,1970年10月24日,国連総会は,国連25周年記念会期において,2年間にわたる準備をへて作成された「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」を全会一致をもつて採択したが,これは1970年代の南北問題解決のための世界的規模での指針が国連で策定されたことを意味するもので,国連の活動としては画期的なものであつたといえよう。
同戦略の骨組としては前文,70年代の目標,この目標を実現させるための具体的かつ総合的な政策措置,政策措置実施状況評価のための機構的取決め及び世論動員が規定されていた(本戦略の内容については前記,「南北問題」を参照されたい。)なお本戦略中の政策措置中の焦点たる援助量については,わが方は戦略の規定に沿つてGNP1パーセント目標を1975年までに達成すべく努力する旨宣言し,開発途上国から大きな前進であるとして歓迎された。また,開発戦略実施上の進捗の全般的評価については,開発計画委員会が明示的な委任権限の枠内で行なう評価及び勧告に基づいて,経済社会理事会を通じ総会がこれを行なうことと規定されており,今後はこの評価問題が重要な地位を占めいくと思われる。なお,この全面的評価機構の詳細は1971年1月ジュネーヴにおいて開催予定の第51回経済社会理事会で検討する旨第25回総会決議により決定されている。人間環境問題については,1970年7月に開催された第49回経社理事会で,1970年3月にニューヨークで開催された人間環境国連会議の第1回準備委員会(その検討については第9節のうち環境問題の項を参照)の結果に関する事務総長報告が検討され,その結果72年に開かれる国連人間環境会議の性格を行動指向型にする旨の決議が採択された。
天然資源の開発については,第49回経済社会理事会において設立された,38のメンバー国からなる天然資源常設委員会に,わが国は世界最大の資源消費国の一つとして参加することとなつた。同委員会の第1回会合は昭和46年2月22日より3月10日までニューヨークの国連本部において開催され,事務局より提出された多くの提案につき審議がなされたところ,わが国は資源開発のための開発途上国に対する国連諮問サーヴィスの設置に賛意を表するとともに,同サーヴィスにわが国の専門家を提供する用意がある旨表明した。資源開発のための回転基金設置構想については,わが国の提案に基づき,同事務局提案のみならず,わが方の提起する自発的拠出による基金設置案等をふくめて検討するため,15ヵ国からなる政府間作業グループを設立することが決定された。なお,事務局側が「天然資源の合理的管理」(人間環境会議の主要テーマの一)に関連づけて環境問題を本委員会で審議することを示唆したが,環境問題は人間環境会議で一括して扱うのが適当との先進国の主張及び,環境問題は開発途上国にとつて焦眉の急ではないとの開発途上国の意見によつて,本委員会の議題としては環境問題はとりあげられなかつた。
(1)1970年を通してUNCTADにおける最大の問題は,第25回国連総会において採択された「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」中の政策措置の部分の策定であつた。すなわち開発途上国が南北問題解決にあたり最大の関心を有していたのは,UNCTADが主要責任をおう貿易及び開発分野の問題であり,政策措置の主要部分の殆んどがそれらの問題をとりあつかつていた。
この事実はとりもなおさず開発戦略自体が第1回(1964年)及び第2回(1968年)の両UNCTAD諸決議の発展線上にあることを意味しており,本戦略中における合意は将来再度,UNCTADの場において実施状況の審査及び新たな問題点の検討という形でのはね返りを生ずることとなるという意味で重要なものであつた。
1970年1月に開かれた第9回貿易開発理事会第3会期において本戦略に対するUNCTADの寄与(contribution)中そのかなりの部分につき一応の合意が得られることとなつた。すなわち一次産品分野においては,個別商品に関する研究,協議及び取決め締結の促進,緩衝在庫の事前融資のための可能性の検討,製品分野では,一般特恵の早期実施の要請,貿易障害の軽減撤廃,援助分野では援助条件の緩和(DAC勧告の早期実施),ひもつき援助の廃止等についての努力目標が打ち出されており,それらは1970年6月の第6回会合でその討議を終了した累次の第2次国連開発の10年準備委員会での検討に反映されていた。
その後も種々の機会を捉えて合意達成の努力は継続され,6月には海運問題に関する関係国間非公式協議が開催され,一応の妥協が成立し,10月には画期的な一般特恵に関する合意が第10回貿易開発理事会4会期において成立した。しかしながらその他の主要懸案事項,一次産品のアクセスの増大,産業調整援助措置,GNP1パーセント援助目標達成期限,政府開発援助目標,SDRと開発融資のリンク,科学技術移転問題等は未解決のままとなり,第10回貿易開発理事会においても,その他機能委員会においても合意に達せず,第25回国連総会第2委員会の審議に委ねられ政治的配慮に基づく解決を待たねばならなかつた。
上記主要懸案事項がUNCTADにおいて顕著な進展がみられなかつた主たる理由は,開発途上国側が第1次国連開発の10年(1960年代)の成果につき,達成目標に対する具体的措置が欠けていたとして,それほど積極的な評価を与えず,今次戦略においては,具体的措置に裏付けられた内容でかつ達成期限を付したコミットメントを先進国に要求し,先進,開発途上国双方が鋭く対立していたことによるといえよう。
(2)貿易開発理事会(TDB)の下部機関である各種委員会あるいはグループの会合が相次いで開催されたが,とくに目立つた実質的進展ぶりを列記すれば次の通りである。
一次産品関係では,一次産品に関する価格政策及び自由化措置に関する合意及び戦略備蓄・余剰処理原則に対する合意の成立等,第2回UNCTAD以来の諸懸案の解決という注目すべき進展がみられた。製品関係では,数次にわたる作業の結果,特恵特別委員会において最終的に特恵に関する合意が1970年10月に成立し,本年のUNCTAD分野における特筆すべき成果であつたといえよう。その他,討議の焦点となつたものの進展がみられなかつたものも少なくなかつた。すなわち,製品関係では,数量制限等の非関税障壁の撤廃,制限的商慣行等が審議の対象となつたがいかなる合意も成立せず,援助の分野では,GNP1パーセント援助目標が本分野における最大の焦点となり,わが国は1975年までに本目標達成につとめることを既に1970年5月に闡明していたが,UNCTADにおける審議では何らの合意にも到達しなかつた。SDRと開発融資のリンク,補足融資問題等の審議も今後にもちこされることとなつた。海運分野では,自国船優先主義の原則をUNCTADで確立せんとするいわゆる国旗差別問題,船荷証券,用船契約,海上保険等の国際的立法を図ろうとする国際海運立法問題が大きな争点となり,本格的に本問題審議にとりくむこととなつた。
UNDPは「第2次国連開発の10年」において重要な役割を担うことが期待されているが,近年,機構,運営等において各種の隘路欠陥等が認められ,第6回管理理事会の決定に基づき69年この点に関する徹底的分析と抜本的改革の提案を内容とするいわゆる「ジャクソン報告」(A Study of the Capacity of the United Nations Development System)が発表された。同報告はUNDPの援助が円滑に運営されていないのは,UNDPと実施機関(主として国連の専門機関)との関係が緊密化されていない点にあつたとし,具体的な改革案として,国別に国連の全組織による開発援助を組み込む計画作成方法としての国別計画を中心とした「国連開発協力サイクル制度」の提案及び,それに伴うUNDP現地駐在代表(Resident Director)の権限の大幅な強化,地域局の新設等の機構改革案等の重要な諸提案を行なつていた。これをうけて3回にわたる管理理事会の結果,1970年6月第10回管理理事会において,「ジャクソン報告」に関する管理理事会のコンセンサスが全会一致で採択され,第49回経済社会理事会,第25回総会の承認を得て確定した。これは概ね「ジャクソン報告」の趣旨に忠実な内容のものである。71年1月の第11回管理理事会は,UNDP事務局長提案の機構改革の具体案を基本的には承認し,71年中に改革案の一部を実施に移すこととなつた。
UNIDOの事業計画,活動方針の決定は,45ヵ国で構成される工業開発理事会(IDB)が行なつており,わが国は1971年末までIDBのメンバー国である。
UNIDOの活動は,技術援助のほか,専門分野のセミナー,研究会の開催,現場集団研修,工業投資促進サービスの実施,工業情報の収集・配布等広範囲にわたつている。わが国はUNIDOに協力して1970年8月24日から10週間にわたりラ米諸国からの研修生8名に対し,機械金属工業における生産管理に関する現場集団研修を実施し,また1970年9月8日から同21日まで,UNIDOとECAFE共催の第2回アジア工業化会議を東京に招致した。
1970年中に国連アジア極東経済委員会(以下エカフェと略称する)の活動として注目されるのは,従来よりエカフェが同地域の経済開発を促進するため検討を続けてきたエカフェ地域における貿易拡大および金融協力計画につき進展を見せたことである。1970年3月ブラッセルで地域協力に関するコンサルタント及び事務局による非公式協議が開かれ,貿易拡大および金融協力計画に関する事務レベルの枠組みが合意された。これに基づき,エカフェ事務局はこれらの計画に関する具体的提案を作成の上,これを各国に配布し,また,これらの提案を検討するために,ユリ及びトリフィン両教授を団長とする2つの高級調査団がエカフェ各国を訪問した。同調査団は,わが国には9月初句来訪し,関係各省及び日銀の担当者と意見の交換を行なつた。
1970年11月2日から9日までハンコックで開催された貿易および金融協力に関する政府中央銀行間会議においては,貿易拡大および金融協力計画に関する事務局提案が検討され,結局会議は貿易拡大計画案,アジア清算同盟案ならびにアジア準備銀行案のいずれについても技術的な検討を加えたにとどまり,出席国政府の立場を拘束するような決定や合意に達するに至らず,討議の模様をそのまま第4回エカフェ経済協力閣僚理事会に報告し,その検討にゆだねることとなつた。
第4回エカフェ経済協力閣僚理事会は,12月16日から4日間カブールで開催され,その主要議題としてバンコック会議で検討された計画案がとりあげられ,その早期実現のため関心ある諸国がさらに検討を行なう政府間委員会を設けることをうたつたカブール宣言が採択された。わが国は,同会議において,貿易拡大計画については直接の当事者ではないので貿易自由化の推進,特恵関税の早期実施,開発輸入の促進等開発途上国産品に対するアクセスの増大等を通じてエカフェ域内開発途上国の貿易拡大に努力する方針を明らかにした。他方,アジア清算同盟案とアジア準備銀行案については,それからえられうる利益が乏しいとして両制度導入の必要性を積極的には認めておらず,エカフェ域内の現状に十分配慮しつつ現実的な観点にたつて臨むことが必要であるとの基本的立場から,比較的各国の同意が得られやすいとみられる小地域を基礎とした清算同盟にはあえて異を唱えないが,より広域にわたる清算同盟および準備銀行は小地域を基礎とした清算同盟の結果をみた上でさらに検討すべきであるとの態度をとつた。
カブール宣言をうけて,清算同盟に関する準備委員会が1971年3月16日より22日までバンコックで開催されたが,わが国は,従来のわが国の基本的立場に基づき同準備委員会には参加しなかつた。
1970年中のエカフェの他の活動で注目されるのは,70年9月9日から21日まで東京で第2回アジア工業化会議が開催されたことである。同会議は,エカフェ地域の工業化の緊急性にかんがみ1965年の第1回会議から引き続き開催されたもので,その主要議題は,第一に第1次国連開発の10年の期間においてとられた工業化政策の成果と問題の回顧および従来の経験を基礎に第2次国連開発の10年における工業開発促進のための戦略および政策を検討すること,第二にアジア工業開発理事会(AIDE)をアジア工業化のための中心機関として強化する方途を検討することであつた。同会議では諸勧告のほか,東京宣言を含む決議が採択され,事務局長のポスト設置,技術部の設置,エカフェ・UNIDO ジョイント・ユニット,エカフェ・ユネスコ共同の科学技術ユニットの設置等に関する勧告が行なわれ,これらの問題は1971年1月に開催されたアジア工業開発理事会でさらに検討された。