―アフリカ地域―

 

第9節 アフリカ地域

 

1. 概     観

 

 わが国とサハラ以南のアフリカ諸国との関係は,過去1年を通じていつそう緊密になつた。これは独立後10年を迎えたアフリカ諸国がその経済開発を促進するためわが国との協力に大きな期待を示していること,他方,わが国においても重要な資源の供給地としてのアフリカの重要性が次第に認識されてきた結果にほかならない。

 アフリカ諸国のわが国に対する期待は具体的には,各国要人及び使節団の相つぐ来日,経済,技術協力要請の増大という形で表われている。特に1970年には万国博参加(サハラ以南のアフリカよりは12カ国が参加した)を中心として,短期間のうちに従来には見られないような多数の要人が来日した。エティオピア皇帝,中央アフリカのボカサ大統領等多くのアフリカ諸国要人は来日の機会に佐藤総理をはじめわが国政府関係者と懇談し,わが国とアフリカ諸国の友好,親善関係の増進の上で顕著な成果をあげた。

 わが国においても1970年2月に派遣されたアフリカ経済使節団を母体として経団連にアフリカ委員会が設置され,対アフリカ関係の増進に寄与することをになつた。

 わが国とサハラ以南アフリカ諸国との貿易もかかる緊密化の方向を反映して順調な伸びを示している。1970年のわが国の輸出は13億3,400万ドル(わが国総輸出に占める割合は6.9%)で対前年比25%の増,輸入は9億9,400万ドル(わが国総輸入に占める割合は5.26%)で対前年比10.5%増を示している。なお,わが国と一部の国の間には依然として片貿易問題があり,わが国としては一次産品の開発輸入などを通じて,これが解決に努めている。また輸出についても繊維,雑貨等の軽工業製品に代わり,自動車,機械等の重化学工業製品の比重を高めるよう努力が続けられている。

 貿易の面で注目されるべきことは,アフリカ諸国による対日差別撤廃の動きである。1970年後半にニジェール,象牙海岸,ルワンダ,ウガンダ,上ヴオルタの5カ国がわが国に対するガット35条の援用を撤回した。これはわが国が従来より継続してきた対日差別撤廃の努力のたまものでもあるが,わが国の経済技術協力に期待し,わが国と正常な貿易関係を樹立せんとするアフリカ諸国側の意欲によるところも大きい。

 貿易関係の拡大と並んでわが国の企業進出もすすんでおり,現在では60件を越えるに至つている。企業進出の分野での新しい傾向は,資源開発をめざした大型プロジェクトが増加していることである。ニジェールにおける日,仏,ニジェール3国によるウラン鉱の共同開発,コンゴー(キンシャサ)におけるSODIMICO(コンゴー鉱工業会社)に続くわが国業界の銅開発部門への進出,ナイジェリア,コンゴーにおける石油開発等のプロジェクトが具体化しつつあるほかギニア,ガボンにおける鉄鉱山の開発に対してもわが国業界は積極的な参加の意向を表明している。今後これらのプロジェクトが具体化するにつれて,わが国とアフリカ諸国との友好関係はさらに強化されるとともに,各種の経済,技術協力も拡大してゆくものと考えられる。

 

2. エティオピア

 

 エティオピアとの貿易は従来よりわが国の大幅な出超という片貿易が続いてきたが,1970年においてもわが国の輸出2,545万ドル,輸入911万ドルとほぼ前年並みの片貿易の割合いを示している。わが国の企業進出については,1969年に設立をみた牛肉エキス製造合弁会社に続き,衣服縫製販売会社が設立され,1971年2月より操業を開始した。これにより,エティオピアにおけるわが国企業進出は従来の繊維,亜鉛鉄板関係等を含め計6件となつた。

 これら企業は操業以来何れも良好な成積を収めており,エティオピア国内でも高く評価されている。エティオピアとしては,とくに国内の雇用機会の増大と輸出の振興のための開発輸入を促進するため,外国企業の進出を強く期待しており,今後いつそうこの種企業の進出が望まれる。

 また,わが国はマイクロ・ウエーヴ網建設鉱物資源の開発等の調査を中心として政府ベースの技術協力を行なつてきており,さらに青年協力隊の対エティオピア派遣に関する話し合いが両国間で行なわれている。

 

3. 東アフリカ3国

 

 ケニア,タンザニアおよびウガンダの東アフリカ3国とわが国との貿易は着実に増大しているが,ケニアおよびタンザニアとの間ではわが方の出超による片貿易問題がある。とくにケニアはこの問題をきわめて重視し,対日輸入制限を再び実施することも検討しており,わが国は,緑茶,ほたる石等の開発輸入プロジェクトの実施,経済技術協力の促進等により,これに対処してきている。1970年の貿易を国別にみると,わが国の対ケニア輸出は4,154万ドル,輸入は466万ドルで,片貿易の比率は9対1(前年は5対1)に拡大した。わが国のタンザニア向け輸出2,157万ドル,輸入1,806万ドルであり,総計上大幅な片貿易が生じていないのは,タンザニアが対日輸入制限を実施していることによる。わが国のウガンダ向け輸出は1,116万ドル,輸入は3,324万ドルで,この国については逆にわが国の大幅入超となつているが,これはわが国が銅の長期買付を行なつていることによる。なお,ウガンダは1970年11月2日,対日ガット35条の採用を撤回した。

 経済協力の分野では東ア3国との円借款協定の期限をそれぞれ延長(ケニアについては1972年12月まで,タンザニアについては1973年8月まで,ウガンダについては1973年1月まで)し,円借款の完全実施を図つているが,1970年度に円借款の対象となつたプロジェクトとしては次のものがある。

 ケニアにおいては,KTMの織布部門新設,道路建設機械,冷蔵倉庫の建設,漁網工場,タンザニアにおいては,カシューナット工場の設立,毛布工場拡張,ラジオ.タンザニア放送網拡充計画用機材,ウガンダにおいては,シャツ製造工場,TV網拡充計画用資材の供与等である。

 技術協力の分野では1970年4月,キリマンジャロ地域開発計画との関連で現地駐在のわが国専門家等による第1次調査並びに資料収集を行なつたほか,タンザニアにおける南岸道路計画調査団,ケニアにおける螢石開発調査団等が派遣され,民間ベースではケニアにおけるモンバサ空港拡張調査団が2度にわたつて派遣された。1970年12月,ウガンダとの間に青年海外協力隊派遣取決めが締結され,これにより東ア国すべてにわが国協力隊員が派遣される体制となつた。また,タンザニアでは運輸公団が設立され,同公団総裁にわが国専門家が迎えられた。

 わが国は東ア3国で構成されている東アフリカ協力機構との間で,航空協定および租税条約の締結交渉を行ない,それぞれにつき実質的合意に達した。

 

4. ザ ン ビ ア

 

 1970年のわが国の輸出は3,174万ドル(対前年比143%,輸入は29,466万ドル(対前年比102%)でわが国の大幅な入超を記録した。この大きな輸入額は銅の買付けによるものである1970年1月,わが国の大使館をザンビアに開設していらい,両国間の関係は緊密の度を加え,同年4月,青年海外協力隊派遣取決めが締結され,これにもとづいて,これまでに12名の協力隊員が派遣された,同年5月には合弁企業の肥料工場が完成した。さらに1971年1月23日に,租税条約が発効し,両国間の経済交流の基礎が確立された。なお,この条約はわが国がアフリカの国との間で締結した最初の租税条約である。

 

5. マダガスカル

 

 わが国とマダガスカルとの貿易は,伝統的にわが国の大幅出超であつたが,1970年には,わが国の輸出500万ドル輸入670万ドルで入超に転じたことが注目される。

 マダガスカル政府は,同国の電力資源開発にかねてよりわが国の協力を要請しており,このため,わが国は1970年11月より約1カ月半,ナモロナ河電源開発計画に関するフイージビリティ調査団を同国に派遣した。

 

6. 南アフリカ

 

 わが国は,国連等の場において,従来から一貫して南アフリカのアパルトハイト政策に反対の立場をとつている。また,1963年国連安全保障理事会で採択された南ア向け武器・弾薬等の禁輸決議を誠実に履行しているとともに,民間投資を含み経済協力,技術協力も行なつておらず,わが国の対南アフリカ経済関係は通常の貿易の枠内にとどまつている。しかるにわが国の対南アフリカ通常貿易についても,国連総会等でわが国はアジア・アフリカ諸国から名指しで非難されている状況にある。

 わが国の対南アフリカ貿易は年々増大しており,1970年には往復6億4,300万ドルと前年の5億5,000万ドルをさらに上回つた。わが国の輸出は前年の2億7,700万ドルから3億2,900万ドルに増加し,一方,輸入は2億7,400万ドルから3億1,400万ドルに増加している。

 

7. 南ローデシア

 

 1968年5月に国連安全保障理事会において採択された対南ローデシア全面的経済制裁決議にしたがい,わが国は同決議を誠実に履行してきており,したがつて,1970年の対南ローデシア貿易はごくわづかの医療品および書籍の輸出を除き,輸出入とも完全に停止している。しかしながら,国連事務総長より経済制裁決議違反の容疑のもたれる輸出入があるとして,違反の有無につきわが国政府による調査を要請される事例が往々にしてあつた。政府としては,かかる制裁違反の容疑を受ける事例のないよう機会をとらえて関係業界に注意を喚起するとともに,南ア,モザンビク等南ローデシア近隣地域とわが国との間の輸出入体制を整えて,制裁決議の完全な履行に努めている。

 

8. 中部アフリカ諸国

 

 チャード,中央アフリカ,カメルーン,ガボン,コンゴー・ブラザヴィル,コンゴー・キンシャサのいわゆる中部アフリカ諸国とわが国との1970年における貿易は,わが国の輸出5,370万ドル,輸入5,880万ドルでそれぞれ対前年比108%及び137%となつている。コンゴー・キンシャサとの貿易は1968年以来急速な発展を見せていたが,1970年における伸びは輸出12%増,輸入13%増と鈍化した。これは1968~69年に急速に行なわれたコンゴー経済の回復が一応達成され国内経済の成長率が下つてきたことおよび1970年においては,コンゴー経済の基盤をなす銅の国際価格が下落を続け,外貨準備にも影響を及ぼしたこと等によるものと思われる。なお,1970年11月20日わが国とコンゴーの間に貿易取決めが締結された。

 同国のカタンガ州ムソシにおける日本とコンゴーの合弁会社SODIMICOによる銅鉱山開発事業(昭和44年度版181頁参照)は1972年10月の生産開始を目標に順調に進められており,すでに現地では300人を越す邦人が開発事業に従事している。また6月には新たにキンセンダ地区で品位6%という優秀な鉱床が発見され,開発準備が始められた。

 また1970年には,エール・アフリックのカメルーン国内線用としてYS11機2機が,またガボンの大統領専用機として同1機が輸出され,アフリカに対するYS11機輸出の嚆矢となつた。

 

9. ナイジェリア

 

 1970年1月内乱が終了してから,わが国企業のナイジェリア進出が活発化しており,繊維関係2件,漁網関係2件の合弁企業が設立されたほか,わが国企業連合がナイジェリア沖合油田鉱区開発利権の入札に参加した。

 総額108億円の円借款については,12月あらたにナイジェリア国鉄が12輛の軽ディーゼル機関車を購入するための費用として12.5億円の使用を認められ,これによつて約40億円の使用が確定するに至つた。

 わが国とナイジュリアとの貿易は,1970年はわが国の輸出が62,890万ドル,輸入が12,840万ドルで,わが国の出超がますます拡大する傾向にあるナイジェリア政府は,この対日貿易の不均衡を重視しており,わが方よりの対日ガット35条援用撤回要求に対して,貿易の不均衡の解消が援用撤回の前提であるとしており,対日差別撤回の見通しは立つていない。

 ナイジェリアの内乱終了後,わが国政府が難民救済を目的として供与した緊急援助物資(日本米5,000トンおよび6トン積みトラック10台)は1970年5月にはすべて先方政府への引き渡しを完了した。

 ナイジェリアからは,万博代表団のほかに,1970年2月にアミヌ・カノ連邦通信相が来日し,万博期間中には,政府,実業界などの要人約200名がわが国を訪れた。

 

10. ガ ー ナ

 

 両国間の貿易は1966年までわが国の大幅出超を記録していたが,1967年以降はわが国の入超が続いており,1970年のわが国の対ガーナ輸出は2,850万ドル,輸入は3,220万ドルを記録した。

 ガーナの現政権がヌクルマ政権時代より引き継いだ約4億ドルの対外債務問題を討議するため,1970年7月には,1966年,1968年の前2回の会議に引き続いて第3回債権国会議がロンドンで開催され,ガーナ側が前2回の債権国会議の合意議事録にしたがい1970年7月から1972年6月の期間に支払うべき債務の2分の1をさらに軽減することに,各国代表の合意をみた。わが国は現在,1968年合意議事録に基づく債権繰延べ(約426万ドル)および1970年合意議事録に基づく債務救済について,ガーナ側と交渉中である。

 1969年10月ガーナにボーキサイト買付促進調査団を派遣したわが国業界は,1971年1月から2月にかけて第2次調査団を派遣し,ガーナのボーキサイト開発の可能性,投資環境等について現地調査を行なつた。

 

11. リベリア,シェラ・レオーネ

 

 1970年のわが国の対リベリア貿易は,輸出が5億8,756万ドル(前年比122%),輸入が3,190万ドル(同81%)となつている。特に輸出は,サハラ以南アフリカ向け輸出総額の約2分の1を占めているが,そのほとんどは主にギリシャ系船主によるいわゆる便宜置籍船としての船舶輸出である。最近では船舶以外には繊維品,機械を中心に輸出は着実に増加しており,わが国の大幅な出超となつている。

 他方輸入についても,漸増の傾向にあるが,その内訳は解体用船舶と,1965年に輸入が開始された鉄鉱石がほとんどを占めている。なお,1970年には,トルバート副大統領,ジョーンズ商務長官,フィリップス農務長官等政府要人が相次いで来日した。

 1970年のシェラ・レオーネ向け輸出は916万ドル,輸入は918万ドルとなり,1968年までわが国の一方的輸出に終始した両国間貿易は,1969年に引き続きほゞ均衡した。わが国輸入の大部分は鉄鋼石であり,1968年の長期買付契約の成立以来増大している。

 

12. 旧仏領西アフリカ諸国

 

 旧仏領西アフリカ諸国とわが国との関係は,これらの諸国による貿易面での対日差別撤廃の動きと相まつて,最近しだいに強化されつつある。

 象牙海岸とわが国の間には1970年5月,万国博における象牙海岸ナショナル・デーのために派遣された先方代表団の訪日を機に貿易取決めが締結され,この結果同国は同年8月,対日ガット35条の援用を撤回するに至つた。かかる貿易正常化の動きを反映して,1970年の貿易はわが国の輸出1,196万ドル(前年比95%増),輸入970万ドル(前年比86.7%)を記録した。また,1971年4月には亜鉛鉄板についての合弁企業が設立された結果,同国におけるわが国の進出企業は3件となつた。

 ニジェールについては,1970年6月,ウラン鉱開発に関する日,仏,ニジェール3国による協力の話し合いがまとまり,現在現地で探鉱が行なわれている。

 次いで1971年2月には,銅,モリブデン鉱に関する調査団がニジェールに派遣された。

 ニジェールはまた1970年7月,上ヴォルタは11月にそれぞれ対日ガット35条の援用を撤回した。

 ギニアの鉄鉱山開発については,従来からわが国業界も関心を示していたが,ギニア政府は同鉱山開発に対するわが国の協力を要請するため,1970年11月ベアボギ国家経済相を団長とする親善使節団をわが国に派遣した。その後鉄鉱山開発及びこれに必要な鉄道建設に対するわが国業界の協力も次第に具体化しつつある。

 モーリタニアについては,1970年12月に宝幸水産所属の日宝丸が,1971年1月に大洋漁業所属の大洋丸が,それぞれモーリタニア沖合いでトロール操業中,同国警備艇により領海侵犯のかどでだ捕される事件がおこつたが,示談金を支払つた後釈放された。

モーリタニア漁船によるわが国漁船のだ捕はこれで8回目である。

 

サハラ以南アフリカ諸国要人来訪一覧表

 

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