―西欧地域―
第5節 西 欧 地 域
1. 概 観
わが国と西欧諸国とは伝統的に友好関係にあるが,とくにここ数年は,双方の国際的地位の向上と運輸通信手段の発達を背景に両地域間の関係は一段と緊密の度を加えつつある。
西欧諸国は,戦後25年を経て経済的繁栄に加えて政治的安定性をも強め,再び世界秩序の重要な柱となった。とくに,1970年は欧州経済発展の要となつたEECが完成し,さらに拡大強化された欧州共同体への動きが具体化するに至つた一方,ドイツの東方政策を中心とする一連の東西間の接触拡大によつて戦後の欧州秩序に新しい息吹が吹き込まれたかに見える。
かくして,1970年のわが国の対西欧外交は,以上のような潮流に竿さしつつ,引き続き西欧諸国との政治・経済・文化等あらゆる分野における協力関係と相互理解の増進を図るとともに,双方が関心を有する国際問題に関し協調を図ることを目的として,地道な努力を行なつた。すなわち,主要国との大臣レベルの定期協議をはじめとする各種会議や政府要人の往来を通じて相互理解を深めるとともに,通商・航空・租税・文化等各分野における条約,協定関係を拡大整備することによつて相互関係強化の基礎を築くことに努めた。これらの外交努力は,民間の活発な人的交流,貿易の拡大等とも相まつて,わが国と西欧諸国との紐帯を幅広くかつ強いものにしつつある。とくに,1970年は大阪万国博の開催を契機として,西欧諸国のわが国に対する認識と理解は格段と高まつたものといえる。また,1970年の対西欧貿易が一段と増大した点も特筆されるべきであろう(わが国の西欧諸国への輸出は,2,908.8百万ドル,輸入は1,962.6百万ドル,うちEECへの輸出は1,305.3百万ドル,輸入は1,117.7百万ドル,EFTAへの輸出は1,057.2百万ドル,輸入は749.8百万ドルであつた)。
わが国と西欧諸国との間には幸い重大な懸案はないので,今後とも政府民間が一体となつて協力関係と相互理解の増進のため地道な努力を続けていくべきであろう。
(1) 第8回日英定期協議
第8回日英定期協議は,1970年4月20日,東京において,愛知外相とスチュアート外務英連邦相との間で行なわれた。またその際,事務レベルの協議も行なわれた。
両大臣は,国際情勢,とくにアジアにおける安定と地域協力問題・英国の欧州共同体加入の見通しを含む欧州問題,東西関係等について意見の交換を行なつた。
(2) 第5回目独定期協議
第5回日独定期協議は,1970年5月14,15日の両日,東京において,愛知外相とシェール独外相との間で行なわれた。また,これに引き続いて,事務レベルの協議も行なわれた。
両大臣は,国際情勢,とくに中国問題,インドシナ紛争を含むアジア情勢一般,ドイツの東方政策,欧州統合問題を含む欧州情勢,対ソ関係等につき意見の交換を行なつた。
シェール外相は,また佐藤首相を訪問し,国際情勢及び両国の経済問題について意見を交換し,今後の両国関係のいつそうの進展を約した。
(3) 第8回目仏定期協議
第8回日仏定期協議は,10月1日から3日まで,パリにおいて開催された。日本側は,第25回国連総会出席,南米公式訪問,ローマでの欧州大使会議出席,ナセル・ア連合大統領の葬儀出席を経て訪仏した愛知外相,仏側はシューマン外相が出席した。またこれに先だつて事務レベルの協議も行なわれた。
両大臣は,ドイツの東方外交により流動化しつつある欧州における東西関係,中近東情勢,中国問題,インドシナ紛争を中心とするアジア情勢,両国間の経済科学協力問題等につき,意見を交換した。
なお,愛知外相は,2日,エリゼ宮にポンピドゥー大統領を訪問し,国際情勢全般にわたり幅広い意見の交換を行なつた。
(4) 第2回日伊定期協議
第2回日伊定期協議は,11月19,20日の両日,東京において,愛知外相とモーロ供外相との間で行なわれた。また,これに引き続いて,事務レベルの協議も行なわれた。今回の協議は,第1回定期協議がローマで開かれて以来5年ぶりのものである。
両大臣は,国際情勢とくに欧州における東西関係,地中海及び中東情勢,中国問題等のアジア情勢,国連における両国間協力につき意見の交換を行なつたほか,両国間の経済文化交流のいつそうの促進を約した。
(1) EEC6ヵ国との関係
EECは,1970年以降各加盟国の第3国との通商関係を一律の原則にしたがつて調整することになつていたため,第3国との通商協定は漸次共同体を当事者とする協定に切り替えることとし,これに基づいてわが国と日・EEC通商協定を締結するための交渉が1970年9月にブラッセルにおいで行なわれた(後述)。しかし,まだ上記交渉が妥結していないため,当面は現行の日・独,日・仏,日・ベネルックス各通商協定がそのまま適用されている。ただ,イタリアを含めてこれら諸国(地域)との年次貿易取決めは失効したので,このバイラテラル取決めの取扱いぶりにつき,わが国は各国及びEEC委員会と協議中である。
(2) 日英貿易交渉
1968年以来ロンドンで行なわれている日英長期自由化交渉が諸般の事情で難航したため,同交渉を継続しつつ,とりあえず70年の割当増加を主な内容とする年次協定を締結することとし,双方が折衝した結果,一部品目の自由化及び増枠その他について合意に達し,1970年5月29日,ロンドンにおいて関係文書の署名が行なわれた。
(3) 日・ノールウェー貿易交渉
1962年の両国間の書簡交換にもとづく1970年の年次貿易交渉は,11月9日から14日まで,オスロで行なわれた。その結果,繊維製品など4品目の対日輸入の完全自由化,その他若千品目の増枠が行なわれることになり,対日輸入制限品目は43(綿製品取決めにかかわる対日輸入制限品目を除く)に減少した。
(4) 日・オーストリア貿易交渉
1970年6月26日に署名された日墺貿易取決めは,同年12月末で終了するため,1971年以降の取扱いにつきウィーンにおいて交渉がおこなわれた。その結果,1971年12月31日までの間両国間の貿易も引き続き1966年11月4日付の取決めにもとづくこと,新たに若干品目の対日輸入を自由化することにつき合意をみた。
(5) 日本・ギリシア貿易交渉
1969年11月7日付の交換公文による日本・ギリシア貿易取決めは,1970年9月30日まで効力を有していたが,その後の取扱いについて1970年7月からアテネにおいてギリシア政府と交渉を行なつていたところ,1970年10月1日以降1年間有効で,その後もいづれか一方の政府により廃棄通告が行なわれない限り,1年間ずつ3年間自動的に更新される取決めについて合意に達し,1971年2月18日アテネにおいてそのための書簡の交換が行なわれた。
(1) 日蘭航空当局間協議
日蘭航空当局間協議は,1971年1月25日から29日まで,日本側寺井運輸省航空局審議官,蘭側スパンヤールド運輸水利省航空局長を代表として,東京で開催された。協議の結果,両国指定航空企業に,1971年4月1日から,シベリア経由東京,アムステルダム路線の暫定運航を認めることに合意をみた。
(2) 日伊航空当局間協議
日伊航空当局間協議は,1971年2月15日から19日まで,日本側寺井運輸省航空局審議官,伊側サンティーニ運輸民間航空省航空局長を代表として,ローマで開催された。協議においては,両国間のシベリア経由路線設定の可能性を含む諸問題が討議されたが,シベリア路線については合意に至らず,次回協議に持越され,現行北廻り及び南廻り路線の1971年4月1日からの増便につき合意が成立した。
(3) 日本・北欧三国航空協定附表改訂
1970年1月東京で行なわれた第5回日本・北欧航空協議で得られた合意にもとづき,1971年2月5日愛知外相と駐日ノールウェー,デンマーク及びスウェーデン各大使との間で,日本・北欧三国航空協定附表改訂のための書簡交換が行なわれた。右改訂の結果,日本は,日本からモスクワを経由して北欧三国内の地点及び同地点以遠に至るシベリア路線の路線権を得,北欧三国は,同三国内の地点からモスクワを経由して東京に至るシベリア路線の路線権を得た。
日・スイス租税条約署名
わが国とスイスとの租税条約締結交渉は,1961年5月末に第1回交渉が行なわれたあと中断されていたが,1970年7月1日に再開され,7月10日双方の間に合意をみ,イニシャルが行なわれた。
この結果,1971年1月19日,「所得に対する租税に関する二重課税の回避のための日本国とスイスとの間の条約」について,愛知外相,シュターデルホーファー駐日スイス大使との間で署名が行なわれた。
EECは,1958年の発足以来12年間の過渡期間を通じて,既に関税同盟を完成し,農業共同市場化もほぼ達成するという一連の準備段階を終了したが,1969年末のハーグ首脳会談において,1970年以降の欧州統合の新たな進展のための政治的意思を再確認した。現在欧州共同体は,統合の遅れている税制,産業構造政策,運輸,社会,労働等の各分野の共通政策の策定を急ぐとともに,70年代の欧州共同体発展の原動力ともなるべき超国家的な経済通貨同盟実現のために努力を傾注している。他方,英国等の加盟交渉も進展しており,地中海諸国,アフリカ諸国さらにはEFTA諸国との連合関係拡充を通じて,共同体の外延地域とも緊密な関係を樹立することにより,欧州共同体は一大経済勢力圏の確立へ向つて着実な歩みを続けている。
英国等の加盟が1973年に実現するとすれば,拡大EECは人口2億4,500万,GNPは5,000億ドル,貿易量は域内も含めると2,000億ドルにも達する広域単一市場が出現することになる。
かように世界経済において米国およびわが国と並んで重要な地位を占めるに至つたEECと,わが国との関係が正常化されますます緊密化されることが望ましく,EEC側としても共通通商政策策定の必要性から,従来わが国と共同体加盟国との間に存在した二国間通商協定を共同体レベルの協定に統合することとなり,わが国とEECとの間の通商協定交渉が1970年9月から開始される運びとなつた。
わが国と欧州共同体との間には,従来より欧州石炭鉄鋼共同体との間の事務的な定期協議が年2回行われているが,1970年春には万国博の機会にピエール・アルメル共同体理事会議長(当時)及びジャン・レイ同委員会委員長(当時)が来日し,また,7月には欧州議会使節団の訪日,さらに11月には共同体委員会ダーレンドルフ通商担当委員が来日して世界経済の諸問題につきわが国関係閣僚と意見交換を行なうなど,ハイレベルのコンタクトも次第に密になつてきている。
1970年度の対EEC関係の主要点は次のとおりである。
(1) 日・EEC通商交渉
日・EEC通商交渉第1ラウンドは,1970年9月17日から24日までの間,ブラッセルにおいて開催され,(イ),貿易の相互自由化,(ロ),セーフガード条項,(ハ),共同体の通商上の権限,(ニ),混合委員会の設置,(ホ),非関税障壁等の諸問題につき討議された。
相互自由化については原則的合意がみられたが,EEC側はこの自由化の前提条件として現行の日・仏および日・ベネルックス貿易協定に規定されているものと同質のセーフガード条項を共同体全域に拡大適用することを強く主張しており,この点GATT規定以外のバイラテラル・セーフガードを認めないとするわが国の基本的立場と全く異なり,対立したまま結論が得られず,現在交渉は行き詰りの状態にある。
なお,1970年におけるわが国の対EEC貿易は輸出約13億ドル,輸入約11億ドルで,わが国の総輸出入額に占めるEECのシェアは,それぞれ6.7%および5.9%となつており,また対前年比伸び率は輸出34.8%,輸入36.2%で着実な伸びを示している。
(2) 日・EEC綿製品協定交渉
わが国とEEC諸国との綿製品貿易に関する二国間協定は,いずれも1970年9月30日に失効することになつていたため,1970年9月10日からブラッセルにおいて,わが国とEECとの間に共同体レベルの綿製品協定締結交渉が行われた結果,日・EEC綿製品貿易に関する協定案及び付属書簡案につき合意がみられ,11月3日ブラッセルにおいて両代表間でこれらにイニシャルを了した。
本協定は,1970年10月1日から1973年9月30日までを適用期間とし各年間について総枠12,745トンとし,日本側の輸出証明発給に対し,輸入国側が自動的に輸入許可を与えるという2重管理方式を採用している。しかし,現在(1970年2月)まだわが国が国際綿製品長期取決め再延長議定書に署名していないので,同取決め第4条に基づく日・EEC綿製品貿易協定にわが国としては署名できない状態にあり,同協定は未発効である。
(3) 共通農水産物政策
EECの共通農業政策でわが国にとつて直接利害関係のある問題は,水産物共同市場組織規則の域外貿易制度である。
1970年10月20日共同体理事会は,水産物共同市場組織規則を採択した。同規則は1971年2月1日から適用される。同規則では域外貿易制度は確定しておらず,したがつて,共同体委員会が関係第三国と話し合いを行ないその結果を理事会に報告し,理事会が1971年5月1日までに必要措置を決定することになつている。当初同規則案はまぐろかん詰等センシチブ品目の輸入に最低価格制を規定しており,わが国はまぐろかん詰をEECに輸出しているので,関心を有している。また,わが国はケネディ・ラウンドで加工産業用まぐろの関税譲許の条件として冷凍まぐろに基準価格を設けた。この期限が1970年6月1日に切れたので,この改訂交渉が必要となつているがEEC向け冷凍まぐろは缶詰原料に供されているため,EEC側ではまぐろの基準価格の問題と上記のまぐろ缶詰輸入制度の件を関連させて考えており今後の懸案となつている。
そのほか,果実・野菜加工品の域外貿易制度中の最低価格制及び油脂課税問題についてもわが国は関心を有しているが,現在のところEECにおける検討は進展を見せていない。